このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

借金のカタに領土を広げていった植民地

カリカル

旧フランス領

1739年 フランスが租借
1750年 この年までにフランスが81カ村を獲得
1761〜1765年 イギリスが占領
1779〜1783年 イギリスが占領
1793〜1816年 イギリスが占領 
1954年11月1日 インドへ行政権を返還
1962年8月16日 正式にインドへ併合
 
 

  



カリカル交通図
植民地時代のインドの地図  灰色でマークしてある都市がフランス領
1955年のカリカル一帯の地図  カリカルは右上の海岸沿い。インド返還後 ですが、州境として複雑な旧国境線が描かれています

カリカル(現:カライカル)はポンディシェリーの南132kmにある海岸の町。インドにあったフランスの植民地は小さな飛 び地をいくつか従えたものが多かったが、カリカルは1つのまとまった土地で、面積135・2平方km。「歩 いてひと回りできない」ということで仏領インドにしては珍しく広大な領土だった。1941年の人口は6万人。

しかしフランスがそれだけの土地を手に入れたのは10年がかりのこと。1739年にフランスはタンジャブルの王からカリカルの砦と周辺 の5つの村を租借した。王はいったん契約した後に租借料を値上げしたが、フランスはこれに応じたので、フランス人の気前良さを喜んだ王は、ついでに金を貸 してくれるように頼んだ。

しかし、1年後に王は借金を返せなかったため、いくつかの村をフランス人に担保として与えて租借料は値下げされ、その翌年も借金が返せ なかったので村を与えて租借料を値下げし・・・という繰り返しで、いつしか借金を返す代わりにフランス人へ村を売るようになってしまい、1750年までに フランスは王から81の村々を手に入れたという次第。

愚かな王がフランス人に村を売ったおかげでカリカルはフランスの植民地になってしまったのか、どうせその後インドはすべてイギリスの植 民地になったのだから、フランス人から金を取っただけでも王は賢かったのか。。。

カリカル周辺は穀倉地帯で、米やピーナッツ、菜種などの産地。カリカルの港は仏領インドではポンディシェリーを凌ぐ規模で、シンガポー ルやペナンへの蒸気船も就航していた。シンガポールやマレーシアには南インド出身のタミール人が現在も多く住んでいるが、故郷に錦を飾ろうとカリカルから 旅立った人の子孫が少なくなさそうだ。


★インドにあったデンマークの飛び地:トランケバルとセラン プール

1955年のカリカルのすぐ北の地図  一番南側の海岸沿いにトランケバルが あります。
1955年のカルカッタ周辺の地図  右側のカルカッタの北の川の左岸にセラ ンプールがあります
 

カリカル周辺のタミル・ナードゥ州の海岸は、かつてヨーロッパ各国が競って植民地を獲得した場所で、南隣のナガパタム(現:ナガパティ ナム)は当初ポルトガルが進出していたが、1658年から1781年までオランダの植民地となり、8kmほど北のトランケバル(現:タランガンバディ)は1620年から225年間にわたってデンマークの植民地だっ た。

東インド会社といえば、イギリスとフランス、オランダが有名だが、スウェーデンとデンマークも東インド会社を設立していて、スウェーデン東インド会社は17世紀後半にアフリカの黄金海岸(現在のガーナ)で砦を十数年間確保した だけだったが、デンマーク東インド会社は黄金海岸のアグラ、ニンゴ、ツェ、ケタ、アダ、ケー プコーストなどに砦を築き、インドではトランケバルとベンガル州のセランプール、アンダマン海のニコバル諸島を植民地にした(※)。

※このほかデンマークは17世紀から18世紀にかけて、インドでバラソール(オ リッサ州)、カリカット(現コジコデ、、ケララ州)、オディウェイトレ、コラチェル(以上、ケララ州)、デンマクスナゴレ(現ゴンダルパラ、西ベンガル 州)にも居留地を確保していた。他にデンマークの植民地は グ リーンランド フェロー諸島 (いずれも現在は自治領)、アイスランド(1944年独立)、そしてデンマーク西インドおよびギニア会社が獲得したバージン諸島 (1917年にアメリカへ売却)があった。
デンマーク東インド会社は紅茶の貿易で莫大な利益を上げたが、そのほとんどはイギリス東インド会社の横流しによる密輸だった。19世紀初めのナポレオン戦 争で、コペンハーゲンがイギリス海軍に攻撃されると衰退し、トランケバルとセランプールは1845年に、黄金海岸は50年に、ニコバル諸島は68年にそれ ぞれイギリスへ売却されて、アジア・アフリカから撤退した。

トランケバルには現在でもデンマーク時代の砦や城門、教会が残っていて、崩れかけた総督府もあります。2002年からデンマークの協力 で観光化へ向けた修復作業が進んでいたが、04年のスマトラ沖地震による津波でトランケバルやカリカルは大きな被害を受けています。

●関連リンク

Karaikal Regioni カリカル市の公式サイト
Trankebar Tranquebar Tarangambadi 南インドにあったデンマーク東インド会社の植民地・トランケバルについて(英語)
Serampore ・Frederiksnagore カルカッタ(コルカタ)とシャンデルナゴルの中間に1845年まであったデンマークの飛び地・セランブールについて(デンマーク語)
 
 

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