このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

レールは続くよ どこまでも



・はしがき
これは<<乗りつぶし>>の記録である。

1983年3月、筑肥線は福岡市営地下鉄乗り入れのため、一部区間の廃止の見返りに電化されて、また新たに虹ノ松原−唐津間をショートカットする新線が開業することになった。これにあわせて、この新線の初乗りと九州に残るローカル線を中心とした未乗区間の全線を片づけることにした。

そして、そのあとすぐ東に転じて、房総の各線や真岡、烏山、日光、足尾といった北関東のローカル線を片づけて、ようやく2万キロの大台に到達した(新幹線は含まず)。日本全国、国鉄(当時)の未乗区間は、これで1000キロを切ったのだった。

----国鉄全線踏破をめざして----

----そして、国内鉄道全線踏破をめざして----


・目次
----国鉄全線踏破をめざして----


----そして、国内鉄道全線踏破をめざして----



宮脇俊三の『時刻表2万キロ』(河出書房新社)が出版されたのは、1978年7月であった(80年に河出文庫、84年に角川文庫として出ている)。これは、当時、「中央公論」の編集長だった著者が国鉄全線完全乗車するまでの記録がおさめられている。著者はこの記念すべき第1作で日本ノンフィクション賞を受賞、その後、数多くの鉄道紀行本を世に出し、鉄道旅行エッセイストの第一人者となられた。

また、国鉄、富士写真フィルム、弘済出版社(現交通新聞社)による「いい旅チャレンジ20,000km」という企画が、1980年3月から10年間という長期にわたるイベントとして行われたが、この本の影響するところだろう。

前段の<<国鉄全線踏破をめざして>>は、『時刻表2万キロ』を真似して、宮脇さんの著作にある鋭い批評眼もそこはかとないユーモアも、たぶん書けてないと思うけれど、同じもくろみで全国各地をまわった記録を自分スタイルでまとめたも。

後段は、さらに、国内鉄道路線の全線踏破をもくろんだ記録で(いまだに、はたせず、継続中なのだが)1989年までをまとめた。

1980年代は、各地の赤字ローカル線が次々に廃止され、国鉄はJRになった時期にあたる。当時書き残したメモを手がかりに、写真なども添えながら、その時代の一断片でも書き残せたらと思う。


(注)ここに記載された乗り物の時刻や運賃、料金等は、旅行当時のもので、現在とは違っている場合があります。また、路線の改廃等、注釈を加えたところもありますが、旅行当時の状況に基づくものです。そのつもりで、笑覧下さい。


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