このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
エピソード3 2001年のゴールデン・ウィークはドイツを訪れました。飛行機の予約を入れようとしたときはも う手遅れで、帰りは関西着しか空いていない、という状態でした。我々はルフトハンザのドイツ 人係員の努力で、、 成田→フランクフルト→ベルリン ミュンヘン→フランクフルト→関西 という、普通の人は買わないような航空券を買って出かけました。 ドイツでの一週間は快適でした。スケジュールも特にトラブルもなくこなしていきました。 「変だなあ…?」と思い始めたのはミュンヘンに着いた頃からです。テレビのニュースに、や たらルフトハンザの飛行機(それも空港にずらっと飛行機が止まっているシーン)が映し出され るのです。「何だろう…?」と思いましたが、ニュースは当然ドイツ語です。英語すらまともに話 せない我々に分かるはずもありません。 事情が分かったのは、帰国当日にミュンヘン空港に行ったときでした。実はルフトハンザの 機長が派手にストライキを繰り広げていたのです。運悪く我々の乗るフランクフルトまでの便も キャンセルになり、1時間後の便に振り替えられました。 ルフトハンザのストライキを報ずるファイナンシャル・タイムズ紙 仕方なくミュンヘンの空港で付加価値税を返してもらい、ショッピングをして時間を潰しまし た。1時間後の便はなんとか飛んでくれました。 しかし、フランクフルト空港で地獄が待っていました。もともと乗り継ぎ時間を余裕を持って取 っていなかったので、空港内をダッシュしなければなりませんでした。しかも私はドイツでメルク リンの鉄道模型を大量に買い込んでいて、荷物も重くて悲惨でした。
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