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九州漫歩通信
第3号 1992年10月1日発行

九州豪遊
JR九州では、JR九州の鉄道線全線と特急・急行のグリーン車、急行「かいもん」・「日南」のB寝台車が利用できる「豪遊券」というトクトクきっぷを発売している。7月15日(92年)から3日間用が22,000円に値上げ、5日間用は廃止されることになったので、値上げ前に指定席の確保もかねて3日間用を19,800円で購入する。希望通りの指定も取れた。

3日間を有効に使うのに打って付けなのが鳥栖0:26発の西鹿児島行「かいもん」である。まず、B寝台から豪遊がスタートする。その日は、人身事故があったとかで終日ダイヤが乱れ、「かいもん」も45分ほど遅れてやってきたが、途中で回復、西鹿児島には定刻6:15に到着した。

◎知覧・枕崎 初日は、まず、バスで知覧に向かう。知覧の町並みの外れに知覧のバスターミナルがある。ここは、鹿児島交通知覧線知覧駅の跡である。駅の痕跡は全く残っていないが、加世田方面に向かう県道に沿って夏草に覆われた廃線跡が伸びているのがわかる。

知覧の町はかつての城下町で、江戸時代中期の石塀を巡らした武家屋敷跡が落ち着いた町並みを見せる。伝統的建造群保存地区になっており、名勝に指定された当時の庭が7戸に残されている。

枕崎は遠洋漁業の町である。かつおのたたきがうまい。枕崎駅は鹿児島交通南薩線の駅舎だったが、そのままJRが使っている。駅の近くに「南瞑館」という市立美術館があった。山口長男、吉井淳二の作品などが展示されている。

指宿枕崎線で西鹿児島に戻る途中、二月田駅で下車。駅近くにある温泉「殿様湯」に立ち寄る。島津の殿様が湯治に訪れたということだ。きょうは鹿児島泊。

◎鹿児島 翌日、鹿児島市街の近代建築を見て歩く。先の大戦で戦災にあっている都市なので堅牢な建物だけが残ったという感じである。
市街地を流れる甲突川には多連石造アーチ橋が5ケ所にかかっている。下流側から武之橋、高麗橋、西田橋、新上橋、玉江橋で幕末、肥後の石工岩永三五郎によってかけられたものだ。

川に沿って上って行くと鹿児島刑務所跡がある。跡地はスポーツ施設などが建設中であるが、石造の門だけが保存されている。明治41年竣工した刑務所で司法省大臣官房営繕課(課長山下啓次郎)の設計。

城山の東側の国道10号線は「歴史と文化の道」ということで、博物館をはじめ図書館、美術館、黎明館(歴史資料センター)などの施設が並んでいる。美術館は元の市役所が、黎明館は鶴丸城跡で第七高等学校があったあとに建てられた施設だ。

この付近の近代建築としては、鹿児島県庁舎本館(大正14年)、鹿児島市庁舎本館(昭和12年)、鹿児島市中央公民館(昭和2年)、鹿児島県立博物館(昭和2年)が残っている。近くの県立博物館考古資料館(明治16年)は興業館として建てられた石造の建物で、その後、商工奨励館として使われた。また、鹿児島県教育会館(昭和6年)も残っている。

西鹿児島駅から15分くらい歩いたところに鹿児島地方気象台がある。昭和9年の竣工の建物でセセッション様式のモダンな外観は今も色あせてない。
市街地にある学校建築としては、甲南高校(昭和5年)、中央高校(昭和9年)が健在。

磯庭園は島津光久が造った別邸のあったところで鹿児島市内観光名所のひとつである。隣接して尚古集成館(慶応元年 重文)がある。島津斉彬が幕末設けた殖産興業施設である。また、島津家が明治時代に建てた木造の林業事務所、鉱山事務所が近くに移築され、薩摩切子の展示館や喫茶室に利用されている。

また、近くには「異人館」と呼ばれる木造の建物もある。尚古集成館に技術指導にやってきた英国人技師らのために慶応3年に建てられた建物だ。(重文)

◎「つばめ」7月15日のJR九州ダイヤ改正で博多一西鹿児島間に特急「つばめ」の愛称が復活した。じつに17年ぶりのことだそうだ。かつて東北・上越新幹線の愛称を決めるときに「つばめ」の名が上がったが、新潟あたりでは燕をほとんど見ないらしくてボツになったと宮脇俊三が『車窓はテレビより面白い』(徳間文庫)で書いていた。そういう意では「つばめ」という愛称は南国九州にあっている。
「つばめ」に用いられている車両は今回新製された新型車両とハイパーサルーンとしてすでに活躍している車両の2種ある。今回指定を取ったのはもちろん新型車両のほうだ。「つばめレディ」に迎えられ、乗り込んだ車両は「豪遊」だからグリーン車である。1列、2列のゆったりした座席。グループ対応の小部屋も設けられている。車両の設備、内装、サービスはホテルを手本にしたという。

「つばめ20号」は15:22に西鹿児島を発車する。すぐにおしぼり、飲み物のサービスがある。「豪遊」は快適である。東シナ海に沿う鹿児島本縁の眺めを楽しむ。

八代まではさほどスピードは出ていなかったが、熊本平野にかかるとスピードアップしているのが感じられる。博多まで同時間帯の「有明」では4時間15分かかっていたのが「つばめ」になって3時間59分(最速は3時間49分)と約15分の時間短縮になっている。
この日の宿は博多発の急行「にちなん」のB寝台である。これで宮崎に向かう。

◎宮崎 宮崎到着6:56。現駅の東側に高架工事が進められている。宮崎も先の大戦では大きな被害を被った街である。近代建築として残っている建物は、宮崎県庁舎(昭和7年)、旧第一勧業銀行宮崎支店(現在、県庁舎の別館のひとつとして使用中)、旧宮崎銀行宮崎支店(大正14年 銀行は移転し現在は使用されていない)くらいである。駅から歩いて10分くらいのところにかたまっている。

そのあと宮崎神宮へ行く。この神社の北側に宮崎県立総合博物館があって、その付属の民家園には県内に残る特徴のある古い(江戸時代)民家を四棟移築、公開している。すべて国又は県指定の文化財である。

◎美々津 神社風の造り宮崎神宮駅から鈍行電車で美々津に向かう。この駅には鈍行しか停まらないのだから仕方ない。
東都濃から美々津にかけてリニアモーターカーの実験線が平行している。浮上式鉄道実験センターは美々津駅から近い。

美々津駅前は数軒家がある程度の寂しいところで、駅から北へ20分ほど歩いたところが美々津の街の中心である。耳川の河口に開けた集落で江戸時代から明治にかけて海運を通じて京阪神との経済、文化の交流拠点であったらしい。現在、その面影は虫篭窓、京格子など京都、大阪の町屋の影響を受けた古い町並みに見られる。旧廻船問屋「元河内屋」は歴史民俗資料館として公開されている。

そのあと、日向市に出て、寝台特急「富士」(昼間は座席車として特定区間利用できる)で大分に向かい、さらに豊肥本線を「あそ」でたどり、熊本からまた「つばめ」に乗り継ぐ、と豪遊は続いたのであった。

さて、三日間で乗ったキロ数は1679.3㎞で、通しの運賃は16630円(幹線)に相当。特急、急行、さらにグリーン・B寝台の料金は30640円。合計47270円で「豪遊券」19800円の2.4倍以上活用したことになる。しかし、こんな計算をしているようではほんとの「豪遊」とは無縁かもしれない。
(92.7.23.〜7.26.)

熊本漫歩
熊本には市電が残っている。熊本駅から市電に沿って歩き始める。熊本城の西側からJR鹿児島本線の間は戦災にあってない区域のようで戦前の家屋が見られるが、都市計画による取り壊しやマンションなどに建て替わりつつある。

魚屋町電停の近くに住友銀行熊本支店があり、西にはいったところには医院(旧中村医院)だった二階建て洋館がある。住友銀行から北に向かう。土蔵造りの熊本食糧会館は建て替わっていた。その先の熊本中央信用金庫(大8)は健在。

さらに北に向かうと市電3号線の走る道路に出会う。西辛島町電停近くに上げ下げ式の窓をもつ塗家造りの後藤金物店(大9)がある。市電2号線の分岐から南へ向かったところには早野ビルが残る。

市電3号線に沿って西に向かって、新町電停そばには長崎次郎書店(大13)がある。上熊本行市電に乗ると蔚山町という電停がある。朝鮮と関係があるのだろうか。
JR上熊本駅舎は大正2年に竣工した洋風の建物だ。東側の丘陵地を15分ほど上がったところに旧熊本地方裁判所本館(明41)の中央部分だけが保存されている。

上熊本から熊本電鉄で北熊本に進む。一両だけのワンマン運転だ。
北熊本から南へ数百m行ったところに九州女学院がある。高校本館が大正15年の建物らしいが校内まではいることできず未確認。

そこから東南へ1㎞ほど行ったところに熊本大学がある。ここには旧制第五高等学校、化学教室(重文)がある。明治22年に建てられた煉瓦造の建物だ。道路を隔てて南側が工学部で旧制熊本工業高校の機械実習工場(明45)、大学本部(大13)などが残っている。




このほか熊本市内に残る主な近代建築は熊本城前電停近くに第一勧業銀行熊本支店、熊本市役所花畑別館(熊本貯金局 昭11)が並んでいる。交通局前電停の近くには九州学院がありヴォーリズ設計の礼拝堂(大14)が残る。
水前寺公園の東側に夏目漱石第三旧居に隣接して木造のジェーンス邸が移築されている。


田平・平戸教会堂巡り
松浦鉄道では夏休み期間中(7/21〜8/31)、松浦鉄道線内乗り降り自由・1日有効という「サマーフリーきっぷ」を1600円で発売している。有田一佐世保間を乗り通すだけで1950円なのでお値打ちな切符である。

佐世保駅で切符を購入してレールバスで出発。松浦鉄道は旧国鉄松浦線を引き継いだ第三セクター鉄道で88年4月1日に開業している。
西田平で下車。この駅は松浦鉄道に転換されてから設けられた駅だ(89.3.11開設)。

この駅から歩いて15分ほどのところに「たびら昆虫自然園」という施設がこの7月21日にオープンした。立ち寄る時間がなくてそばを通っただけだが、入口の案内に「この付近にいる昆虫だけで、珍しい昆虫はいません」とことわり書きがあった。都会から見れば自然に恵まれた土地なのに、こういう施設がなければ自然観察ができなくなってきたらしい。

自然園から5分ほど歩いたところに田平教会がある。大正7年に建てられた煉瓦造りの教会で、設計施工は鉄川与助である。教会堂は海に向かって建てられ、海を隔てて平戸島が見渡せる。

かつては平戸島へはフェリーが連絡していたが、77年4月に平戸大橋が掛かり陸続きになっている。平戸は城下町で、長崎に出島が設けられるまで、オランダなどとの貿易の窓口であった。現在はオランダ商館跡が史跡になっている。

平戸教会はザビエルを記念して昭和6年に建てられたもので、端雲寺から見上げるゴシック様式の教会堂の構図は、寺院と教会が共立する平戸ならではの風景で、観光写真によく取り上げられる。

平戸からバスで30分ほどのところには紐差教会がある。昭和4年に建てられたものだ。丘陵から紐差の集落へ下るバスの車窓から見える白亜の教会堂の眺めは印象的だ。


温泉を訪ねて
近代的なホテルが並ぶ温泉街に洋風建築の外湯がある。今回はそれを紹介しよう。
◎武雄温泉 JR佐世保線の武雄温泉で下車。駅から西へ歩いて10分、温泉街の奥まったところに上部が朱塗り、下部が白漆喰塗、中層入母屋造りの龍宮門があり、武雄温泉のシンボルとなっている。この楼門は大正3年に竣工、設計は唐津出身の辰野金吾である。東京駅など他の多くの辰野式建築とは一風変わった建物である(県指定文化財)。共同浴場はこのなかにある。

◎嬉野温泉 武雄温泉からJRバスで30分ほどで嬉野温泉に着く。バスターミナルから歩いて5分、嬉野川畔に古湯温泉公衆浴場がある。下見板張りの木造二階建ての建物で二階は大広間の休憩室になっている。
嬉野はお茶の産地で付近は茶畑が広がり、近くに「肥前夢街道」というのがある。江戸時代の宿場町を再現した映画村的観光施設である。



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