このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ご好評につき、トラブル・メーカー 第二弾 Your fright is canceled エピソード1 1994年8月末、私は友人とマレーシアのペナン島を訪れました。 当時私は「メンバー1人でビッグプロジェクト」をやっていて、心身共に疲れきっていました。 旅行の前日に、私以外全員課長以上という異常なプロジェクト会議をなんとかこなし、そのプ ロジェクトにゴーサインが出てホッとしていました。私は会社が終わるとそのまま成田のビジネ スホテルに行き、何故か冷蔵庫に入っていた瓶ビールで一人祝杯を挙げました。 ペナンは期待以上に良いところでした。ツアーだったのですが、そのツアーに参加していたの は我々二人だけで、空港に到着して2時間後には、ホテルのプールサイドのデッキチェアでくつ ろいでいました。「自分へのご褒美…。」と自分に言い聞かせました。 ペナンでの休日はフリープランなのに盛りだくさんな内容で、我々はバカンスを満喫しました。 (写真が残っているのでそのうちご紹介しますね…。お薦めのリゾート地です。) 悲劇は帰国前日に起こりました。 観光に出かけ、屋台で美味しくて安い夕食を食べてホテルに戻ってみると、部屋のドアの下 にメッセージが差し込まれていました。メッセージは現地ツアー会社からのもので、「明日の出 発は都合により2時間早くなります。朝5時半にロビーに集合してください。」 「げっ!」と二人で声を上げました。というのも、出発前の時点で、帰りは直行便が無く、クア ラルンプール経由になるので、出発時刻が朝7時半というのが、「はえーなー。たりーなー。」と 話題になっていたのです。 「しょうがないか。」と荷物を整理し始めると、ツアー会社から電話がかかってきました。「帰り のクアラルンプールまでの便がキャンセルになったので、1本前の便になりました。それ で2時間前。」… 「???」 翌日、まだ夜明け前で真っ暗です。ロビーには誰もいません。フロントの人も、「なんでこ いつらこんな時間にチェックアウトするんだ。」という不審そうな表情です。付いていた朝食 も当然食べられません。それでもツアー会社の人はちゃんと5時半に迎えに来てくれました。 我々二人を乗せたトヨタのセダンは暗闇の中、ペナン空港に向かいました。 空港ではツアー会社の人が搭乗手続きをして見送ってくれました。我々はロビーの一枚の貼 り紙を見てやっと事態を理解しました。 「搭乗客の皆様へ。クアラルンプール空港の管制塔が火事で燃えてしまいました。従っ て、昔使っていた管制塔を使っています。そのため、管制能力が7割に落ちているので、 キャンセルされる便があります。」 「管制塔が火事…?」、我々は顔を見合わせました。「そんなの聞いたことないぞ…!?」 仕方なく搭乗待合室に行きましたが、そこには売店があるだけで、レストランも喫茶店もあり ませんでした。「腹減ったなあ…。」朝食はクアラルンプールまでお預けです。 ようやく搭乗手続きが始まり、飛行機に乗ってから、私は寝ぼけて搭乗待合室に荷物を一 つ忘れたことに気が付きました。友人に笑われながら取りに戻りました。その荷物は盗られる こともなくベンチに放置されていました。それもそのはず、そのバッグにはお土産にスーパー で買ったグリコポッキーがぎっしりと詰まっているだけなのでした。荷物検査のX線探知 機に通すと、画面に無数のポッキーが映って、係員は大笑いしました。 クアラルンプールまでの飛行機は、無数のポッキーとともに、無事にクアラルンプールに着き ました。2時間早く着いたからと言って、東京行きの飛行機が2時間早く出るわけでもありませ ん。こうなれば東京行きが飛んでくれるだけでももうけものです。我々は空港の食堂で、ナ シ・ゴレンとミー・ゴレンをゆっくりと食べて時間を潰しました。 東京行きの飛行機は、遅れて着いた「ペナンからの」客を待って、遅れて出発しました。そ の一人の客を乗せるために、ボーディング・ブリッジから離れて誘導路に向かう途中で飛 行機は一旦停止し、わざわざタラップを付けて乗せていました。我々は、「私達の苦労って 一体…?」と思いました。
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