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広島・山口落ち穂拾いの旅

1984.8.12.〜8.14.

■[西に向かって]今回は、広島、山口県下の未乗線区を乗ってしまおうと思う。これらを乗り終えてしまえば、関西以西地域は完乗したことになる。大阪から西に向かうのは、今年(1984年)4月、岡山臨港鉄道(昭和59(1984)年12月廃止)、岡山電気軌道に乗るため岡山を訪れて以来だ。

大阪8:11発の電車で出発。姫路までは座れたのだが、きょうはお盆休みの移動者が多いせいか、乗り継いだ姫路−岡山間の電車はいっぱいで座れなかった。大阪から約3時間で岡山到着。

岡山で乗り継いだ三原行をひとつ手前の糸崎で下車する。次の広島行の始発だからだ。この編成は非冷房車だった。岡山、広島地区の山陽本線の電車はほとんど冷房車だが、たまに非冷房編成が残っているようだ。先月訪れた静岡地区のように、ほとんどが非冷房車ということはないが、こちらにはまだ禁煙車は設けられていない。(注:中距離電車の禁煙車の設置は、東京・静岡地区が先行し、関西で運転席がある車両が禁煙になったのは、この年の10月からだった。)
広島14:16到着。大阪から約6時間乗り詰め。まず手始めに岩日線に乗ろうと考え、さらに岩国行に乗り継いで岩国に向かう。

■[岩日線]岩国15:38発錦町行に乗る。岩国から川西までは岩徳線で、ここから岩日線にはいる。次の御庄は山陽新幹線新岩国駅に隣接している。岩日線が廃止云々される路線でなかったら御庄は新幹線接続駅として新岩国に改称されたかもしれない。岩日線車内では御庄の手前で新幹線の乗り継ぎ案内がなされる。 岩日線は錦川に沿って走る。川の流れが美しい。

岩日線は、岩国と山口線の日原とを結ぶ路線として計画されたもので、昭和35(1960)年に川西−河山間が開業、同38(1963)年錦町まで開通した。(注:岩日線は第二次特定地方交通線に指定されており、1987年7月第三セクターの錦川鉄道に転換された)

終点錦町まで約1時間。5分後の折り返し列車で岩国に戻る。
岩日線から次は可部線に向かうため、岩国から広島に向かい、広島の駅ビルで夕食を取った。

■[可部線]可部線の終点三段峡まではいる列車の本数は限られている。今回は時間を有効に使うため駅で寝るつもりで、その用意もしてきた。日が暮れたなか可部線に乗ってこの列車の終点加計まで行くことにした。三段峡まで行くことはできないので、三段峡行の始発に乗ろうという考えだ。

乗ったのは広島発19:27発加計行で、可部から先にはいる終列車。もう外は暗くて、車窓を眺めることもできず、持ってきた文庫本を読んで過ごす。

加計21:18到着。駅待合室には、ここで泊まることを禁じる、の張り紙がしてあったので仕方なく夜の町に出た。加計駅には駅員がおり、終列車が着き、人がいなくなると戸締まりして電気を消していた。

町に出たものの、明朝の一番列車に乗りたいので、宿に泊まる気はなかった。駅の近くに学校があったので、校内の物陰に寝袋を出して休むことにした。しかし、蚊が多く、気持ちよく寝られる状態ではなかった。真夜中、宿直している人かよくわからないが、夜回りの人がやってきた。見つかるとやばいので、見つからないように息をひそめ、懐中電灯の明かりが遠退くのを待った。

午前4時頃、満足に寝られないまま駅に向かう。別に鍵がかかっていたわけでなく、ここに戻るべきであったと思った。駅で三段峡行5:00始発の列車を待つ。

加計から30分ほどで終点三段峡に到着。終着駅に来た記念に入場券を買うと三段峡駅のスタンプが押された台紙が付いていた。駅前にはSLが静態保存されている。

三段峡からの5分後の折り返し列車に乗る。昨日は夜間に乗ったので、改めて車窓を楽しむ。可部線は、太田川やその支流に沿って走っている。

この路線の歴史は古く、大日本軌道広島支社により明治42(1909)年横川−古市橋間の開業に始まり、同44(1911)年には可部まで開業している。いくつかの会社をへて、昭和11(1936)年国に買収され、また安芸飯室まで延長された。戦後、21(1946)年に布、29(1954)年に加計、そして44(1969)年に三段峡まで延長された。もともとこの路線は、中国山地を縦断して浜田とむすぶルートとなっているが、工事が進められる見込みはない。

可部でディーゼルカーから電車に乗り換える。横川−可部間は先にも述べたとおり買収路線で、戦前から電車が走っていた区間である。今は旧型国電が走っているが、今年(1984年)の10月いっぱいですべて105系電車に置き換えられることになっている。そのせいか、電車の写真を撮りにきている人も多い。すでに一部の編成では、103系から改造された105系が走っている。


■[山口線]横川7:02到着。ここで乗り換え、山陽本線を下る。南岩国を過ぎると海べりを走る。瀬戸内の多島海風景を楽しむ。横川から約3時間、小郡10:41到着、30分ほどの待ち合わせで山口線に乗り換える。 山口線はSL「やまぐち号」の走る路線として有名、この路線の小郡−山口間と津和野−益田間は1977年9月に乗っているのだが、途中の山口−津和野間が未乗のまま残っている。

山口線の歴史は、小郡−山口間が大正2(1913)年に開業したことに始まり、その後順次延長され、同12(1923)年、山陰本線と接続する益田まで開業している。

小郡11:10発益田行に乗車。小郡から宮野あたりまで比較的平坦だが、宮野を出ると山深くなってくる。人家も、ほとんどなくSLが走る路線として選ばれただけのことはある。仁保−篠目間は勾配区間でSLが力走する様は迫力があることだろう。渡川−徳佐あたりは山間の田園地帯といったところで、県境の白井トンネルを抜けると左手に津和野町並みが眼下に見えてくる。津和野でとりあえず山口線完乗。津和野駅はずれに留置されたSLは給水作業中だった。そのまま、益田まで乗り進む。

■[山陰本線]益田13:33到着。30分ほどの待ち合わせで山陰本線の下り列車に乗り継ぐ。山陰本線の出雲市以西は海岸沿いを走るところが多く、のんびり走る客車列車に揺られるのに最高の路線だ。足を前の座席に投出して、ぼうっとしているのが、なんともいえずよい。

益田から日本海を眺めながら約2時間、16:14長門市に到着。

■[大嶺支線]美祢線は美祢以南が未乗区間。きょうは、大嶺支線を往復する。長門市からすぐに接続していた厚狭行に乗り換える。列車は深川に沿って山間に分け入る。大ヶ峠をトンネルで抜けて瀬戸内側に下っていく。長門市から約50分、秋芳洞、秋吉台の玄関駅美祢の次の南大嶺で下車、列車を乗り換える。

南大嶺から4分で終点大嶺に到着。この付近は、かつては炭鉱町として栄えたところだが、広いヤードに貨車は一両もない。一両だけのディーゼルカーが往復するだけだ。北側にはボタ山が見える。石炭は衰えたものの、現在の美祢線は石灰石で栄えている。貨物の取り扱いは全国一を誇る。

大嶺での折り返しまで約1時間、駅でぶらぶらする。ホームの駅名標の根元に、山マークのはいった瓦がおいてあった。山マークは山陽鉄道の社章である。厚狭−大嶺間は山陽鉄道が明治38年9月に開業した区間で、大嶺炭鉱からの石炭を運びだす路線だったのだが、当時の建物に使われていたものをもってきたのだろう。しかし、それを理解する人がいるかどうか。(大嶺支線は1997年3月末で廃止)

■[湯本温泉]大嶺支線を往復して南大嶺からふたたび美祢線を北上、長門湯本で下車する。湯本温泉最寄駅で、温泉につかりに行くことにした。ちょうど、お盆の温泉祭りということで、温泉銭湯は無料解放されていた。町内には盆踊りのお囃子が流れ、華やいだ雰囲気。ひと風呂浴びて、町内の食堂で夕食を取る。

長門湯本からふたたび列車に乗って、長門市に向かう。今夜はこの駅で寝る。やはり蚊に悩まされた。

■[美祢線・小野田線]長門市駅は朝が早い。美祢線の始発長門市4:51発厚狭行に乗車し、厚狭に向かう。南大嶺から厚狭までが初乗り区間。開業が古いせいか、厚狭川に沿ったカーブの多い路線だ。厚狭6:10到着。これで、美祢線完乗。

厚狭で山陽本線に乗り換えひと駅、小野田で下車、小野田線に乗り換える。接続が比較的よくて、10分ほどの待ち合わせで乗り継げる。この路線には105系電車が走っている。小野田港付近には小野田セメントなどの工場が並ぶ工業地帯。

小野田線・宇部線の歴史は、私鉄の戦時買収路線であるが、宇部炭鉱や沿線工場などとの関係で、すでに廃止された区間もあったりして、沿革はけっこう複雑である。小野田線は山陽本線の小野田と小野田港(当時はセメント町)を結ぶ鉄道として大正4(1915)年に小野田軽便鉄道が開業させた。それから、宇部電気鉄道が、現在貨物支線になっている宇部港(当時は沖ノ山旧鉱)と小野田港近くの新沖山まで昭和4(1929)年に、雀田−長門本山間は昭和12(1937)年に開通させた。戦時中の昭和18(1943)年に国に買収され、戦後の22(1947)年に雀田−小野田港間をつなぐことで今の形になったわけだ(代わりに雀田−新沖山は廃止された)。

雀田で本山枝線に乗り換える。このミニ路線には旧型国電が走っている。雀田を出ると線路は海に突っ込むように伸びている。眼前に周防灘が広がる。ほんの3分で終点長門本山到着。駅前のなんでも屋では、切符を売っていた。すぐに折り返す。
本山枝線を往復して、雀田から宇部新川行に乗車。小野田線と宇部線の合流する居能を過ぎ宇部新川で下車。これで小野田線も乗り終えた。

■[帰路]次の小郡行を待つ間、宇部新川駅前のセルフサービスの喫茶店で朝食。

宇部新川7:51発小郡行に乗車。小郡から、広島、岡山、姫路と乗り継いで東へ東へ。乗り継いだ電車はみな冷房車だったので快適。ただし、姫路−大阪間の新快速は込んでいて、立つことになったが、ようようのことで大阪18:24到着。

始発列車から効率的に乗り歩きするため、野宿、駅寝をするというハードな旅程だったが、今回の旅で5線区計179.2kmの初乗りを果たし、これで関西以西の国鉄路線は全線完乗となったのであった。



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