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漫歩通信
第15号 2003年10月1日発行

この夏、軽井沢へ行って来た。軽井沢といっても信州の軽井沢ではなく
関西の軽井沢
である。奈良県生駒市に軽井沢町があるのだ。

近鉄奈良線生駒駅は聖天さんで名高い宝山寺への最寄り駅。宝山寺へは生駒駅から少し離れた鳥居前駅からケーブルカーが通じている。

このケーブル線は大正7(1918)年8月の創業で、わが国最初のケーブル線である。宝山寺まで二本の線路が敷かれた複線だが、ふだんは片側の路線の車両が上り下りしている。

少し前にケーブルカーの車体を一新、賑やかなデコレーションの車体になった。

鳥居前駅界隈、かつては門前の花街として賑わったらしい建物もいくつか残っている。しかし、今は大阪近郊の駅前という感じが強い。ケーブルカーに頼らず参道をしばらく行くと、次第にきつい登り坂になってくる。

軽井沢町は生駒駅からかなり登った斜面にある町である。近鉄奈良線の北側に広がる新興住宅街などの見晴らしがよい。眺望を売りにして、少々高級感があるようにも思えるが、ふつうの急傾斜地の住宅街という感じ。軽井沢という町名には、それなりの由緒があるのだろうけれど・・・。

軽井沢町からさらに少し登ると宝山寺である。
「生駒の聖天さん」として信仰を集める。般若窟と呼ばれる岩壁を背に建つ宝山寺、もとは役行者の修法の場所とも伝えられる修験者の行場であったらしい。延宝年間(1680年頃)、宝山律師湛海が伽藍を造営、自刻の不動明王を本尊とし、さらに歓喜天を安置する。

宝山寺で忘れてならないのが獅子閣である。明治15年に竣工した木造2階建ての建物で、宝山寺の客殿として建てられたものだ。玄関ポーチに見られる柱頭飾りなど、洋風建築を建てようと丹精込めて木を削った様子がしのばれる。宝山寺お抱えの大工棟梁吉村松太郎の設計施工になるこの建物は、国の重要文化財に指定されている。

ケーブル線で宝山寺からさらに生駒山上に向かおう。ケーブルカーは鳥居前から生駒山上までは直通しておらず、宝山寺で乗り換えとなる。こちらのケーブル線は昭和4(1929)年3月に開業した路線で、途中に梅屋敷、霞ヶ丘の停留所がある。宝山寺には梅屋敷のほうが少し近いようなのだが、乗り降りする人がいるのか、と思えるようなところに駅があって、ケーブルカーは停まる。

生駒山上は「スカイランドいこま」というアミューズメントパークになっている。今は入園料はいらず、遊具に乗ったりするのが有料という施設だ。

ここは戦前から山上遊園地として開かれたところで、名物は高さ36m、東洋一の大飛行塔だった。今ある飛行塔を見ると、鉄骨骨組みのがっしりしているところなど、開業当初から立っているのものかもしれない。

生駒山は西側に広がる大阪平野の夜景を楽しめる人気スポットである。遊園地界隈の稜線には在阪放送局の送信所が並び、ここから尾根伝いの生駒山系縦走ハイキング路が信貴山まで続く。





トラ!トラ!トラ!

今年(2003)のプロ野球、阪神タイガースがぶっちぎりで十八年ぶりにリーグ優勝を飾った。
それと直接関係はないのだが、聖徳太子が寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天の出現を見て建立したと伝えられる「信ずべき山、貴ぶべき山」信貴山朝護孫子寺を訪ねた。

参道には毘沙門天の守護神である寅にちなんだ全長6mという巨大な張り子の寅「大福寅」が飾られている。


大阪から信貴山に向かうには、近鉄大阪線の電車に乗って河内山本で信貴線に乗り換える。難波から電車を乗り継いで40分ほど、信貴生駒山系の山麓の終点信貴山口駅に到着。車体にトラが描かれた西信貴ケーブル線に乗り継ぐ。大阪平野をながめながら7分ほどで高安山駅に運ばれる。

現在、近鉄ケーブル路線のひとつ西信貴ケーブル線の前身は、昭和5(1930)年12月に開業した信貴山電鉄(翌年信貴山急行電鉄と改称)である。さらにこの会社の路線として、高安山から信貴山門まで、2㎞あまりの距離しかなかったが、そこに電車が走っていた。かつては、近鉄(当時は大阪電気軌道であるが)信貴線、ケーブル線、山上の電車を乗り継いで信貴山に詣でることができたのだ。

信貴山急行の路線は、大戦中の昭和19(1944)年、資材供出で休止に追い込まれた。ケーブル線は昭和32(1957)年3月に復活したが、山上の電車線は復活することなく廃止されてしまい、今は高安山駅から信貴山門まで近鉄バスが走っている。バスの車体にもトラが描かれている。

高安山駅前を出たバスはすぐ信貴生駒スカイラインに合流、高安山霊園に寄って終点信貴山門まで約10分ほど。途中には複線断面のトンネルもそのまま転用されていて、緩やかなカーブは線路跡だった道路らしい。スカイラインの料金所を出たところが信貴山門バス停で、当時はこのあたりに駅があったようだ。


山門バス停から朝護孫子寺まで、ひなびた食堂や土産物屋がならぶ参道を歩いて10分ほど。
参道を東のほうに向かうと奈良交通の信貴山バス停がある。バス待合所は、かつての東信貴ケーブル線の信貴山駅舎だ。

東信貴ケーブル線は、近鉄生駒線の前身にあたる信貴生駒電気鉄道が王寺−山下、ケーブル線の山下−信貴山間を大正11(1922)年に開業させたことにはじまる。(昭和2(1927)年生駒まで延長。戦後の昭和39(1964)年近鉄と合併)信貴山への参詣ルートとしてはこちらのほうが先輩なのだが、近鉄生駒線信貴山下駅から延びていたケーブル線は1983年8月末で廃止された。

ケーブル線の廃線跡、その上部区間は「千本桜の並木道」として三郷町の手で10年ほど前に整備されたらしい。信貴山下駅から信貴山に向かって宅地開発が進められ住宅などが建ち並んでいるが、その境界まで林の中の一直線の遊歩道が続いている。しかし、現在、途中の切り通し区間で落石があって、すこし危ない遊歩道になっている。

その先の住宅街ではケーブル線跡は道路になったようで、その痕跡はなく、近鉄信貴山下駅も、ここでケーブルが発着していたなんてまったく感じられない。


暗峠
大阪と奈良の府県境に位置する生駒連山。 大阪と奈良を最短で結ぶ街道が暗峠越え奈良街道。「菊の香やくらがり登る節句かな」の芭蕉の句でも知られる。

かつては奈良、伊勢への参詣人たちが行き交ったことだろう。現在は国道308号線とな っているのだが、峠付近は石畳の道になっている。 1986年に「日本の道百選」に選ばれた。両側に立ち並ぶ民家にもう 少し風情があればいいのだが・・。







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