このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
民鉄落ち穂拾いと荒船越え 1986.8.14.〜8.16. [名鉄乗り歩き]先月に引き続き、大垣発東京行夜行に乗るまでの間に名鉄の未乗区間の乗り歩きをしようと思う。大阪から米原、大垣で乗り継ぎ名古屋へ、今回はまず小牧線を乗り終えようと思う。 名鉄小牧線の起点上飯田駅は名古屋市北区に位置しているが、バス以外ほかの交通機関とは離れた位置にある。最寄り駅は名古屋市営地下鉄平安通駅であるが、そこからでも1kmほど離れている。国鉄からだと中央本線大曽根、新守山両駅から2kmほどの距離がある。この駅はもとからこのように離れていたわけでなく、かつては市電が接続していた。将来的には地下鉄7号線が接続する計画があるらしい(いつのことか不明だが)。(注:上飯田連絡線平安通−上飯田間は、2003年3月27日開業した。) 今回は新駅下車をかね、名古屋で中央本線に乗り換え新守山で下車した。約2km、30分もあれば歩ける距離だと考えていたのだが、道は一本道でなく、近道をしようとへたに狭い道路に入ると、あとで抜けられないと困るので、確実な道路を遠回りしたせいもあってかなり時間がかかってしまった。予定していた電車に乗らんがために、最後にはかけだし、やっとの思いで上飯田駅にたどり着いた。 沿線は住宅地、ところどころに畑、田んぼも残っている。途中に春日井というちっぽけな駅があった。中央本線にある春日井のイメージが強いので意外な感じがしたが、地図を見るとこのあたりが春日井市春日井町なのである。 名古屋空港はこの春日井から牛山にかけての西側1kmほどのところに広がっている。時おりジェット機の爆音が響いてくるくらいで、小牧線に乗っていても空港に近いことを感じない。もともと空港連絡はバスに頼っており、小牧線はその役割を担ってないのだろう。 小牧付近から山の上に天守閣をかたどった建物が見える。その山が小牧山で、戦国時代、織田・徳川といった武将が陣を張ったところだ。 羽黒駅は昨年(1985年)10月、明治村口駅からもとの駅名に戻された。明治村へは、かつてこの駅からバスが連絡していたが、犬山からの連絡になったためである。1978年4月明治村を訪れたさい、ここで下車しており、バスターミナルであった駅のおもかげが少し残っていた。 犬山で乗り換え犬山遊園でいったん下車する。ここから名鉄のモノレール・モンキーパーク線が出ている。出札窓口で「動物園」までの切符を購入しようとすると、「入場券は」と聞かれた。モノレールに乗るだけだ、というと「帰りはどうする。往復するのならここで買って行け」という。往復するかどうか終点まで乗ってから考えるつもりだったのだが、はたして終点の動物園駅はどうなっているのだろう。まさか、国鉄鶴見線の海芝浦駅みたいにどこにも行けないような駅なのだろうか。とりあえず片道だけでよい、というと片道だけの切符を売ってくれた。 午後3時頃だというのに、モノレールはこれから動物園に向かう家族連れなどでけっこう賑わっていた。夏休み期間中は遅くまで開いているのかも知れない。 モノレールは犬山遊園駅を出ると山をまわりこむように走る。犬山市街の展望がよい。次が成田山で、約4分で終点動物園に到着した。 いちばんに出口に向かい駅員に切符を渡して改札を抜けようとすると、 「お客さん、入場券は?もってないんならここで買って下さい」 といわれた。あたりをよく観察すると、駅員がいた集札口は犬山自然公園の入口で入場者の改札を兼ねていたのだった。駅員がいたので、出口と勘違いしてしまったのだ。 「出口はないんですか」 と尋ねると、「そっち」と指差す。出口があったことにほっとし、そこから退散した。 出口はモノレールの進行方向、木曽川のほうへ山を下るように伸びている階段まじりの小道であった。こんなところがモノレール駅の入口とはとうてい思えないようなところに出た。動物園側からモノレールの初乗りをしようとしたら、たぶんたどり着けなかったんじゃないという気がする。 ここから犬山遊園駅も犬山駅も距離的に大差がないので犬山駅をめざす。駅前にスーパーのユニーがあるのでそこの広告塔を目標に歩を進める。 犬山から次に広見線に乗る。沿線は田園地帯。国道41号線の高架をくぐり、トンネルを抜けると岐阜県にはいる。可児川駅付近には大きな工場がある。日本ライン今渡は、木曽川下り最寄駅、草ぼうぼうで廃線跡と見間違えそうな太多線をオーバークロスして新可児駅に到着。この駅は、可児町が市制をしくとき、市の中心駅として新広見から新可児に改称された(1982年4月)。太多線の可児駅と隣接している。 進行方向を逆転し、田んぼの中を東へ、名鉄の末端ローカル線に進んでいく。まず、八百津線に乗るべく明智で乗り換え。この駅も可児駅の改称と同時に伏見口から改称された。 八百津線の特色は1984年9月からレールバスを運行していることだ。もともと電車が走っていた路線だが、レールバスのほうが効率的な線区として最初に導入したのがここで、その後、1985年3月から三河線猿投−西中金間もレールバスに置き換えられた。 八百津線は木曽川に沿う山間を走る。兼山ダムにせきとめられ水量が多い。八百津の街並みは駅から川を渡った対岸にある。「港」というバス停があった。かつて木曽川水運の町だったことがしのばれる。(注:名鉄八百津線明智−八百津間は、2001年9月30日限りで廃止された。) 八百津からいったん明智まで戻り、こんどは御嵩に向かう。御嵩は中山道の宿場町である。町を散策すると、そう多くはないが、宿場町のなごりをとどめる建物が見られる。駅前には願興寺、別名蟹薬師と呼ばれる寺院がある。 御嵩から新可児まで戻り太多線に乗り換える。大垣発東京行の夜行に乗るので、可児駅で「青春18きっぷ」に明日の日付を入れてもらおうとしたら断られかけた。最近、国鉄窓口業務のサービスも昔に比べてよくなってきたなという気がしていただけに残念。日付スタンプを捺すくらいなんでもないことなのに、窓口氏と一言二言いいあうだけで気分が悪くなる。利用者の要望に応じる、お客さま本位ということを忘れないでもらいたいものだ。 美濃太田で高山線に乗り換え岐阜を経由して大垣へ。3週間前に比べ東京行を待つ人の列の長さは倍くらいに増えている。夕食をゆっくり取る余裕がなく、駅で立喰いそばで間に合わせる。 [関東鉄道龍ヶ崎線]大垣から夜行東京行に乗車、一夜明けて横浜、川崎を過ぎ、品川の手前で京浜東北線の電車を追い越すのを見て品川で下車。東京まで行くと、降りる人が多くて下車、乗り換えに手間取ると乗り継ぎがでうまくできない恐れがある。そこで先手を打ったわけだ。 上野で乗り換え常磐線の下り一番に乗り継ぐ。我孫子あたりまで住宅がひしめいている。利根川を渡り取手、ここを過ぎると電化の方式が直流から交流に変わる。上野から約45分で佐貫、このあたりまでくると田んぼ、畑も増えてくる。 昨年(1985年)の年末に関東鉄道を乗り歩いたが、冬の日の短さのため、龍ヶ崎線を残念していた。まず、乗り残したこの線から片付けよう。 関東鉄道はディーゼルカーしかないが、ここもそうである。佐貫−龍ケ崎間 4.5㎞、途中に入地ひと駅というミニ路線。歴史は古く明治32年11月に開業している。明治29年12月に今の常磐線が開業しているが、その路線から龍ケ崎がそれたため敷設されたのである。 列車はワンマン運転、しかし運転手は集札・料金受け取りをしない。入地だけが無人で、両端駅に駅員が配されているからだ。沿線は田んぼ、畑の真っ只中。北側には常陸台地が迫っている。 終点龍ヶ崎まで乗って、帰りは入地まで歩いて、そこから佐貫に戻った。これで龍ケ崎線3駅すべてに乗り降りしたことになる。 [越谷へ]朝一番の電車から乗り歩きを始めているので、佐貫に戻ってきてもまだ午前7時前だった。お盆休み期間中のせいか、上り電車はそれほどの混み方ではない。 何が起こったのかわからなかったが、柏には定刻より18分ほど遅れて着いた。ここで各駅停車に乗り換え。常磐線の複々線区間は快速線と各停線は別々の複線なので、乗り換える場合はいちいち跨線橋を昇り降りしなければならない。 常磐線の各停は北千住から営団地下鉄に乗り入れる。柏駅ホームで電車を待っていると、千駄木駅構内で人身事故があって、地下鉄千代田線が不通、現在、北千住で折り返し運転を行っている、と駅の案内放送で告げていた。ダイヤの乱れはこの事故に起因しているのかもしれない。武蔵野線と接続している新松戸まで行ければいいので事故のことは気にならない。 新松戸で武蔵野線に乗り換える。前回このあたりを乗ったのは1980年8月のことで、ちょうど6年前だ。当時沿線の各駅周辺もさほど大きなビルが目に付かなかったが、今回乗ってみて建物も増え、街が広がってきていることを感じる。通勤時間帯とあって東西方向にけっこう人が流れている。ふだんならもっと多いのにちがいない。 新松戸から約18分で南越谷に到着。東武鉄道新越谷駅は隣接している。武蔵野線の南越谷駅開業にあわせて設けられた駅だ。 [東武鉄道]春日部あたりまで住宅が尽きることがない。その先になると田んぼが見られるようになる。久喜は東北本線のとの接続駅。 羽生を出ると利根川を渡る。館林を過ぎ、いったん足利市まで北西に進んだあと、南西に向きを変え、太田市からほぼ西に進む。伊勢崎まで行く電車は1時間に1本の割り、そのせいか車内は郊外に行ってもすく気配がない。お盆という時期が影響しているのかもしれない。 伊勢崎で両毛線とは6分の待ち合わせで接続、高崎に向かう。 [上信電鉄]高崎ではまず駅前のスーパーへ食糧の買い出しに出かけた。いろいろ物色しているうちに電車の時刻が迫り、上信電鉄の乗り場に駆け込んだ。駅は国鉄と共用しているが、上信だけの改札口もある。電車はロングシート、座席がすべて埋まるくらいの混み方。 上信電鉄の開業は明治30年9月下仁田まで全通している。明治5年に設立された富岡製糸所のある富岡はこの沿線では大きな街だ。最近では富岡郊外にサファリワールドができたりして観光路線でもある。 高崎を出ると上越新幹線の高架下あたりを南へ、利根川支流の鏑川に沿って西に向かう。天気がいまひとつで山々が靄っていた。妙義山の山容もはっきりしない。 次第しだいに山深く入っていく。終点下仁田はネギとこんにゃくの町として知られる。ここは妙義、荒船、中之岳などへのハイキングの起点でもある。天気がよければ奇岩に満ちた山々が見られるのだが、きょうはいまひとつだ。 [荒船越え]下仁田駅前から市野萱までバスが通じている。バスは小型のものだ。鏑川の支流西牧川に沿ってますます山間にはいっていく。長野県佐久市に向かう国道 254号線だ。小さな集落で少しずつ人を降ろしながら約30分で終点市野萱に到着した。終点まで乗っていたのは独りだけだった。 ここから神津牧場へ通じる山道はハイキング路となっている。神津牧場はわが国牧場の発祥の地といわれるところだ。ゆっくり登り始める。途中の屋敷という集落までは自動車がはいれる幅があるが、そこから先は山道、自動車も通らなければ、ほかに歩く人もいない。セミの鳴き声以外何も聞こえない。しばらく山道を登ると、ときおり家族連れが山から下ってくるのに出会う。 天気は曇りがち。山々は靄っている。しばらく歩くうちに汗がどっと流れる。湿度が高く、雨でも降ってきそうな空模様だけに焦る。 市野萱から登ること1時間半たらずで神津牧場にたどり着いた。牧場といっても今は観光牧場となっており、動物たちとふれあう施設や宿泊所がある。ここへの足は徒歩以外自家用車に頼るほかないので、『時刻表』には馴染みのない観光地である。 ここからは自動車の通る道を歩けるが、情緒がないのでさらに山道にはいった。しかし、登りがきつく、これなら車道を歩くべきだったと思ったが、引き返す気にもなれずそのまま歩き通す。やっとの思いで妙義荒船林道に出た。有料道路であるが、舗装もされてない標高1250mあたりを走る道路だ。内山牧場のあたりは別荘地になっている。しかし、実際に建物が建っている区画は少ししかない。 内山牧場には寄らずに初谷鉱泉への谷を下って行く。『時刻表』1981年4月号によれば、内山牧場までバスが入っていたのだが、翌年の『時刻表』には初谷鉱泉までに短縮されている。利用者があまりいなかったのだろう。 林道から約2km下ると初谷鉱泉がある。初谷沢の木立に囲まれたところに鉱泉宿の建物が建っている。お盆休み期間ということで訪れた人たちの自動車がたくさん停まっている。バスはここまではいらず、さらに1kmほど行った国道筋にバス停があった。市野萱から歩き始めて約3時間あまり、やっとの思いでたどり着いた。次のバスまで1時間ほどあって、バス停でのんびり待つことにする。 しばらく待っているとバス停そばの家からお爺さんが、お茶でも飲みなさい、とお茶うけに小豆を煮たのを小皿に盛って持ってきてくれた。とても美味しいものだった。 雨が降りそうな空模様のなか、最終バスで佐久市に向かう。佐久市の中心中込駅前は再開発されたと見え、真新しい都会的な商店が並ぶ。佐久あたりは夏祭りらしく、午後7時過ぎ、小雨がぱらつくなか花火が打ち上げられ始めた。 中込駅前付近で宿を取ろう思っていたが、どこもいっぱいで仕方なく小諸に向かうことにする。中込駅構内には「ヨ8000」を改造した展望列車「八ヶ岳」号が停まっていた。夜空に広がる花火を車窓から眺めながら小諸へ。 小諸でも駅付近にあるBHはいっぱい。たまたま駅前にサウナ&カプセルホテルがあったので、BHに泊まることを諦め、ここにお世話になることにした。宿代といっしょにサウナ代も取られたが、これ以上汗をかく気にもなれず、ふつうのカプセルホテルではシャワーくらいしかないが、大きな湯槽につかれることで満足して、早々に寝た。 [小諸]翌朝、小諸城址へ立ち寄った。1978年12月に訪れて以来。当時は無料で城址にはいれたが、今は城址内にある藤村記念館などの入場料とセットにした料金の有料の施設になっている。ただし、記念館などが閉まっている早朝、夕方には無料開放されている。 [信越・篠ノ井・中央西線]1978年9月以来の小海線に乗ってみたかったのだが、あと塩尻での接続が悪いので、信越本線を長野に向かう。 篠ノ井で乗り換えてもよいが、始発から乗るためにいったん長野まで行く。「青春18きっぷ」なので気にしないで乗り越せる。川中島と長野の間に安茂里駅がある。1985年3月に新設された駅だ。 長野で松本行に乗り換える。篠ノ井線に乗るのは1982年5月以来、ただし上り電車に乗るのは初めてである。稲荷山を過ぎ上り勾配にかかる。姨捨はスイッチバック駅。冠着トンネルを抜けて突然展望が開けるほうがドラマチックだが、姨捨付近から眺められる善光寺平の展望はいつ見ても素晴らしい。 篠ノ井線には潮沢(うしおざわ) 、羽尾(はねお) 、桑ノ原のスイッチバック信号所が三ヶ所ある。このうち明科−西条間に新たにトンネルを掘っているのが車窓から見えたので、スイッチバック信号所は廃止されることになるのだろう。(注:1988年9月10日新線開通。0.7km短縮) 松本で中津川行に乗り換えた。車内はほぼ座席が埋まるくらい。よく乗っている感じだ。中央西線に乗るのも久しぶり。 中津川でいったん下車。駅前のダイエー系スーパーで食糧調達。そして名古屋に向かう。名古屋からは臨時米原行があったが30分も待たねばならず、その前にあった大垣行で先行、車内で涼むことにした。 電車を乗り換えるたびに自販機から冷えた飲み物を購入していた。大垣でも買ったのだが冷え方が充分でない。はけるのが早すぎて冷えないのだ。 大垣で乗り継いだ臨時米原行がお盆時期に動いたおかげで、米原では予定より一本早い電車に乗り継ぐことができた。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |