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インド政府が「通せんぼ」してあえなく消滅

ダドラ&ナガルハベリー

旧ポルトガル領

1779年 マハーラーシュトラの王がポルトガルに割譲
1954年 インドの民族主義者グループが占拠。インドがポルトガルの軍・警察の領内通過を拒んだため、そのまま飛び地消滅
1961年 インド政府がダドラとナガルアベリーを正式に領土に編入

ダマン(Damao)とダドラ、ナガルハベリの位置関係図(1956年)
ダドラとナガルハベリの地図
植民地時代のインドの地図  黄色でマークしてある都市がポルトガル領
ダドラとナガルハベリの衛星写真  AmliやAmboliがナガルハベリ、Ambhediの右がダドラ(google map)

インドの旧ポルトガル植民地といえばゴアが有名だが、ゴアの飛び地としてディウダマンがあり、さらにダマンの飛び地としてダトラナガルハベリがあった。

ダマンはゴアやディウと同様、港を中心とした海岸の拠点だが、ダドラとナガルハベリは内陸に孤立した飛び地。インド西部のマハーラーシュトラ州とグジャラート州の境付近に位置していて、ダドラは3つの村、ナガルハベリは68の村からなり、ダマンからインド(旧イギリス領)を挟んで10kmくらい離れている。面積は491平方km、現在の人口は両方合わせて14万人だ。

それにしても、一体なぜポルトガルは海岸から離れた村を植民地にしたのか?金やダイヤモンドの鉱山があるわけでもなければ、戦略上重要な高地でもなく、宗教上重要な聖地があるわけでもない。森と田んぼと湖が広がるだけの農村だ。

ダドラとナガルハベリがポルトガル領になったのは、18世紀に一帯を支配していたマハーラーシュトラの王がポルトガルとの友好のお返しとしてプレゼントしたから。私が住んでる大宮にはかつて「南部領」や「紀州藩鷹場」と呼ばれた地域があった。南部藩は岩手県、紀州藩は和歌山県で、埼玉とは遠く離れた場所の所領になってたのだが、これはもともと幕府の直轄地だったところを、将軍が何かの気まぐれで南部藩や紀州藩に「ご褒美」として所領を分け与えてしまったため。当時のポルトガル植民地は領土といっても海岸に砦を築くだけで、地元の伝統的な王と同盟関係を結んで貿易を独占するスタイルだったため、王が領土をプレゼントすることもあった。日本でも戦国時代に長崎をポルトガル人に所領として寄進してしまったキリシタン大名がいましたね。当時マラータ族はいくつもの王国に分裂して抗争を続けていたから、マハーラーシュトラの王もポルトガルにプレゼントをしておいて、いざという時加勢してもらおうと考えたようだ。

森と田んぼと湖が広がるだけ・・・と言っても、インド貿易の独占が崩れて関税収入も減り落ち目になっていた当時のポルトガルにとっては慈雨のような存在で、ナガルハベリから産出されるチーク材は、ゴアを中心とするポルトガル領インドの最大の収入源になったらしい。

その後、ダドラとナガルハベリの周囲はイギリスの植民地となり、ポルトガル領との間で明確な国境線が引かれるようになる。そして1949年、イギリスからインドが独立すると「昔の王がプレゼントした領土も返せ!」と主張するのは当然のこと。インドに残ったフランスとポルトガルの植民地に対する返還要求が始まり、54年にはインド人民族主義者のグループが飛び地植民地の実力占拠に乗り出して、4つのフランスの植民地はインドへの返還が決定した。

一方でポルトガルは民族主義者を武力で追い返し、ゴアでは流血の惨事になったが、内陸の飛び地であるダドラとナガルハベリでは、民族主義者を追い返すために軍や警官を派遣するにはインド領内を通過しなくてはならず、ポルトガルが「インド人を撃退しに行くので、軍隊を通らせてくれ」と頼んだところ、インド政府は当然のごとく拒否。かくして飛び地ではポルトガル人を追い出した後に 自由ダドラ・ナガルハベリ なる政府ができた。

1954年7月23日付『毎日新聞』

1954年7月25日付『毎日新聞』

1954年7月24日付『朝日新聞』

1954年7月29日付夕刊『朝日新聞』

1954年8月1日付『毎日新聞』

ポルトガルはその後、「インド政府がポルトガル軍や警官の飛び地への領内通過を認めなかったのは不当」だと 国際司法裁判所に訴えた 。でも、国際司法裁判所の判決って守らなくても強制力はないし(首相が国連軍に逮捕されるわけじゃない)、インド政府は無視。61年には残るゴア、ディウ、ダマンもインドに武力併合されてしまい、判決自体の意味もなくなってしまいました。ダドラとナガルハベリはこの時に正式にインドに併合され、その歴史的経緯から周囲の州とは切り離され、中央政府の直轄州となっています。

●関連リンク

Silvassa Industries Association 州都Silvassaの産業協会。ポルトガル時代と現在の比較とかがあります。医者が3人から24人へ増えたというのは発展したというべきか、たいして変わってないというべきか・・・(英語)
Dadra & Nagar haveli Travel Guide 何にもないけどとりあえず景色は良さそうですね。ヒンズー語映画の撮影でよく使われる湖や自然動物園があって、新婚旅行にオススメ・・・とか(英語)
Silvassa いや〜、ホントになんにもないや(英語)
 
 

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