このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


相模原市とその近郊の横山党-相模川流域

小倉氏
相模原市津久井町小倉に横山党が住んでいたという資料は、今のところ見つかっていません。
でも、『横山史跡』というwebページがあって、そこに横山党の名字 一覧があるのですが、
その中に『小倉』があるのです。
他の横山党の多くは、川べりに住んでいたこと、相模川の少し下流に『田名氏』が移住していたことから、
きっと現津久井町小倉は、横山党であったという気がしています。

新・旧小倉橋対岸は、津久井町向原)

相模川を望む。(対岸は相模原市大島)

八幡宮(由緒は分かりません。)

古いお地蔵さまと石仏
上の2枚の写真は、小倉橋を渡って小倉に入ったすぐにあります。
横山党との関連は、全くわからないのですが、ちょっとロマンを感じてアップロードしてみました。
田名氏
田名氏は、横山時広の次男が田名二郎兵衛を名乗り、この地に住みついたことから始まりました。
田名小学校と田名公民館の間の道を相模川方向に少し下った左手に『でえの坂』、
右手に『大杉公園』(水場)があり、この辺りが田名氏居館跡だと言われています。

水郷田名と呼ばれる水に恵まれた田名ですが、
田名氏の居館跡は相模川から河岸段丘を上がったところにあります。
田名氏の家の子郎党は、相模川の近く、河岸段丘の下で生活していたのかと思います。

相模川の対岸は愛甲郡愛川町で、田名の名前は残っていません。

因みに、相模川の流域で生活している子供達は、この河岸段丘を登って田名小学校に通っています。
足が丈夫になるだろうと思う反面、車の往来の激しい道の上り下りは、
なかなか厳しいものがあると思いながら、相模川のほとりまで、断層を下りました。

居館への参道跡との伝承があります。

坂の脇にある家の屋号が台(でえ)なので
この名前があるという。

でえの坂を上ったところ
ゴミが積んでありました。
でえの坂すぐ近く、大杉公園
田名氏居館の水場だったともいう。


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