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* * (2008/05/03)今度こそ関東遠征1 * *
今年1月にも同じように関東遠征を計画し、実際に途中まで行った。ところが日本海側は大荒れ・・・新潟から「ムーンライトえちご」に乗車予定だったが、秋田まで行ったところで断念する。そのまま東北地方を周遊し、釧路へと戻った。この春の異動に伴う超繁忙期で旅行記にはできなかったが、この旅は何らかの形で公開したいと思う。 そこで浮上したのが、この連休での遠征だ。関東にて某サイトのオフ会があり、しかもちょうどいい時期に西武ドームでの日ハム戦もある。引越しの混乱がまだ残る5月はじめ、関東へ向けて出発した。今回も飛び道具は使わずに。 |
「「「「「「「「「「 2008年5月3日 土曜日 」」」」」」」」」」 | ||
◎◎202レ・札幌発青森行き急行「はまなす」◎◎ (長万部103→函館252) | ||
室蘭に来たのだから、時間を気にせずに乗れる新千歳〜羽田の航空機を使えばいい話なのだが、今回も汽車を使う。費用でいうと室蘭〜新千歳空港の移動が発生するため、航空機使用とほとんど変わらない(はず?)。 で、何故長万部発かというと“Sきっぷの使える範囲”と“長万部温泉に入る”の二つの理由がある。今度関東に遠征するときは是非とも「北斗星」を使いたいと思う。 | (長万部駅) | (ファイターズのポスター) |
駅にはファイターズのポスターがあった。この連休は札幌ドームで試合があり、こどもの日にちなんだイベントもあった。見に行きたかったけど我慢・・・何せ関東までファイターズを見に行くのだから。 かつての急行「はまなす」は長万部を通過していた。客扱いはしないが、運転停車をしていた記憶がある。客扱いをするようになったのは数年前だ。202レは1番線に到着。この日は連休前ということで、数人の乗降があった。 自由席は当然のごとく満席。当初は約2時間の乗車なのでデッキで十分頑張れる、という甘い見通しを立てていた。けれどもまだ春の深夜帯、デッキは意外と過酷だった・・・まだ寒い。冷たい隙間風が入ってくる。一睡もできず、函館駅8番線に到着した。 | ||
(長万部駅にて202レ) | (函館駅にて202レ) | (函館駅) |
◎◎4010M・函館発八戸行き特急「スーパー白鳥10号」◎◎ (函館700→八戸955) | ||
(函館駅駅舎内) | 202レで深夜の函館駅に着き、次の4010Mまでベンチで休む計画だった。が、お巡りさん(鉄道警察、だと思う)が待合室の人々に「駅舎を締め切るから出て行くように〜」と声をかけて回っている。駅員さんからの放送も流れている。掲示を見ると、どうやら今年3月のダイヤ改正で変わったらしい。駅舎内は終夜開放から3時30分〜4時30分の1時間が閉鎖となる。ベンチに居座る輩を排除する目的もあるのだろうが、純粋に駅舎を利用する人にとってはかなり不便である。 仕方なく駅舎を出て、市街地をうろうろすることに。駅前の居酒屋に入ることも考えたが、お金を使わず、健康的に過ごすには歩くしかない、という結論に至った。 | |
202レのデッキもそうだったが、5月とはいえまだ夜は寒い・・・旅の初めから本当に参った。 実はもうひとつの事件が起こっていた。先の長万部にパーク&トレインで車を置いてきたが、その車内に財布を忘れてきてしまった。これは痛恨の一撃だった。幸い、主力物品は財布に入れていなかったので、旅自体は辛うじて続行することができた。今回の遠征はところどころで不自由をすることとなった。 6時台になると、駅舎は少しずつ騒がしくなる。上野からの寝台特急「北斗星」が到着し、7時ちょうどには4010M発車。その後の7時04分には札幌行き「スーパー北斗1号」が発車する。ホームにてあったかい立ち喰いそばを食し、乗車する。途中の青函トンネル進入はわからず、気がついたのは青森直前だった。青森では乗客が入れ替わり、八戸には若干遅れて到着。新幹線ホームへと急ぐ。 | ||
(函館駅にて4010M) | (青森駅) | (八戸駅にて4010M) |
◎◎3010B・八戸発東京行き東北新幹線「はやて10号」◎◎ (八戸1006→東京1308) 八戸での乗り継ぎ時間は所定で11分、余裕はない。というか、もっと長くしてほしい。まず在来線から一斉に降りた乗客をさばききれていない。橋上駅舎へ向かうエスカレータは長蛇の列となる。しかも4010Mは若干の遅延をもって到着している。場合によっては新幹線改札を開放する処置も行っているようだが、この日は通常営業中。改札前も長蛇の列となっていた。焦りながら3010Bの待つ14番線へと急いだ。 | ||
(八戸駅にて3010B) | (東京駅にて3010B) | この先、盛岡で秋田新幹線「こまち10号」を併結し仙台、大宮、上野の順にとまり、終点東京20番線に着く。 ここでもよく寝ていた。主要駅では起きていたが、昨晩からの疲れが溜まっているようだ。計画どおり1日目は移動日。この後は特に何もせず、目的地へと向かった。本格的な行動は明日からとなる。 |
「「「「「「「「「「 2008年5月4日 日曜日 」」」」」」」」」」 | ||
◎◎ 台 場 ◎◎ 日付変わって5月4日。この日はほとんどネタ探しになってしまった。朝から東京臨海高速鉄道りんかい線で台場へ。目的は「踊る大捜査線」のロケ地巡り・・・巡りとは言っても大袈裟なものではなく、時間もあまりないので、適当なところをちょっとだけ行ってきた。 まずは東京テレポート駅。いろんな場面で登場するこの駅は、数回訪れたことがある。写真は駅前のロータリーから撮ったもの。入り口付近には真下が撃たれた電話ボックスもある。テレポートブリッジは青島とすみれさんが歩いていたところだ。ちょっと歩いたところにひときわ目立つフジテレビ社屋がある。 | (東京テレポート駅前) | |
そして台場に行った最大の目的?である東京湾岸署を見に行く。台場駅から東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)で一駅、船の科学館駅が最寄り駅となる。通りがかったときには、フジテレビが何かのロケをしていたようだが、警察署自体はもちろん映画のような派手な雰囲気はなく、実に静かだった。 最後は大江戸温泉物語、東京湾岸署からちょっと歩いたところにある。最寄り駅のテレコムセンター駅からは結構な人が流れていた。MOVIE2ですみれさんが元気に仕事をしていた場面が目に浮かぶ・・・(爆)。 | (テレポートブリッジ) | |
(フジテレビ社屋) | (東京湾岸署) | (大江戸温泉物語) |
踊る〜の他にもちょっとだけ。 大江戸温泉の隣には、国の機関が入っている庁舎がある。その看板を見てみると気になる名称があった。その名も「東京入国管理局おだいば分室」という。民間企業ならいざ知らず、お役所がこのような名称をつけるのは面白い。 次はちょっと鉄な話題に。先ほどの東京湾岸署の近くには船の科学館というものがある。その別館となっているのが、かつては青函連絡船として活躍していた羊蹄丸だ。 | (おだいば分室) | (羊蹄丸) |
◎◎ 鎌 ヶ 谷 ◎◎ 台場からりんかい線〜京葉線〜総武本線〜東武鉄道野田線を乗り継ぎ、いざ鎌ヶ谷へ。下調べもせず、友人の誘導そのままに移動していた。JRに私鉄に、現在どこを走っているいるのかもわからない。途中車窓からは“ねずみ園”が見え、若干テンションが上昇するものの、本当に目的地へ行けるのか不安だった。 鎌ヶ谷には北海道日本ハムファイターズの2軍本拠地、ファイターズタウン鎌ヶ谷がある。一度は行ってみたいと思っていた。しかも屋外の球場は久しぶりだ。札幌ドームと違って選手との距離が近い。すぐ目の前に活躍する選手がいる。 | ||
(球場への道しるべ) | (7回裏小谷野の打席) | 途中の試合経過は省略するが、試合はファイターズ5−3ヤクルトでファイターズが勝った。怪我で1軍を離れていた小谷野が大活躍だった。試合終了後は観客がグラウンドに下りて、撮影会となった。この日はイベントが盛りだくさんの日で、試合開始前にもいろいろあったようだ。 |
球場を出てみると、びっくりした。球場と選手寮の間がサイン会場と化していた。どの選手も快くサインや写真撮影、握手に応じていた。鎌ヶ谷ならではのファンサービスであろう。もちろん人気選手には長蛇の列ができていた。今後も節度を守って、この選手とのいい雰囲気を守っていってほしいものだ。 | ||
(ヒーローインタビュー中の小谷野) | (グラウンド) | (サイン会場?) |
◎◎ 秋葉原 〜 日暮里 ◎◎ 鎌ヶ谷から再び野田線〜総武本線と乗り継ぎ、次の目的地秋葉原へ。 夕方だというのいうのに、駅前には昼間と変わらないくらいの人、人、人。北海道の地方都市では夕方になるとかなり寂しくなる感覚が染み付いているので、これまたびっくり。これが東京なのか、と納得してしまう。秋葉原の中心を通る中央通りは、休日は歩行者天国になっているようだ。それこそ某ドラマ、映画のようなある種の人々が集うようなところ、ではなく普通の若者が普通に歩いている街である。 そんなことを考えながらとある場所へ移動。現在はさいたま市へ移転した鉄道博物館の前身、元の交通博物館を見に行く。ここには1回だけ入ったことがある。今は博物館前の0系も撤去され、人通りも少なくひっそりとしていた。 | ||
(中央通り) | (交通博物館への道しるべ) | (旧交通博物館) |
秋葉原では、とあるサイトのオフ会に参加した。その2次会は日暮里に移動して、JRの駅から徒歩5分のところにある。 「焼肉 絵理花」、一部の北海道人には広く知れ渡った名前なのだ。ファイターズ、森本稀哲選手のご実家が経営されている焼肉店だ。これまた一度は訪れてみたかったところである。店内にはファイターズグッツが所狭しと並べられていた。 | (メニュー) | (店内) |
お父様、お母様とは随分話し込んでしまった。今ではすっかりと人気者になっているが、稀哲選手もかなりの苦労をされているようだった。小さなときからプロになるまで、様々なお話を頂戴することができた。もちろん焼肉のお味も良かった。是非また行きたい店である。 * * (2008/05/03)今度こそ関東遠征2 * * |
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