このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


相模原市とその近郊の横山党

相模原市矢部、田名、小山、相原は八王子の横山党だった豪族が住み着いたとき、
住み着いた土地の名前を豪族が名乗り、今も地名として残っているんだそうです。
矢部氏、相原氏等は境川、田名氏は相模川の近くに居を構えたと言い伝えられています。
小倉氏は、相模川にかかる橋とその流域にその名を残しています。
推定も含まれますが、折をみて訪ねてみて、昔を偲んでみようと思います。(2005/ 1/16)


境川流域 相原氏05/11/ 1
小山氏06/ 1/22
小山田荘06/11/16
矢部氏05/ 1/16


姥川流域
(相模川支流)
横山氏05/11/10
相模原市
小町通り
05/11/10
横山党も往来した鎌倉街道 06/ 3/ 2
相模川流域 小倉氏06/ 2/12
田名氏06/ 2/11
海老名氏

恩田川流域
(鶴見川支流)
成瀬氏

愛甲氏

横山党
八王子市横山の地名にもなった横山氏。
元は、小野妹子、小野道風、小野小町等を排出した 小野氏が名前を変えた1族。

和田合戦
頼朝の死後14年後(実朝の時代)に起こった北条義時と和田義盛の政権抗争
北条側の勝利に終わる。横山党は和田側につき、敗戦の憂き目を見た。

東京都八王子市の横山党根拠地については、 こちら をご覧下さい。


相模原市町田市八王子市


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