このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

五番館

ペニンシュラからの手紙
ヘッドライトの謎
青い空をながめて〜前編〜
青い空をながめて〜後編〜
海の仙人
 

[ ペニンシュラからの手紙 ]

2ヶ月に1回ぐらいの割合でペニンシュラホテルからダイレクトメールが来るようになった。香港日本人クラブの名簿でも調べたのであろうな。在住日本人の多くにこの手紙が行っているらしい。ホテルに泊まりませんか?というお誘いだったり、1階アーケードにある有名ブランドの案内だったりが多い。全て日本語で書かれておりペニンシュラの威厳をかけてのことか誤字脱字はまったくない。(誤字脱字の有無は日本人の集客に大きな影響を与えるのだ)

先日久しぶりにダイレクトメールが届いた。開けてみるといつものようにお店の商品案内だったのだが、その中に目を引くものがあった。それはあの ”バイアグラ” の購入案内だった。誤解のないように言っておくが私はこの薬を必要とはしていない。だが必要な人には涙が出るほどありがたいという薬だけに多少の興味もある。一体どんな薬なのか内容を一通り読んでみることにした。

最初はバイアグラの簡単な紹介、次に服用上の注意と副作用。これらはわりとありきたりな内容だったので省略しよう。その次の「バイアグラを使用してはいけない人」がなかなか笑えるのである。曰く、

「女性、子供、高血圧治療薬服用者、極度の肥満、心臓疾患、ニトログリセリン服用者・・・・・・インシュリン投与者、異常な形状のペ○スを保有している男性」

異常な形状って、何?
例えば二股に分かれてるとか?そんでもって先から舌がチロチロ出てるとか?こんなのを異常というならたしかにコワイものがある。本人はともかく、それで挑まれる女性にとっては精神衛生上よろしくない。たしかに服用を避けるべきだろう。
それにしても ”保有する” というのもかわった表現である。だいたいあれは保有するとかいう類のものなのか?核兵器ではないぞ。

まあなんにしてもバイアグラというのは偉大な薬なのであろうな。

   「どうしてすごいの?」

とかって子供に聞かれると答に窮するのだが、これで救われる男性がいることは間違いない。多くの男性の心の支え、バイアグラ。そしてそれを支えに命の危険を顧みずオスの本能をまっとうしようとする彼らにエールを送りたい。

五番館のTOPに戻る   HOMEに戻る

 

 

[ ヘッドライトの謎 ]

かねてから疑問に思っていることがある。それはアメリカの平原を走る車のヘッドライトの話だ。
今回の私は珍しく否定的な立場でこれを論じている。だからもし 「それは確かだ!」 とか 「私は体験した」 という方はぜひ連絡をいただきたい。再考の後掲載を取りやめさせていただくことにする。

いつだったか本で読んだのか、あるいは誰かから聞いたのか記憶が曖昧なのだが、それはアメリカ大陸がいかに広大かを表現したこんな内容だった。曰く、

 「夜対向車のヘッドライトが見えたが、その車とすれ違ったのは翌朝だった」

というものである。小さい頃この話を聞いた(あるいは読んだ)私は ”アメリカという国は途方もなく広い国なんだ” とそれ以上何も考えずにそう思いこんでいた。実際広いのは確かだろう。国内で時差ができるぐらいなのだから。
だがいつの頃からか妙に気になりはじめたことがある。それは 「そんな遠くのヘッドライトが見えるのか?」 ということなのだ。そこで今回はこの ”対向車のヘッドライト云々” の話を科学的に検証してみたいと思う。

まずは時間帯。夜見えて翌朝すれ違うというからには見えたのが午前0時以後ということはないはずだ。とりあえず午後11時(23時)ということにしておこう。次に翌朝の時間だが、万人が朝と認めるのは午前5時と考えて差し支えあるまい。
ということでヘッドライトの光が見えてからすれ違うまでに6時間を要したと仮定しておく。
次は速度。広大な土地の一本道、邪魔するものは何もない。そんな道を時速20キロや30キロでタラタラ走るやつはよもやいまい。アクセル踏み込んで100キロ走行あたりが妥当なところだろう。従って双方が時速100キロで近づきあうとすれば相対速度は時速200キロになる。

さて必要な数字はそろった。ここからだ。相対速度が時速200キロで6時間を要したとすれば、最初の距離はその数字を掛け合わせればよい。すると最初に光が見えた時点での双方の距離は実に1,200キロにも達することになる。これは尋常な数字ではないぞ。1,200キロといえば青森県から山口県までの直線距離に匹敵する。大阪からなら札幌まで行ってしまうのだ。
恐山のイタコのばあちゃんが関門海峡の車の光を眺められるというのか?札幌の時計塔からライトアップした大阪城を眺められるというのか?これはどう考えても無理だ。

加えてここにもう一つ重大な問題がある。それは地球の丸みだ。
普通平坦な土地の場合、人間が人間を視認できる距離は10キロが限界とされている。これは地球の丸みによって相手が隠れてしまうからである。要するに地平線のむこうに行ってしまうということだ(あくまで平坦な土地で)。
人間を視認できる限界が10キロで、しかもヘッドライトの高さは人間の腰ぐらいしかない。これをもとに計算するとヘッドライト自体を平地で視認できるのは、よくがんばっても7キロが限界ということになってしまう。
なんということだ。わずか7キロで見えなくなるものを1,200キロ先で見なければならんのか。これはいかに目のいいやつでも不可能だ。だいたい1,200キロ先のヘッドライトなぞ10キロ先のロウソクの光を視認するよりはるかに難しいと思うぞ。

ではヘッドライトの光が雲に映っていたというのはどうだろう?
やっぱりこれも無理な気がする。恐山から関門海峡上空の雲など見えそうもない。私は長く大阪に住んでいたが、札幌どころか東京上空さえ見たことがない。
蜃気楼ならどうだ。1000キロ先の風景でも見えることがあるという蜃気楼、これなら。いや、ダメだ。蜃気楼が起こるには太陽が不可欠だった。真夜中では蜃気楼も起こりようがない。第一これではただのインチキではないか。

あまりに否定的すぎるようだ。やはり6時間では長すぎるか。では2時間後にすれ違ったとすればどうか?相対距離は400キロ。う〜む、地平線の問題でやっぱりこれも無理だ。
ではどど〜んと後退して30分後の100キロはどうだ?これなら東京〜富士山間だ。富士山を走ってる車ならなんとか見えるかもしれん。と喜んだものの、100キロなら関東平野でもそのぐらいはある。これでは広大さという点に関してなんら驚くに値しない。これが更に後退してすれ違ったのが数分後というのではいよいよ論外である。

他に考えられることといえば、相手の車がひたすらバックしていたとか、双方が時速10キロでノロノロ走っていたというぐらいしかなさそうだ。

百歩どころか一万歩ぐらい譲らねばならんこの話、やはり否定せざるを得ない。だがもしこの話が本当だとすればそれは超常現象といっていい。自由の国アメリカだ、超常現象も自由であっていいのかもしれん。これを体験したという方、もしいらっしゃればぜひ御連絡願いたい。

五番館のTOPに戻る   HOMEに戻る

 

 

[ 青い空をながめて 〜前編〜]

この2週間中国の無錫という街へ出張していた。これでもエンジニアのはしくれ、依頼があれば中国だろうが南極だろうがどこへでも出向く。

今回泊まったホテルは中国の三ツ星ホテルである。名前が三ツ星というわけではない。中国のホテルはたいていランク付けされていて一ツ星から五ツ星まである。その中の三ツ星であるから、まあ言えば中級ホテルといったところか。

突然だが、その日4階のレストランで朝食を取った私は急に便意(大きい方)をもよおした。部屋に戻るのも面倒なのでそのフロアにあるトイレに入ってみると、三つある大用トイレのうち手前の二つは使用中である。一番奥のトイレを覗くと洋式だったので迷わず入ったのだが、入った瞬間妙な違和感を感じるのだ。その違和感の正体はすぐにわかった。座った目線の高さに何故か大きな窓があり全開放になっているのだ。しかもその窓は透明ガラス。向かいのビルまでは道をはさんで10mぐらいしかない。むこうからは丸見え状態なのだな。向かいのビルに人がいれば挨拶できそうな距離なのである。

これは困った。少なくとも人に見られて嬉しい状況ではない。だが困ってばかりもいられない。とりあえず用事はすまさねば。

ふと見上げれば抜けるような青い空、白い雲、そしてすぎゆく風・・・。

   ”やはり中国人は開放トイレが好きらしい”

青い空を眺めながらそう思った。

女性用トイレがどうなっているのか確認したいところだが、そんなことをすればノゾキの現行犯で逮捕されそうだ。私はただ文化の違いを調べたいだけなのだが警察がそんなことで納得してくれるとも思えない。「おまぬけ日本人、ノゾキで逮捕!」などと新聞の一面に出るのも愉快な未来ではなさそうなので、とりあえずやめておくことにした。

〜続く〜

五番館のTOPに戻る   HOMEに戻る

 

 

[ 青い空 をながめて〜後編〜]

窓を開け広げたトイレで用を足しながら以前にもこんなことがあったのを思い出した。私が乗馬好きなのは前にも書いたが、その遠乗りに出かけた時のことだ。

その日シンセン郊外で遠乗りに出かけた私と他9名は農道を馬に乗ってトコトコ歩いていた。しばらく歩きある農家の前を通りすぎると、ドアのない全開放トイレにしゃがんで用を足している男性がいる。他の人達も気づいたはずだが気づかないフリをしていたようだ。

彼は騎馬隊の突然の出現に驚いたのかビックリまなこでこちらを見ていた。お尻丸出しでしゃがんだままなのがちょっとツライところだ。と、そこで私はしゃがんだ彼と目があってしまった。
なんとなく気まずい一瞬が流れた後、彼は何を思ったのかペコリと頭を下げたのである。私もつられて頭を下げ、おまけに「おはよう」と挨拶までしてしまった。
そこにはなんだかよくわからない連帯感のようなものが確かにあった。袖すりあうも何かの縁、一期一会を大切にする中国人の心がそこにあったのかもしれない。そんなささやかな出会いだった。

しかしまあいつかまた彼と出会うことがあったなら、できれば違う形で再会したいものだ。

トイレの窓から青い空をながめながらそんなことをぼんやり思い出していた。こうしていると空をながめて用を足すのも悪くない。かつてこの地を統一した始皇帝もこんなふうに空をながめて戦略を練っていたのだろうか。李白は流れる雲を見て詩を書いたのだろうか。

偉人を生み出し歴史を作ったもの、それはすなわち開放トイレだったのかもしれんな。

五番館のTOPに戻る   HOMEに戻る

 

 

[ 海の仙人 ]

人にはそれぞれの人生というものがあろう。時に悲しみ時に怒り、そして時に笑う。動物達にもそんな人生があっていい。猫は気持ちのいい場所で眠る時、犬は主人と一緒に散歩する時人生の幸福を感じるに違いない。
そんな中でどうにもその人生観をつかめないヤツがいる。それはマンボウだ。こいつらは何が楽しくて人生をやっているのだろう?

一昨年シンガポールに出かけた時海洋公園で初めて実物のマンボウを見た。
ポヨヨ〜ンとした間の抜けた体型のまま、フヨリフヨリと気のない泳ぎを続けるへんなやつ。足を止めしばらく眺めていたのだが、フヨリフヨリばかりで一向に前に進まない。急ぎの用がある様子もなくただ水の流れに身をまかせフヨリフヨリ。もう少しシャキッとできないものか。こんなヤツが部下にいたら即座にたたき出してやる。

それにしてもよくこれで過酷な生存競争を生き抜いてこれたものだ。普通これだけノロイと他の大型種に食べられてしまう。
種を保存するため弱い生き物は数を増やすか毒やトゲを持つものだが、

   「今日はマンボウが大漁だ!」

なんて漁師の話は聞いたことがないから小魚なみにたくさんいるとは思えない。ついでに毒やトゲがあるなんて話も聞いたことがない。

そうかといって強い部類のサメみたいな強暴種かというとそんなこともなく、マンボウが人に噛みついたなんて話もついぞ聞かない。第一こんなノロさでは獲物に追いつけない。まったくどうやって生存競争を生き抜いてきたのかわからない不思議な生き物である。

思うに彼らは魚界の仙人みたいな存在に違いない。シャチやサメも彼らを尊び恐れて近づかないのではないだろうか。そう考えるとなんとなく納得がいく。たしかにあの生き方は霞を食べて暮らす仙人に近いものがある。
あるいは魚界のホームレスというのも考えうる。あわただしく動き回るサラリーマン小魚を尻目に世を捨てぷらりぷらりと歩くだけ。ホームレスに誰も近づきたがらないように、魚界のホームレスもやはり敬遠されそれ故に生き延びていられるのかもしれない。

彼らには理想とか目的といったものはきっとないのであろうな。仙人だとすれば無我の境地に至り、もはや望むものは何もなかろう。だがそんな生き方を是とするのは寂しすぎる。
一念発起して世界征服などを企てられてもそれはそれで困るのだが、せめておでかけの時ぐらいはキビキビ動いてほしいものだ。

五番館のTOPに戻る

エピソードのTOPに戻る

HOMEに戻る

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください