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仙台まで足を伸ばして 1988.3.19.〜3.21. [東の旅]「青春18きっぷ」の季節がめぐってくると、使い方によっては、ずいぶん割安な鉄道旅行ができるものだから、また、列車に揺られたくなってくる。 今年(1988年)3月13日のダイヤ改正から青函トンネルが営業を開始し、さっそく初乗りに出かけたいと、プランをねりもしたけれど、青森、函館は遠いこともあり、また、開業以来連日トラブルが発生しているとのニュースも流され、今回はその手前の仙台まで足を伸ばすことにした。 まず、大垣発東京行の夜行電車に乗り継ぐまで、今年1月31日に延長開業した愛知環状鉄道に足を印すべく、東に向かう電車に乗った。 この電車は野洲止まりだったので、いったん、途中下車。ここへ初めて降りたのは15年ほど前のことで、駅前をすこし離れると寂しげところだったが、大阪方面への通勤圏として宅地開発がめざましく、ずいぶん家が立ち並んだものだ。駅のそばに日本麦芽工業の煉瓦造の倉庫のような建物がある。駅前の平和堂に立ち寄り食糧を調達。 次の彦根行に乗り、さらに米原行に乗り継ぎ、米原に到着。 ここからJR東海管内にはいる。JR各社はそれぞれシンボルカラーを持っているが、JR東海はオレンジ色だ。駅名ローマ字部分の下地をオレンジ色帯にした新しい駅名標を管内の各駅に取り付けたようだ。JR西日本は、まだ国鉄時代から引き継いだ駅名標をそのまま使っているから、駅の数など規模が違うとはいえ、民営化一年の素早い対応といえるだろう。 名古屋の手前、枇杷島付近で名古屋都市高速道路(工事中)に沿って伸びる高架線から東海道本線に合流する工事線が見られる。国鉄時代、瀬戸線として工事が進められてきた枇杷島から中央本線の勝川までの新線だ。国鉄の新線工事は再建法のからみで中断していたが、第三セクターだったかに移管されたことで開業に向けて工事が進められるようになった。開業が待たれる。(注:東海交通事業の路線として1991年12月1日勝川−尾張星の宮間、1993年3月18日尾張星の宮−枇杷島間開業) 名古屋で中央本線の電車に乗り換える。快速はいっぱいで座れなかったので、次の普通にする。大垣発東京行夜行まで時間はたっぷりある。名古屋から30分、新守山あたりまでくると田んぼや畑がふえてくる。 勝川では、枇杷島からの新線の高架が中央線に合流するように近づいてきている。高蔵寺で下車。ここには大きなニュータウンがある。 [愛知環状鉄道]愛知環状鉄道は旧岡多線(岡崎−新豊田間)を引き継いだ第三セクター鉄道で、今年(1988年)1月31日に新豊田−高蔵寺間が開業した。現在、愛知環状鉄道の電車は高架の高蔵寺駅名古屋方面行ホームの片側を間借りしている。名古屋方面に向かうには同一ホームなので便利だ。 電車は二両編成。真新しい。木曾山脈に連なる丘陵地帯をトンネルで抜けると約8分で瀬戸市駅。軽快な走りである。ここは名鉄瀬戸線と接続している。さらに30分ほどで、名鉄豊田新線の下をくぐり、新豊田に到着。約40分ほどで、新規開業線区の初乗りが完了。 ここから岡崎までは旧岡多線。ほとんどが高架で全線複線の余地があるが、単線しか敷設されていない。旧岡多線内では、未使用の道床上に新ホームが設けられ、岡多線のときにはなかった新上挙母、末野原、大門、六名といった駅が増えた。 高蔵寺から岡崎まで約1時間10分で、運賃は 810円。短距離ではJRの地方線運賃よりかなり高めだが、通して乗ると若干高いというところか。 岡崎駅では、岡多線時代からのホームがそのまま使用されているが、JR線との乗り換えには構内改札口が設けられ、駅員がいちいち切符を確認していた。 [名古屋]岡崎から快速で名古屋に向かう。時間的に余裕があるので、熱田駅で下車した。熱田神宮の最寄り駅だ。熱田神宮に詣でたあと、熱田駅から名古屋で下車。構内食堂で夕食を取ったあと、地下街をすこし散策し、ほどほどのところで大垣に向かう。 [340M改め372M]夜行東京行に座るには1時間くらい前に行けばいいだろう、と考えていたところ、たまたまそれより1本早い電車の乗れたので、それで大垣に向かった。 大垣駅の東京行電車が発車するホーム、行ったときは、1号車(東京に向かって最後部)を待つ列はわずか数人並んでいるだけだった。ところが、そのあと入ってきた上り電車から乗り継ぎ客がどっと並び、予定通りの時刻に大垣に来ていたら席がなかったかもしれないくらいの人数にふくれあがった。連休前日の土曜日のせいかもしれないが、上りでこれだけの列を作ったのはめずらしい。大垣からすでに座れない人が出ていた。 ほとんどが「青春18きっぷ」の利用者で、安上がりに東京に向かう手段として、この切符が一般にかなり浸透してきたのだろう。 前日夜更かしぎみにしたせいもあり、いつしかうつら、うつら。どこかの駅で、何かのトラブルで数分停車したらしいアナウンスも夢の中、翌朝、何事もなかったかのように、定刻4:42東京駅に到着した。 [仙台へ]京浜東北線の一番電車の東京発時刻は4:42で、大垣発夜行の東京到着と同時刻。そのため、この電車に乗り継ぐとき、隣を走る電車の状況を見ながら、今まではたいてい品川か新橋で乗り換えていた。今日は、上野発の一番電車に乗り継ぐ必要がなかったせいもあって、終点の東京まで乗ったが、どうにか乗り継ぐことができた。 上野まで行ってしまうと、次の電車を待つ必要もないので、上野5:09発黒磯行、東北本線の一番電車に乗り継ぐ。まだ、十分夜が明けきってないなかを、一路北をめざす。 うつらうつらするうち、北関東の山並みが少しずつ近づいてきて、朝日を浴びている。 黒磯まで行ったものの、到着6分前に福島行が発車しており、この電車に接続する東北本線の下り電車はなく、上野発の二番電車と同じになる。先の福島行は郡山で9分も停車する。これなら、発車時間を遅らせて、接続させてもいいようなものだが…。 黒磯はまだ、栃木県だが、東北への入口といった趣がある。上野からここまでは直流電化されていたのが、この先は交流電化区間になる。かつては、すべての列車がここに停車し、機関車を付け替えたという。今もヤードに機関車が停まっているが、寂しげだ。ほとんどの列車は交直両用の機関車に牽引され、この駅に停車せず通過してしまうのだろう。 今の駅は真上を東北新幹線が走り、何の変哲もない駅舎だが、かつては貴賓室が設けられていたそうだ。那須の別荘地帯を控えていたせいなのだろう。 黒磯で次の電車を待つ間、改札を抜け、駅前を少し歩いてみる。国道との角には、かつては銀行かと思える石造の建物が残っていた。 黒磯から北に向かうほどに、まだ雪を頂いた山々が車窓風景として登場する。しかし、残念なことに新幹線の高架が目障りだ。 福島での接続待ちの時間を利用して、駅西口のイトーヨーカードーに立ち寄る。 福島を出てしばらく行ったところから阿武隈急行線が分かれていく。架線も真新しく今年(1988年)7月1日開業予定だ。 船岡城址に平和観音が建っていることに気がついた。 仙台のひとつ手前、長町12:49到着。ここで下車する。 [仙台市営地下鉄]地下鉄は長町も経由しているが、終点がふた駅先の富沢なので、そこまで歩くことにする。持ってきた国土地理院の地形図1/50,000『仙台』には、建設中の記号で載っているので、迷うことがない。しかし、地下鉄建設に伴って作られたらしい新しい道路がこの地図には載ってないので、すこし困る。遠回りになっても、地図に載っている学校や郵便局を目印に歩く。約20分で富沢駅にたどり着いた。 富沢駅付近は高架になっていて、この先に車庫がある。富沢を発車するとすぐに地下にもぐる。地下を走る地下鉄は車窓風景の変化も乏しく面白みがない。13分で仙台に到着。 車内放送で「新幹線、仙石線、バスにお乗り換えのお客さまは…」とやっていた。JRといわず、特別に仙石線の名を告げるのは、市民の足となっているからか、はたまた、将来、仙石線と地下鉄の相互乗り入れを考えてのことか…。(注:2000年3月11日仙石線は仙台−あおば通間0.5kmを延長、地下鉄との乗り換えをしやすくした。) 約27分で終点の八乙女。ここも高架駅である。付近は山を切り開いてできたらしい住宅街が広がっている。 [水戸へ]八乙女から折り返し地下鉄で、仙台に戻る。北仙台で仙山線と接続しているが、わずかな時間しかなく、乗り換えの所要時間が不明なので、確実な仙台まで戻ることにした。 仙台14:15発平行。今度は、岩沼から常磐線を南下していく。日曜日のせいか、相馬あたりまで、けっこう人が乗っていた。この線を走る交直両用の電車 451系の傷みはひどい。 平17:12到着。6分の接続で水戸行に連絡。勿来の関を越えて茨城県にはいると日が暮れた。水戸18:54到着。きょうは、水戸駅前のBHに泊まる。 [千葉ニュータウンへ]翌朝、水戸から上野行に乗る。友部で7分停車した。複線区間で特急の追抜きでもないし、何かのトラブルかと思ってしまった。これは、休日ダイヤによる時間調整であることが、あとでわかった。都心に近づくにつれ過密になるダイヤを、休日には間引く関係から電車の運転間隔を若干ずらして調整しているようだ。 藤代、取手あたりまで来ると、沿線にどっと住宅が並ぶようになる。 我孫子で下車して成田線に乗り換える。東我孫子付近まで住宅が密集、その先になるとしだいに農地が広がってくる。 木下(きおろし)で下車する。何の予備知識もなく、千葉ニュータウンに近そうな駅として下車したのだが、駅の北、南にバスターミナル(というほどのものでもないが)があって、南側から習志野行のバスが出ていることがわかった。残念ながら千葉ニュータウン中央駅には寄らないが、ある程度近くまで行けそうで、次のバスまで12分と待ち時間も少ない。 バスは丘陵地帯の畑や雑木林を抜けて、10分も走ると、真新しい団地群が見えてきた。まだ、人が生活しているという感じが薄い団地群であったが、これも千葉ニュータウンの一角なのだろうと、適当なところで降車ボタンを押した。 駅から10分ほど乗って、降りたのは企業庁西庁舎前バス停。そこから、<千葉ニュータウン中央>、と道路標識に示されている方向に歩いて行くと、いくつかの団地群やまだ造成中のところなどを通り過ぎ、約25分で千葉ニュータウン中央駅にたどり着いた。 [住宅都市整備公団・北総開発鉄道]千葉ニュータウン中央−小室間 4.0kmが前者、小室−北初富間 7.9kmが後者の営業線区で、運賃はそれぞれ 130円、 290円の合算になり、さらに新京成電鉄で松戸まで乗れば、合計23.2km乗るのに 560円もかかる。ずいぶんと割高なところだ。 沿線は造成された住宅地。掘割りと高架が続く。北初富の手前で高架を降り、カーブの多い新京成電鉄に合流する。松戸までの所要時間は35分。 なお、住宅都市整備公団線は、千葉ニュータウン中央駅から印旛沼近くのニュータウンまで延長され、北総開発鉄道は京成高砂と結ばれる予定である。(注:1991年3月31日京成高砂−新鎌ヶ崎間開業。1995年4月1日千葉ニュータウン中央から印西牧の原まで、2000年7月22日には印旛日本医大まで延長された。) [上野]松戸からエメラルドグリーンの電車に乗り換え上野に向かう。 北千住駅は、JR常磐線、東武伊勢崎線、営団地下鉄日比谷線、千代田線の接続駅となっており、現在、大がかりな駅構内改造工事をやっている。日々の運行を続けながらの工事だけに時間のかかることだろう。松戸から約20分で上野到着。 上野駅から上野公園にはいる。あたりは多くの人の行楽客で混雑。上野動物園には東京都交通局のモノレールが走っている。園内に入らないと乗れない。「青春18きっぷ」で東海道線を下るつもりなので、あまり時間がない。パンダなどの見物を兼ねてゆっくり時間の取れる日に訪れることにし、今回は入園を見合わせる。 動物園門前から不忍池のまわりをまわる。池のほとりで、手持ちのパンを食べた。パンの切れ端を水鳥に投げると、まわりにいた水鳥までどっとやってきた。不忍池から西郷さんの銅像を見上げ、上野駅に戻る。 [帰路]今回は、愛知環状鉄道、仙台市営地下鉄、住宅都市整備公団、北総開発鉄道とまわり、モノレール、ケーブルカー、トロリーバスを除けば、鉄道線として乗り残しているのは、先頃開業した青函トンネル、長津田から出ている子供の国線、それに近鉄志摩線の一部だけとなった。しかし、今年(1988年)は、本四連絡線をはじめ、各地で新線開業が予定されており、まだまだ完乗には至らない。 さて、早めに昼食を済まし、東京11:53発熱海行に乗車、東海道を下っていく。実は接続の関係で、次の12:13発でも同じことになるのだが、早めのスタート。 113系電車のボックス席にすこし大きめのテーブルがついていた。乗客への新しいサービスなのだろうか。じっくり文庫本でも読みながら車内で過ごす。 熱海13:39到着。24分の待ち合わせで浜松行に接続。この電車、熱海13:45着の折り返しとなったので、長く待つ必要がなかった。しかも座席にありつけたのがうれしい。なにしろ、熱海−米原間(JR東海管内)の基本編成は4両(静岡近郊は2両もあるが)なので、東京12:13発の電車で下っていたら座れなかったかもしれない。 浜松では2分の待ち合わせで大垣行に接続。乗り継ぐ人の中には「青春18まっぷ」を使って東海道を下っている人がけっこういるようだ。 大垣では20分の待ち合わせ。久しぶりに駅の立喰いうどんをすする。うどん屋はJRの関連会社に替わったらしく、味もいまいちながら値だけは、かけで 250円も取る。むかしはここのうどん、もっと美味しかったような気がするのだが…。 米原からはJR西日本の電車に変わる。本線を走る電車をほぼ100%禁煙車にしてくれたのはうれしい。あとは一路、大阪へ。 |
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