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《岡山》 民鉄ローカル線乗り歩き 片上鉄道 「青春18きっぷ」を使って西に向かう。大阪から乗車した姫路行は 117系6両2編成を繋いだ12両編成の電車。姫路で14分の待ち合わせで赤穂線経由岡山行に乗り継ぐ。 115系4両編成。冷房があるのはありがたいのだが、じっと座っていると少し寒いくらい。 相生から山陽本線と分かれて赤穂線にはいる。赤穂線に乗るのは1977年9月以来。日生あたりは海岸沿いを走り鹿久居島が沖に浮かぶ。備前片上10:18到着。 同和鉱業片上線の片上駅は国鉄備前片上駅に近いのだろうと、地図をしっかり確かめもせず下車して、そのまちがいに気付いた。5万分の1地形図『和気』によれば、建物の建て込んでいるところに駅があって、赤穂線の駅名が省かれていたが、そこを勝手に備前片上だと思い込んでいたのだ。しかし、実際に備前片上駅に下車してみると、地図で降りようと考えていた駅の様子とまるでちがうのだ。地図をよく見なおすと、降りようと考えていた駅は、西片上駅で、今降りた備前片上駅のひとつ先の駅だったのだ。 失敗に気が付いて慌ててしまったが、備前片上駅から同和鉱業片上線の片上駅まで 1.5kmくらい。片上線の次の列車は11:00発だから、歩いて間に合う距離だ。 備前片上駅から歩いて20分ほどで片上線片上駅にたどり着いた。片上駅には車庫があってディーゼルカーや貨車が並んでいる。片上港に近い。 片上11:00発柵原行に乗車。車両はキハ303 の単行、前面は丸みをもたせた前時代のディーゼルカーだ。備前市の家並みを抜けて赤穂線、山陽新幹線の下をくぐると山にわけいり登り勾配にかかる。スピードがぐっと落ちる。低い峠のトンネルを抜けると下り勾配になり、車両のスピードは一気に増し、揺れも激しさを増す。 片上から15分で山陽本線との接続駅和気に到着。山陽本線の電車の接続待ちで28分の停車。柵原からの列車もやってきて、ここで交換する。 山陽本線の電車からの乗客を受けて和気を出ると山陽本線をオーバークロスし、金剛川を渡り、和気町の中心の本和気に到着。山陽本線からの乗り換え客や本和気から乗り込んできた人で車内は少し混雑。 路線はこのあとずっと吉井川左岸をさかのぼっていく。周匝(すさい) 付近は少し平地もあるが、あとは山が川べりまで迫り耕作地は狭い。すこしずつ乗客を降ろしていく。 和気を出て45分、山に突っ込むようにして終点柵原に到着。柵原は硫化鉄の産地で全国一を誇こる。駅に隣接して同和鉱業の建物があり、駅構内には鉱石積込み施設がある。鉱石を積み込まれた貨車が出発を待っている。 乗ってきたディーゼルカーを見送ったあと、次の列車まで2時間あるので、周匝まで沿線を歩く。沿線の吉ヶ原駅前からは津山行のバスの便があるようだ。比較的大きな町である周匝には岡山からこの駅前を通り湯郷温泉を経て姫新線の林野に至るバス路線がある。 周匝から片上行のディーゼルカーで和気に出て国鉄に乗り換え大阪に戻る。(注:片上鉄道は1991年6月30日限りで廃止された。) (1983.8.26) 岡山臨港鉄道・岡山電気軌道 大阪から姫路で電車を乗り継いで岡山へ。さらに宇野線に乗り換えて次の大元で下車する。 ここから岡山臨港鉄道がでている。岡山港まで延びる8.1kmの路線だが、旅客営業しているのは岡南元町までの6.6km。1両だけのディーゼルカーが走る。おもしろいの前後の顔がまったく違っている。どこかの鉄道会社で使っていた中古車両を改造して使っているのだろう。大元から15分ほどで終点岡南元町についた。(注:岡山臨港鉄道は、1984年12月29日限りで廃止された。) 折返しの列車で大元に戻り、宇野線に乗り換えて岡山で下車する。次は、岡山市内の路面電車に乗ることにする。 岡山電気軌道の路線は、岡山駅前から東山に行く東山線3.0kmと途中柳橋で分かれて清輝橋へ行く清輝橋線1.7kmの2路線ある。まず、清輝橋行に乗る。駅前を東に向かい、柳橋で折れ国道30号線を南に向かう。15分ほどで終点。 ここから東山まで2kmほどしか離れてないので歩く。旭川を新京極橋で渡ると北側に岡山城が見える。末端の東山電停から岡山駅前まで電車に乗ると岡山電気軌道全線完乗。 岡山から姫路で乗り継いで大阪に戻る。 (1984.4.1) 下津井電鉄 大阪から姫路で電車を乗り換え岡山へ。さらに宇野線に乗り継いで宇野で下車する。宇野駅前からバスで児島に向かう。三井造船の造船所には大きなクレーンが並ぶ。市街地を抜けると海岸沿いのなかなかよい眺め。はるか四国・坂出あたりの工場の煙突が望め、本四連絡橋の橋脚が並んでいるのも眺められる。 児島から下津井電鉄に乗る。下津井電鉄は児島−下津井間のミニ路線、十年ほど前に鷲羽山−児島間乗っている。その頃は全線乗ろうという考えがなかったので、その先の鷲羽山−下津井間が未乗のまま残っているのだ。 下津井からやってきた電車は「クレヨン号」というヘッドマークのついた車両で、車体にはイラストが描かれている。車内にはいると落書だらけだ。落書をしてよい、という車両らしいが、すこしひどすぎるように思う。これが昼間は往復しているらしい。 この鉄道は狭軌で車両は小ぶり、山側がロングシートで海を眺められ、海は一人掛けのシートが並んでいる。以前乗ったときは、両側ともロングシートで膝を突き合わせて座るるような感じだったが、海側に座ると海を眺められないので改造したのだろう。 鷲羽山駅付近はちょうど本四連絡橋のルートにあたっており線路の真下あたりを工事していた。山をゆっくり下っていって終点下津井に到着。 下津井駅構内には、昔からの塗色の3両一編成の車両と新しい塗色の2両編成の電車、それに昔使われていたディーゼルカーなどが置かれていた。 下津井から沿線に沿って、本四連絡橋の工事中の姿と電車を入れて写真を撮ったりしながら児島まで歩く。 児島駅前から倉敷駅前行のバスに乗る。倉敷駅前までけっこう時間がかかり、予定していた電車の発車時刻まで5分なかった。バスを降り、駅に駆け込む。改札を抜けてホームに下りるとホームに電車はなかった。ああ、遅かったか、と思うや駅の案内放送で数分遅れていることがわかりやれやれ。姫路行に乗車して帰路につく。(注:下津井電鉄は、1990年12月31日限りで廃止された。) (1985.4.6.) |
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