このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  
門司電停には時計が掲げられた係員詰所と電留線がある。門司の初電、終電は砂津からやってきて、砂津に帰っていく運用であるが、おそらくかつては、終電がこの電留線で夜を明かして初電として、発車する運用があったのではなかろうか。
運行係詰所601と引込線
詰所は2階建てであるので、スペース的に見ても仮眠のスペースは取れそうである。係の方にいろいろ話を伺わなかったことが非常に悔やまれる。
発車を待つ616電留線跡
電留線はなにか瓦礫のようなものが散らばっているが、屋根でもあったのだろうか。廃止直前の撮影でも架線はしっかりと張ってあった。この電留線、奥のほうは下の写真のように線路が瓦礫に覆われているが、手前側は線路がしっかり出ているので、緊急時に電車が入線することができたのかもしれない。
門司電停発車時刻表さらに奥からみた電留線跡
折尾発の時刻と比べると、初電は遅く、終電は早い。おそらく、車庫のある砂津まで距離が折尾〜黒崎車庫よりも遠いからであろう。時刻表の数字の上に小さな文字で、戸畑、中幸、幸中、到津、砂津、折尾の行先が記載されている。詰所も裏から見ると以外に奥行のある2階屋であることが分かる。一人用の建物としては結構広い。
644・607折尾行となる616
門司線は砂津〜黒崎(折尾)間より一足先の1985(昭和60)年10月20日に廃止となった。この日には同時に枝光線、戸畑線も廃止された。1980(昭和55)年11月の北方線の廃止に始まり、北九州線全廃のシナリオはこの3路線の廃止で徐々に動き出した。ただ最後の砦、折尾線が廃止(2000年11月26日)されるまでに20年も要したというのは、他の路面電車の全廃へのプロセスから見て極めて長い。これは、営業キロが46km余と長かったことや路線の性格が都市から郊外を結ぶ路線ではなく、都市間輸送であったこと、そして何といっても赤字路線と言われながらも1日数万人という目をつぶれない数の利用者のいたことが最大の要因ではなかろうか。
  

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