このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
金田陸橋は下到津と金田電停の間にある。金田の陸橋と言えば、作者の世代(1968年生)では昔からあるように感じられるが、少し古い地図をひも解くとどうもそうではないらしい。昭和40年(1965年)発行の1:10000地形図「小倉主部(暫定版)」によると、軌道は日豊本線を跨線する盛土区間と橋梁が描かれているため、立体交差であったことが推測される。一方、道路は軌道の北側(国鉄小倉工場側)に沿うように走り、日豊本線と踏切で交差している。なお、この地形図の実際の修正測量は昭和34年(1959年)なので、実際の発行年より6年古い情報である。
630 金田陸橋東側 (村田利己さん撮影)646 金田陸橋東側 (村田利己さん撮影)
時が経って昭和47年(1972年)発行の1:25000地形図「八幡」の図葉には、現有の金田陸橋が描かれている。現地調査や空中写真が昭和44年と書かれていることから、金田陸橋の竣工は昭和34年〜昭和44年の間である。陸橋建設中、電車の軌道はどのように維持され、どのように切り替えられたのかが気になるが今は知る由もない。後日、金田陸橋は昭和41年に竣工したことを知った。

574 金田陸橋西側 (村田利己さん撮影)616 金田陸橋西側 (村田利己さん撮影)
北九州線での線路越えは、砂津〜上富野1丁目間にもあった。こちらの場合、西鉄の軌道は旧東小倉駅から南へ向かう旧国鉄日田線を跨線し、道路は踏切で交わっていたが、旧日田線が車の通行量が急増する前の昭和35年(1960年)に廃線と比較的早くに姿を消していることから、敢えて陸橋を建設するまでには至らなかったのではと思われる。
(このページの撮影は1992年(黒崎駅前〜砂津間の廃止前)である。)
     

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