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静岡民鉄3路線と伊東線乗り歩き

1984.7.20〜7.21

■[東に向かって]また「青春18きっぷ」が発売される時期になった。今年(1984年)4月に運賃が値上げされたのだが、この企画切符の値段も値上げされるのでは、と思っていたら春に発売された値段と同額の10,000円だった。国鉄(現JR)もやるねえ、と思ったら2日間有効券が1日有効券になりトータルの有効日数が一日減って5日間となっていた。

この「青春18きっぷ」という企画切符は、国鉄の全線、普通列車(快速含む)に乗り放題、というもので、初めて発売された1982年春には、1日有効券3枚と2日間有効券1枚のトータル5日間使用できて料金は8,000円、おまけにワッペンが付いていた。その後、1日有効券が1枚追加され、トータル6日間使用できて値段が10,000円になった。だから、今回の改訂は、発売当初に比べて2000円の値上げなわけだ。

今回の国鉄の乗りつぶし対象路線は、伊東線熱海−伊東間16.9kmである。ついでに、岳南鉄道、伊豆急行、伊豆箱根鉄道駿豆線に足を印そうと思う1泊2日の汽車の旅だ。

大阪から米原行に乗って出発。山科からガラの高校生の悪そうな高校生の一団が乗ってくる。今日が一学期の終業式らしい。遠くに比叡山から比良の山並みを眺めながら、一路、東へ、東へ。

米原8:22到着。23分の待ち合わせで、豊橋行に乗り換える。入線してきた4両編成の電車はみな非冷房車ばかりだった。この暑い時期、非冷房はつらい。今年3月以来の関ヶ原越えである。

あとの接続を考え大垣で下車した。昨年夏にも東海道本線を東進した。このとき豊橋行を終点まで乗り通し、後続の大垣発浜松行に乗り換えたのだが、混んでいて座れなかったのだ。やはり、座るには始発から乗るに限る。しかも、東海ライナーは確実に冷房車だし、禁煙車も繋いでいる。(注:この時期、まだ、中距離電車は全面的に車内禁煙になってなかった。確か運転席のある車両だけが「禁煙」だったと思う)

大垣9:20到着。次の浜松行まで27分の待ち合わせ時間があったので、キヨスクでパンを購入して腹拵え。
大垣9:47発浜松行快速東海ライナーは117系電車で、軽快に愛知県をかけ抜ける。始発から乗ったので席にはありつけるし、冷房は心地よいし。豊橋から各駅停車となって、浜名湖を左に浜松へ。12:05に到着して、ここでの接続はすこぶるよく、11分の待ち合わせである。しかし、電車は非冷房車ばかり。

昨夏、東海道本線を東進したときは非冷房車は一編成に一両くらい繋いでいるだけだった。今年2月のダイヤ改正で運転本数を増やすため、一編成の車両数が減らされいる。他地区から非冷房の余剰車両をもってきたのかもしれない。すこしがっかり。
静岡を経て約2時間、14:12吉原に到着、下車する。

■[岳南鉄道]富士市田子の浦一帯はヘドロで名をはせた一大製紙工場群がある。岳南鉄道は沿線の工場を結ぶ電気機関車が有名である。吉原で国鉄と連絡していて、岳南鉄道の乗り場に繋がる連絡跨線橋が設けられている。その跨線橋のところで、オレンジキャンペーンの特別改札をやっていた。不正に乗り換える人がいるせいか、無札の人から運賃を取るためか。岳南鉄道乗換口にも改札があって、ここでも乗車券を見られた。念のいったことである。

もともと、この路線は駿豆鉄道(伊豆箱根鉄道の前身)が沼津−吉原間の敷設計画を立てていたが、戦争のため中止となった。戦後、岳南地区の工場への貨物、通勤輸送を担うため、その免許を引き継いで岳南鉄道が設けられたのだ。昭和24(1949)年の吉原−吉原本町の開業に始まり、28(1953)年に岳南江尾まで開業している。

吉原から岳南江尾まで走る赤い電車は東急のお古車両。吉原の次が日産前、ここは通過する。吉原本町が旧東海道の宿場があった町の中心である。その先は大昭和などの製紙工場が並んでいる。富士岡あたりまでくると工場も途切れ新興住宅地といった感じ。神谷までくると車掌が切符を回収にきたので記念にもらう。

吉原から約20分、新幹線の高架を抜けたところに終点岳南江尾がある。ヤードには電気機関車が留置されている。南のほうを目をやると駿河湾に沿って植えられている松原が見える。

■[とにかく伊豆へ]暑い日差しのなか、岳南江尾駅から南に向かって歩く。2kmくらいで東海道線にぶつかるはずである。まっすぐ伸びるスーパー農道が整備されており、その両側には青々とした田んぼが広がる。東田子の浦駅の所在は正確にわからなかったが、歩いているうちに国道1号線にぶつかり、線路があって、迷うことなく30分ほどで東田子浦駅にたどり着いた。

このあと、予定では三島で下車して伊豆箱根鉄道で修善寺に向かい、そこで泊り、翌日バスで下田に抜けて、伊豆急行、伊東線に乗ることを考えていた。しかし、歩きながら、今日中に熱海から伊東線、伊豆急行に乗って下田で泊まってもいいなとか、宿泊費を浮かすために折り返して東京に出て夜行大垣行に乗ってもいいな、とかいろいろな考えが浮かんできた。

とりあえず、来た電車は三島行なので、三島まで行き、次の東京行まで30分ほどあるので、駅備え付けの時刻表で、あとの接続など考えながら(時刻表は重くてかさばるから、短期の旅行では持ち歩かないのだ)、そこでどちらに向かうか決めることにした。
で、けっきょく、あとの時間のことを考え、まず、いちばん遠い位置にある下田に向かうことにした。

■[伊東線・伊豆急行]三島から丹那トンネルを抜けて熱海で下車。ちょうど4分の待ち合わせで伊豆急下田行に接続。16:31熱海を発車。伊東までは国鉄線なのだが、伊豆急行の電車が熱海まで行き来しているので民鉄に乗っているような気になる。

伊東線は昭和10(1935)年熱海−網代間の開業に始まり、同13(1938)年伊東まで開通した。それに接続する伊豆急行の伊東−伊豆急下田間は昭和36(1961)年に開業している。

来宮を出るとトンネル、そこを抜けると眺めがよい風景が広がる。真鶴岬、初島、と思うとまたトンネルだ。20分あまりで伊東に到着。すぐに発車するので、国鉄路線を乗り終えたという感慨は薄い。

ここで乗務員が交替して車掌の服装ががらりと変わる。南国伊豆らしくサファリジャケット風の淡いオレンジ色の制服は、見慣れた車掌の雰囲気とまったく違うので違和感をおぼえるが、伊豆の民鉄ならでは、というところか。

伊豆半島東海岸は山が海まで迫っていて険しい地形が続く。伊豆高原という駅名は、海岸沿いを走っている路線から変な感じを受けるが、確かに高原的な風景だ。温泉が湧きだしている河津、いくつもトンネルを抜け、熱海から約1時間半かかってようよう終点伊豆急下田に着いた。

■[下田]宿の予定は何もないまま下田の町を少しぶらつく。駅前の旅館案内に聞くと一泊二食付で7000円だという。5000円くらいでないかと訊ねれば、近くの国民宿舎に行って自分で交渉しろ、とつれない返事。その国民宿舎に行ってみると満員です、と断られた。

しかし、近くの旅館を教えてもらい、「美よし」という宿におさまる。素泊まり3800円のところを3500円にまけてもらった。ふつうの狭い湯船だが、温泉も引かれていて、温泉につかることができた。夕食は宿で聞いた近くの小料理屋「まとい」で1500円の予算で適当に作ってもらった。焼き魚、さしみなどまずまず。

■[伊豆箱根鉄道駿豆本線]バスでたどろうと考えていたが、鉄道に比べて、運賃がかなり高くつくので、来た道を引き返すことにする。6時半頃に宿を出て、伊豆急下田発7:11発熱海行に乗車。1時間半ほどで熱海に戻る。熱海で15分ほどの待ち合わせ。駅前を少し歩いてみると温泉銭湯があった。ただし午後3時からで、それまで待てない。

熱海9:03発の電車に乗車。丹那トンネルを抜けて三島で下車。修善寺行まで時間もあったので駅前のカフェテラス「ひまわり」でアイスココアを飲みながらパンをかじって朝食とする。
三島10:12発修善寺行に乗車。三島の町並みを出はずれると狩野川沿いの平野部を坦々と走る。山がすこし迫ってくると終点修善寺に到着。所要は約30分。

この伊豆箱根鉄道駿豆本線は、歴史のある路線で、豆相鉄道として明治31(1898)年下土狩−南条(現伊豆長岡)間を開業したことに始まる。翌年には大仁まで延長された。下土狩は現在御殿場線の駅であるが、丹那トンネルが開通するまでは、そちらが本線だったのだ。昭和9(1934)年の丹那トンネルの開通で、路線は現在のように三島発着になった。大正13(1924)年に修善寺まで延長されている。伊豆箱根鉄道と改称したのは昭和32(1957)年のこと。

修善寺駅前の雰囲気は温泉街という感じがすこしもなく、少し離れたところに温泉街があるのだろうと歩き始めると、温泉街まで30分くらいかかってしまった。途中で昭和51(1976)年まで営業していたロープウェイの駅が、廃屋になっているのを発見した。温泉銭湯のような施設はないらしく、温泉が涌きだしているところで手をひたしただけで駅に戻る。

■[帰路]修善寺から三島に戻り、駅前の中華料理屋で昼食を取ったあと、三島13:49発浜松行電車で東海道本線を西進する。静岡あたりの車両編成には必ず禁煙車が繋がれているのに冷房車がない。去年あった車両はどこへ行ってしまったのだろう。

三島を出るころには激しい夕立に見舞われたが、しばらくすると上がった。田子の浦あたりでは悪臭が車内まで流れこんできた。
順調に走っていた電車が静岡の手前、草薙駅で突然ストップ。島田駅のポイントが故障してこの先電車がつまっているとの車内放送。2、3分の遅れで草薙駅を出たものの、静岡では定刻を20分も遅れて発車した。

この電車、浜松での次の電車への接続時間は4分しかなく、これを逃すとあとの接続の関係で、大阪に帰り着くのに1時間遅くなってしまう。すこし、焦る。
遅れはそのまま持ち越して、案の定、浜松では下り電車に接続しなかった。比較的本数が多いから、1本くらい乗り遅れてもいいだろう、というところか。しかし、長距離をこうやって乗り継ぎ、乗り継ぎで旅行している者にとっては、1本乗り落とすことは計画が大きく崩れ、あと大変なことにもなりかねない。

といっても、仕方がない。次の電車まで30分ほど時間ができたので、改札を抜けて遠州鉄道を見にいった。
遠州鉄道は、駅前の新浜松駅から東へ東海道本線に沿うように走って遠州馬込駅に行き、そこでスイッチバックして西鹿島方面へと向かう。明治42(1909)年開業の大日本軌道浜松支社から繋がる遠州鉄道の改廃の歴史によって、このような変則的な線形が残ってしまったのだろう。(注:この変則的な線形は、昭和60(1985)年新浜松−助信間をまっすぐつなぐ高架線が新設されたことで廃止された)

浜松17:09発大垣行に乗車。このまま約1時間遅れで乗り継いで帰ろうかとも考えたが、大阪まで5時間以上かかることを考えると、遅くなりすぎる気がしたので、名古屋から京都まで新幹線を奢ることにした。「青春18きっぷ」では特急に乗れないから乗車券と自由席特急券の計4200円は別払いとなる。久々に乗りつぶしのキロ数も増えたことだし、よしとしよう。



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