このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




エピソード3
飛ばない飛行機


   ■ 1997年の場合

 二度目にサンフランシスコに行ったのは、1997年。当時会社を休んでいた私は、気分転換に
美術館巡りをしようと、ニューヨークとサンフランシスコを訪れました。

 ニューヨークは散々なものでした。ホテルは日の当たらない窓の外にクーラーの室外機がう
なりを上げている部屋(変えろと言っても満室を理由に断られた)、美術館は軒並み展示替え
で見ることが出来ませんでした。仕方なく所蔵品カタログを買い込み、美術館を見に来たんだ
か図録を買いに来たんだか分からないような旅になってしまいました。

 サンフランシスコでは、無事に目的の近代美術館を見て、帰途につきました。この時はツア
ーながら個人旅行扱いだったので、事前に座席指定をしておきました。飛行機に乗りこむと
747−400.それも最新らしく新車の匂いがします。空いていたので「Cabin attendants , 
doors check , please」というアナウンスが流れると、より良い席に替わりました。

 「最後はついているなあ…。」と思いつつ、ほっとして疲れが出たのか、目を閉じました。後
は成田まで寝ていくだけです。

 飛行機はプッシュバックを始めました。問題が起きたのはその時です。5mほどプッシュバッ
クしたと思ったら、止まってしまいました。

 「?」目を閉じたまま思いましたが、疲れていたし、「まあ、荷物の積み忘れでもあったんだろ
う。」と思い、そのままうとうとしていました。

 30分ほどしてから、「ただいま飛行機の離陸に際し点検を行っております。しばらくお待
ち下さい。」というアナウンスがありました。「離陸に際し点検」って、普通はプッシュバックする
前にやるんじゃないのかなあ…?と思いつつ、座っていました。

 1時間ほどしてから、今度は、「機内食の加熱設備にトラブルが発生しております。あと20分
ほどで修理が終わる予定です。もう一度ご案内するまでお待ち下さい。」というアナウンスがあ
りました。「機内食の加熱設備」という割には、機内で点検している様子はありません。ドアも閉
まったままです。さすがに、「おかしいなあ…?」と思い始めました。

 状況が一変したのはその30分後でした。突然何の前触れもなく、「この飛行機は故障のた
め飛ぶことが出来ません。従ってこのフライトはキャンセルとなります。搭乗口にお戻り
下さい。」というアナウンスが流れました。

 「えーっ!?」と声を上げたのは何故か私だけで、他の乗客は文句も言わず羊のように降りてい
きます。私は荷物を持ち、前方ドアのところに行って、スチュワーデスを捕まえて、「どうなって
んだよ!」と食ってかかりました。

 しかし、そのスチュワーデスは英語で早口で何事か叫ぶだけでらちが開きません。「こいつじ
ゃだめだ。」と思い、「Anyone speak Japanese !」と周りにいた乗務員に怒鳴りました。

 乗務員達はなにやら相談すると、アッパーデッキに行って、一人の男性パーサーを連れてき
ました。そのパーサーは片言の日本語で、「すいません。ここでは分かりませんので、とりあえ
ず降りてください。」と言いました。

 仕方なく搭乗口に戻ると、案の定雑踏していて、皆地上係員に詰め寄っています。しかし、地
上係員も、「待って下さい。」というだけで、何もまだ知らされていないようです。

 その時館内にアナウンスが流れました。「欠航となった東京行きのお客様は、搭乗カウンター
へお越し下さい。」

 周りの人は聞き取れなかったようで、うろうろしています。「これは早く行ったもん勝ちだ。」と
思った私は、ダッシュで搭乗カウンターに戻りました。テロ前のアメリカ国際線は、出国手続き
がないので、簡単に出発ロビーに戻れます。

 出発ロビーの搭乗カウンターに行くと、予想通りまだ空いていて、前に北京に行くというアメリ
カ人夫婦が一組待っているだけでした。「これなら他社便に振り替えてもらえるかもしれな
い。」と思いました。

 しかし、私は重要なことを忘れていました。私の乗る便は東京行きの最終便だったので
す。

 しばらくすると、案内が繰り返されたのか、搭乗口にいた人たちが戻ってきて、カウンターは
長蛇の列になりました。手続きが始まりました。私の前の夫婦は、ホノルル行きに乗り、ホノル
ルで一泊して東京経由で北京へ飛ぶようにと言われていました。

 「ホノルルで一泊か…。それも悪くないな…。」と思っていたら、カウンターで責任者が立ち上
がり、説明を始めました。

 「今日はサンフランシスコのホテルは満室で明日の便には振り返られません。お気の
毒ですが、皆さんにはこれからロサンゼルスに飛んでもらい、そこで一泊して明日の便
で東京に向かっていただきます。」

 …、ホノルルの夢は無惨にも砕け散りました。ロサンゼルス行きの便に空席がないとかで、3
時間も後の便をアサインされ、サンフランシスコ→ロサンゼルス→東京という航空券を渡され
ました。ずっと英語で交渉して、疲れていましたが、ダメもとで、一応「明日のロスからの便の座
席指定をしてくれ。」と言ったら、「申し訳ないがこの端末では出来ない。」(なんかどこかの鉄道
で昔よく聞いた台詞だな…)と言われました。

 そういえば預けた荷物は…?聞いてみると、「バゲージ・クレームに出ている。」と言われたの
で、行ってみると、サンフランシスコ空港なのに、「From San Francisco」という笑える表
(いま考えれば写真を撮っておけば良かったが、そんな余裕はなかった)が出たコンベアー
で、見慣れたカバンが所在なげにぐるぐると回っていました。

 それからが大変でした。私はカウンターで一緒になった日本人の夫婦連れと留学生だという
女の子と三人で国内線カウンターに向かいました。しかし、いくら聞いても、「あっち。」と言われ
るだけで行けども行けども国内線は現れません。そうでなくても荷物は美術館のカタログが10
冊近く入っていて、肩にベルトが食い込みます。へとへとになりながら20分ほど歩いてようやく
国内線カウンターにつき、あらためてチェック・インしました。

 出発まで2時間。ドルもほとんど持っていません。「搭乗券を見せれば15ドルの食事を提供
する。」と言われていたので、4人でスナックに入り、食事をしました。留学生の女の子はセコく
て、15ドルぎりぎりになるようにサラダとかまで頼んでいました。私は、ガイドブックも捨ててし
まっていたので、うろ覚えの電話番号をいくつか回してなんとかクレジットカードで母に電話しま
した。事情を話すと、母は笑ったまま電話を切りました。落ち込みました。

 ロサンゼルス行きのB737は当然満席。おまけに最後部の席でした。もう外は真っ暗です。
1時間のフライトは気を失ったように眠っていました。

 ロサンゼルスに着いてからがまた大変でした。まず荷物が出てきません。バゲージ・クレーム
はごった返しています。ようやくのことで荷物をピックアップして、今度は今日のホテルのことを
何も聞いていません。留学生の女の子は、留学していた割には英語力は私とほとんど違わな
いレベル(何を留学してたんだ!)で、役に立ちません。夫婦は英語ダメ。仕方なく女の子と二
人で手当たり次第に航空会社の係員を捕まえては、「For Tokyo tomorrow flight , Hotel ?」と
聞いて回りました。

 何人目かの黒人の係員が、「あそこのバスに乗れ!」と教えてくれました。バスはもうほとん
ど席が埋まっていました。なんとか席を見つけて座りました。

 しばらくするとバスは発車して、20分ほど走って、あるホテルの前で止まりました。運転手は
「ここだ。」と言います。「やっと着いたか…。」とホッとしつつ、降りてロビーにはいると絶句しま
した。フロントの前に100人くらいの人が列を作っています。

 我々より前の便で来た人たちがかなりいるようです。列は全く動きません。それよりこんなに
大勢の人が全員泊まれるのか…?気が遠くなってきました。

 1時間ほど遅々として進まない列に並び続けていたところ、ホテルの前に一台のバスが止ま
りました。「ウェスティン・ホテル」と書いてあります。運転手が入ってきて、「10室だけ空室があ
る。希望者はバスに乗れ!」と言いました。

 ここで待つという3人を残して、なんとか先着10人に潜り込むことが出来ました。不幸中の幸
いというか、悪運が強いというか、一緒になった人たちは旅慣れた人たちばかり。「こういうとき
は交渉だよ。」と言って、ホテルに着くと、フロントに、今日の夜食と明日の朝食を無料にするよ
うに交渉してくれました。

 「良かったな!じゃあまたな!」10人で握手を交わしてそれぞれの部屋に入りました。ウェス
ティン・エアポートというホテルで、広くて良い部屋でした。もう23時を回っています。シャワーを
浴びて、夜食をルームサービスに頼みました。

 「ビールと…」と言いかけると、「すいません。冷蔵庫を閉めてしまったので酒は出せませ
ん。」何だと…!?そんなホテルがどこにある!「仕方ないな、コーラとサンドウィッチを。」「いま
たくさん注文が入っていて時間がかかりますけど良いですか?」別に食欲はなかったのです
が、貧乏根性と意地で、「待ちます。」と言って電話を切りました。

 ひどく疲れていたのですが、明日の着替えが無いし、今日の服は汗でびっしょりになったの
で、洗濯をしてアイロンをかけました。

 1時間ほどしてルームサービスが来ました。「グッドナイト、サー。」テーブルにコーラとサンド
ウィッチを並べると、「実は航空会社からのお金では1ドル50セント足りないんです。」などと寝
ぼけた事を言います。

 もう疲れていたので、運良く残っていた5ドルを出すと、今度は「お釣りがありません。」もう限
界で、「This is chip for you.」と力無く言うと、ボーイは満面の笑みを浮かべて「サンキュー・サ
ー。グッドナイト。」と言い、握手して帰っていきました。

 翌朝、レストランで朝食を食べていると、昨日のメンバーがやってきて、「おはよう。眠れ
た?」と聞かれました。「おかげさまで助かりました。ありがとうございました。」と言うと、「いや
あ、旅で困ったときはお互い様だからね。」と言われて去って行かれました。

 最後に一つ問題が残っていました。本当に今日の東京行きに乗れるかどうかです。危なそう
だったので、3時間前に空港に行き、チェックインしました。

 係員が、「出国カードがありませんが…?」とまた寝ぼけたことを言います。「そんなもん
あるわけねえだろ!昨日サンフランシスコで渡しちまったよ!」と言うと、「失礼しました。」
と下手に出たので、「良い席はあるんだろうな!」と反撃すると、「あいにく今日の便は混んでお
りまして…、窓側も通路側も埋まっております。」

 「ふん!」と捨てぜりふを残して飛行機に向かいました。飛行機はボロボロのB747。ただ
席は中央席ではあるものの、エコノミー最前列。普通はプレミアメンバーしか座れない席でし
た。私はロスの係員にちょっと感謝しました。

 こうして24時間遅れて成田に帰ってきました。人生で最大の遅延です。

 成田でロスまで一緒だった夫婦に会いました。「大変でしたよ。結局あのホテルには泊まれな
くて、あの後またバスに乗せられて一時間も行ったところにあるホテルになんとか泊まれまし
た。今日も朝早く起こされてまた一時間かけてロスまで来ました。あなたが正解ですよ。」だっ
て。

 最後の最後にもハマりました。税関を出て、空港駅に行くとスカイライナーは出たところ、仕
方なく京成特急に乗っていたら、疲れが出てきて、急に日暮里の乗り換えとJR蒲田で乗り越し
運賃を払うことが馬鹿らしくなってきました。「面倒くさいなあ…。西馬込から帰るか…。」

 西馬込で駅を出ると外は土砂降り。私は雨の中で30分空車のタクシーを待ったのでし
た。


この航空会社も「ユナイテッド航空」と言います。


 2か月後、ユナイテッド航空から一通の手紙が来ました。マイレージの実績報告です。シスコ
→東京と飛んだ翌日にロス→東京と飛んだことになっていました。この実行不可能な搭乗実績
のおかげで私は翌年プレミア会員にグレードアップしました。



 全部読んで下さった方へ:
お疲れさまでした。
少しは笑っていただけましたか?
ありがとうございました。



トップへ
トップへ
戻る
戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください