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97年7月1日午前0時、私はテレビの返還式典中継を見守っていた。英国の国旗が降ろされ中国の国旗が上がっていく。ついに来るべき時が来たか。外は数日来のドシャ降りだった。中国に帰らねばならない香港の涙雨、後日そう評した人がいる。私も雨を見ながらそう思った。
あれから2年、心配していたほどの大きな変化もなく今はわりと安定している。行政は親中的になったがこれはやむを得まい。まさか祖国と反目するわけにもいかんだろう。駐留軍は基地にこもりきりでまるで顔を見せない。探しに行かねば見つからないほどなのがかえって不気味なぐらいだ。経済的には多少不景気になり失業率は上がったが、逆に高騰していた住居費が下がり始め人々の暮らし向きは良くなったように思える。大事な収入源の観光客はめっきり減ってしまい街でもあまり見かけなくなってきた。
全体的に見れば以前の活況は下火になったと言えそうだ。だが人々は相変わらず騒々しい。大声でわめきあう近所のオバサン達、デカイ包丁で肉を叩き切るメシ屋のオヤジ。以前と変わらぬ香港がそこにある。
香港ではここ数年日本の文化がブームになっている。芸能、ドラマ、アニメ、和食といろいろなものが紹介され、そのてのお店も多い。日本製の品物が喜ばれ、日本語が書いてあれば疑いもせず買って帰るという風潮さえある。
こうまでもてはやされると必ず現れるのがインチキ商品、怪しげな日本語があちこちに見うけられるのである。日本人なら一目でわかるはずだ。漢字は本来彼らの言葉だから完璧なのだが、送りがながバラバラなのだ。しかもひらがなやカタカナの間違いがやたら多い。更にひらがなやカタカナの代用に漢字を使っていることさえある。
「一休さん」が「一休さ人」だったり、ブランデーの「ナポレオン」が「ナポレオソ」だったりと挙げていけばきりがない。以前行った寿司屋では「まぐろ」が「まぐる」だった。和食屋の「しゃぶしゃぶ」は「さぶさぶ」だった。東方航空の機内パンフレットには「ナポレオソ」と「ツーバスリーガル」が臆面もなく書かれている。
どうすりゃいいんだ、このスカタンどもは!辻説法でもして説いてまわらねばならんのか。
お願いだ、誰かこれを止めてやってくれ。
自慢ではないが私は警官に10回以上捕まっている。犯罪などでは決してない。日本でいう職務質問みたいなものだ。密入国者を摘発するためのもので、IDカード(身分証明書)を提示しいくつかの質問に答えなければならない。私達はこれを称して捕まると呼んでいる。
あちこちで捕まっているやつを見かけるのだが、そいつらがまた軒並みこぎたない怪しげなやつばかりだったりする。ということはだ、私も密入国者の一味ということか?否定はできない。その頃はコンタクトをしていて顔つきが悪かった上に浅黒く日焼けしていて、おまけにサンダル履きで歩いていた。客観的に見ればまるっきり怪しい中国人なのだな。なるほど捕まるはずだ。
さすがに10回も捕まれば猫でも学習する。よし、変装だ。私は以前使っていたメガネをかけ、こぎたなくない程度の服を着、靴をはいた。するとどうだ、警官に近づいても捕まる気配がない。誇らしく思いつつ家に帰って鏡を見てみるとなんのことはない、日本にいる時と同じではないか。どうやら随分と質が落ちていたらしい。
あれは忘れもしない返還当日。その日ビクトリア湾で花火大会が催されることになっており、某旅行社が日本人向けに ”花火を見ようよツアー” を組んでいた。私もそれに申し込み、他の日本人達と一緒に待ち合わせ場所で迎えのバスを待っていた。
知り合いのいなかった私は一人ポツネンと壁にもたれて座っていたのだが、そこへ2人の警官が現れたのである。いやな予感がしたのだ。案の定警官達は私を見るなり近づいてきて「ID!」。50人ぐらいいる日本人の中で私だけだった。
その後しばらくしてまた捕まった。マンションの近所をブラブラ歩いていると道端でインド人のおじいさんが怪しげな薬を売っている。そこで物を売るのは違法なのだが、おじいさんは気にも留めてない様子だった。
「じいちゃん、へんなもん売ってんねんな」と品物を眺めつつ通り過ぎると、目の前に警官が待ち構え手招きしていたのである。
”そこのじいちゃんはぁ?”
そう言いたかった。違法な物売りを黙認し善良な市民をいじめるとは。私は警官が嫌いになった。
私の怪しさは世界に通じるらしい。空港の税関で怪しげなやつが荷物検査を受けるのはよく聞く話だ。荷物検査なら関空でもシンガポールでも香港でもあった。この程度はたいしたことではない。
上海から戻る時のことだが、なんと国際線の構内に入ろうとして呼び止められたことがある。パスポートを見せていたにもかかわらずだ。一般的に日本のパスポートは信頼されていて、構内に入るぐらいで止められることなど滅多にあるものではない。どうやら怪しげな中国人が国際線でどこかへ行こうとしていると思われたらしい。なんということか、よりにもよって中国人から疑われるとは。
シンガポールもたいがいだった。航空会社のカウンターでパスポートとチケットを渡し搭乗券を頼んだのだが、カウンター嬢がなにやら不審そうな顔つきをしている。パスポートの写真と私の顔を見比べた後、今度は隣の男性と話し始め搭乗券をくれそうな気配がまるでない。どうしたのだろうと思っているとやにわにその男性から問いただされた。
「香港に行くのですか?」 (当たり前だろ、チケット見ろよ)
「香港に住んでいるのですか?」 (なんの関係があるんだ?)
「香港在住の証明はありますか?」 (ちょっと待て〜い!)
明らかに私を疑っているのだ。偽造パスポートを持った怪しいやつということらしい。これが航空会社の言うことか?結局香港のIDカードを見せて納得させたのだが、こんなところでまでID提示とはなんたることだ。私が変装を決意したのは実にこの時だった。
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