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北に向かって

1989.4.28.〜5.4.

[北に向かって]特定地方交通線として国鉄(現JR)から廃止対象としてあげられたなかで、第一次40線区は、バス転換、第三セクターへの移管を昨年(1988年)のうちに完了したが、第二次31線区のうち、最後までもつれた北海道の4線(天北線、名寄本線、池北線、標津線)も、けっきょく廃止で合意され、池北線が第三セクター「北海道ちほく高原鉄道」として生まれ変わるほか、他の3線はバスに転換されることになった。当初、3月末で廃止の予定が、ひと月ほど延び、標津線が4月29日まで、天北線、名寄本線が4月30日まで運転されることになった。また、池北線は6月4日から第三セクターに移管される。

こんな情況から、4月28日に東海道線夜行で旅立てば、標津線には乗れないものの、名寄、天北線の2線区の最終日に乗ることができる。そのついでに昨年(1988年)12月に開業した札幌市営地下鉄の新線や今年(1989年)4月に全通した秋田内陸縦貫鉄道に足を印すことにしよう。

青函トンネルが開通した昨年(1988年)は、青函トンネルを抜けるためだけに北海道に行ったのだが、今年もまた北海道に出かけることにする。少し変化をつける意味で、出発前日、快速「海峡7号」の座席指定券を購入しておいた。昨年は盛岡から「はつかり」で函館入りしたのだが、快速「海峡」の席を押さえておけば、上野発「やまびこ」、盛岡発「はつかり」の定期列車とは別に数分遅れで出る臨時列車にまわれば、充分座席の確保は可能なはずで、青森で遅れて到着しても座ることができるわけなのだ。

[函館へ]今年の3月13日ダイヤ改正で時刻に若干変動があったものの、東京行夜行が健在なのはうれしい。新快速米原行に乗車。能登川あたりまで、かなり人が乗っているが、しだいにすいてきた。

米原から岡崎行に乗り継ぎ、大垣で下車。東京行夜行に乗り換える。「青春18きっぷ」の季節でないので、始発からはそんなに込まない。名古屋−岡崎間あたりは通勤帰りですこし混雑するが、そのあとは1ボックス二三人だ。

いつのまにかウトウトする。気がつくと「金払っているのに席に座れないとはどういうことだ……」とかなんとかわめいている酔っ払いが通路を行ったり来たりしていた。静岡から乗ってきて、富士か沼津で下車したようだ。

ふたたびウトウトするうちに大船をすぎ、少しづつ夜が白みだしてきた。東京4:42到着。最後尾の1号車からだと南通路が近い。大急ぎで階段を駈け下り、京浜東北線の大宮行に乗り換える。上野で下車して新幹線改札口へ。まだ午前5時頃だというのに、すでに、10人ほどの列が3本もできている。昨年より多そうな感じ。これからまたまだ列は伸びていく。通常は、5時半から改札が始まるのだが、人の列が長くなってきたので、10分ほど繰り上げて改札の開始。改札を抜けると、地下4階の新幹線ホームへ駈け下る。

まずは、6:00発「やまびこ61号」の自由席の席にありつく。2分後には「やまびこ31号」も出るが、発車時刻がせまる頃には、自由席車両は立ち客も多くなり、指定席車両の通路を開放する(自由席特急券を持っている人は本来指定席車両に入ることができないが、多客時は通路のみの使用を認めるというもの)との案内放送もなされた。

「やまびこ」は一路、北へ、北へ。
盛岡到着5分くらい前に、おもむろに席を離れ、次の乗り継ぎの準備を始める。この呼吸を誤ると席を失うことになる。駅に到着する前になると、乗り継ぎ列車の案内がなされるが、その前に乗降口のドアの前に立つのがポイント。到着してドアが開くなり、在来線ホームに駆け出すわけだ。もちろん、そのためには、乗り換え列車の停車ホームを事前に頭に入れておいたりする必要もある。

ホームを駆け抜けた甲斐あって乗り継ぎの「はつかり」自由席は楽々席を占めることに成功した。一息ついたときには、乗り換え客で車内はすぐいっぱいになった。4分あとに出る臨時「はつかり81号」は、まだ席が空いています、の案内放送も流された。すでに、その次の函館行「はつかり」の自由席を待つ列も延び始めていた。

岩手山を左に見ながら「はつかり」は一路、北へ、北へ。
青森11:46到着。「海峡」の指定席を確保しているので慌てない。といっても、多客時で青森で下車するのに時間をくってしまった。乗り継ぐ「海峡」の停まっているホームに移ると、拍子の悪いことにこのホームには駅弁屋が出ておらず、隣のホームまで駅弁を買いに戻ることになってしまった。けっきょく、余裕をもって乗り継ぐつもりが、駅弁抱えてホームを小走りするはめになってしまった。

快速「海峡」は電気機関車が牽引する客車列車。50系客車をもとに座席をリクライニングシートに改造したもの。そのため、窓の位置と座席の位置がずれているところがあり、そこに座ることになると、車窓風景が全く楽しめない。まあ、トンネルを走る分には関係ないが。

陸奥湾に沿った寂しげな津軽線を北上、蟹田でJR東日本の乗務員がJR北海道の人と交替する。前後の戸口上の電光掲示板が機能し始め、JR北海道のCMが流れる。そして、青函トンネルの断面図があって、通過地点を示すランプが順々に点く仕掛けになっている。それと掲示板には、トンネル何km地点で、海面下何mかが、5kmごとに表示されるようになっている。
12:52頃青函トンネルにはいった。通過するのは、昨年に次いで二度目。この列車は途中の吉岡海底駅に停車する列車だ。次第に深くもぐっていく様がわかる電光表示の下で記念写真を撮る人が多い。45分くらいかかってトンネルを抜けた。北海道である。

青函トンネル通行証明書付オレンジカードを車掌が売りにきたので、記念に買い求めた。オレンジカードは別の機会に使えるので、余計な負担ではない、
北海道に渡ってから、快速「海峡」は木古内に停車したあと、単線のため途中二三度行き違い列車の交換待ちをするほか函館まで停まらない。函館湾ごしに函館山や市街地を遠くに眺め、ようよう14:47函館駅に到着した。

[函館]北海道に着いてやることは、キオスクで道内時刻表を購入することから始まる。「海峡」には札幌行「北斗」が接続していたが、いったん途中下車し、函館の洋館を見てまわることにする。

駅から函館山のほうに向かうと朝市会場がある。電車通りのひとつ西側の通りに日魯ビルがある。外壁を臙脂色に塗り直しているいるのであまり古びは感じられないビルだ。ユニオンスクウェア(旧函館郵便局)の煉瓦造の建物は観光名所になっている。四角い電柱のそばにあった建物−一位物産ビル、昨年(1988年)この電柱をいれて写真を撮っており、ビルの名前を控えてなかったので、今回確認しようと思っていたのだが、このビルは昨年秋頃に取り壊され、新しいビルの工事が進められていた。

電車通りに出てドック前電停のほうに向かうと、エビス商会、ジャックス、ニューハコダテホテル、恒産ビルなどの近代建築が残っている。適当な坂道を登って、ハリスト正教会(昨年は改修工事が行われ、建物全体が工事シートで覆われていた)から函館公園に向かった。この公園のなかには、郷土博物館や図書館がある。ちょうど、函館付近は桜のシーズンで(かなり散っていたが)、あちこちで花見の宴の酒盛りをやっていた。
そのあと、電車通りに戻り、ホテル中央荘、商業会議所ビルなどを眺めながら駅に戻った。

16:30頃ホームに上がるとすぐに17:00発札幌行「北斗」が入線してきて、楽々自由席に座ることができた。
函館本線に乗るのは約4年ぶり、1985年8月にバス代行でしか乗ってない富内線に乗りにきて以来。あのときは、当時の国鉄全線を乗り終えた記念すべき夏だった。見る角度により姿をいろいろ変える駒ケ岳を右手に眺め、寂しげな風景が続く噴火湾にそってひた走る。長万部を過ぎ、いくつかトンネルを抜けるうちに日も落ちた。千歳空港で、ジェットでやってきたらしい人たちでどっと混雑。20:38札幌駅に到着。駅は高架になっている。すでに夜行列車を待っているらしい人の列ができつつある。

[札幌(その1)]札幌駅は平地にあったホームの北側に高架を作って移した。そのため、今まで駅からすぐに入れた地下街へ行くためには、旧ホーム跡地に設けられた長い通路を歩かねばならない。現在の高架ホームは、北側ホームが仮設で、これから南側に増設されることになるらしい。高架駅になったとはいえ、駅周辺含め過渡的である。

地下街で早々に夕食を済ませ、21時過ぎにホームに戻る。乗る予定は夜行「大雪」。待つ人の列はまだ数人で、充分席にありつける。しかし、まだ二時間ほどの待ち時間がある。となりのホームの夜行「利尻」を待つ列はこちらの倍くらいの長さになっていた。
22:15頃入線してきた「大雪」、寝台車転用の座席車に腰を落ち着ける。夜行「大雪」、札幌駅を22:50発車した。

[名寄本線]午前3時半頃、丸瀬布を過ぎたあたりで下車するぞと体にいいきかせる。なにしろ遠軽到着3:58なのだ。遠軽で下車。もちろん、本日は名寄本線の最終日なので、「大雪」から乗り換える人がすこぶる多い。

すでに駅舎内も人で混雑。名寄本線のいちばん列車は、4:40発なので、まだ30分ほどある。眠気覚ましに、ほんのり明るくなりかけた町を歩いてみる。ところどころに雪の塊が残っている。電光掲示によると気温は4℃、冬のような温度だが、それほど寒いとは感じない。

遠軽4:40発名寄行は一両だけの編成。日曜日のため、最終日に乗りにきた中高生が多い。発車したときには、立ち客も多かったが、駅員のいる駅ごとに手分けして下車して行く。入場券などをお互いに買いあっているらしい。この列車で名寄まで乗り通しても、接続がないので、途中、紋別で下車することにした。

次の列車までの間、すこし町を歩く。『近代建築総覧』に北海道拓殖銀行紋別支店が載っていたので見にいってみると、すでに新しい建物に建て替わっていた。ほかにおもしろい発見はなかった。

紋別6:49発名寄行に乗る。これも一両だが、座れた。ふだんに比べて乗客は多いはずだが、やはり廃止される線区ではある。
興部から名寄に向かうかなり多くの人が乗ってきた。ふだんから利用している人なのか、この込み具合に驚いている。車掌は廃止記念グッズのオレンジカードを売り歩いている。駅でも貝殻キーホルダーなど、廃止記念品の数々が販売されていた。

名寄8:51到着。ホームでは高校か中学校の楽隊が出て、廃止記念列車の出発式に備えている。
稚内行の「礼文」を迎えに、いったん士別まで行くことにする。

[天北線]士別9:22到着。稚内行「礼文」を待つ間に、旭川のBHを予約しておく。稚内からふたたび夜行列車に乗るという手もあるが、天北線の最終列車を見送った人たちで込むのは必至、車中泊が続いているので、折り返しの「礼文」で旭川まで戻りゆっくり寝たほうがよいと思えた。

やってきた稚内行「礼文」は通常の二両編成のあとに、音威子府で切り離し、天北線の列車725Dに併結される増結車が二両繋がれていた。この編成に乗ると、そのまま天北線に入るので乗り換えの手間いらずだ。車両はキハ54。天塩川に沿って北に向かう。

約一時間、10:44音威子府に到着した。増結車を切り離し、725Dに連結される。駅では天北線の廃止記念グッズ、オレンジカード、入場券などの販売のため駅員総出、テントを建てて頑張っている。

音威子府を発車して約一時間、中頓別駅で廃止記念列車と行き違いをする。列車は記念ヘッドマークを掲げたDLに牽引された客車列車。「利尻」の間合い運用のようだ。写真を撮る人たちが線路沿いに並ぶ。

こんな感じで、列車は若干遅れ気味。浜頓別では少し停車時間があったので、せっかくだから記念に入場券を買っておく。
ここから先、稚内まで、クッシャロ湖、サロベツ原野の寂しげな荒野を行く。北海道らしいとても印象的な風景だ。列車からながめられるのも今日で最後。
鬼志別駅で上り「天北」と行き違う。最後の「天北」である。また、線路沿いにカメラの列ができる。5月1日からは宗谷本線経由の「宗谷」になる。

稚内14:44到着。1982年3月以来、約7年ぶりだ。昼食を取る間もなく列車に乗り続けていたので、駅前のラーメン屋にはいってラーメンをすする。折り返しの「礼文」を待つ間、旧稚泊航路の岸壁などを見にいく。

稚内16:06発「礼文」で旭川に向かう。南稚内を出ると熊笹の生い茂った海岸に近いところを走る。海の向こうに雲に覆われていたが、利尻富士が見えた。何度かここを通っているが、山を見たのは初めてである。
旭川19:57到着。駅構内の日本食堂で早々に夕食を済ませ、駅前のBHへ。ぐっすり眠ることができた。

[富良野線]午前6時過ぎホテルを抜け出して、旭川駅前付近を少し歩いてみる。駅前の通りを「買物公園」として整備されたときはかなり斬新な試みだったらしい。しかし、今ではもっと洒落た買物通りが各地にできており、少々陳腐化してしまった感じ。

旭川6:56発富良野行に乗る。ゴールデンウィークとはいえ平日なので高校生が多い。富良野線には初めて北海道に渡った1978年7月に乗ったのだが、日が暮れてしまっていたので、沿線風景を楽しむのは今回が初めてだ。

旭川市内を抜けると牧場が広がっている。
富良野線のなかほど、約30分で美瑛に到着。ここで高校生がどっと下車する。富良野線沿線ではいちばん立派な駅舎だ。駅舎は美瑛石という石を積み上げて作られている。
ほんとは、ここで途中下車して、一時間ほど街を歩こうかと考えていたのだが、駅舎の写真を撮ったあと、列車がまだ停車していたので、そのまま乗り込んで富良野に向かうことにした。

さらに30分あまりで富良野に到着。札幌方面に向かう列車まで50分ほどの待ち時間があったので、街をぶらつく。下見板張りで煙突を持った家々がけっこう多いのが北海道であるが、富良野駅前の渡辺医院は、ペンキが剥げているとはいえ木造洋館として感じよくまとまっている建物だった。

富良野から乗った列車は、滝川までは快速、その先は急行「そらち4号」となって、札幌には11:24に到着した。

[札幌(その2)]まず、駅北側に広がる北海道大学に向かう。ここには、大学本部の建物をはじめ、農学部、理学部本館は昭和初期のスクラッチタイル貼りの建物だし、古河記念講堂などは下見板張りの明治の洋館も残っている。

昼になったので、構内のクラーク会館でエルム定食を食べる。やはり生協は安いのだ。

そのあと、北6西13あたりにある洋風住宅を見にまわるが、リストアップした建物は発見できず、それ以外の木造の洋館が二三残っていた。いくつか更地があったので、そのあたりに建っていたのだろう。今残っている洋館も遅かれ早かれ壊される日がくるにちがいない。

道を南に取って、知事公館を見にいく。北側一帯は、公園として公開されており、一角には道立三岸好太郎美術館がある。
大通公園の西端にある札幌市資料館はもと札幌控訴院(大15)だった建物。電車通りまでくると三誠ビルが残っていた。外壁を塗り替えたためか、あまり古さが感じられない。電車通りに沿って東に向かい、旧北海道道庁に向かう。北1西5角には道立文書館も残っていた。

旧道庁は資料館として公開されており、内部を見学したあと、東に向かって札幌の名所時計台を見にいく。周りに高いビルができてしまい、この時計台だけがとり残されたよう。さらに東に行くと石造の札幌教会がある。

かつて線路を跨いでいた石狩陸橋は、線路の高架で地上に戻り、陸橋の残骸がトマソンになっている。
ふたたび南に向かい、途中、ダイエーで食糧を入手したりしながら、すすきのを経て中島公園まで歩く。ここには、豊平館という洋館が残されている。

このあと、札幌市営地下鉄の豊水すすきの駅まで戻り、昨年(88年)12月に開業した東豊線に乗ることにする。この線は大通駅で東西線と連絡している。他の地下鉄路線と同じくゴムタイヤ式の鉄道で、約15分で終点栄町に到着。
ここから西へ2kmほど歩くと新琴似駅。今晩の宿はふたたび夜行「大雪」。時間がたっぷりあるので歩くことにした。

日が暮れて札幌駅に戻り、夕食を取る。まだまだ時間があるので、札幌20:03発の電車に乗って隣の苗穂駅まで行ってみる。ここの駅舎は明治末頃の建物なのだが、ころこどころそれらしく見えるが、改造もされておりよい状態で残ってはいない。

駅前を 300mほど行くと豊平川が流れており、近くにJRバスのバス停があった。間もなくバスが来ることがわかったので、バスで札幌駅に戻ることにした。わずか30分あまりの夜の小旅行だった。
今夜の「大雪」は、寝台車の座席に横になることができた。足を伸ばせるので楽だ。

[池北線]翌朝午前4時、遠軽駅に停車している。車窓から外を見ると、うっすらと雪が積もっている。名寄本線は廃止され、二日前に乗った列車もホームには見えない。

ここで、進行方向を逆転させ、常紋トンネルを抜けて、北見5:21到着。
池北線の発車まで40分あったので、ピアソン記念館を見にいくべく歩きだしたのだが、近くまで行きながら時間切れで、見ることができなかった。

池北線はこの6月3日に第三セクター「ちほく高原鉄道」に移管される。北海道長大4線区のなかで唯一レールが残った線区である。
北見6:01発の一番列車は三両編成、うち二両は置戸止。乗っているのは、「大雪」から乗り換えた鉄道ファンばかりと見える。

北見市街を抜けると牧場地帯。人家はまばらに点在しているだけ。置戸−小利別間は高原的雰囲気、この間、16kmたらずを26分もかけてのんびり走る。この間、人家は全く見当らない。
陸別で14分停車。駅舎を往復する時間があるので、記念に入場券を購入する。ここで、池田からの下り列車を併結する。

上利別では、北見行の列車と行き違いする。わずか4分停車なので、反対列車の写真を撮るだけのつもりでいたら、ホームにいた駅長が入場券を買ってこい、と勧めてくれる。廃止されることになったため、記念入場券セット(池北線のきっぷを置いている全駅の入場券をセットにしたもの)を作るにあたり、入場券を最近になって作ったらしい。最後の増収に励んでいるわけだ。忙しくホームを往復するものいやなので、ここでは写真を撮るにとどめた。

しかし、わずかの停車時間に向かいのホームにある駅舎まで駆け付ける鉄道ファンも多い。これはこの線に限らず、名寄本線でも天北線でも見られたことだ。
ここで、この列車に乗っている鉄道ファンの行動形態を観察してみると、(1)切符、入場券、オレンジカードを記念に購入する、(2)写真、ビデオを撮る、(3)(1)(2)を兼ねる、(4)夜行疲れからひたすら居眠りする、というのに分けられそうだ。わざわざこんなところまで来て居眠りすることもないと思うけれど、そういう人もいる。

列車は十勝平野にはいり、池田9:35到着。ここで30分ほど停車して帯広に向かう。天気はどんより小雨模様。駅から外に出る気にもならなかった。
帯広10:37到着。

[室蘭へ]帯広で13分の待ち合わせで札幌行「おおぞら6号」に接続。自由席はそれほどの込み方でなく、楽々座れた。心地よい揺れが眠気を誘い、新得を出たあたりから意識がなく、次に目を覚ますと狩勝トンネルを抜けていた。十勝地方の曇天小雨模様の天気から一転、雨も降っていなかった。

列車は軽快に石勝線を走り、千歳線と合流する千歳空港に12:55到着。
次に乗り継ぐ函館行「北斗10号」まで20分あまりの待ち時間があったので、いったん改札口を出て、駅待合室の立ち食いうどんとおにぎりで昼食としておく。

函館行「北斗10号」は、若干込んでいる感じもあつたが、辛うじて席にはありつけた。苫小牧を過ぎ、約1時間で東室蘭に到着。室蘭行はすぐの連絡。
この区間、自動車道と平行、北側には大きな製鉄所など工場が広がり、南側に住宅地があるという沿線風景。14分で終点室蘭。広いヤード跡地が広がっている。

東室蘭−室蘭間の初乗りは1978年7月だが、夜に乗った。とりあえず終着駅の室蘭まで行った、というだけで、どんな駅舎が建っていたかなんて全く見ていない。
室蘭駅舎は室蘭本線の起点として明治末の建物。木造のなかなか立派な駅舎であった。

[地球岬]室蘭駅の商店街に大辻医院がある。遠くから見ると屋上にドームがあるらしい。アーケードが邪魔してよく見えないのが残念。

長崎屋に寄ったあと、地球岬まで歩く。約 3.5kmの道程。アップダウンの歩きがいのある道だった。岬に立ってみたものの、雨こそ降らないが曇天で見通しがきかないのが残念。記念にとセルフタイマーで写真を撮ろうとしたら、いうことをきかなくなっていた。

この地球岬へは室蘭駅のひとつ手前、母恋駅から歩いたほうが近そうで、帰りはそちらに下る。
母恋駅は無人駅の扱いなのだが、駅で切符を販売していた。無人駅だがら入場券はないが、「母の日記念」という<東室蘭→母恋ゆき>きっぷをはじめ、普通の駅とかわらない硬券切符を置いていた。記念に隣の室蘭までの切符を購入しようとすると、硬券はきれていて軟券になるというので、<母恋→御崎ゆき>きっぷを記念にする。

いったん室蘭まで戻り、長崎屋で早めの夕食を取ったあと、室蘭18:12発、東室蘭まで普通、あとは特急「ライラック25号」になる電車で札幌に戻る。

[はまなす]「ライラック25号」の札幌到着は19:57。乗り継ぐ青森行急行「はまなす」の発車は22:00。まだ、二時間もあるというのに、自由席車両のところには十人たらずの列ができていた。あまり早くから列ができてしまっているので、別の列車に乗る人がそれに並び、本来乗るべき列車に危うく乗り損ないそうになっていた。

列はどんどん長くなり「はまなす」が入線してくる21:50頃にはホームは人であふれ、もちろん、自由席車両も多数の立ち客が出た。指定が取れず自由席にやってきたおばさんグループ、立つはめになりブツブツ。座りたければ、もっと早く来て並べっつうの。席を占めることができた人たちはホームの寒いなか、二時間ほど待ったのだぞ。

青森行「はまなす」は札幌を22:00に発車。ビールを飲むと夜行列車二連泊ということもあり、すぐ寝てしまった。
気がつくと函館に停まっていた。青函トンネルにはいるのなんの、といってはしゃいでるいるおじさんが近くにいて、しばらく寝込めないままトンネルに突入。うつらうつらするうちに津軽線の寂しげな海岸線を走っていた。青森5:17到着。

「はまなす」には東北本線の「はつかり」、奥羽本線の「白鳥」が接続する。ほんとは「白鳥」に乗りたかったのだが、座席にありつけた分、車外に出るのに手間取り、すでに自由席はいっぱいになっていた。仕方ないので、次の「たざわ」を待つ。1時間ほど間かあったが、楽々座ることができた。
青森県から秋田県にはいり、大館を過ぎ、鷹ノ巣で下車する。

[秋田内陸縦貫鉄道]この鉄道は、1986年10月末で廃止になった角館線(角館−松葉間)と阿仁合線(鷹ノ巣−比立内間)を引き継いだ第三セクター鉄道で、今年(1989年)4月1日、工事中だった比立内−松葉間が開通し、鷹ノ巣−角館間の通し運転が始められるようになった。この線には、急行列車も設定されており、専用の車両も普通車とは別に作られている。

鷹ノ巣に下車するのは、阿仁合線を乗りにきた1984年9月以来。青森で特急電車を一本遅らせて「たざわ」にした関係で、縦貫線とは12分の接続。縦貫線ホームは上り線と同じホーム反対側にあって、JR線とは中間改札もなく、自由に行き来できる。しかし、縦貫鉄道の鷹ノ巣駅はJRとは別のところに駅舎があって、切符の販売などしている。列車は二両編成。車掌にしても運転手にしても若い人があたっている。すいているとはいえ、用務客もそこそこ乗っている。

『時刻表』では、この列車は阿仁合止めで、角館へは列車を乗り換えることになっているのだが、この列車がそのまま角館に向かった。雪などでの遅れを考慮して、こんなダイヤになっているのかもしれない。

比立内を過ぎると新規開業区間。ほんのひと月ほど前に開業したばかりの真新しさ。途中には長いトンネルもある。列車は軽快に走り、田沢湖の外輪山が見えてくると松葉だ。旧角館線を経て鷹ノ巣から約二時間半で角館に到着。

[角館]角館の街は、1977年7月、初めて東北を訪れたとき、駅に降り立ち、駅前を少し歩きはしたものの、武家屋敷まで見に行くことができなかった。時期的にはちょうど春の「桜祭り」のシーズンなのだが、今年は開花が例年より早かったらしく、桜並木は葉桜になっていた。しかし、観光バスなどが多数停まり、角館を訪れる人は多そうだ。

武家屋敷の並ぶ界隈、内部を見学させてくれる屋敷がいくつかある。その中には有料のところもあるが、岩崎家に寄ると、ここは無料で、おまけに抹茶の接待まであった。
ひととおり武家屋敷街を散策したあと、角館町伝承館に立ち寄った。角館町内の工芸品などの展示即売や町内の雑多な資料が展示されている。

街なかに残る洋風建築をいくつか眺めたあと、角館バスセンターから秋田行バスに乗ることにした。鷹ノ巣で秋田内陸縦貫鉄道にそれ北海道ワイド周遊券帰りの経路からはみ出しており、経路に戻るまで別払いになる。羽越本線を下るつもりなので角館から秋田まで行く必要がある。この間、鉄道だと1590円だが、バスだと1190円と安いのだ。

秋田まで約一時間半。武家屋敷の並ぶ通りを抜けて国道46号線を軽快に走る。羽後境で国道13号線にはいり順調に走っていたのが、秋田市内が近付くにつれ渋滞にかかり始めた。秋田駅でのバスの到着予定時刻と羽越本線の列車の接続時間は17分しかなく、バスが大幅に遅れるようなことになると、予定が大幅に狂ってしまう。

昨年(1988年)5月大館でわずか数分バスが遅れたために列車に乗り遅れるということがあっただけに、同じ秋田県、いやな気分になってきた。これなら時刻が正確な列車にすべきだったかな、と時計を見ながらやきもき。

牛島を過ぎ、市街地にはいる。駅がすぐそばに見えていても、降車場所ではないので停車できず、のろのろと走る。気をもみながら、やっとのことでバスをおりたのは予定時刻より数分遅れというところで、列車の発車まであと10分、バスターミナルから駅へ駆け出した。

[酒田]秋田15:12発酒田行普通列車で酒田に向かう。電気機関車牽引の50系客車列車である。羽越本線は鈍行客車がよく似合うと思う。防風林越しに海が見えたり、寂しげな漁村があったり、田植えの準備が始まった田園など、のんびりとした車窓風景が楽しめる。特急でさっと通り過ぎる象潟の眺めもゆっくり堪能できる。

酒田17:50到着。さて、ここで泊まろうと考えていたのだが、どこもかしこもいっぱいで泊まるところがない。酒田なんて、それほどの観光地ではないので、泊まれるだろう、くらいに考えていたのが甘かったようだ。今日は、ゴールデンウィークの三連休初日、酒田あたりまで、どっと繰り出す人たちがいるのだ。

仕方ないので、次善の策、うまい具合に酒田19:40発上野行臨時急行「天の川」があるのでそれで東京に向かうことにしよう。夜行三連泊になるが、ほかに選択の余地がない。
夕食も満足に取れないままビールを買い込んで「天の川」に乗り込む。上り列車ですいていて幸い。早々に座席に横になって寝てしまった。

かつて急行「天の川」は上越、羽越本線経由の寝台列車であったが、新幹線開業の頃に多客時の臨時に格下げされている。
日本海沿いに帰るつもりでいたが、東京にでることになった。そのときどきで経路を選択できるワイド周遊券の利点である。
最初はあまり込んでないと思っていたが、上越線の水上あたりで目をさますと、そこそこ座席がうまっていた。

[東京]上野5:08到着。上野から東京に向かい、いったん改札を出た。八重洲地下街に東京温泉があったと、まわってみたものの、サウナで値段も高く、ちょっとひと風呂というにはもったいないのであきらめた。

地上に出て東のほうに向かって歩いてみる。東京の町中にはいろいろな記念碑のようなものが建っているのがわかつた。堀部安兵衛の碑があるかと思えば何かの慰霊碑があったりする。八丁堀から北に取り、茅場町から霊岸橋を渡ると、時代劇の舞台に出てくる地名だなあ、なんて考えながら歩きまわった。

兜町にやってきた。大阪北浜と並ぶ証券会社の軒を連ねる界隈。東京証券取引所の建物は建て替わっているが、戦前の証券会社の建物がいくつか残っている。
日本橋川の向かいにあるのが三越本店。近くには日本銀行本店や三井銀行といった近代建築もけっこう残っている。そんななか渋沢栄一の銅像も立っていた。

京浜東北線のガードをくぐり大手町から丸ノ内界隈を散策する。銀行協会の建物は煉瓦造りの立派な建物なのだが、取り壊されることが決まっており、工事用の囲いが建物を取り巻いている。
東京駅丸ノ内側の駅前には、観光バスがずらりと並び、旅行会社募集の団体バス旅行の集合地になっている。これから温泉やら潮干狩に出かけたり、といったところか。

営団地下鉄千代田線二重橋駅から地下鉄に乗って明治神宮前に行く。地上に出ると山手線原宿駅。駅前のハンバーガー屋で朝食。
そのあと、山手線に沿って北に向かうと、原宿皇室利用ホームがあった。千駄木から代々木、そして新宿へ。ごちゃごちゃしている東京の街歩き、どこを歩いてもおもしろく、飽きない街だ。

新宿西口のカメラ屋に寄ったあと、新宿から秋葉原駅前行の都バスがあったので乗ってみる。運賃は 160円で、前乗り、先払いなのはすでに承知している。このバスは、新宿を出ると、明治通りを北へ。東大久保を経て東京女子医大近くを過ぎ、飯田橋に出て、あとは外堀通りを進み約45分で秋葉原駅前に到着する。

秋葉原から歩いて昌平橋を渡り、神田駿河台のニコライ堂を見にいく。このあたりには、日本大学、明治大学がところ狭しと並んでいる。
そこから神保町に下って神田の古本屋街を散策。あまりにもたくさんあって、本を見てまわるだけでも疲れる。
適当な時刻に切り上げて神田に出る。夕方になれば新幹線も込んでくるにちがいなく、東京15:40発の「ひかり 357号」で大阪に向かうことにした。まだ、さほどの混雑ではなかった。



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