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2009年10月17日,18日 紀伊半島一周の旅 ページ: 1ページ目/ 2ページ目 / 3ページ目 低速回線の方はこちら |
10〜12日は用事があって大分へ、15日は九頭竜線の旅に福井へと、何かと遠出する1週間でしたが、鉄道の日記念きっぷの有効期限は待ってくれないのでまたまた遠出。季節は秋。この旅は夏にする予定で既に5月には計画が出来上がっていたが、あえなく仕事が炎上。旅に出る暇がなかった。だが、10月になってから仕事が暇になったので、夏にできなかった旅に出発することができた。
↑新大阪駅に入線する2929M | 2929M新大阪6:29→御坊8:56乗車車両:モハ112-7080 自宅最寄りの新大阪駅から紀伊田辺行きの快速に乗る。車両は113系4両。40Nのリニューアル車だ。新大阪からは特急はるか等と同じく貨物線を経由し、大阪駅を通らずに大阪環状線に入る。大阪環状線で4両で大丈夫かと思ったが、立ち客がパラパラ出る程度で天王寺に到着。 |
天王寺から阪和線へ。和歌山まではごく普通の通学・通勤列車の雰囲気だったが和歌山を過ぎると車内は空いてきた。車窓からは海も見えるようになり、旅の雰囲気が出てきた。
御坊に到着、ここからは紀州鉄道に乗り換え。
11御坊8:59→西御坊9:07乗車車両:キハ603 続いて紀州鉄道に乗車。ホームに止まっていたのは引退間近のキハ603。この車両、御年49歳。元・大分交通の車両。大分交通が鉄道をやっていた事は知りませんでした。 車内は空いていた。西御坊まではすぐ。もっと乗っておきたいと思ってもすぐに着いてしまう。 |
↑御坊駅に停車中のキハ603の車内 |
↑床はほとんど木 |
↑紀伊御坊駅の駅名標 | 西御坊に着くと同業者数名と一緒に写真をバシャバシャ撮る。以下、バシャバシャ撮った写真を一挙ご覧ください。なお、このページの写真は全てクリックすると拡大できます。 |
↑出入口 |
↑表記類 |
↑車体側面 |
↑車番など |
↑銘版と定員 | |
↑紀州鉄道 |
↑西御坊駅のホーム |
↑西御坊駅とキハ603 |
↑先は行き止まり |
↑車内 |
↑窓から駅名標 |
↑クロスシート |
↑ロングシート |
↑新潟鉄工 昭和35年 |
↑運転台 |
↑誰もいないので床にカメラを置いて撮ってみた |
西御坊の窓口で帰りの切符を買う。 出てきたのは硬券。硬券を手にするのはおそらく初めてだ。 |
↑表面 |
↑裏面 |
13西御坊9:38→御坊9:46乗車車両:603 行きと同様、車内は空いていた。列車はのんびりと走り、車内ものんびりとした時間が流れる。が、その時間は短い。 |
2351M御坊9:58→紀伊田辺10:49乗車車両:クモハ113-2060 御坊駅からは103系みたいな113系に乗る。この113系は両側ともこの顔なので比較的整っている。113-3800や舞鶴線電化時の115系や岡山の115系2両や数年前にモハ115が先頭車化された3両の奴はどれも反対側が普通の形なので違和感がある。 御坊駅出発の直前に雨が降り出した。 |
↑げろげろっ |
↑車窓に海が広がる | 写真はありませんが、南部で223系0番台の回送とすれ違う(録音38分35秒辺りから)。こんな所で223系と出合うとは思わなかった。 南部駅前ではおみこしが練り歩いていた。 |
2331M紀伊田辺10:51→串本12:23乗車車両:クモハ105-28 続いて105系。ロングシートで景色が見にくくなるのが残念。でも椅子自体はとても奥行きが深く、トイレも125系によく似たものが付いているので言われているほど悪くはないんじゃないかな。モーターはMT55A。飯田線の119系に乗っている気分になるかなと思ったが、そうでもなかった。 |
↑あっそ。 |
↑105系の車窓から その1 |
↑その2 |
↑その3 |
↑串本駅に到着した105系 | 本州最南端の駅、串本駅に到着。ここからしばらく列車を離れて串本町内を観光。 |
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