このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


福井県旅行記 1

東尋坊
自殺の名所東尋坊断崖にオニユリが

断崖絶壁が見事な東尋坊は、以前にも行ったことがあるのですが、
越前までいったのですからと、再度足を運びました。
梅雨明けの猛暑の中(06/08/01)行ってみて、やはり東尋坊の壁は凄い!と息を呑みました。

『無料駐車場』の看板があちこちにあります。
これはお土産物屋さんの駐車場で、使った場合は、お土産を買うように言われます。
公営の駐車場は1日500円だったので、
停めさせていただいたお土産物屋さんで、
500円のイカ焼きを買いました。
なかなか美味しくて満足しました。


自殺の名所と言われる東尋坊には、『命の電話』があると聞いていたのですが、
ぱっと目に入るところにはなくて、見つかりませんでした。
越前北庄城跡
06/07/31に、越前北庄城跡へ行きました。
柴田勝家とその妻お市の方が非業の最期をとげた越前北庄城がどこにあったのか、

はっきりとは特定されていませんでした。

福井市にある福井城は、家康の次男結城秀康が築城したもので、
かつて北庄城と呼ばれていたときもあったようですが、北庄城→福居城→福井城と名を変え、
最終的には福井城という名が定着しました。

いろいろな文献等から、勝家の北庄城の本丸はここであろうと推測された場所はありました。
平成8年〜16年にその場所を発掘調したところ、結城秀康築城による福井城の石垣等の下から、
北庄城の石垣がでてきたことから、北庄城の本丸の位置が特定されたそうです。

信長が越前の一向一揆を滅ぼしたあと、そのときの功績により越前49万石を与えられた
勝家は、
朝倉義景とその一族が滅亡したあとの一乗谷に居を構えることなく、
天正3年(1575)にこの地に城の構築に着手しました。


信長死亡のあと、織田家の跡目争いから羽柴秀吉と対立した勝家は、
天正11年(1583)4月、賤ケ岳の戦で秀吉軍と対決し、これに敗れました。
北庄城に逃げ帰った勝家は、北庄城にて妻のお市の方と共に自害し、北庄城は焼け落ちました。
城が焼け落ちたとき、まだ北庄城は、完成していなかったとも言われているほど豪壮な城で、
9層の天守閣を誇ったとも言われています。

現在、北庄城の本丸があったとされる場所には、
柴田神社が再建され(再建かどうかも、以前どこかにあったのかも実は不明)
境内にはお市の方の三人の娘を祭る「三姉妹神社」もあります。

北庄城の本丸は、福井城の南端に位置していました。
結城秀康が築城したおり、自分の好みの場所を選んだところ、
たまたま北庄城の本丸跡地がひっかかったということなのでしょうか。

福井城は本丸の石垣、堀、城の一部が現存し、現在は県庁等があります。
柴田勝家とお市の方の墓は、市内西光寺にあります。

柴田公園にある柴田神社

?〜天正11年(1583)


天文16年(1547)〜天正11年(1583)

柴田公園にある二人の銅像

発掘された北庄城の石垣

発掘された結城秀康が築城した福井城の石垣


進む

[ エントランス ] [ 日本・短編旅行記リスト


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください