このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

九州漫歩通信
第4号 1992年12月1日発行

西鉄北九州線廃止
北九州市の路面電車は、九州電気軌道によって明治44年(1911)6月門司市東本町−八幡町大蔵間が開通したことに始まる。全盛期には北九州線のほかに、北方(北九州モノレール建設に伴い80年11月廃止)、戸畑、枝光(共に85年10月廃止)などの線があり、全長44.4㎞に及んだ。

砂津−黒崎駅前間(12.7㎞)の廃止で北九州市の路面電車は消え去り、西鉄軌道線としては、専用軌道の黒崎駅前−折尾間(5.1㎞)が残るだけになる。
廃止一週間前から沿線住民が思い出や感謝の気持ちなどを車体に書き込んだ「お別れメッセージ号」が三両走っている。

最終日10月24日は、砂津−折尾間が終日無料運行され、各電停では乗り切れない人であふれ、車内も一日中混雑していた。(翌日の新聞によれば、この日一日でふだんの日の5倍、25万人運んだそうだ)

そして午後11時からお別れ式典が行われ、砂津、黒崎駅前双方からモールなどで飾られた「さよなら電車」が走った。

また、小倉井筒屋では「さよなら電車展」が開かれ、西鉄北九州線81年間の歴史を写真パネルなどで紹介したり、昔の切符などが展示されていた。

◎沿線漫歩 八幡駅前から東へ500mほど行ったところに旧百三十銀行八幡支店がある。辰野金吾の設計で大正4年に建てられた。保存が決まっており、現在、市の手で補修工事が行われている。

中央町電停から南へ300mほど行ったところに大谷会館(大2)がある。新日鉄の厚生施設らしい。隣接して、旧新日鉄厚生課相談室(昭2)も残っている。上本町から500mほど北には徳養寺(大4)がある。スラグ煉瓦造のお寺だが、外観は教会のように見える。
大蔵電停の近くにあった新日鉄の親和会講堂、親和会事務所はすでになく、更地になっていた。枝光駅近くにあった新日鉄の事務所は取り壊されてスペースワールドの駐車場にされていた。隣接した技術研究所はこの夏に取り壊し工事が行われていた。

大蔵から山を登ったところに北九州市立美術館がある。磯崎新設計の建物だ。
到津の遊園前バス営業所電停の南に旧九州鉄道茶屋町橋梁(明24)がある。煉瓦造のアーチ橋で現鹿児島本線の海岸線経由より先に山線として使用されていたが、海岸線の開通でほどなく廃止されている。市の文化財に指定されている。

西日本工業倶楽部(旧松本健次郎邸 設計辰野・片岡設計事務所 明44)は戸畑と到津のなかほどにある。木造二階建ての立派な洋館で国の重要文化財に指定されている。

三角西港と天草教会堂巡り
鹿児島本線宇土から分かれて西へ、三角線を三角に向かう。熊本から約50分で終点三角。
三角は天草方面へのバスの便があり、駅前のフェリーターミナルからは島原へのフェリーが連絡している。フェリーターミナルは「海のピラミッド」と呼ばれる巻貝をモチーフにした円錐状の白い建物で、熊本出身の建築家葉祥栄(ようしょうえい)氏の設計(90年竣工)。

三角駅から海岸線に沿って2㎞ほど行ったところに西港がある。明治20年に竣工した港で、野蒜、三國とならんで明治三大築港のひとつとされる。

工事はオランダ人技師ムルドル(Mulder)の技術指導で行われ、50㎝角の切り石で積まれた埠頭や水路が当時のまま残っている。建物は建て替わっているが、街の区割りも当時のままだそうで、繁栄時の倉庫が築港記念館になっており、築港工事の写真などが展示されている。

また、西港の高台には木造の九州海技学院(旧宇土郡役所 明35)がある。埠頭近くの木造の洋館「龍驤館」(大7)は明治天皇即位50年記念事業として建てられたのだそうだ。

三角駅前から本渡行のバスに乗る。宇土半島の突端から大矢野島、上島へと天草五橋がつなぐ天草パールラインを快走する。
天草の中心本渡市は天草・島原の乱(1637年)の激戦場のひとつである。本戸城跡には戦死者をまつる千人塚やキリシタン関係の資科を展示するキリシタン館がある。

街をひととおり探索してみところ、洋館も二、三あったが下見板張り木造の地味な建物だった。ほかに壁面だけを洋風装飾した写真館を一軒見つけた。

本渡で一泊したあと、下島を縦断するバスで一町田まで行き、バスを乗り換えて崎津に向かう。入り組んだ羊角湾に沿って走るバスの車窓からは美しい眺めが展開する。崎津の集落にはいる岬を回ったとき、ゴシック風の尖塔をもつ教会堂が対岸に見える。崎津教会は昭和11年に棟梁建築家鉄川与助が建てたものだ。隣接してキリスト教関係の資料館がある。

次のバスまで一時間以上あるので崎津から大江に向かって歩き出す。ガイドブックの地図で見れば5㎞くらいかと思っていたが、入江を丹念に回り込み、さらに峠越えもあるというハードな行程であった。

大江教会も鉄川与助が設計したもので昭和8年に竣工している。小高い丘の上に立つ白い教会堂である。国道に面して「天草ロザリオ館」がある。天草キリシタン関係の資料を展示している。

大江教会前のバス停でバスを待っていると、辺りに埃が激しく降ってきた。まわりの山々が白っぽく見えるくらい。通り過ぎる自動車も埃が積もっている。これこそが雲仙普賢岳の火山灰なのだった。今日は天草の方へ飛んできているらしい。

下田温泉で温泉につかったあと、さらにバスで富岡港に向かい、長崎茂木行フェリーで長崎に渡った。
(92.9.26〜9.27.)

くまもとアートポリス’92
「都市にデザインを、田園にアイデアを」というコンセプトのもとに熊本県下で88年から建設プロジェクトが進められてきた。第一期が完成したのを機に事業成果の発表がなされた。熊本市などで建築展(「アートポリス展覧会」熊本県立美術館分館11/4〜11/30など)やシンポジウムなどが行われた。

今回のアートポリス参加建造物は42件。コミッショナーに磯崎新氏が迎えられ、アドバイザーは堀内清治氏(熊本工大教授)が担当。彼らによって推薦された国際的な建築家やデザイナー、新進気鋭の建築家がこれらの建造物の設計を担当している。建物は学校、博物館、美術館、警察著、団地、公共トイレなどさまざま、熊本県下に散らばっている。(先に取り上げた「三角港フェリーターミナル 海のピラミッド」もそのひとつである)

また、あわせて既存建造物も46件選ばれている。通潤橋などの石造アーチ橋や細川家霊廟、水前寺成趣園、江戸時代の民家など歴史的に貴重なものから熊本市水道局(1963年 村野・森建築事務所)、熊本県立美術館(1977年 前川國男建築設計事務所)などをはじめ最近建てられたものから選定されている。

近代建築では、熊本大学資料館(旧第五高等学校本館、化学教室 1889年 山口半六・久米正道)、第一勧業銀行熊本支店(1833年)、先に紹介した大江教会、崎津教会なども選ばれている。(次に紹介する八千代座もそうだ)


芝居小屋を訪ねて
今回は、芝居小屋を紹介しよう。

◎八千代座 熊本県山鹿市にある八千代座は明治43(1911)年、当時の山鹿町の旦那衆が資金を出し合って建てられたものだ。山鹿は国道3号線と菊池川が交差するところで、古くから湯の町として知られ、交通の要衝として熊本県北部の中心地、当時は熊本に次ぐ町だったらしい。

明治44年1月の興業開始以来、松井須磨子、島村抱月の公演など、新派、新国劇、歌舞伎等の著名な役者や歌手も舞台を踏んでいるそうだ。
現在、この建物は国の重要文化財に指定されており、昔ながらの枡席、廻り舞台の下など自由に見学できる。また、隣接して資料館もある。

山鹿の近代建築としては、旧安田銀行山鹿支店(大14 後に肥後銀行山鹿支店)が「山鹿燈篭民芸館」として活用されている。

◎嘉穂劇場 福岡県飯塚市にある嘉穂劇場は大正11年の創設で、現在の建物は火災のあと昭和6年に建てられたものだ。中に入ったことばないが、ここも枡席など昔の芝居小屋の雰囲気を残しているそうである。

飯塚は長崎街道の宿場町で、旧街道が通っていたところは現在、アーケード街になっている。そのなかに福岡銀行飯塚本町支店(大13)がある。
新飯塚駅の西南500mほどのところに麻生セメント社屋(大3)があったが、更地になっていた。駅の東500mほどのところには麻生本家(明40頃)の大邸宅がある。筑豊御三家と称せられた旧炭坑主麻生太吉邸だ。

飯塚駅の南には、筑豊富士とも呼ばれるボタ山がある。住友忠隈鉱の跡だ。ボタ山の南側には旧中島飯塚炭坑の斜坑捲上機基礎(大6)が残っている。煉瓦造の巨大な構造物だ。かつてこのそばを上山田線が通っていたが、88年8月末で廃止、廃線跡は道路になった。


湯布院・別府温泉めぐり
由布岳の麓の盆地、湯布院は九州の軽井沢と呼ばれる温泉保養地だ。博多からは特急「ゆふいんの森」、「ゆふ」号が結んでおり、週末ともなると、女子大生やおばさんのグループ客で座席がうまり、由布院駅に列車が着くと駅前は賑やかになる。

由布院駅舎は大分県出身の建築家磯崎新氏の設計だ。待合室はギャラリーとなっており、地元の画家などの作品が展示される。湯布院には、末田美術館、空想の森美術館などの施設もある。

湯布院には泊まらなくても安い料金で温泉に浸かれる旅館などもあるが、町内にある共同温泉につかるのもいいものだ。湯の坪にある「湯の坪共同温泉」に行ったみた。入口に料金箱が置いてあるだけで管理人はいない。箱に100円いれて温泉につかる。あまり建物が立派でなく、温泉らしくないせいか、観光客は素通りで、行ったときは他に誰も来なった。

湯布院から城島高原を経て別府までバスが通じている。別府市街地にはいって明星学園前でバスを降りると京都大学理学部附属地球物理研究施設が近い。大正12年に建てられた煉瓦造の建物だ。

別府市内に残る近代建築として貴重な物件は旧別府市公会堂(昭3)と旧別府郵便局電話事務室(昭3)だ。ともに吉田鉄郎の設計になるもので、九州に現存する吉田の作品はこの2件だけらしい。現在、公会堂は公民館として利用されており、電話事務室の方は市役所西庁舎としての役目を終えたあと、「レンガホール」として活用されている。

別府市内には共同温泉が170ケ所ほどあるそうだ。浜脇温泉はドイツルネッサンス風の建物だったらしいが、建て替えられたらしい。竹瓦温泉は昭和13年に建てられた寺院を思わせる入り母屋造りの建物だ。60円で温泉につかれる。





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください