このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

居眠りタクシー運転手

    タクシー をチャーターして、 玉門関河倉城 と陽関とを見物にでかけたのであるが、時間がなくなってしまったので、陽関に行くのは諦めようかという話になった。運転手の言うには、陽関はもう崩れてしまって、だたの土の塊があるだけだというので、無理して行くことを中止して、帰ることにした。

 それならばと帰ろうとしたところ、突然運転手が雄弁になり、この近くに漢代の長城があると言う。いいところだから是非見に行くべきだと言い出したのである。更に付け加えて言うには、遥かかなたの日本から来て、漢代の長城を見ないで帰るなんてこんな悔しいことがあろうか、2度と見るチャンスがない貴重なものだから、是非見て帰るべきだと盛んに勧めるのである。そこまで行くのに50元だと言う。結局は行くことにしたが、 漢代の長城 はかなり風化していて、もう1,2mの高さしかない壁が、寂寞感の漂う砂漠の中で、砂に半分埋もれてずっと続いていた。

  観光を終わって飛行機に乗ってから、よくよく考えてみると、最初の約束では陽関まで含めて、350元で行く約束であった。陽関までは結構遠いのである。遠い陽関に行くのを中止して、近い所にある漢の長城に行くことにしたのに、本来350元であった車代が、漢代の長城を追加した為に400元になってしまった。何だか騙された感じである。しかし私も不注意であった。私がそこまで気が回らなかったのは、運転手の居眠りが原因であったかもしれない。


  玉門関の料金徴収所から玉門関への道は、土漠の中の一直線の道を50kmも走るのである。 本当に平らで本当に一直線の道 である。この長さ、平らさ、人が一人もいないこと、これを日本では想像できるであろうか。レンガ一つ分の高さの凹凸も無い平らさで、道がわずかに曲がるのは2,3回程度。地平線だけが見える。本当に地平線だけである。
他の観光客は全くいないので、対向車に行き会うことはなかった。
そこを運転手は居眠りしながら走るのである。対向車にぶつかる危険はなかったが、そこを80kのスピードで走るのであるから本当に胆が冷えた。この時、砂漠の探検隊が道に迷ってしまう話を思い出した。ここでは道に迷うことは無いとは思うが、事故を起こしたら救援隊に連絡の手段が無い。勿論運転手を突っついたり、運転を替わろうかとか言ったりはした。運転手は没問題と言いつつ、コックリしたり、意識が戻ったりしながら走りつづけた。

  多分そんなことがあって、うっかりして値段のからくりに気が付かなかったのだと思う。それにしても漢代の長城行きを勧める運転手の言葉は、ほんとに雄弁であった。中国語が得意ではない私にも、その言わんとしているところがよく分ってしまうのである。とても居眠り運転手の言葉とは思えないくらい雄弁であった。それで説得されてしまったようである。
陽関はただの土の塊だと言ったけれども、 漢代の長城 もまた同じように崩れかかった土手のようなものであった。しかし私にとって、それはそれで面白かったけれども。

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