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漫歩通信
第24号 2006年1月1日発行

日本のへそ−西脇市

西脇市には北緯35度、東経135度が交わる地点がある。いつからその場所を「日本のへそ」と呼ぶようになったか知らないけれど、 その地点の近くをJR加古川線が走っていて、日本へそ公園駅という駅が1985年に設けられた。

昭和8年に発行された鉄道省編纂『日本案内記 近畿篇 下』というガイドブックによれば、【緯度標】として、交点に建立された記念碑のことを紹介している。当時の測量技術で、その位置を割り出したもので、1923(大正12)年に建てられたもの。当時はまだ「へそ」とはいわないまでも、それなりに意味のある地点だったようだ。

ただし、現在は、GPSで交点の位置を割り出したところ、従来の位置とは少し離れた場所に緯度経度の交点があって、その場所には「平成のへそ」というモニュメントが設けられている。

日本へそ公園駅は片面のホームに少しだけ上屋がかかる無人駅だけど、駅前には、西脇市立岡之山美術館がある。

ここは、西脇市出身の横尾忠則の作品を展示している小さな美術館だけど、古代神殿を思わせる円柱が玄関アプローチに並んでいて、何だ?、と思わせる外観をしている。この建物は、1984年に建てられたもので、設計は磯崎新。

美術館は、線路に沿う長細い建物で、アクセントに半円形のベランダが出てある。展示室は2階にあって、四角く区切られた小部屋が並んでいる。また、線路側に瞑想室というピラミッドをのせた円形のガラスブロックの小部屋もあって、幾何学的形状を組み合わせた印象。山側には、アトリエという別棟があって、こちらも展覧会に使われるようだ。

美術館から少し登ったところに「にしわき経緯度地球科学館」がある。1992年に設けられた施設。

南北軸に伸びるアプローチの先に、漫画によくある、目を回したときの顔のような線が描かれた建物が見えてきて、少しあっけに取られる。

設計は毛綱毅曠なのだが、これは、おもしろく見せようとしてやっているのではなく、何か意味ある関数の軌跡を示しているのだろうな、と思える。けど、・・笑える。アプローチの南北軸から中心線が少しふれているのは、磁北との関係を示しているのかな?

その後ろ側に控える円弧状した建物や望遠鏡が載っかった建物がひとまとまりとしてあるのだけれど、真四角な平面の建物ではないようで、壁の向きに微妙な角度がついている。これも考えられた上でのことなのだろう。かなり意味深な建物である。

ここでは、簡単なプラネタリウムの上映や地球に関する地学的な常設展示や企画展が行われている。また、晴天の日だけだが、時間を決めて昼間でも星が見える大型反射望遠鏡を覗かせてくれる。

玄関左手の広場には、横尾忠則デザインの12星座列柱という愉快な展示や、少し山の斜面上方に「平成のへそ」のモニュメントがある。





来住(きし)家住宅

廃止になった鍛冶屋線西脇駅跡から東へ500mほどのところにある登録文化財になっている住宅である。

地元銀行を起こした来住梅吉氏の邸宅だったもので、母屋は1918(大正7)年に竣工した一部2階建ての建物。1階は中央に廊下をはさんで、南側が接客、北側は家族と完全に分かれた使い方がなされている。2階も北向きの部屋しかとられておらず、いまの住宅とはまったく設計思想が異なっている。

南側の座敷の書院、床の間、天井などには銘木がふんだんに使われ、木彫家市川周道の手になる欄間がいれられている。渡り廊下でつながる離れには、座敷棟と客湯殿・化粧室棟があって、座敷は母屋同様銘木が使われ、また欄間には蝙蝠の彫り物などがある。また、浴室には、イタリアから輸入したタイル、大理石が使われている。まさに贅を尽くした住宅である。


西脇市立古窯陶芸館

JR加古川線西脇市駅から西側山手のほうへ1.5kmほどはいった、緑風台という新興住宅地の外れにある。

この施設は宅地開発のとき発見された平安時代の窯跡の保存と展示、それに陶芸創作の場として設けられた施設。1982年の竣工で、設計は渡辺豊和先生。

建物は、窯跡を被うドーム状の鉄骨造の建屋と出土品などの展示、陶芸創作などのためのRC造の部分からなっていて、それらを全体的に被う格好は前方後円墳のようにも見えるけれど、ドーム部分は、「パンテオン」にこだわる渡辺先生らしさが出ている。





☆☆ 小野の 浄土寺 ☆☆

ここの浄土堂は1192(建久3)年建立されたもので、東大寺南大門と並び国内2例しかない大仏様(天竺様)建築として、教科書的に超有名な建物である。

この付近は、当時、東大寺の荘園で、源平合戦で焼失した東大寺を再建するための責任者となった重源上人が拠点とした寺院である。

 境内には、浄土堂と対面するように薬師堂があり、同じ規模で八幡神社もあって、神仏混淆のなごりを強くとどめている。

浄土堂はほぼ西を背にして建っていて、堂の中心にある須弥檀には仏師快慶の手になる阿弥陀如来と観音、勢至両菩薩の立像がある。如来が530cm、菩薩が370cmの高さであるというからかなり大きい。

建物は、天井を張らず、そのまま柱が高く伸び、貫で固定された梁がいくつも積み重なり、屋根を支えるたる木などがむきだしで、その力強い造形が伝わってくる。南側と西側が蔀戸になっていて、そこからはいる光が、堂内の反射光と一体となって阿弥陀如来を照らし、御来迎の姿を浮かび上がらすわけだ。

ここを訪れるのは、日が傾きかけた夕方、それも晴天の多い夏頃がいちばんいいらしい。晩秋の時期に訪れたのだが、太陽の位置がだいぶ南に寄っていて、あまり光の劇的な効果はなかった。

それでも、本尊をしばらく見ていると、日の傾きにつれて、堂内の柱、たる木などに塗られた朱色の反射光を受けて、本尊に、ほんのり朱がさしてきた。たぶん、もっと西側からの光なら劇的な変化が見られることだろう。







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