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* * (2012/01/28)厳冬の北東北をゆく5 * *



* * (2012/01/27)厳冬の北東北をゆく4 * *
「「「「「「「「「「 2012年1月28日 土曜日 」」」」」」」」」」
◎◎青函フェリー1便・青森発八戸行き◎◎
(青森200→函館550)
 2011年3月に新築された青森港フェリーターミナルは、以前のものより小さくなった。元々青函フェリーと津軽海峡フェリーとはターミナルが一緒であり、最近それぞれに分かれてしまった。とりあえず乗船の手続きをする。ここでもクレジットカードでの支払いが可能である。
 手続きを終えて外に出てみると、乗船予定のあさかぜ21が入港してきたところだった。船首からゆっくりゆっくり近づき、停泊準備が整いしだい船首をあげて車両甲板の隔壁が開く。相変わらずの吹雪模様だったが、いいものを見ることができた。ちなみにフェリーターミナルの広い駐車場は散水式の消雪設備であり、道路上には絶え間なく水が吹き出していた。地下水を汲み上げているのだろうか。
青森港フェリーターミナル
(青森港フェリーターミナル)
津軽海峡フェリー青森ターミナル
(津軽海峡フェリー青森ターミナル)
あさかぜ21
(あさかぜ21)
 ターミナルに戻り、二階の待合室でしばらく休む。売店は休止中、「利用者は津軽海峡フェリーのターミナルへ…」とあった。待合室というか、ターミナル自体に誰もいないことから、やっていけないのだろう。かつてのターミナルは深夜でも食堂が開いており、ラーメンを食した覚えがある。室蘭〜青森航路が無くなり、利用者の一部は苫小牧〜八戸航路に流れたと聞く。そんな昔の記憶からは寂しい限りだ。
荷役作業中
(荷役作業中)
2番のりば
(2番のりば)
車両甲板
(車両甲板)
バリアフリー昇降機
(バリアフリー昇降機)
 140ころ、いよいよ本船に向かう。大型のトラックが車両甲板へ徐々に吸い込まれていく。小生もその間を通り、同じく車両甲板から階段で船室のある階へあがる。比較的新しい本船は階段が二つあり、もう一つには車椅子の昇降機があった。設備はいたって簡素なもので、飲み物とカップラーメンの自動販売機くらい。本船の位置と速度を示す掲示があるのはよかった。
 船室は全部で三つ、使っていたのは徒歩客の二人だけだった。ドライバーは皆、ドライバー室を使っているのだろうか。ほぼ定刻に出航、航行時間は4時間弱しかないので、すぐ寝る態勢に入ろうとする。だけど若干肌寒く、すぐに眠れる環境ではない。しかも減光せず、そのまま航行するようだ。眠っては起き、眠っては起きの繰り返しでいつの間にか530ころになっていた。
 便所、歯磨き、洗面を済ませ、函館港にはやや遅れて600すぎに到着した。トラックがある程度下船したあとに徒歩客が呼ばれ、車両甲板から下船となる。函館港の青函フェリーが着く埠頭は初めて降りた。
ロビー
(ロビー)
客室
(客室)
GPS情報モニター
(GPS情報モニター)
函館港の青函フェリーターミナル
(函館港の青函フェリーターミナル)




◎◎ 青函フェリーターミナル〜五稜郭駅 ◎◎
 本船から下船すると、北海道らしい寒さであった。青函フェリーの函館港にあるターミナルも新しくなっていた。今回は中に入らず先を急ぐ。
 国道に出る手前のローソンに寄って、帰りの高速バスのきっぷを購入する。予約は事前に携帯電話で済ませ、全国のローソンをはじめとするコンビニで買うことができる。しかもクレジットカードも使えて、実に便利な時代である。早朝からきれいなお姉さん・・・いや店員さんに親切丁寧な対応を受け、気持ち良く店を出る。
五稜郭車両所
(五稜郭車両所)
五稜郭駅構内
(五稜郭駅構内)
JR貨物のDD51形
(JR貨物のDD51形)
 歩道、車道ともに除雪されており、昨晩はここ函館でも結構降っていたようだ。五稜郭車両所の正門を見ながら跨線橋をあがり、ローソンから歩くこと20分、五稜郭駅に到着した。
 五稜郭駅は特急待ちの乗客で賑わっていた。札幌行きスーパー北斗1号の改札が始まったころ、駅蕎麦を食す。いか天そば350円也。
五稜郭駅駅前
(五稜郭駅駅前)
いか天そば
(いか天そば)




◎◎4851D・函館発大沼公園行き普通◎◎
(五稜郭722→渡島大野744)

 大沼公園行きの改札が始まり、ホームへ向かう。しばらくしてそろそろ大沼公園行きが来る時間だなと考えていると、キハ40系2両が結構な勢いで通過していった。一瞬、停車駅通過の事故発生か?と思った。後でわかったが、この2両は七飯行きの回送であり、すぐ後に大沼公園行きがやってきた。
五稜郭722D
(五稜郭722D)
七飯〜渡島大野その1
(七飯〜渡島大野その1)
七飯〜渡島大野その2
(七飯〜渡島大野その2)
渡島大野722D
(渡島大野722D)




◎◎ 渡島大野駅(新函館駅(仮称)) ◎◎
 この駅は幾度となく通過しているが、初めて降りた。通るたびに駅舎横の危険品庫が気になる駅である。
 まずは駅舎を見学…と思ったら閉鎖されていた。もちろん新幹線工事に伴うものであり、取り壊される運命にある。いつ建築されたものか不明であるが、見た感じさほど古くはないはずだ。その横にある財産票付きの建物も記録に残す。国鉄時代、このあたりは青函鉄道管理局だった証拠である。
 時間は限られているので、撮れるところから撮っていく。函館方にしばらく歩き、古い跨線橋を渡ってみた。ちょうどここから現行の渡島大野駅と建設中の新幹線施設の両方を見学できる。渡島大野駅の函館方は線路の付け替えが行われ、以前の線形とは若干異なっていた。一方、駅舎のある長万部方はほとんど変わらず、まだまだこれからといった感じである。
現駅舎その1
(現駅舎その1)
現駅舎その2
(現駅舎その2)
駅周辺の整備
(駅周辺の整備)
函館方の人道跨線橋
(函館方の人道跨線橋)
入口
(入口)
橋上
(橋上)
駅構内旭川方
(駅構内旭川方)
 そろそろいい時間になったので戻ってみる。おかしいおかしいとずっと思ってはいたが、さっき乗ってきた汽車がまだ停まっている。運転士さんに聞いてみると、仁山駅でポイント不転換が発生したらしい。小生の乗るはずである渡島大野発の4852Dはこの汽車が大沼公園で折り返す運用なので、今出ても40分くらいはかかる見込み、との通告を受ける。
 参った、この寒さであと40分以上も待つのか。この遠征では散々寒いところを歩いてきたので、もう勘弁してほしい…と願ったところでどうにもならない。遅れている大沼公園行きがようやく発車、となったのだが、いくらエンジン回転数を上げても前に進まない。運転士も指令とやりとりしている。雪で動けなくなる汽車を小生は初めて目撃した。確かにレールは見えるけど、線路上にある雪はいつもより高い気がする。キハ40系の未更新車であるから、これくらいの抵抗でも厳しいのだろう。数分後、うなりをあげながらもなんとか脱出に成功し、仁山方面へと登っていった。
駅構内函館方
(駅構内函館方)
函館方出発信号機
(函館方出発信号機)
人道跨線橋の向こう側
(人道跨線橋の向こう側)
722D発車
(722D発車)
渡島大野駅駅名標
(渡島大野駅駅名標)
貨物列車通過
(貨物列車通過)
2番線のホーム
(2番線のホーム)
木の電柱
(木の電柱)
 さて、余計な40分が発生してしまった。跨線橋横に仮駅舎が建てられ、日差しもあたりなんとか過ごせそうだが、やはり寒い。かといって、新幹線工事を一通り見ようとしても中途半端な時間である。
 まぁ無難なところで跨線橋と危険品庫の観察をすることにした。途中で長万部行きの普通列車がきて、ダイヤが乱れている影響でしばらく停車していた。やはりレンガ造りの危険品庫が珍しいのか、それ風でない皆様も写真におさめていく。
 時間もあったので、待合室に来た婦人と少しお話をしていた。汽車の遅延を知らず、次の汽車で函館へ行くとのこと。話を聞くと、どうやら婦人のお住まいは新幹線工事にて収用されるらしい。新幹線ができることについて、良いとも悪いとも言っていなかったが、やはり今のところを離れるのは寂しいという言葉が印象的だった。
 そんな話をしていると40分が経ち、遠くに坂を下ってくる先ほどのキハ40系が見えてきた。この日の函館市は、最低気温が氷点下14.7度だったそうだ。渡島大野駅の滞在は予定を大幅に超過して80分ほど、よくあの寒さに耐えたと思う。
渡島大野821D
(渡島大野821D)
2・3番線
(2・3番線)
危険品庫
(危険品庫)
ホームの跨線橋
(ホームの跨線橋)




◎◎4852D・大沼公園駅発函館行き普通◎◎
(渡島大野824→函館848)

 待ちに待った汽車だ。結局、次の函館行きと同じような運行時間となり、単純に乗客が二倍となっているよう。学校が休みの今日は街へと遊びに行く学生が多いようだ。
 七飯、桔梗と順調に乗客が増え、五稜郭で大量に排出。いろいろあったものの、とりあえずは函館駅に着いた。
渡島大野4852D
(渡島大野4852D)
渡島大野〜七飯その1
(渡島大野〜七飯その1)
渡島大野〜七飯その2
(渡島大野〜七飯その2)
函館4852D
(函館4852D)
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