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琉球政府創立第十二周年記念日を迎えて

 


 一九六四年四月一日は、琉球政府創立第十二周年記念日に当たります。この記念日を祝うことはいつもながら喜ばしいことであり、有意義なことであります。

 東洋、西洋、いずれの数秘学者(ママ)も、「十二」という数字が特別の意味を持っていることを認めているようです。黄道には十二宮があり、キリストには十二使徒、ローマ法典には十二銅表があります。といって、これを引き合いにして琉球政府の十二周年にことさら縁起をかつぐ必要はありますまい。十二年間の進歩の跡が、すでにみごとな業績として示されているからです。

 一九五二年四月一日、琉球政府が設立された当時、予測されたその将来は控えめなものばかりでした。しかし、時がたつにつれて創立記念日の報道や記念式参会者は、いつもその業績をったえる賛辞を惜しまなかったし、また将来の見通しも明るいものになっていきました。一九六二年第十周年記念日にはケネディ大統領を始めとして多くの著名な指導者から賛辞が寄せられました。

 創立記念日に政府がたたえられるのは当然のことです。政府の責任と業績は年々高まっているからです。政府をたたえる賛辞は、それ以上に国民をたたえるものでもあります。というのは、任命にせよ、選挙にせよ、政府職員になるのは国民だからです。一方創立記念日のたびごとに、琉球発展の大きな要因として特筆されるものに、琉球では従来見られなかったものを数多く実現させた琉米協力があります。

 経済、農工業、その他あらゆる面に著しい発展が遂げられました。統計というと味気ないものですが、特にすばらしく発展したものの中から、次に少しばかり例を拾ってみましょう。国民総所得は一九五六年の一億二六〇〇万ドルから一九六三年には二億六五〇〇万ドルと上昇しています。

 砂糖の生産高は一九六一年に比べ二倍となり、パイナップル加工は一九五八年に比べ三倍となりました。土地の人々の電力消費量は天文学的数字にはね上がり、自動車その他動力車の著しい増加は世界各地の大都市並みの交通問題を起こしているほどです。

 琉球の発展は足踏みをしてはおりません。現在の問題を解決し、将来の発展に備える長期計画も立てられております。世界市場で競争できる生産を行なうための産業の合理化についても大きな努力が払われています。工業発展に伴う電力需要の増大に対しては発電所の増設が計画されていますが、なかでも数百万ドルの工費を投じた金武村発電所の建設は着々と進行中です。衛生状態は従来見られなかったほどの改善を遂げ、昔から悩みの種であったマラリアは絶滅しました。琉球住民が政府とともにアメリカの援助を得て成し遂げたことは、このほかにもたくさんあります。

 大事業の成功には付き物のように、こうしてさまざまな面で腕を組んで協力したこの努力に対して、琉球の発展などはシンキロウにすぎないと躍起になってきめつけようとする批判家も出てきました。

 英国人でクエーカー教徒であり、ペンシルバニア州を築いたウイリアム・ペンはこう言っています。「非難する権利のあるのは助けようと思う人だけである。」

 琉球人の努力、成功、そして今後の計画について批判する人たちはこれを援助しようとはしないし、援助してくれたこともありません。彼らの言うことは建設的でも真実でもないのです。多くは琉球の成功を願うどころか、失敗でもすれば自分たちの鼻が高くなると思って、ありえないチャンスを待っているのです。

 一九六二年創立第十周年記念日に際して行政主席は、現在の琉球人は問題が起きても冷静に処理して、それを前向きに推し進めてゆくことを知っている、と言いました。責任感のある者ならこの島々が直面する複雑な問題のどれにも体当たりし、いつでも一息に成功できると考える者はおりませんし、今までにそんなことが実現できた話は聞いたことがありません。批判家は実際に成し遂げられた記録を認めねばなりません。記録は、今日までにりっぱな仕事が成就されたこと、および、現在の計画では将来の見通しが非常に明るいことを示しています。

 今回、創立十二周年記念日に際しても祝電が山と積まれ、関係者一同が少しは鼻を高くするのも無理はないかもしれません。しかしながら、そこには落とし穴があるかもしれぬし、また幾多の困難が立ちふさがることも、われわれはみな承知しております。過去の成功は将来に対する決意をいっそう堅いものにしてくれます。というのは国民、政府職員、およびこれに関係のある人々は、今までの成果を通じてお互いの信頼を強めているからです。だれにしても、「助けようと思う人」とともに働き、協力を続けることを願うものであって、計画をかたっぱしから失敗させようとする人々を避けるのは人情です。

 次の事実を批判家どもはなんと言うでしょう? 一九六三年中の琉球の個人消費は二億ドルに上りました。これは琉球始まって以来の数字ですが、そんなに消費したにもかかわらず、同年中の手取り所得の二五パーセントが個人貯蓄に回されているのです。

 この事実や今までにあげてきた発展の跡というものは、琉球の人々にとっては大事なことなのです。政府は、このような経済の成長を通じて住民の必要とするものが、十分に満たされていくように努力しているのです。農産物の著しい増産、近代化した明るい工場、改善された財政状態、それらが大衆の、いや、この場合では琉球人の福祉を増進するものとならないかぎり、なんの値うちがあるといえましょう。中共のようにあの広い国の住民の大部分が過重な労働をしいられ、無教育のまま放置され、ボロをまとい、病苦にさいなまれているとしたら、発展したといって統計的数字だけをあげてみたところでどれほどの価値があるでしょう? 文明社会にあっては、国民がよりよき生活を楽しむことができてこそ、進歩、発展だとされているのであります。残念ながらどんな社会もこの恩恵を同時同率に受けるというわけにはいきません。また、世の中には自分たちのためになる計画に対して無関心であり、協力しようともしない人々もいるものです。琉球の発展を非難する人々は、こんな例だけを取り上げて失敗の見本だと言いたてます。そんなことはなんの役にもたちません。というのは今日では琉球の大部分の人は以前に比べてずっとよい家に住み、よい食事をとり、変化のある衣類を身に着け、仕事はふえ、教育の機会は多くなり、自由と尊厳の生活ができることがわかってきたからです。琉球政府はアメリカの援助を得てこの島々に、社会、経済の発展をもたらし、琉球人の生活水準を高め、将来も引き続いて発展する基礎を築いてまいりました。

 大部分の人々は、自分たちもこの発展に一役買っていることを知り、将来も大きく伸びるため働こうと考えていることは確かです。たとえば、一九四〇年七二〇万キロワットだった電力消費量を、一九六三年には一億九九〇〇万キロワットという信じられないくらいの量にまで引き上げるのに役割を果たしたさまざまな事業に、なんらかの形で参加してきたものが多いからです。だれがこれを元へ戻したいと思いますか。

 琉球政府もあらゆる面で大きく前進しました。経済、保健、福祉、労働、水産、農業、法制などあらゆる面での活動は十二年前には想像もできなかったことです。これに対して責任はますます大きくなり、また新しい責任も生じてくることでしょう。政府の部課も、職員の数も任務の増大に伴ってふえてきました。しかしながら人間万事、完全無欠の最終版を求めることは無理なことです。あらゆる困難はすべて去り、解決されない問題はなに一つ残っていないと言いきれた時代が過去にも現在にもあったでしょうか。つまりわれわれの期待しうることといえば、過去もそうであったように、いかにすればここに住む人々の幸福を増すことができるかを見きわめてそれに向かって懸命に努力することであります。

 もしも、この努力がたゆまず冷静に続けられるならば、「助けようと思う人々」は必ずや助けの手を伸べてくれるでしょうし、新しい、より大きな勝利がもたらされるにちがいありません。
 


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