このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
エピソード2 1997年10月に、当時会社を休んでいた私は、バリ島を訪れました。 当時インドネシアの森林火災が大問題になっていましたが、インドネシア観光局に電話して 聞いてみると、「バリ島なら影響ありません。それよりも雨期ですよ。」と言われたのですが、そ の年はエルニーニョで、雨期でも雨は降りませんでした。 利用したのは「AB-ROAD」で見つけた怪しげなバリ島専門のツアー会社で、キャリアはガル ーダ・インドネシア航空。そんな事情が重なっていたので、飛行機は成田発とは思えないほど ガラガラでした。ジャカルタで乗り継いで、深夜バリ島に到着しました。現地の係員がちゃんと 迎えに来ていて、その日の客は私一人でした。「何で一人で来たのですか?」としつこく聞くガイ ドに、「バリ島のホテルで友人が働いている。」とウソをついてごまかしました。 バリ島は最高でした。エルニーニョは大当たりで、雨期のはずが毎日晴れでした。私は、現 地の人は立ち入れないようになっているヌサ・ドゥアというビーチの「シェラトン・ヌサ・インダ」と いうホテルに泊まりました。出かけるのは毎日一回、無料バスでショッピングセンターに行き、 食料と飲み物を買うだけで、あとは部屋とプールサイドで過ごしました。朝食はドル払いだった ので高かったですが、バーは現地通貨払いで、当時インドネシアルピーは暴落していたので、 毎晩バーに行き、マイタイとウィスキーの水割りを一杯ずつ飲んで、1,000円もしませんでし た。 悲劇が起こったのは帰りでした。夜ホテルを出発し、空港に向かいます。帰りも私一人でし た。バリの空港は妙なところでガードが堅く、ガイドといえどもターミナルビルに入ることは出来 ません。つまり搭乗手続きは自分で行うことになります。 ターミナルの玄関でガイドに見送られ、中に入り、ふと出発案内のテレビ画面を見た私は目 を疑いました。私の乗る便の、「REMARKS」のところに、なんと「CANCELED」と書かれているで はありませんか! ガルーダ・インドネシア航空のカウンターに行くと、謎が解けました。実は同じような時刻にジ ャカルタ経由で各方面に3便の飛行機が飛ぶスケジュールになっているのですが、客が少ない ので、1便にまとめてしまった、と言うのです。しかし日本じゃバスでもそんなことしないのに …?でも、おかげで乗ったことの無かったA330に乗ることが出来ました。1便にまとめても客 席はガラガラでした。
|
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |