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2001初秋 礼文島2泊3日の旅

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日本最北の駅「JR稚内駅」
(JR稚内駅)
礼文島2泊3日の旅(その1)
2001年9月27日(木)
AM11:20、ANA571便は日本最北の稚内空港に無事降り立った。1年3ヶ月振りの稚内である。

かなり寒いと予想していたが、意外と暖かかったので、拍子抜けした。
天気は薄曇り。しかし風は強かった。

さっそく稚内市内に向かうバスに乗り換えた。
空港から市内までバスで約30分。右に日本海を眺めながら、再び北海道に上陸出来た喜びをかみしめた。

稚内バスターミナルで下車し、稚内商店街をブラッと散策。
「悦ちゃん」というラーメン屋で塩ラーメン(¥500)を食べた。
早くも店内は暖房が効いていて、暑かった。メガネが曇る...。

稚内の喫茶店「お天気屋」
(稚内の喫茶店「お天気屋」)
お腹も一杯になったところで、稚内郵便局前にある喫茶店「お天気屋」さんで時間を潰す事にした。

この喫茶店には、北海道を愛する旅人がたくさん集まってくる。
特に礼文、利尻に向かう旅人の情報交換の場ともなっている。
僕は礼文島に通うようになってから、必ずこの店を訪れるようになっていた。

「ただいま〜」
「おかえり、さの君。今年は初めてだよね?」
名前で呼んでくれたのでビックリ!マスター、ありがとうね〜。

先客が数人いたが、皆これから礼文島に渡る「桃人間」だった!
「桃人間」とは、礼文島にある唄と踊りのYH「桃岩荘YH」にハマってしまった旅人の事を言う。

ケーキとブレンドコーヒーを注文し、店の「落書きノート」をさっそくチェック!
懐かしい友のメッセージを見つけては、ひとりニヤけていた。

「ご馳走さま。いってきま〜す」とマスターに挨拶して、稚内フェリーターミナルに向かおうとしたが、いつの間にか外は大雨&雷が...。
香深港・桃岩荘お出迎え
(桃岩荘のお出迎え)
思わぬ嵐の歓迎を受けながら、東日本海フェリーの新造船「フィルイーズ宗谷」に乗りこんだ。
出航前には再び薄日が差してきた。なんという気まぐれな天気なんだろう。

「お天気屋」さんで知り合った桃人間4人とビールでさっそく乾杯!
ついさっき知り合ったばかりなのに、もう何年も前から付き合っている仲間のように感じるのは、桃岩マジックのなせる技か?

船に揺られて約2時間、礼文島香深港が見えてきた。
堤防から大きな旗を振りながら叫び声が聞こえてきた。
「おかえりなさ〜い。桃岩荘YHは、こちらで〜す!」
桃岩荘ヘルパーさんのお出迎えだ。

今日どんな人が一緒なんだろう...と辺りを見まわしていたら、一人のライダーと目が合った。なんと三重県のHさんだった!
同じフェリーに乗っていたそうだ。まさか同じ日に島入りするとは思ってもいなかった。

さっそく豪華新型送迎車両「ブルーサンダー号エース」に乗り込み、桃岩荘に「発車、オ〜ラ〜〜イ!」「プップッ〜」
ブルサンを降りて、夕日の儀式!
(♪ギンギンギラギラ夕日が沈む)
桃岩タイムトンネルで桃岩荘では必要としない「知性、教養、羞恥心」を捨てた。「ポイッ」(でも、帰りにはちゃんと持って帰らないと社会復帰が出来ないので要注意!笑)
トンネルを抜けると時差が生じ、日本標準時間から30分早めた。これが桃岩時間である。

途中で夕日が沈む時間となった。
慌てて車から降りると、即席の「夕日の儀式」が始まった。
♪ギンギン、ギラギラ、夕日が沈む...
島入り早々に、唄って踊ってしまった。楽しい...。

ガタゴトと見返り坂を下ると、いよいよ桃岩荘YHに到着。
女ヘルによる「スペシャルミーティング」
(スペシャルミーティング)
YHの玄関を開けると...「おかえりなさ〜い!」といつものようにYHの皆さんから大歓迎を受けた。

久し振りの「いろりの間」。桃岩荘は、むかし鰊番屋として使われていた建物を、1966年(私の生まれた年!)からYHとして使用しているそうだ。
だから玄関を入るとデ〜ン!と「いろりの間」があり、2階には「いろりの間」を囲むようにしてベッド(男性専用通称「回転ベッド」と言う)が配置してある。

一息つく間もなく夕食を終え、風呂に入り、今夜は、超スペシャルミーティング!
なんと、普段は男ヘルが行っているミーティング(島案内や、歌唱指導など)を女ヘルが行うという画期的な企画だった。

本日のミーティング司会は、ホステラーの時からの桃仲間「さ○み」!
彼女もいつの間にか、ベテラン女ヘルになっていたんだね〜。

女ヘルの皆さんは、やはり羞恥心が捨てきれないらしく、少し恥ずかしそうに、でも、やるときはやるゾ!といった感じで、男ヘルもタジタジの超スペシャルミーティングは華やかに終った。
「女ヘルの唄」はとっても良かった。感動した。

礼文島2泊3日の旅(その2)

9月28日(金)
AM5:00頃、8時間コース組が出発する物音で目が覚めた。
外は風が強そうだが雨は降っていないようだ。もうひと眠りしよう...。

AM6:30、いつもの爽やかな(?)名曲「石狩挽歌」が館内中に鳴り響き、起床となった。

連泊手続きを済ませ、桃岩大衆食堂で朝食。
昨日の天気予報は外れて、朝から良い天気。しかし風は強く海は時化ていた。
玄関前のお見送り
(玄関前のお見送り)
さて、今日はどうしようか?レンタバイクを借りて島内をツーリングすることにした。
その前に、YH玄関前でお見送りをした。桃岩荘では、毎日YHを出て行く旅人をYHのみんなでお見送りする。これがとても感動ものなのだ。

今日、YHを出て行く旅人は1人だけだった。
「いってらっしゃ〜い!」「また、こいよ〜!」彼が見えなくなるまで、みんなで見送った。

お掃除大会の後、香深の港に移り、今度はフェリーのお見送りをした。
つまり、島を出る場合、2回お見送りしてもらう事になる。
’97 一人お見送り
(’97 一人お見送り風景)
桃岩荘のフェリーお見送りは島の名物にもなっていて、ガイドブックにもそのシーンが時々紹介されている。

50人以上はいるであろう桃岩荘お見送り部隊。今日は、お見送りされるのはたった1人...。
97年に初めて礼文島に渡った時も、自分一人だけお見送りしてもらった事を思い出した。島に滞在した5日間が早送りで思い出され、思わず涙してしまったっけ。

フェリーのデッキに出てきた彼は、恥ずかしそうにしかし嬉しそうに、見送り部隊と一緒にお別れの唄を歌い踊って、別れを惜しんだ。

フェリーのお見送りもまた、船が見えなくなるまで続いた...。
明日は自分が見送られる番だなぁ。
さて、レンタバイクを借りようと港前にある店に行ったら閉まっていた。
ガッカリ...。

一旦YHに戻り、Hさんのバイクにタンデムさせてもらい、島の最北端「スコトン岬」までとりあえず行ってみる事になった。

Hさんはバイクトライアルの選手でもあり、東海地方でもランキング上位の選手なのだ。だから安心して乗っていられた。
スコトン岬
(最北限の地「スコトン岬」)
そういえば、礼文島に来て、バイクで島を走る(実際は後ろに乗せてもらっているが)のは、これが初めてだ。楽チン、楽チン。でも、メガネが飛ばされそう!

島の東海岸沿いをひた走り、金田ノ岬、礼文空港を先に周り、最北限の地「スコトン岬」に到着。

売店で道場牧場の最北端牛乳(ホット)を一本飲み干して、岬前で記念撮影。今年もこの場所に立てた事が、とても嬉しかった。
無人島のトド島も良く見えた。
日本最北端のたいやき屋
(横野商店のたいやき)
次に、澄海岬(すかいみさき)へ。最高級とされる利尻・礼文産の昆布が格安で売っていたので、思わず買ってしまった。

お腹も空いてきたところで、船泊(ふなどまり)で昼食をとる事にした。

その前に、日本最北端のたいやき屋「横野商店」に寄って、5年越しでようやく噂のたいやきを食べる事が出来た。
餡子が尻尾までしっかり入っていて、とても美味しかった。2匹(笑)食べた。

昼食は礼文島唯一のファミレス「ノース礼文(のーすれもん)」にした。
しかし、ファミレスなのにラーメンを食べる二人...。
桃岩タイムトンネル
(桃岩タイムトンネル)
お腹も満足したところで、香深の港に戻り、喫茶店「さざ波」でひと休み。
Hさんは名物「イレブンソフト」を美味しそうに食べていた。
自分はお腹の調子が悪かったので今回は見送った...。

フェリーターミナル内にある観光案内所には、昨年桃岩荘でヘルパーをしていた女の子が働いていた。
ヘルパー時代の彼女とは別人のように(?)、りりしく、そしてとても可愛かった。
桃岩荘に戻り、今晩行われる「ラスト・ミニミニコンサート」の練習をした。
略して「ミニコン」と呼んでいるが、桃岩荘に泊っているホステラー、ヘルパーが自由参加で、一発芸、唄、寸劇などをして盛り上がろう!という企画だ。
自身は99年に「アツモリ君」という桃ネームで、超下手なギターで、唄を歌った経験がある。

実は今年もミニコンに参加するつもりで、ネタは用意していた。
吉田拓郎の「夏休み」(桃岩バージョン)をギターで歌おうと思っていた。

夕方、今日も「夕日の儀式」が出来た。秋の夕日は哀愁いっぱいでまた感動!!

今日、最終フェリーで到着したホステラーの中に、桃仲間の「かにえ」さんがいた。
久々の再会に抱き合って喜んだ。

Hさん、かにえさんと周りの友達に声を掛けて、7人のメンバーで歌う事になった。
グループ名は「アツモリ君と長崎チャンポンズ」。
夕食後、いよいよ「ミニコン」が始まった。
さすが、桃岩荘をこよなく愛する皆の出し物は、パンチが効いていて素晴らしい!!

出番が近づいてくると、心臓がドキドキしてきた。
控え室でレブンアツモリソウの花に似せたカツラを被り、他のメンバーも思い思いに仮装していた。

♪麦わら帽子は、もう消えた〜...

なんとかギターも間違えずに最後まで歌えた。大成功!!
司会の「い○っぷ」に感想など聞かれたが、なんと答えたか...。

終ったという安心感と充実感で、やはり桃岩荘に帰ってきて良かったとあらためて思った。

ミーティングの最後に「遠い世界に」をみんなで歌い、お開きとなった。

明日でこの旅も終りかぁ。そう感じながら眠りについた。
8時間組お見送り
(8時間組お見送り)

礼文島2泊3日の旅(その3)

9月29日(土)
早朝5時過ぎ、8時間コース組の出発の物音で目が覚めた。
今日の8時間コース組に、かにえさんの姿もあった。
「また逢おう!いってらっしゃ〜い!!」
眠い目をこすりながら、玄関前で出発する8時間組を見送った。

起床の時間となり、いつもの爽やかな(?)メロディを聴きながら、受付にシーツを返し、フェリー0便で帰る事を告げた。
「え〜!帰っちゃうんですかぁ?今日は唄いまくりですよ。考えなおしませんかぁ?」とやっぱりヘルパーさんにつっこまれた。(笑)
YH玄関前のお見送り
(YH玄関前のお見送り)
荷物をまとめ、玄関前でのお見送りの時間になった。
今日は自分が見送られる番だ。とりあえず一人お見送りではなかったのでホッとした。

ヘルパーさん、ホステラーさん総出で、お別れの歌を唄いながら見送ってくれた。
桃岩荘が見えなくなっても、お見送り部隊の声は桃岩に響いていた。

香深の港まで、この2日間の出来事を思い出しながら歩いた。
今日は利尻富士が頂上までよく見える。頂上付近は雪化粧していた。
最北の島には、もうそこまで冬がやってきているのだった。
香深港にフェリー入港
(香深港にフェリー入港)
8:00過ぎ、稚内からのフェリーが香深港に入港してきた。
このフェリーが香深発稚内行き0便となるのだ。

港で再び桃岩荘の大勢の皆さんに見送られながら、フェリーに乗りこんだ。

97年からお世話になっているヘルパー「れ○こ」さん(男ヘル)もこの船で島抜けするらしい。ビックリした。(家の事情で急に帰らなくてはいけなくなったそうだ)

彼は、声を掛けれないくらい別れを惜しんでいた。
6月の開所からずっと島で頑張ってきたのだから、みんなと別れるのは人一倍辛いことだろう。
女ヘルのみんなも涙して別れを惜しんでいた。
お別れ
(お別れ)
♪遠い世界に旅に出ようか〜
ミーティングの最後にいつも歌っている「遠い世界に」を叫ぶように唄った。フェリーは港をゆっくりと離れて行った。

お見送りのみんなは、一斉に港の端まで走って、大きくいつまでも手を振ってくれた。
こちらも「ありがとう〜!」と大きく手を振って応えた。

港が見えなくなり、しばらくは放心状態で海を見つめていた。
一緒に島抜けした桃仲間と話をしたり、テレビで「ちゅらさん」の最終回を見たりしているうちに(まさかこんなところで最終回を見るなんて!!)、稚内港に到着した。
稚内ドーム
(稚内ドーム)
稚内バスターミナルで、島抜けした一人をお見送りして、他のみんなとはここでお別れして「お天気屋」さんに向かった。

「ただいま〜!」と言って店に入ると、ヘルパーの「れ○こ」さんがいた。
「さっきは気を使ってくれてありがとう」と関西弁で言ってくれた。
「いえいえ、お疲れ様でした」と言って応えた。

帰りの飛行機の時間まで、この小さな喫茶店で残り少ない旅の時間をかみしめた。
「いってきま〜す!」「今度は来年だね」とマスターと別れの挨拶をして、稚内の街を後にした。

稚内空港で、一緒に島抜けしたチャリダーのEさんを見つけた。
彼女とは羽田空港まで一緒だった。(住所聞いておけばよかったなぁ...笑)
14:55、ANA574便で、今年5回目の北の大地を離れたのだった。

礼文島2泊3日の旅(番外編??)

夕方、東京に戻り新橋駅でPC仲間の「け6ピ〜」さんにメールを入れた。
「良かったら会いませんか?」と...。

新橋駅をウロウロしているうちに、携帯が鳴った。け6ピ〜さんからだった。銀座で食事会をしているという。
タクシーを拾い、銀座に向かった。

イタリアンレストランで、お友達の誕生日会をしているところに、図々しくも混ぜてもらった。

お土産の礼文産昆布を渡し、イタリア料理を御馳走になった。
最終の電車の時間となり、慌てて東京駅まで走った、走った!
け6ピ〜さん、ありがとう〜!

今回の旅も、いろいろな人と出逢いがあり、また、別れがあった2泊4日(?)の旅だった。
(終り)

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