このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
活動的な沖縄の米婦人

 


 現在、沖縄にはアメリカ女性が約一万五千人います。その大部分は米軍人の夫人たちで、自分から進んで沖縄に来たわけではありません。夫といっしょに暮(く)らしたいばかりに、夫に従って来たもので、多くは、できれば夫とともに親類や友人の多いアメリカ本土で、気楽な、あたりまえの生活がしたいようです。

 しかし、いざ来てみると、沖縄のことに興味を持ち、沖縄での生活を楽しむようになる人々が少なくありません。新しい土地や異なった生活になれるのに一か月ぐらいかかりますが、やがて、沖縄に来たことを喜ぶようになるのです。米軍人の海外生活は普(ふ)通は三年ですが、土地になれてくると、この三年間を有意義に暮らそうとします、そして、三年目も終わりに近づくと、もう二、三年沖縄勤務を延ばすように、夫にすすめる夫人も出てきます。

 そのほか、沖縄にいる米人女性の中には、軍属の夫人たち、軍関係以外の米政府機関に働く人の夫人たち、民間事業家の夫人たち、女教師あるいは独身女性で軍や米政府機関で働いている人たちなどがおります。この人々は、軍人の夫人とちがって、自分から求めて沖縄に来ているので、半永住的な生活をしています。中には、十年以上も沖縄にいる人や、沖縄で子どもを小、中、高校に送り、その十二か年の課程を終了させた人さえあります。


米海軍軍人の夫人たちも、琉球をはじめ各地の文化の吸(きゅう)収に熱心である。
写真は、ハワイ名物のフラ・ダンスをご披露(ひろう)におよぶ海軍将校夫人クラブの会員たち。

 普通のアメリカ婦人は、新しい土地や住民というものに好奇(こうき)心を持ちますが、同時に、故郷(きょう)を遠く離(はな)れ、友だちもあまりないとなれば、ホーム・シックにもなります。そうした女性が、帰国したい気持をまぎらわしたり、新しい友だちをつくったり、沖縄のことを知りたいと思えば、婦人クラブに入会します。

 沖縄にいるアメリカ夫人は、沖縄全体で約四十ある婦人団体のうちの、いくつかの会員になっています。どの団体も、会員の社交生活を豊かにしようとし、全会員は琉米両国人の社会生活の改善に協力しています。また、広く各界の琉球婦人と親しみを深めようとしています。

 軍関係の婦人クラブの会員が多いのは当然で、空軍の婦人クラブは六つあって、会員は合計一、二〇〇名、陸軍にも六つあって、会員数は六〇〇、海軍の婦人クラブは三つで、会員数は一二五です。海兵隊員は、妻を本国に残して来琉するので、海兵隊関係の婦人団体はありません。軍関係以外の婦人団体で一番大きいのは、民政府婦人クラブで、会員数は一〇九です。

 純然たる社交クラブは一つもありません。会員はほとんど全員、その分に応じて、地域(いき)社会の向上とか救済事業とかに加わっています。クラブの中には、資金を作ると同時に、琉球物産の販(はん)路を広める目的で、みやげ物販売店を開いているものもあります。有志会員が経営に当たっていて、販売利益は、会員の寄付金や宝クジの売り上げなどと合わせて、救済事業にふり向けています。


資金を得るため琉球物産のみやげ物店を開く米婦人クラブも少なくない。
写真は、軍艦が那覇に入港する前から出航まで店を開いて大はりきりの米海軍軍人の夫人たち。

 このように婦人クラブが集めて各種事業に使う金は、年に約三万ドルに達しています。そして、その大部分は、琉球大学への寄付、琉球人高校生や大学生の奨(しょう)学金として毎年支出され、看(かん)護婦や医師の訓練などにも、ときどき少額の寄付をしています。毎年、小、中学校に書籍(せき)、スライドや映(えい)写機、家具、工作道具、科学実験室の備品などを寄付するクラブもあります。


糸満高校を卒業した大城ケイ子さん(中央)は、那覇空軍基地スタッフ・セクレタリー・クラブの会合で、
会長リン・マルキー夫人から琉大1年分の奨学金を贈(おく)られた。会員の寄付金で有望な学生に
奨学金を贈る同クラブでは、大城さんの2年目の学費も準備している。写真中央は糸満高校の島元
岩雄先生。右は同基地のセクレタリー喜納トヨ子さん。

 病院、療(りょう)養所、老人ホーム、精薄(せいはく)児や身体不自由者のホームなどに、プール、テレビ、せん風機、医学書、ミシン、衣類、寝具、タイプライター、冷蔵庫、幼児用かこいベッド、楽器、建築材料などを寄付している婦人クラブもあります。

 ほとんどの婦人クラブでも、共同募金などの救済募金運動や、孤(こ)児院、身体不自由者ホーム、病院などのクリスマス・パーティのために、お金を寄付しています。


米国民政府婦人クラブ会員からクリスマスの贈り物として「内科書」上下巻各30部を受ける
琉球政府社会局長金城増明氏および同局次長照屋寛善氏(右はし)と医務課長中山兼順氏。
この本は全琉の病院、診療所に配布された。

 アメリカ婦人は、琉球婦人をパーティやお茶の会などに招いて、親しくなろうと努めています。また、中学校で英語を教えたり、国際的社会奉仕団体、琉米ガールスカウト、琉球結核予防協会、盲聾(もうろう)学園、教会の集まりなどの団体をとおして親しみを深めようとしています。


フォート・バクナー将(しょう)校クラブで開かれた国際婦人クラブの会合で、
茶の湯のおたてまえをする藤井宗仲氏夫人(着席)と、左から花城宗貞夫人、
R・ワーナー夫人、G・スタウト夫人、矢賀千津子夫人、宮城初子夫人、
真境名圭子夫人、新嘉喜喜美夫人。

 前述のように、アメリカ婦人は、琉球や琉球人のことを知りたいと思い、特に琉球女性について理解を深めたいと思っているのです。しかし、中には、三年間の滞在中、一回も琉球人の家庭を見ることができずに米国に帰っていく人も多いのです。琉球人がアメリカの婦人を家庭に招待したら、きっと喜ぶにちがいありません。その家が美しい宮殿(でん)であろうと、みずぼらしい小屋であろうと、それは問題ではありません。
 


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