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スウェーデンの旅のつれづれ


スウェーデンで出会ったいろいろなエピソード。

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スウェーデンには雪印の雪が降る!
ニーショーピンという町
オフィスの一日
スウェーデンでの生活
バースディ・ケーキ
「明かり」の話
扉のないエレベータ
中華料理店での奮闘
子どもを作る
海の上を歩く
スウェーデンの選挙
ルーンストーンを捜せ!


アドヴェント用照明

アドヴェント用ろうそく型照明器具

 スウェーデンには雪印の雪が降る!

 2月のスウェーデン体験で、まずびっくりしたのが、雪印のあのマークそのままの雪が降ってくる、ということでした。到着後3日目くらいからやたら寒くなり、朝起きて窓の外に貼り付いた温度計を見ると零下20度、なんて日もざら。名古屋生まれの名古屋育ち、浦安在住のわたしにとっては、零下なんてスキー場に行った時ぐらいしか縁のない世界ですから、長時間外を歩いていると寒さのあまり頭痛がしてくる(しっかり毛糸の帽子をかぶっていたのに)、ということもはじめて知りました。

 名古屋では雪というものは暖かい昼間は積もらないものだ、と信じていたし、上京してきてからも多少名古屋より寒いとはいえ、雪の結晶というのは、虫眼鏡でのぞいてはじめて見えるものだと思っていたので、肉眼でもちゃんと雪の結晶が見える(わたしには直径5ミリくらいあるように見えた)、というのは驚異以外のなにものでもない。スウェーデンはとても寒くて乾燥しているので、積もっている雪をすくっても、降ったばかりならちゃんと雪印の結晶が確認できるのです。

 よく北欧のセーターに編み込まれている雪の結晶の図案、あれは昔の人が現実の雪を観察して写し取ったデザインだったんだ〜と、改めて認識した経験でした。

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 ニーショーピンという町

 ニーショーピンという町はスウェーデンの首都、ストックホルムの南西約100kmに位置します。

 歴史的には結構古い町で、王様が住んでいたこともある、という、日本で言えば鎌倉みたいな所。でも町自体は、なんだか清里のような別荘地の雰囲気があります。白樺の林の中に日本のペンションなどによくあるペンキ塗りの家が建ち並び、家々の庭にはリンゴの木が植えてあったりするのですから。

 3回の出張のうち、1回目と3回目は、GSEが社員のために借りていたフラット(日本で言うところのアパート)を宿舎にあててもらいました。2回目の時はちょうどTECから長期出張していた人が入っていたので、わたしは町の中心部にあるホテルに滞在しました。どちらも方向は違うけれども、会社から歩いて5分くらいのところでした。

 最初の出張の時、朝起きたらフラットの庭に積もった雪の上に、ウサギの足跡がありました。会社に行ってその話をしたら、会社の人に「うちの庭には鹿が来るぞ」と言われました。本当かしらん、と思っていところ、ある日の夜、会社の人の車に載せてもらって町の郊外をドライブしていたら、突然車の前に鹿が飛び出してきてびっくり。鹿程度ならまだしも、北欧の森の中をドライブしていると、もっと大きなムース(大鹿)とぶつかってしまうこともあるとか。だからボルボ(スウェーデンの国産車)は頑丈にできている、という話もある。

 スウェーデンにはニーショーピンをはじめとして、リンショーピン、ノルショーピンなど、「〜ショーピン」という名のついた町がたくさんあります(地図によっては「〜ショーピング」とか「〜チェピング」になっているものもあります)。これはもともとラテン語の「カウポ(商人)」からきた言葉で、「商売をする場所」という意味があるそうです(コペンハーゲンの「コペン」も同語源)。日本で言えば、「四日市」とか「五日市」といったところなんですかね。

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 オフィスの一日

 わたしが通ったGSEは、町の中を流れる川のほとりに立った煉瓦造りのビルの中にありました。昔は紡績工場だった建物をオフィスに改造したというもので、とても天井が高いので、オフィスの一部には中2階が作ってありました。ひとりひとりのスペースはゆったりとしていて、北欧独特の木目を生かした家具が配置されているという、なんともうらやましい環境(犬を連れて出社してきて、自分のデスクの脇に座らせて仕事している人もいた)。そこで働いている人たちも、みんなラフな格好で、冬でもGパンにTシャツの人がいたりする。スウェーデンでは室内はきっちり暖房されているので、トイレだろうが物置だろうが、寒い場所はありません。たまにスーツでネクタイ姿の人がいると、みんなに「今日は何かあるのか」と聞かれてました。

 会社は朝8時に始まります。みんな一斉に出社するのではなく、フレックスタイム制なので、1時間くらいのばらつきはあります。夏はサマータイムが導入されるので1時間縮まりますが、日本との時差は約8時間。だから日本のオフィスには、だいたい午後4時頃になると、「ハロー、ジス・イズ・なんとかかんとか・フロム・スウェーデン」という電話がかかってくることになります(このごろは慣れたけど、最初に電話を受けた時は一瞬頭の中が真っ白になった)。

 お昼になると、みんな思い思いにランチを食べに出ます。オフィス内にある食堂で持参のお弁当を食べる人もいれば、自宅へ食べに帰る人もいる。TECの人の中には、インスタントラーメンを大量に持ち込み、お昼はオフィスのキッチンでラーメン作って食べていた人もいました。

 夕方になると、またみんな思い思いに帰って行きます。朝が早いので、退社時刻はだいたい4時頃になります。残業する人なんてほとんどいません。TECの人たちと、仕事の区切りをつけるため7時頃まで残っていたことがありましたが、退社時刻を過ぎると、みんな潮がひくようにささーっといなくなってしまいました。見事なものです。

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スウェーデンでの生活

 フラット生活で驚いたのは、コンロが電気だったこと(ガスコンロというものはない)と、バスタブがないことと、台所以外の部屋には天井に蛍光燈がついていないことでした。スウェーデン人はあまりおフロに入って湯につかるのは好きではないそうです。ホテルもシャワー室しかないところがけっこうあります。

 スウェーデンではどこでも英語が通じたので助かりました。それでも、電車に乗る時など、英語のアナウンスはありませんから、けっこう緊張しました。スウェーデン語はドイツ語に似ているので、推理を働かせれば見当のつくものも多くて、3回目に行く頃には、単語ならけっこうわかるようになりました(大学でドイツ語やっといてよかった〜と、心底思った)。特に食べ物関係は、生活かかってましたからね。フラット住まいの時は自炊してましたから、スーパーにもよく通ったものです。そうそう、フラットにはよくスーパーのチラシが入ってきましたが、これがけっこういい教材になるんですよ。写真がついてるし。

 町の本屋で買ったベルリッツのポケットブック 「英語−スウェーデン語辞書」 を片手に、チラシとにらめっこした結果、レストランでメニューを見て、少なくとも材料が何かくらいはわかるようになりました。もっとも、料理法まではさすがに無理で、メニューで想像した通りのものが出てくるとは限りませんでしたが。

 わたしが滞在したフラットには、それまでに滞在したTECの人たちがいろいろなものを置いていってくれたので、炊事には苦労しませんでした。ストックホルムで買ってきたカリフォルニア米もあるし、変圧器につないだ日本の炊飯器もあるので、ごはんを炊いて、あとインスタント味噌汁でも作れば、もうそれで充分。日本から持っていったお茶をいれて、永谷園のお茶漬け海苔でお茶漬けを作って食べると、これがおいしいんだー。スウェーデン料理との格闘に疲れた胃袋には、最高のゼイタクでした。

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 バースディ・ケーキ

 スウェーデン人の仕事ぶりはとてものんびりしたもので、午後のコーヒーブレイクなど、ゆうに30分はみんな食堂に集まって、うんと濃いコーヒーを飲んだり、フレーバーティを飲んだりしながらおしゃべりして過ごしていました。時々食堂にケーキとナイフ、その脇に皿とフォークが置いてあることがあります。

「おっ、誰かの誕生日だな」

 このケーキ、面白いことに、祝ってもらう本人が買って(あるいは作って)、持ってくるのです。日本だったら、たとえば会社の組合の福利厚生費から出るとか(昔勤めてた会社がそうだった)、社長のポケットマネーから出るとか、みんなでお金を出し合って買うとかいうことは考えられるけど、祝ってもらう本人が持ってくるというパターンはまずないですよね。それに、会社のコーヒータイムにケーキが出るとしたら、まず間違いなく切り分けて分配する役は女子社員に回ってきます。

 ところがスウェーデンの場合は、ケーキは各自が自分で好きなだけ切っていくのです。ついでにケーキを持ってきた人に、「ごちそうさま、おめでとう」と一言。ケーキを持ってくるのは必ずしも本人の誕生日だけとは限らず、なんであれ祝ってもらいたいことがあればOKらしく、中には「十数年間乗っている車が車検を通った」なんてのもありました(なぜかこの時はアイスクリームだったけど)。

 だいたいにおいて、たとえば食後のコーヒーがセルフサービスだった場合(お昼を食べに行くと、たいていのレストランはそうだった)、人の分まで取ってきてあげる、ということは、決してしないのです。とことん「自分のことは、自分でやる」精神が身についているんですね。

 さて、ここで問題。食べ終わった後の皿とフォークとコーヒーカップは、いったい誰が洗うのでしょう?

 こればかりはみんなが各自で洗っていてはその後の仕事にさしつかえるので、キッチン備え付けの食器洗い機がやります。そこに食器を出し入れするのは当番制。わたしたちはゲストなので免除されていましたが、社員は全員、社長さんに至るまでもれなくローテーションに組み込まれていました。

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「明かり」の話

 フラット生活でもうひとつ驚いたのは、台所以外の部屋には天井に蛍光燈がついていないことでした。照明も日本みたいにあまり明るくせず、電気スタンドとか、ロウソクの光とかで薄暗い中で食事したりします。部屋の中がすみずみまでこうこうと明るいと、スウェーデンの人はくつろげないらしい。

 わたしが働いていたオフィスも、スイッチひとつで部屋全体の明かりを消す方式ではなく、各自の上にある天井灯を、紐を引っぱってつけたり消したりする方式でした。不思議なのは、コンピュータに向かって仕事する時、上の電灯を消して暗い中で仕事している人が結構いたことです。目が悪くなりそうな気がするんだけど。

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扉のないエレベータ

 パックツアーではなかなかお目にかかれないもの、それが「扉のないエレベータ」です。

 そもそもエレベータの構造は、ビルをつらぬいて走る「縦穴」と、その中を上下する「箱」とでなりたっています。「縦穴」にはそれぞれの階に出入り口があり、「箱」がその階に停止すると、「箱」についている扉と「縦穴」の扉が同時に開き、利用者が乗り降りするわけです。でもふだんわたしたちはそんな構造を意識しません。エレベータに乗る、ということは、小部屋に入り、しばらく上下する感覚があった後、再び扉が開いて小部屋を出ると、そこは別の階になっている、というものです。

 ところがヨーロッパに行くと、時々その「箱」に扉がついていないエレベータがあります。あまり大きくないホテルとか、一般の事務所などでそういうエレベータに乗るというスリリングな体験が味わえることかあります。いやあ、最初に乗った時はびっくりしましたよ。壁がスクロールしていくんですもの。日本だったらえらいこっちゃ、と思いましたね。だいたい「そんな危険なもの」とクレームがつきそうだ。

 ヨーロッパではたぶん、スクロールしている壁にさわって怪我するようなヤツは、本人が不注意だから悪いのだ、ということになるんでしょうね。それにしても……

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中華料理店での奮闘

 ストックホルムには日本の食材を売る店や日本料理店がありますが、わたしがいたニーショーピンでは、日本食らしいものはスーパーに売っているお醤油と「出前一丁」だけ(どちらも日本のものとは味が違うらしい)。ボリュームのあるスウェーデン料理に疲れた時、頼りになるのは町に2軒の中華料理屋でした。

 特に会社の近くにあった「Choi's Garden」は、カウンターになぜか日本の招き猫が置いてある、という妙なところもあったけれど、わたしの他にもプロジェクトの進行中入れ替わり立ち替わりこの町を訪れていたTECの関係者にとってはありがたいお店(出張期間中、毎日通った人もいるらしい)。GSEの人も日本出張の前には、ここで箸の使い方を特訓してくる、という話も聞きました。

 メニューはスウェーデン語と英語の両方。しかしこれが注文の際には結構大変。メニューの英語を日本語に訳して、それをさらに中国語に訳して(?)該当する料理の見当をつける、という具合ですから、なかなか思った料理が出てこない。具体的に食べたい料理名があればその逆をやるわけですが、たとえばわたしが滞在していた間にも、みんなで何度か「酢豚」の注文に挑戦し、見事失敗(なぜか豚肉の唐揚げ甘酢ソース添えが出てきてしまう)。とうとう最後まで「酢豚」を食べることはできませんでした。

 それでもみんなが何度か行くうちに、「こういうものが食べたい時はこう注文しろ」というノウハウが確立され、後から行く人にそれが伝授されていく様子は、なかなか傑作でした。わたしはあれからスウェーデンに行く機会がないのですが、最近行く人は結構充実した食生活を送っているのかもしれません。

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 子どもを作る


 (産院の天井につるされたコウノトリの縫いぐるみ)

 スウェーデンの人口は約一千万。日本よりちょっと広いくらいの国土に、首都圏の人口ぐらいの人間しかいないのですから、確かに国の北半分にはほとんど人が住んでいないとはいえ、スペースの余裕は充分すぎるほど。土地や家の値段は、日本よりひとケタ少なくて、家一軒が日本円にして数百万というのが相場だとか。

 だから、かどうかはわかりませんが、スウェーデンだけではなく、北欧では子どもはとても大切にされています。出産に関わる費用は国の補助があるから、未婚の母でも全然生活の心配をせずに子どもを産めます。育児休暇を男が取るのはごく当たり前。GSEから日本にカタリナさんという二児の母が出張してきた事がありましたが、「お子さんは?」と訊ねたらこともなげに答えました。「ああ、ハズバンドが面倒見てるわよ」

 そういえば、こんなこともありました。TECのオフィスで一緒に働いていた派遣仲間の女性(一緒にスウェーデンへ行ったのとは別の人です)が、お見合いして結婚することになりました。その人はずっと秘書のような仕事をしていましたから、「今度うちのセクレタリーが結婚することになったよ」と知らせたら、返ってきた第一声が、「なに、子どもができたのか?」

 おいおい、スウェーデンじゃ子どもを作ってから結婚を決めるのかもしれんが、日本じゃ普通子どもは結婚してから作るもんだって……ま、最近はそうとも限らないんだけどね。

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海の上を歩く

 厳寒期のスウェーデンならではの楽しみ、それはキリスト様のように、「海の上を歩く」ことです。

 とは言っても、もちろん凍った海の上を歩くんですけどね。ストックホルムの街が面しているメーラレン湖というのは、実は完全な湖ではなく、ちょうど浜名湖のように、外海とつながっていますから、海の一部なのです。でも塩分が薄いし、波が立たないせいか、冬になると一部が凍結します。

 2月にスウェーデンに行った時、日本で言えば上野のお山のように様々な博物館の集まった、ストックホルムのユールゴーデン島に行きました。昔の沈没船を引き上げて展示してある ヴァーサ号博物館 を見た後、その裏手の海辺に歩いていくと、そこはしっかり凍っていて、その上に雪まで積もって、どこまでが陸でどこからが海だかわからない状態。みんなその凍った海の上を歩いています。わたしも、「みんな歩いてるんだから、大丈夫だよな……」と、おそるおそる海面に降りてみました。

 氷はがちがちに固まってて、スケートリンクを歩いているのとなんら変わりがありません。その上に雪が積もっているから、滑ることもないし。ただ自分と陸地との間に大きな船が停泊したまま凍りついているから、「あ、やっぱり海の上だ」とわかるだけです。

 わたしは近くを歩いていたおじさんに頼んで、持参のカメラのシャッターを押してもらいました。ところが日本に帰ってから現像してみたら、その写真がないのです(おじさん、カメラの操作方法がよくわからなかったらしい)。おかげで「海の上を歩いている証拠写真」は幻のスナップになってしまいました。


<(メーラレン湖上より 北方民族博物館 を望む)

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スウェーデンの選挙

 2度目のスウェーデン出張は1994年の9月でしたが、スウェーデンではちょうど総選挙の時期でした。よその国の選挙をはじめてナマで見ることになって、ずいぶん日本と雰囲気が違うものだなあと感心しました。

ニーショーピンの広場

 スウェーデンでは、完全な比例代表制なのだそうです。だから、あれだけ自己主張の強いヨーロッパにあって、不思議なことに、日本のように個人の名前を押し出すことはありません。ポスターなども政党単位で、せいぜい党首の顔写真が使われる程度です。もっとも、自分の名前を連呼したからって、それが自己主張とは言えませんけれどね。

 ヨーロッパの町には、必ずと言っていいほど、中心に大きな広場があります。普段はそこにいろいろな露店が出たりするのですが、何か事があれば、そこは町の住民たちの集会場になります。それは中世以来連綿と続く、ヨーロッパの都市の伝統です。選挙の時期には、そこにいくつもの選挙事務所が出現します。ニーショーピンには、キオスクのような白木の小屋(小屋ごとどこかから運んできたらしい)が並んでいました。

 ひとつの小屋をひとつの政党が持ち、そこにはそれぞれの政策(消費税と福祉について、失業対策、EC加盟の是非など)をわかりやすく説明したパンフレットを並べ、ボランティアの運動員が常駐しています。町の人たちは買い物などのついでに気軽に選挙事務所に立ち寄り、運動員たちと話をしたり、パンフレットを見たりしながら、まるで車や家を品定めするように投票する政党を決めるのです。20歳で選挙権を獲得してから、一度もその権利を放棄したことのないわたしですが、正直言って最近は「それが何になる」とユウウツになることの方が多いです。そのわたしには、とてもうらやましく思えたスウェーデンの選挙運動。この時の選挙では、社会党が45%の得票率で第一党となり、保革逆転が起こりました。日本のテレビの取材などもありましたが、こういう前段階まで突っ込んで報道していた所はなかったように思います。ぜひやってほしかったのに……


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 ルーンストーンを捜せ!

 北欧には、ルーン文字と呼ばれる不思議な文字があります。もともとはアルファベットから派生したもので、紙のなかった時代、石や木片に刻みやすいように、直線を主体とした字体に変形していったものだそうです。

 スウェーデンにもルーン文字の刻みつけられた石碑がたくさん残っています。スウェーデン全土には3500ほどあるという調査結果が出ているそうです。ヴァイキングとして遠征に出かけ、戻ってこなかった男を記念して、残された家族が建立したものが多く、人のよく通る街道筋や橋のそばなどに立てられ、中には死者の冥福を祈ってほしいと刻まれているものもあるそうです。わたしはそれを聞いた時、「スカンジナビア版〈裁断橋〉だな」と思いました。わたしの地元、名古屋にも、戦国時代に戦に出かけ、戻ってこなかった息子の冥福を祈って母親が架けたと伝えられる橋があり、その欄干の擬宝珠にそのいわれが刻まれている、という話を聞いたことがあるのです。洋の東西を問わず、一旗揚げようと考える男と、残された家族の図式は変わらないものだなあ、なんて。

 このルーン石碑、スウェーデンのたいていの場所にはあるようですが、ウプサラやシグチューナなど、歴史の古い町にはたくさんあります。ストックホルムにもちゃんとあります。 ガムラ・スタン のメイン・ストリート、ヴェステルロングガータンから中央広場にのぼっていく途中の、おみやげ屋の角にはめこまれている石がそれ。11世紀頃のものだそうです。

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