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関東鉄道を訪ねて 1985.12.29.〜12.31. [寒い朝]昨年(1984年)12月から冬休み用の「青春18きっぷ」が発売されるようになった。昨年、それを使って旅行に出ようと計画を立てたものの、出発当日、雪模様の天気で気がそがれ、不実行に終わった。今年こそと実行に移したのが関東鉄道群の乗り歩きだ。往復に東海道線の夜行快速を利用することにして、初日の昼間は名古屋鉄道などを中心に未乗区間を乗り歩く。 京都を過ぎ、滋賀県にはいると琵琶湖越しに比叡山から比良山にかけての山並みがくっくり、沿線の田園は霜、冷込みの厳しさが感じられる。 米原で2分の待ち合わせで大垣行に接続。関ヶ原を越え、大垣で6分の待ち合わせで豊橋行に乗り換える。名古屋10:15到着。中央線の電車に乗り換え次の金山で下車する。金山駅では「金山から鶴舞ゆき」という縁起切符が販売されている。 [名古屋市地下鉄鶴舞線・名鉄豊田線]金山で地下鉄に乗り換えて上前津に向かい、鶴舞線に乗り継ぐ。地下鉄鶴舞線と名鉄豊田線は相互直通運転、ところがタイミングが悪くて豊田行が出たあと。豊田行はほぼ20分おき、その間に赤池行が2本ある。とりあえず赤池まで進む。 赤池で豊田行に乗り継ぐ。赤池を出るとすぐ地上に出る。豊田線は1979年7月に開業した路線で、線路は切り通し、築堤、高架と新線らしい。沿線は土地の造成が進みかけているが、まだ住宅は少ない。約20分で三河線との分岐駅である高架の梅坪に到着。近くに建設中の岡多線の高架が見える。架線が張ってあるのがわかる。開業もそう遠くないような感じだ。(注:1988年1月31日岡崎−新豊田間の岡多線と新豊田−高蔵寺間の新線を引き継いで愛知環状鉄道として開業。) [三河線]梅坪で三河線に乗り換え、猿投までは約20分おきなのだが、その先、西中金まで行くのは1時間に一本しかない。上前津で豊田行を一本逃したことが災いして、約40分の待ち合わせとなる。高架駅の吹きさらしではあるが、風もなく日も照っていることから、さほど寒くはなかった。 西中金行に接続する一本前の電車で猿投に進む。猿投ではうまい具合に西中金から列車が戻ってきたところで、ホームで待つことなく車内にはいることができた。猿投−西中金間は電化されているが、新製レールバスが使用されているワンマン運転区間である。(注:名鉄三河線猿投−西中金間は、2004年3月31日限りで廃止された。) 美濃三河高原に向かう沿線はひなびた風景、山間をのんびり走る。枝下(しだれ) を過ぎると矢作川を渡る。短いトンネルを抜けると終点西中金に到着。 終着駅へ行ったときは、できる限り乗ってきた列車ですぐ折り返すことはせず、次の列車まであたりを散策したり、別の交通機関に乗り継いだりすることにしている。西中金駅前は足助方面、豊田方面への路線バスが通っている。列車が着いてすぐに豊田市行のバスがあったが、あまりにもすぐだったのでやり過ごし、枝下まで歩くことにした。 西中金から国道 153号線を15分ほど豊田方面に向かうと猿投グリーンロードという有料道路と出あう。有料道路といっても自動車専用道でなく、歩道が道路わきに付けられている。歩く分には無料だ。それを20分ほど行くと矢作川を渡り、そこに枝下駅がある。 枝下駅で西中金からの列車に乗り、猿投で電車に乗り換えて知立に向かう。豊田市沿線はトヨタをはじめ自動車関連の工場が多い。工場がつきると住宅地、田んぼが入れ代わり立ち代わり続く。約30分で名古屋本線との接続駅知立に到着。 ここで都合よく9分の待ち合わせで吉良吉田行があった。碧南までは20〜30分に一本あるが吉田まで行く電車は1時間に一本しかないのでラッキーである。乗った枝下駅は無人駅で、その後も車掌が回ってこないので、まだ切符が買えない。 三河線は知立駅でスイッチバックする。新幹線の高架をくぐると国鉄連絡駅の刈谷。刈谷市中心部に近い刈谷市駅を過ぎ、知多湾東岸を高浜、碧南と下っていく。海が近いので、川べりにはモーターボートなどが繋がれていたりする。 碧南を出てしばらくすると車内検札があった。枝下からの乗車整理券を出して蒲郡までの切符を求める。運賃は碧南経由ということで1080円だった。車掌によると、西尾経由だと1000円とのこと。あとでキロ数を調べると確かに西尾経由のほうが 5.4㎞短い。名鉄では経路を指定して運賃計算しているようだ。(注:名鉄三河線吉良吉田−碧南間は、2004年3月31日限りで廃止された。) 吉良吉田で蒲郡行に乗り換え。西幡豆から西浦にかけて、ところどころ三河湾が見え、夕暮間近の風景が楽しめた。 蒲郡16:50到着。名鉄と国鉄は跨線橋で繋がっているので切符を手元に残すことができた。12分の待ち合わせで米原行に接続。 いったん名古屋で下車して夕食を取ったあと大垣に向かう。大垣駅は改築工事を行っていたが、この12月に新しい駅ビルが完成、2階に改札口が設けられた。 [東京]大垣からはいつもの東京行 340Mに乗車する。3月、7月、8月に続いて今年は4度目。年末ということで、上り電車はボックス2人くらいの混み方、今まででいちばんすいていた。 東京4:39到着。まだ真っ暗。スキー道具を転がす若者が目立つ。いったん改札を抜けてコインロッカーに荷物を放りこみ身軽になった。 京浜東北線の水色の電車で上野までいったが、このまま取手に向かっても明るくなるには間があるので、たまたま停まっていた篭原行の電車で浦和まで行ってみる。そのあと、蕨に立ち寄ったりしながら6:23に上野に戻ってきた。 上野6:30発の常磐線電車で取手に向かう。やっと明るくなってきた。 [関東鉄道常総線]かつて関東鉄道といえば、常総線、竜ヶ崎線、筑波線、鉾田線を擁し、中小民鉄の中では最長営業キロ数を誇っていた。しかも、車両はすべてディーゼルカーだった。1979(昭和54)年4月に、筑波線は筑波鉄道に、鉾田線は鹿島鉄道に分離、関東鉄道としてひとつにまとめられるその前の状態にもどった。 常総線の取手−水海道間はとくに東京のベッドタウン化が急速に進んでいる。今年(1985年)3月からつくばで開かれていた科学博覧会にもあわせ輸送力増強をはかり、昨年11月新守谷−水海道間の複線化が完成、取手−水海道間が複線になっている。 しかし、水海道から北側、下館までは北関東の田園地帯を行く。鬼怒川と小貝川の狭間を走る。このあたりの霧はそのせいかと思う。 約1時間30分で下館に到着。取手も国鉄とは跨線橋で繋がっていたが、ここも繋がっている。国鉄水戸線に乗り換え筑波鉄道接続駅の岩瀬に向かう。 [筑波鉄道・筑波山]筑波鉄道筑波線は加波山、筑波山の西側を南下、土浦に向かう路線。もともと筑波山参詣の足として敷設された路線であるが、昨今では営業不振により廃止が噂されている。1986年度中に結論を出す、と伝えられている。筑波山という観光地をもつとはいえ、常総線沿線のような発展は期待できず、しかたないのかもしれない。(注:筑波鉄道は、1987年3月31日限りで廃止された。) 筑波で下車。駅前からバスで筑波神社前まで行く。所要約10分。筑波神社は正月を迎える準備に神社の人総出で掃除に余念がない。参拝をすませてケーブル乗り場へ。 筑波山にはケーブルとロープウェイが通じているが、今回の目的はケーブルに乗ること。神社そばの宮脇から筑波山頂まで 1.6km、所要8分。ふだんは歩いて登って、下りにケーブルに乗るのだが、時間の都合で上りのケーブルに乗る。運行は30分おき、「正月の御来光を筑波山で」といった広告が出ている。元日には日の出前から運転されるらしい。 トンネルを抜けてほどなく終点筑波山山頂に到着。筑波山には、男体山(870m)と女体山(876m)のふたつの頂があり、女体山のほうが少し高い。ケーブルの山頂駅はこの頂の間に設けられている。遊歩道が整備されている。時間の都合で男体山の頂をまわって、歩いて下山。神社前バス停まで一気に下ったが、バスの時刻に間があるので、さらに筑波駅まで歩く。神社から少し下ると両側に立ち並ぶ門前町、少しの区間石畳の道になっていて風情があった。下り道を歩き続けたので足が痛くなった。 筑波からふたたび筑波鉄道に乗り土浦に向かう。土浦に行く場合、鉄道 720円に対してバス 670円とバスのほうが安い。これでは鉄道の乗客を増やそうとしても無理だ。 土浦のひとつ手前真鍋に車庫があり、そこで1両増結された。ここにホームはあるが、旅客扱いはしない。 土浦は国鉄と共用駅。駅舎はつくば博にあわせて改築したのか、新しい橋上駅になっている。20分の待ち合わせで石岡に向かう。 [鹿島鉄道]関東鉄道鉾田線、それ以前は鹿島参宮鉄道といっていた。筑波鉄道同様単線のローカルな路線だが、沿線に自衛隊の百里基地があり、ジェット燃料の貨物輸送が行われている。(注:ジェット燃料輸送は、2001年7月に休止され、翌年3月廃止された。) 石岡駅は国鉄と跨線橋で繋がっている。2分の接続と慌ただしく、切符は車内で求める。石岡付近は土地の造成が盛ん。しばらくすると畑が広がる。桃浦から浜にかけて霞ヶ浦に沿う。約50分で終点鉾田。 鉾田駅から鹿島臨海鉄道新鉾田駅まで歩く。20万分の1地図『水戸』をたよりに歩くこと約20分、町外れに設けられた新鉾田駅にたどり着いた。このあたりは高架区間で、駅は高架になっている。 [東京へ]鹿島臨海鉄道は今年(1985年)7月、すでに全線乗り終えている。駅で鹿島神宮行の列車を待つうちに日が暮れた。やってきた3両編成の列車は真ん中の車両が新しく、前後の車両は古いものだったので、真ん中のに乗る。乗降ドアとの仕切りないので、駅に停まりドアがあくと、寒風が車内に吹き込んできた。途中ですこし雨もぱらつく。 鹿島神宮で3分の待ち合わせで佐原行に接続。あとの接続もよく、佐原から成田に進んで快速に乗り換え東京に戻ったのは午後8時半前だった。いったん改札を抜け、コインロッカーから荷物を取り出し、構内食堂で夕食。そして、大垣行夜行の出る9番ホームに上がり、電車を待つ人の列に加わる。まだ、2時間前ということで、待つ人は各列数人程度。これなら十分座れる。 [乗り納め]午後10時半を過ぎるとやはり長い列となった。最後のほうの人は座れまい。座席に座るためには1時間半から2時間前にホームに上がる必要がありそうだ。 定刻23:09に大垣行夜行が入線、寒いなか待って座席について一息。2晩夜行ということもあり、電車が動きだすなり寝てしまい、気がつくと浜松に停車していた。そのあともうつらうつら。 岐阜あたりで明るくなってきたが、大晦日は曇天。大垣で12分の待ち合わせで姫路行に接続。きょうは休日ダイヤだ。 関ヶ原を過ぎると小雨が降っていた。 彦根で下車。せっかくなので、今年の乗り納めとして未乗の近江鉄道多賀線を往復することにする。彦根は近江鉄道と共用駅。多賀線は高宮−多賀間 2.6㎞のミニ路線、多賀から先、セメント工場まで貨物線が伸びている。終点多賀駅の近くには多賀大社がある。小雨がぱらついていたが、せっかくなので詣でる。ここも明日正月の準備に忙しそうだった。雨だし、寒いしで、早々に駅に戻り彦根に折り返し、下り電車を待つ。 |
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