このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ある中国人が自宅に遊びに来たときに、おでんを出した。コンニャクが入っていたので、これを食べたことがあるかと聞いたところ、無いとの答えだった。中国人からはコンニャクに栄養はあるかと聞かれたが、栄養の無いものを何故食べるのかと言うニュアンスの質問だった。その後も他の中国人にコンニャクを知っているかと聞いてみたが皆知らないとの答えだった。ところが九寨溝のツアーに参加したところ、食事の中にコンニャクが出てきたのである。中国には無いものと思っていたコンニャクが出てきたので驚いた。四日間の食事のうち二回出てきた。 帰国後、司馬遼太郎氏の『街道を行く』というシリーズの中の、蜀の道の中にコンニャクに付いて書いてあるらしいと、何かで知ったので早速読んでみた。そうしたら確かに『中国・蜀と雲南のみち』の中に、『コンニャク問答』という項で11頁にも渡って、コンニャクのことが書かれていた。それによると蜀(四川省)には昔からコンニャクが栽培されていたらしい。そのことを司馬遼太郎氏は『左思』という1700年前の詩人の文書から蒟蒻の文字を見つけていて、成都に行くときにコンニャクにこだわり、それを食べてみたかったらしい。 『左思』の本には、成都のことを書いた部分に、蒟蒻という文字を使ってコンニャクの食べ方まで書かれていたらしい。しかし現在の中国には蒟蒻という文字は既に無くなっているとのことである。であるから大部分の中国人はコンニャクに付いては知らないのである。成都のコンニャクに拘った司馬遼太郎氏も、ついに成都でコンニャクを食べることは出来なかった。その中国のコンニャクを、私は成都から九寨溝に行く途中で、二回も食べることがで出来たのである。 私は司馬遼太郎氏とは違って、中国にはコンニャクが無いと思っていたから、これは珍しいものが出てきたと思ったのである。確かに司馬遼太郎氏も食べられなかった位であるから、成都でも珍しいものであるに違いない。ツアーに参加した中国人もコンニャクに付いては知らないようであった。しかし食事の際に横の席に座った美人の若奥さんは知っていると言う。その人は中国の辺境の、ウルムチから夫婦で参加した人であった。それならばと早速コンニャクの文字を書いてもらった。 しかしそのメモは今は無いのである。多分満州里でロシア人とウオッカを飲んだときにメモを無くしてしまったようだ。その字は魔の様な字があったと思うが、記憶は定かではない。『コンニャク問答』の中には、現在の成都の辺りでは、磨芋の字が使われていると書かれていた。ウルムチの美人奥さんが書いてくれた字と比較できないのは残念である。 |
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