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4年半でバラバラに空中分解した究極の飛び地国家

西インド連邦
 
首都:ポート・オブ・スペイン 人口:311万人7300人(1960年)

  

1958年1月3日 結成
1962年5月31日 解散

西インド連邦の領域(ピンクの線で囲まれた部分)  赤の下線が首都のポー ト・オブ・スペイン

共同通信社『世界年 鑑1962年版』
なんか取ってつけたような「連邦」の文字が・・・
カ リブ海って、人口数万人の小国がうじゃうじゃ並び、その間に現役の植民地も散在して、わけがわかりません。そんな小国やってないで1つの国にまとまればい いのにと思いますが、人口数万人で国家をやっているということは、日本で市長になるよりカンタンに大統領とか首相になれて、文字通り「一国一城の主」にな れちゃうわけで、小国ってかなりオイシイのかも知れませんね。しかし、とりあえずイギリス植民地だった部分だけでも、一時はまとまって1つの国になろうと いう動きがありました。西インド連邦がそれです。

カリブ海の島々は別名・西インド諸島。かつてこれらの島々を「発見」した コロンブスが、「わ〜い、インドに着いた♪」と勘違いしたということで付いたネーミングだが、そこにもとから住んでいた先住民たちは、ヨーロッパ人が持ち 込んだ病気と酷使のため、ほとんど絶滅。代わってアフリカから黒人奴隷が連れて来られ、17世紀から19世紀前半にかけては、イギリス、フランス、スペイ ン、オランダ、さらにデンマークに加えてアメリカの軍隊や海賊が陣取り合戦を繰り広げ、なかには10回20回と統治国が変わった島も。そして19世紀末に 列強各国の縄張りが確定した時は、各国領土が入り乱れてグチャグチャな結果になっていた。

カリブ海で一番多くの島を領土にしていたイギリスの植民地では、1938年頃から中米大陸の英領ホンジェラス(現:ベリーズ)や南米の 英領ギアナ(現:ガイアナ)も加わって、西インド連邦もしくはカリブ海連邦として独立しようという動きが始まった。1945年3月、イギリスはこれらの地 域を西インド連邦として統合させる具体案を打ち出したが、バハマとバミューダが拒否して離脱。50年に今度はカリブ海連邦案をまとめて勧告したが、英領ホ ンジェラスと英領ギアナが拒否して離脱。こうして残った10の植民地(アンティグアバーブーダ、バルバドス、ドミニカ、グレナダ、ジャマイカ《カイマン諸 島、タークス諸島・カイコス諸島を含む》、モントセラト、セントクリストファー・ネーヴィス《アンギラを含む》、セントルシア、セントビンセントおよびグ レナディーン諸島、トリニダード・ドバゴ)で、1958年に外交・防衛以外の権限を持つ英連邦内の自治国と して西インド連邦が成立した。

西インド連邦の首都は、とりあえずトリニダード・ドバゴのポート・オブ・スペインに置かれ、その近くに新しい首都・チャグアマラスの建 設に取り掛かった。国家元首はイギリスの女王で、イギリス本国から派遣された総督が15人の上院議員を任命したが、実権は下院(45人)と首相にあり、総 選挙の結果、西インド連邦労働党が政権の座に就いた。

  
左:エリザベス女王の臨席で 開催された連邦議会の就任式、右:首相に就任したバルバドス出身のグラントレー・アダムス

イギリスは「近い将来、完全に独立させる」と言い、スタートした西インド連邦だったが、実際には植民地時代からの各地の行政府が実際の 権限を握り、政治や経済の統合はさっぱり進まず、連邦は有名無実な状態が続いた。何しろイギリス領の島々を 無理につないだだけの飛び地国家で、首都のあるトリニダード・ドバゴとジャマイカがそれぞれ人口100万人で二大中心地だったが、その間は 1500kmも離れていた。ほとんどの島はサトウキビ生産が中心で、住民は大部分が黒人+少数の白人や混血だったが、トリニダード・ドバゴでは石油が出 て、住民もインド人が約4割と、異質な存在だった。

やがてトリニダード・ドバゴが連邦政府の権限や関税同盟を強化しようとすると、ジャマイカが反発し、61年に住民投票を行って連邦から の離脱と単独独立を決定。トリニダード・ドバゴもジャマイカが抜ければ小さな島々の面倒を一手に引き受けなければならなくなることから、やはり連邦からの 離脱と単独での独立を決定。こうして2つの「大国」が抜けた西インド連邦は62年に解散し、残った島々は再びイギリスの直轄植民地に戻ってしまった。

その後、バルバドス(66年)、グレナダ(74年)、ドミニカ国(78年)、セントルシア(79年)、セントビンセントおよびグレナ ディーン諸島(79年)、アンティグアバーブーダ(81年)、セントクリストファー・ネーヴィス(83年)はそれぞれイギリスから独立したが、モントセラ トと アンギラ 、カイマン諸島、タークス諸島・カイコス諸島は現在もイギリス植民地のまま残って いる。

結成からわずか4年半で消滅してしまった西インド連邦だったが、連邦時代の遺産は今でも残っている。西インド連邦の通貨だった西インド 諸島ドルは、65年から東カリブドルと名称を変えて、現在でもジャマイカとトリニダード・ドバゴ以外では共通通貨として使われているし、旧連邦構成国はバ ハマ、ベリーズ、英領バージン諸島も加えて、西インド諸島大学を共同で運営しています。
 

●関連リンク

外務省 各国情勢 中南米
ジャマイカ政府観光局  
トリニダード &トバゴぶらぶら  
カリブ海に浮かぶ、もう一つのドミニカ  JICAの現地レポート
蔵 出しニュース  「グレナダ侵攻」ってありましたね・・・
海ヲ唄ウ   カイマン諸島と言えばタックスへブンで有名ですが、ダイビングでも有名だったんですね
St.Martin  イギリス領アンギラ島と、フランスとオランダが半分ずつ統治するセントマーチン島の写真 があります
Takamigo in "セントルシア"  現地在住者からのレポート。写真がたくさんあって現地の様子がよくわかります
セントピンセント ジャーナル   セントビンセントにて活動中の青年海外協力隊員のホームページ
英領 ドミニカ の地図切手  西インド諸島連邦結成記念切手や世界クリケット・カップ優勝記念切手(1938年の西インド連邦構想の範囲とほぼ同 じ)があります
UWI at Mona  西インド諸島大学(モナ校)のHP。ジャマイカとバルバドス、とトリニダード・ドバ ゴにキャンパスが分散している「飛び地大学」です(英語)
 
 

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