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2005若夏 八重山親孝行旅行(その4)

最終更新日 2006.3.7

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宮良殿内(みやらどぅんち)
(石垣市内・宮良殿内)
5月14日(土)
今朝も雨が降りそうな曇り空。少し蒸し暑い朝だ。
昨日に引き続き、朝食はバイキング。港の見えるテラスでいただく。
「マンゴージュースが美味しい!」と、父親は喜んでいた。

朝食後、散歩がてら観光名所「宮良殿内(みやらどぅんち)」まで出掛けた。
ホテルから歩くこと20分。「宮良殿内」到着。すでに汗ばむ。
父親は機嫌が悪くなっていた。早くも歩き疲れたようだ。
怒ったり、喜んだり・・・まったく忙しい人だ。

宮良殿内とは、琉球王朝時代のお役人の屋敷だったところ。
驚いたことに、現在も家主が生活をされていた。
ご主人が、ものすごい早口で説明をしてくれたが、ちょっと形式すぎる感があったかな。

再びホテルに戻りチェックアウトを済ませ、昼食用のお弁当を買い込んで、ホテルの目の前にある離島桟橋へ。
竹富島行きの高速船に乗って、いざ4年振りの竹富島へGO!

4年振りの竹富島
(4年振りの竹富島)
石垣島から高速船で15分。
あっという間に竹富港に到着。揺れも少なく快適な船旅だった?!
港もずいぶんと綺麗になった。立派な待合室に屋根付きの乗船場。

ここで両親とは別行動。
竹富島では別々の宿にしたのだ。
しばし、一人旅気分を満喫したくて。
両親は民宿「のはら荘」へ。自分はいつもの高那旅館YHへ。

のはら荘の車が港まで迎えに来てくれていた。
のはら荘のご主人に「どうしてあなたは一緒に泊まらないの?」と質問され、苦笑しながら両親と別れた。

高速船を降りた人々は皆、迎えに来た車に乗って集落に向かっていった。
ぽつんと一人とり残された港は、とても静かだった。
見上げるといつの間にか雲の隙間から青空も見えてきていた。

港から島の真ん中にある集落までは、10分ほど歩かなくてはならなかった。
大きな荷物を背負い、てくてくと一人歩き始めた。

集落へ続く道
(集落へ続く道)
この道を歩いていると、あの時のことを思い出す。
初めて沖縄を一人旅した1993年9月末、沖縄本島を通り越して訪れたのが、ここ八重山諸島の竹富島だった。
今からもう12年も前のことである。

当時は港も道もこんなに立派ではなく、道路も細い道が一本あるだけだった。
なんて遠いところに来てしまったんだろう・・・と正直思った。

特に沖縄に興味があったというわけではなかった。
まだ行ったことがなかったから・・・というだけだった。
ガイドブックを見ていて「星砂の浜がある」という一文が少し気になり、なんとなくこの島を選んだ。

赤瓦の家々、サンゴの石垣、水牛車、野ヤギ、ヤシガニ、ハブ、エメラルドグリーンの砂浜・・・。
日本離れした風景。ただただビックリしていた竹富島初訪問だった。

高那旅館YHにて
(高那旅館YH)
とぼとぼと、懐かしい風景をかみしめるように歩いた。
時々、港と集落を結ぶ観光タクシーが忙しそうに通り過ぎていく。
竹富島を訪れる観光客のほとんどは、日帰り客らしい。

毎回少なくとも島に2泊はしている自分は、かなりの変わり者?
いや、大の竹富島ファンである!と言ってくれ。
日帰りで帰ってしまうなんて、なんてもったいない!と思う自分であった。

集落に入ると道路はサンゴのかけらを敷き詰めた白い道に変わる。
白砂の道、サンゴの石垣、赤瓦の家・・・絵になる風景だ。

竹富郵便局の向かいが高那旅館YHだ。
高那旅館YHは、その名の通り”旅館”だが、YHも併設している。
司馬遼太郎著『街道をゆく』にも登場している由緒ある宿だ。

受付を済ませ、YH専用の階段を上り2階の和室へ。
今のところ、旅人は私一人らしい。
石垣島で買った弁当で昼食を済ませると、散歩に出掛けた。

まずは、港で別れた両親の様子でも見にいってみよう。
のはら荘の前に行ってみると、両親は庭で宿の奥さんと”ゆんたく(おしゃべり)”していた。
「こんにちは。両親がお世話になります」と挨拶。

コンドイビーチ
(コンドイビーチ)
両親を散歩に誘うが、父親は疲れが出たのか宿でゆっくりしているという。
なので、母親と一緒にコンドイビーチまで歩いて行くことにした。
竹富島での移動手段は徒歩かレンタサイクルが普通だ。
日帰りツアーの観光客は別だが。

竹富島で泳ぐのなら、コンドイビーチ。無料のシャワー室、更衣室もある。
かなりの遠浅で、浅すぎて泳げないこともあるほど。
でもびっくりするほどきれいな砂浜である。
目の前には小浜島や西表島も見える。
本当なら泳ぎたいところだが、時間の関係で今日は散歩だけにしておこう。

コンドイビーチを南に向かうとカイジ浜だ。
カイジ浜は別名「星砂の浜」。星の形をした砂がとれる浜である。
若い女性グループが星砂探しに熱中していた。
探す時間がない人は、露天のみやげ屋で買っていくのもいいだろう。

星砂は一粒が直径2mmくらいの大きさで、星というよりは太陽のような形をしている。
本当は砂ではなく、有孔虫という虫の死骸なんだとか。
母親は持ってきたフイルムのケースに星砂の混じった砂を詰めていた。
家に帰ったら、孫と一緒に星砂を探すらしい。いい考えだ。

たくちゃんの水牛車と
(たくちゃんの水牛車と)
両親にはぜひ体験してもらいたいことがあった。
それは、水牛車観光!

ここ竹富島には、北海道の礼文島で知り合いになった”たくちゃん”が、水牛車のガイドをしていた。
島で水牛車観光をしている会社は2社あるが、たくちゃんのいるのは竹富観光だ。

受付兼待合所へ行くと運のいいことに、たくちゃんとばったり!
実に5年振りの再会である。突然だったので、たくちゃんもビックリした様子だった。

たくちゃんと水牛の”富(とみ)ちゃん”の案内で、水牛車観光の始まり始まり〜!
30人くらい乗れそうな水牛車をゆっくりと引っ張る富ちゃん。
驚いたことに、ほとんど手綱を操ることなく観光コースを自分で引っ張っていくという。
とっても賢い富ちゃんだった。

安全運転の富ちゃんと、たくちゃんのユーモアたっぷりの島案内や三線演奏に、お客さんも大満足。
最後に、特別に水牛の富ちゃんの背中に乗って記念撮影。

約40分の水牛車観光に、母親も大感激してくれたようだ。
父親も来れば良かったのにねぇ・・・。
たくちゃん、富ちゃん、ありがとうね〜!

ンブフル展望台にて
(ンブフル展望台にて)
水牛車観光の次は、島の中で一番高い場所へ。
それは”ンブフル展望台”。”ンブフル”とは、どうやら牛の泣き声らしい。

木々の生い茂るちょっとした小山の石階段を上ると展望台受付の家があった。
料金は一人¥100。

展望台からは東西南北ぐるっと見渡せた。
料金箱が付いているが実はタダで見られる望遠鏡を覗くと、昨日まで泊まっていた石垣島のホテルがしっかり見えた。

さて、そろそろ宿に戻ろうか。
母親と別れ、YHに戻った。

今日の”ホステラー”(注:YHの泊り客の呼び方)は、女の子3人組と兄さん2人。
残念ながら、夕食後も交流はなかった。
明日に期待しよう。

夜6時を過ぎても、まだまだ明るい南の島。
明日は泳ぎに行こう!

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