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2004新春 四国・松山湯治の旅(その2)

最終更新日 2004.5.21

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二之丸史跡庭園より松山城を望む
(二之丸史跡庭園付近から松山城を望む)
2月23日(月)
9:40、「松山東急イン」チェックアウト。
今朝の松山の天気は曇り。風が少し冷たい。晴れて欲しいなぁ。

まずは松山城に行ってみることにした。
日本各地の城をめぐるのも、旅の楽しみのひとつとなっている。

海抜132mの勝山山頂に建てられた松山城(本丸)へは、リフトやロープウエイを使ってもいいが、それではあっけない(ホンネは、お金がもったいなかっただけ)ので、山の西側にある登山道を歩いて登ることにした。

松山城二之丸史跡庭園(月曜休園)から徒歩約15分で、勝山山頂に到着。
見学料¥500を払って松山城内へ。

精巧に積み上げられた石垣、立派な櫓(やぐら)や御門に関心しつつ、いよいよ天守閣へ。

天守閣からの眺め
(天守閣からの眺め)
天守閣入口の管理人さんにザックを預かってもらい、身軽になる。

松山城の天守閣は三層で1800年代に再建されたものだが、築城当初(1600年代)は五層だったというから、かなり立派なお城だったのだろう。

天守閣最上階からの眺めは最高だった。
松山市内をはじめ、伊予灘に浮かぶ島々も眺めることができた。
ただし、冷たい強風が吹き抜けていたので体が冷え切ってしまい、早々に引き揚げることにした。

本丸広場では、梅の花がきれいに咲いていた。
だんだんと天気も回復してきた。よしよし。

帰りもまた、同じ登山道を歩いて降りた。
その間、誰とも会うことはなかった。

城山公園の散歩道から松山市役所方面を望む
(城山公園にて・右奥の建物は市役所)
11:00、お堀に囲まれた城山公園(堀ノ内)で、少し休むことにした。
公園内には美術館、博物館、市民会館、NHK松山放送局などもあり、のんびり過ごすにはもってこいの場所だった。

お堀に沿って散歩道が整備されていて、設置してあった長椅子に腰掛けて、文庫本の「坊っちゃん」の続きを読んだ。
時折、路面電車がガタゴトと通り過ぎるのを眺めたりしながら、のんびりとした時間を過ごした。

お昼も近いし、さてこれからどこへ行こうか。
頭の中では、小説「坊っちゃん」の世界が広がっていた。
そうだ、”ターナー島”に行ってみよう!

”ターナー島”とは、小説「坊っちゃん」の中で、松山の中学に赴任してきた坊っちゃん先生を教頭の”赤シャツ”が釣りに誘って出掛けた島だ。
実際には”四十島”という名で、高浜港そばに浮かぶ無人島らしい。

観光案内所でもらった観光ガイドに”ターナー島”が紹介されていたので、どの辺にあるのか見当はついていた。

松山市駅・いよてつ高島屋の大観覧車
(松山市駅の大観覧車)
12:00、大観覧車が目印の伊予鉄”松山市駅”から高浜線・高浜行きに乗った。

この伊予鉄・高浜線は、四国初の鉄道として明治21年(1888年)に開業。
(開業当初は、松山〜三津間で営業)
軽便鉄道としては、日本で最初の鉄道でもあった。

当時は、小説「坊っちゃん」の中で”マッチ箱のような汽車”とも表現されたドイツ製の可愛い機関車が走っていたそうだ。
(現在、「坊っちゃん列車」として路面電車で復活!)

ローカルな雰囲気が漂う車内と沿線風景。
大手町駅北側では、鉄道線と軌道線(路面電車の線路)が平面交差するという日本で唯一の交差場所があった。

市街地を過ぎると伊予灘(海側)に沿って北上。
梅津寺(ばいしんじ)駅隣には、ジェットコースターもある遊園地があった。
夏には海水浴客で賑わうそうだ。

伊予鉄・高浜駅
(レトロな駅舎の伊予鉄・高浜駅)
12:20、伊予鉄・高浜線の終着駅”高浜駅”に到着。
本州・九州方面のフェリーが入港する松山観光港へ向かうには、さらに連絡バスに乗り継ぐようになっていた。

高浜駅は、レトロな雰囲気いっぱいの味のある駅舎だった。
思わず、カメラのシャッターを何度も押していた。

改札口を出ると目の前に高浜港があり、ちょうどフェリーが入港中だった。
松山観光港が出来るまでは、この高浜港から本州・九州方面のフェリーが出ていたそうだ。
現在は、伊予灘の小島を結ぶ連絡船の港として使われている。
少し哀愁の漂う高浜港であった。

帰りの電車の時刻を確認しようと高浜駅へ戻ったところで、駅員さんに声を掛けられた。

「お客さん、荷物をお忘れではないですか?」
「あ!!・・・」

また、やってしまった・・・。ザックを電車の網棚に置き忘れていたことを今、ようやく気がついた。
写真を撮ることに夢中になっていて、すっかりザックのことなど忘れてしまっていた。

旅先での忘れ物が最近非常に多いので、気をつけなければと思っていた矢先であった。

駅員さん、ありがとう。以後、気をつけます。

これが「ターナー島」(四十島)
(ついに見つけた「ターナー島」)
12:30、気を取り直して、ターナー島を探しはじめる。
地図を見ると、高浜港と梅津寺駅の間に浮かんでいるらしい。

高浜港から海岸線を歩いてみる。
多分、こっちだろう。こんな時、不思議と旅人としての勘が冴えるのだ。

探し始めて10分。ついに見つけた!
3つの岩が平行して海に突き出て、その中で一番大きな岩に松の木が張り付くように立っていた。
たったこれだけの無人島だが、小説「坊っちゃん」好きにはたまらない。

海岸線をもう少し歩いていくと電線部品の製造工場があり、工場の横には句碑のある公園と、見晴らしの良さそうな高台があったので登ってみた。

予想していた通り、ターナー島がよく見えた。
高台の崖にも松が海に向かって必死に生えていた。風は強かった。

高浜駅前。軽食・喫茶「旅情」
(高浜駅前にあった喫茶店)
13:00、目的の島も見つけることができ、充分満足したところでお腹が急に減ってきた。
どこかで昼飯を食べなきゃ。

高浜駅前に「旅情」という喫茶店を発見!
旅人としては素通りする訳にもいかないでしょう。

中に入ると先客が一人。地元の漁師さんのようだった。
60代と思われるおばちゃんが一人で切り盛りしているらしい。
オムライスを注文した。実にのんびりとした空気が流れていた。

しばらくして、お客は私一人だけとなった。
オムライスを平らげ、ホットコーヒーを飲みながら店のおばちゃんと話をした。

小説「坊っちゃん」を読んで、ターナー島を探しに高浜に来たことを話すと、賑やかだった頃の高浜港の様子など教えてくれた。

昔は男子学生がターナー島まで泳いで渡ったり、今はないが港の塔から海に飛び込んだりと、元気な若者が多かったが今はそんなことをする人もいなくなったねと、少し寂しそうに話してくれた。

それから、店のある場所は昔は海だったこと、数年前の台風時には駅前の建物が流されてしまったこと、松山の銘菓「タルト」は六時屋さんがお勧めということ、「〜なもし」という伊予弁を使う人は今はほとんどいなくなったことなど、地元の人ならではの話が聞けてとても楽しかった。

おばちゃん、ありがとう!またいつか会いに来たいです。
(その3)へ続く
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