このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
下到津を出た電車は、国鉄(現JR)日豊本線と小倉工場をまたぐ金田陸橋を越え、金田に滑りこむ。金田は小倉西郵便局の前にある電停。運転手によっては「裁判所前」をアナウンスに付加する人もいた。金田から大門までは道幅が狭いためか、車は田町、城内方面へ流れる。この区間は車の往来によるせわしなさもなく、道端と電停の距離も近く感じられた。
579 金田572 金田
616・71 金田(村田利己さん撮影)616・71 金田 (村田利己さん撮影)
1992年10月の黒崎駅前〜砂津間廃止直前の金田電停。上記と同じアングルではないが、車の通行量も少なく、落ち着いた佇まいは残されている。この頃、作者は北九州に在住していない。電停の看板上部には電車接近を表示する装置が付いている。
606 金田〜竪町間 609 竪町
竪町は、以前は「田町裏(たまちうら)」という電停だった。竪町という地名は昭和34年修正測量の地形図にも記載されているが、雰囲気としてはやはり田町の裏だったからだろうか。昭和49年か50年頃、幼少だった私には「タマチューラ」と聞こえ、なんとも奇怪な電停名に何度も家族に確認をしたが、答えはいつも「そうだ」と言われた。でもそうではなかったことを知ったのはかなり時間が経ってからであった。
614 金田(1992-10)(村田利己さん撮影) 620 歯科大学前〜下到津間(1992-10)(村田利己さん撮影)
1992年10月の廃止に先立って走ったお別れメッセージ号。白いキャンバスに見立てられた電車には子供たちの絵が思い思いに描かれている。お別れメッセージ号はこの614号のほかに620号も充当され、西鉄最後の路面電車の廃止にひと花添えた。
     

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください