このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

肉と魚

  市場に行くと、豚の半身や骨付きの牛の腿が、どーんと不潔っぽい板の上に並んでいる。そこから欲しい部分を示して切り取ってもらい、秤で計ってもらって買う方式である。売り手には筋を巧く切り取る技術が無い様であった。だから買ってくる肉が筋だらけになってしまって腹立たしかった。筋の無い部分を買うのは本当に難しい。それでも豚肉の場合は、"背里"と言う部分が上等の部分だということが分かり、これを買えば美味い肉が食べられることが分かった。しかしこれも一面に白い筋が張りついているので、帰ってから筋の部分を剥ぎ取らなければならなかったが、これは剥ぎ取り易かった。

  牛肉の方も同じように"背里"を指定して買ったが、どうしても筋が混ざっていて、いつも良い部分を買うことが出来なかった。それに牛肉は使役用の牛のものらしく、硬くてあまり美味いとは言えない。そんなわけで、牛の筋の無い大きなステーキ肉も食べることが出来なかった。肉を薄くスライスした物も食べることは出来なかった。スライス肉は店でも売っていなし、自分でも塊から薄くスライスして肉を切り取る技術が無いからである。但し羊肉だけは名物の羊のシャブシャブ用にスライスした肉を売っていた。これは凍らせた肉の塊から、機械で切り出していた。これは冬の東北地方の名物であった。

  豚肉屋では、脂身の無い値段の高い"背里"だけを買ったので、直ぐに顔を憶えられた。その店の前を通る度に"背里が有るよ"と声を掛けられた。中国では豚の脂身も立派な肉としての商品であり、脂だけを切り離して売るのではなく、肉の部分と一緒に売られていた。皮も脂身や肉と一緒に売られていた。日本の様に、部位別に分けられていてパックされて売られているのとは、全く違う売り方であった。板の上に並ベた大きな骨付きの肉の塊から、希望する部分と重量を指定して、切分けて買うのである。

  何時も私が買いに行く肉屋のおばさんは、私がそれで十分だと言うのに、切取る肉の塊を大きくしてしまい、タップリの肉を買わせようとした。肉屋では通常一種類の肉しか売っていなくて、豚、牛、羊、鶏の肉を売っているのは別々の店である。もっとも、中国には回族が多いので、豚と羊の肉を一緒に売ったのでは、豚肉によって羊肉が穢されてしい商売にはならない。肉屋は巾2m位の同じような店が、ずらっと並んでいて、豚肉なら豚肉だけを売っていた。同じ物を売る店が並んでいるなんて、日本では見かけない風景である。

  鶏などは活きたまま一匹丸ごと売っていることが多かったが、私の場合これを買ってきたのではいかんともし難いので、市の中央市場まで出かけて肉の部分だけを買ってきた。羽は毟ってあり骨も大部分はずしてあって、頭の無い鶏肉の塊になっていた。日本の鶏よりかなり瘠せていた。

  買った肉は挽肉にもしてもらえるが、上等の肉を買ったつもりが、挽肉器から出てきた部分は、脂身だけであったこともある。こちらの挽肉器はごついから、挽肉器の中に相当の量の脂身が残っていて、そうなったのである。中国では挽肉器は脂身を挽く為の物であったのかもしれない。むこうも変な顔をしていたが、私の方も文句も言えずすごすごと帰ってきた。それからは肉の塊から包丁で叩いてひき肉を作った。

  中国では豚の脂身も"肥肉"と言って立派な商品である。赤い肉の部分は"痩肉"と言う名前がついていて、名前からすると、脂身の"肥肉"の方が貴重品であるように感じたものである。中国では脂身だけでなく豚の皮も立派な食用の商品であった。これを軟らかく煮込んだ物は結構美味い。

  魚は河や湖の淡水魚が多かったが、冬になると海産の魚が売られるようになる。外気が天然の冷蔵庫になるからである。冷蔵庫がなくても冷凍になった鮭や渡蟹やイカが店に並ぶようになる。たくさん並んでいた魚は太刀魚で、銀色がはげて、こんがらかって凍っている物が、道端の地面の上に並んでいた。

  魚は切り身にされたものはなく、丸ごと一匹で売っていた。さすがに鮭は余りにも大きいので、半身にされて売っている場合があった。私の場合は鮭を一匹丸ごと買ってきて、日本式に骨を完全に取り去って切り身にした。そして数回に分けて食べられるようにラップで包み、冷凍にして保存した。中国での魚のさばき方は、骨付きのままぶつ切りにするのである。うなぎなどもぶつ切りであった。

  これと比べると私の技術はずいぶん高度なものだと思うのだが、中国人には私の技術の素晴らしさは分からないかもしれない。自慢ではないが、100万の人口の吉林広しといえども、この技術を持っている人は、もしかしたら私一人かもしれなかった。鮭一匹では一人暮らしには余りに多すぎるので、中国語の先生にさばいた魚をあげたりした。しかし私の技術の素晴らしさには、気が付かなかったのではなかろうか。私の技術を評価してくれる人が、誰もいなかったのは残念なことである。

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