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青函トンネルを抜けて

1988.4.29.〜5.3.

[北に向かって]今年(1988年)3月13日、世界最長の海底トンネルである青函トンネルが開業した。開業当初は、連日トンネル内で立往生など、列車の遅れが新聞紙面を賑わしていたが、開業後ひと月以上も経つと、そういうニュースも聞かれなくなった。

さて、今回はこのトンネルを抜けて北海道に渡ってみよう。用意した切符は「青森・十和田ミニ周遊券」で、青函トンネルを経て函館までは別払いすることになる。

大垣発東京行夜行、この3月ダイヤ改正で列車番号が340Mから372Mに変更されたが、に連絡している米原行を逃したので、米原まで新幹線を利用する。3月改正によって設定された米原停車の「ひかり」に乗る。米原に着いたとき、逃した電車はまだ安土駅を出たとこで、実に新幹線は速い。米原で接続する大垣方面の電車にも一本早い岡崎行に乗り継げた。

ゴールデンウィークの連休初日といっても、春夏休み中とはちがって、大垣発東京行夜行はそう込まないだろうと考えていた。この電車が込むのはやはり「青春18きっぷ」の時期だろう。そのため、大垣で5分の待ち合わせで接続する電車でも席があると思ったが、それより一本早く大垣に着けると、大きな余裕だ。

大垣駅5番ホーム、東京行を待つ人の列は、思ったとおり電車の端のほうまで行けば、二三人もいなかった。
大垣22:04に発車。1ボックス、1〜2人程度で、連休中のため、名古屋から乗車する通勤客も少なく、「青春18きっぷ」の季節とは大ちがい。

しばらくうとうとするうちに浜松、静岡を通り過ぎ、沼津を経て丹那トンネルを抜けて熱海から小田原、そうこうするうちに車内放送が再開され、横浜、東京には定刻到着した。
急いで京浜東北線ホームにかけあがると大宮行に乗り継げた。上野に着くと新幹線乗り換え口へ。改札は5時30分からで、改札口には二三人が待っているだけだった。まだ、30分ほどある。
しばらくのうちに列がどっと延び、定刻に改札が始まる。改札を抜けると地下ホームへかけおりる。

[東北新幹線]上野6:00発盛岡行「やまびこ31号」自由席はほぼ満席。連休中はこのすぐあと6:06発で「やまびこ61号」が出る。

東北新幹線に乗るのは二度目。最初に乗ったのは1984年9月、当時はまだ大宮発着していた頃で、上野−大宮間は新幹線リレー号が走っていた。

上野トンネルから地上に出ると、赤羽から埼京線と並走。大宮から上越新幹線と分かれて、東北本線とつかず離れず関東平野を一路、北へ。白河を越え、東北の地にはいるとトンネルが増えてくる。
盛岡9:19到着。上野を普通電車で発てば白河を越えたあたりだからさすがに速い。

[盛岡]盛岡からは函館行「はつかり5号」の指定席券を入手している。昨日、出発のとき、みどりの窓口で試しに尋ねてみると、たった2枚だけ残っていたのでその一枚を購入した。

座席を確保してあるので自由席の列に並ぶ必要がなく、盛岡で約1時間の自由時間。改札を抜けて駅前のダイエーに食糧調達にでかける。ここには、1985年8月にも北海道へ向かったとき立ち寄っている。午前10時開店だから、駅に戻るときは若干慌てることになった。

[はつかり5号]指定席は満席、自由席もほぼ満席だ。天気は曇りがち、岩手山は山裾のほうしか見えない。十三本峠を越え、馬淵川に沿って八戸に下って行く。荒涼とした小川原湖のそばをかすめて野辺地を過ぎると右手に陸奥湾が広がる。浅虫温泉を通過して12:43青森到着。9分停車してから進行方向を逆にし津軽線に入って行く。

青函トンネル開業にともなって、津軽線も中小国(正確には新中小国信号場というべきか)まで単線のままながら電化され、軌道も大幅に改良つれている。
蟹田まで松前街道と平行に青森湾に沿って進む。新中小国信号場で津軽線と分かれ、海峡線へと進んで行く。車内放送で海峡線の案内が行われる。この電車がトンネル延長 53.85kmの青函トンネルにさしかかる時刻、定点通過時刻、出口に達する時刻などを告げてくれる。

青函トンネルにはいるまでに9ヶ所のトンネルが連続、その間に津軽今別駅がある。
13:34頃、青函トンネルにはいる。12‰の下り勾配、13:42頃定点「竜飛海底駅」にさしかかると電車は徐行してくれる。ここから津軽海峡の海底部を走るわけだ。ただただトンネル、13:55頃定点「吉岡海底駅」にさしかかるとまた電車は徐行する。これで北海道に渡ったことになる。そこから上り勾配でさらに10分ほど、14:06頃、ようやくトンネルを抜けた。約30分で津軽海峡の下を駈け抜けたわけだ。

さらに木古内までトンネルを9ヶ所抜ける。新線部は高架になっているので、北海道のまだ春になりきってない山の木々を高見から見せてくれる。途中にはこの1月末で廃止になった松前線のレールが見える。
木古内で江差線にはいる。この線も単線ながら木古内−函館間が電化された。

函館まで津軽海峡に沿って走るのでなかなか眺めがよい。松前半島の山々から遠く竜飛岬まで見える。曇りがちの天気も回復した。
函館湾越しに函館山が見えてくる。五陵郭で函館本線に合流して14:51函館到着。

切符は「青森・十和田ミニ周遊券」を利用しているので、中小国−函館間は別に切符を車内で購入。函館までの切符にしてしまうと、切符が手元に残らないので、同運賃の七飯までにする。うまい具合に函館で七飯行の列車に接続しており五陵郭駅で途中下車すれば、青函トンネルを抜けた記念の切符が手元に残るわけだ。

[函館]函館で特急から普通列車に乗り換え五稜郭で下車する。ここで下車するのは初めて。駅から2kmくらい離れた五稜郭を見にいく。城址のそばに五稜郭タワーがあって、そこに昇れば、教科書でお馴染みの格好がよくわかるのかもしれないが、石垣を眺めただけで函館駅方面に向かって歩く。

駅近くのBHに荷物を置いて、身軽になって元町界隈の洋館をめぐることにする。函館の街も明治時代になってから大きな町になったところであるから洋風建築も多い。ほんとは、あらかじめ洋館の所在地を調べた上で、街を散策すればよかったのだが、そこまでしなくても街のいたるところ、下見板張りの建物が残っている。

函館駅から函館山のほうに向かうと日魯ビルや金森商船の煉瓦倉庫群や煉瓦造の旧函館郵便局などがある。電車通りを函館ドックのほうに向かい、二十間坂を登って行くと元町カトリック教会(明41頃)がある。そばの函館ハリスト正教会は改修工事中で、建物全体が足場などで覆われていた。

旧函館区公会堂(明43)は国指定重要文化財。81年8月にこの界隈を散策したとき、ちょうど改修工事が行われていたのだが、立派な洋館を見せている。そこから下ったところには旧英国領事館(明42)がある。
電車通りまで下ると木造の相馬商事(大5)がある。この建物と市電を入れた写真はいかにも函館らしい。電車通りから海岸べりに入ったところに尼崎製罐函館工場(昭5)がある。もとは百貨店だったらしく、外観の工場らしくないのもうなずける。

[大函フェリー]本州と北海道がレールで結ばれたとはいえ、津軽海峡を船で渡るのも悪くはない。フェリー航路が残っているので、これで本州に戻ることにする。ただ難点は、フェリーターミナルが市街地から、かなり離れており、自動車を利用しない旅行者にはすこぶる乗りにくいことだ。函館のフェリーターミナルへはバスの便があるらしいのだが、函館駅前から直接行く便はないらしく、乗り換え場所、バスの時刻もはっきりしない。地図によれば、江差線の七重浜駅から近そうなので列車で行くことにした。

七重浜駅は五稜郭の次の駅、電化に際してホームが改良されたらしく、もとあった駅舎を閉鎖して跨線橋を昇ったところに改札口があって、駅員が集改札を行っていた。
駅から歩いて20分くらいでフェリーターミナルにたどり着いた。はるか函館山が望まれ、近くの埠頭に廃止になった青函連絡船が繋留されていた。

乗ったのは下北半島に向かう大間航路。函館から2時間かかる。けっこう乗客があって、自動車もいっぱいだ。
港を出るとゆっくり函館山が遠ざかり、大きく揺れることもなく海峡を渡る。
大間崎突端、弁天島の灯台が見えてくると大間の町並みが近付いてきて、そろりと防波堤を抜けて大間港に着岸。

[下北半島]フェリーから降りてバス停に急ぐと、当初調べてきた時刻とは大幅に違っていて、次のバスまで約1時間あることがわかった。それで、港から大間崎まで歩くことにした。

大間崎へは1977年7月に立ち寄っている。その日は、すごい霧で、北海道はいうにおよばす、岬の先の弁天島に立つ灯台すら見えなかった。そのときは、仏ケ浦を廻って、佐井からバスに乗り、灯台入口バス停で下車して、岬までかなり歩いた記憶があるのだが、バス路線として、岬の「本州最北端」の碑のそばを通るようになったらしい。

大間の町を出外れると人気のない寂しげなところだ。トラックの荷台に商品を並べた移動スーパー、同じフェリーで函館からやってきたのだが、それ目当てにどこからともなく人が集まっている。フェリーを使って函館から行商にきても商売をやっていけるのは、このあたりに生鮮食料品を並べる商店があまりないからなのだろう。

大間港から20分あまり歩くと見覚えのある「本州最北端之碑」が建っていた。レストハウスがあり、土産物屋が並んでいる。自動車で立ち寄る人がけっこう多いが、碑の前で記念写真を撮ると、さっと行ってしまう。

バスが来るまでまだ30分くらいあったので、途中にあった「何でも屋」まで戻り、昼食にパンでも食べようと思ったののだが、連休中のことで、しかも辺鄙なところなので、パンらしいパンがなく、仕方なく残っていた「みそパン」というのを買って、お腹をもたす。

大間崎からバスで大畑に向かう。海岸沿いの国道 279号線を走る。山側にはところどころ築堤、コンクリートの橋梁などが残っている。これは、大畑から大間に向けて延長するつもりで建設された鉄道線の名残。

下風呂温泉を経て約1時間で下北交通の大畑駅前に着いた。10分ほどの待ち合わせで下北行があった。
国鉄大畑線は1985年6月末で廃止され、バス会社の下北交通が引き継いだ。下北交通色に塗られたキハ22が走る。駅舎も新しく建て替えられたようで、クリーム色で明るくきれい。構内には車庫が設けられている。

沿線は畑や雑木林が続き、あまり人気のあるところは走らない。湿地には水芭蕉が咲いている。沿線で町らしく人家が集まっているのは田名部だ。むつ市の中心であり、下北半島の中心といえるだろう。(:2001年3月31日限りで下北交通大畑線は廃止された。)

[青森へ]下北では大湊行に2分で接続。これが折り返し青森行快速「うそり」になるので、下北で待つことなく大湊に行くことにした。周遊券なので余計な出費がなく、このへんは気楽である。

下北を出ると、かつては岸壁に繋留されていた原子力船「むつ」が見えたのだが、関根浜に移されたのか、姿が見えなかった。大湊に近付くと海上に自衛艦が見える。ここは戦前から軍港だったところだ。

大湊で12分停車して青森に折り返す。2両編成のディーゼルカーで、前寄りは野辺地止まり。従来からのオレンジ一色のキハ22。後寄り青森行の車両はキハ40であるが、クリーム地に赤いラインのはいった新しい塗色で、しかも座席も新しい。

快速なので停車駅は大湊を出ると、下北、陸奥横浜、野辺地、ここで進行方向を逆転させて、小湊、浅虫温泉に停車する。一日3往復あって、青森−大湊を2時間弱で結んでいる。これは、青森−むつ市間のバスに対抗したものだろう。運賃はJRより安いものの所要時間が2時間半から3時間かかるから、快速列車のほうがかなり速い。
野辺地では臨時「はつかり85号」に追抜かれ、ふだんより10分遅くなっているが、青森15:47到着。

[青森]今回初めて青森駅西口の改札を抜けた。油川へ向かうほうに旧青森営林局の建物があって、それを見にいく。この建物は明治42年に建てられたルネッサンス様式の木造二階建てで、現在、森林博物館として利用されている。前庭には、森林鉄道の機関車なども展示されていた。

ガイドブックによると、ここからさらに油川に向かうとイタリア館というのがあると書いてあったので、どんどん歩いて行った。この建物は、旧フランコイタリア缶詰工場事務所だったもので、大正7年イタリア人ファブリーが設計したものらしい。かなり歩いて、油川の町内にはいったあたりで、それらしい建物があった。

ここまで来てしまうと、津軽線油川駅に向かうことにする。全く地理不案内だったが、線路のある方向に向かうと踏切があって、すぐそばが油川駅であった。折しも踏切が鳴り始め、空地をかけ抜けて駅に駆け込み、辛うじて青森行の列車に乗れた。これを逃すとあと1時間半ほど列車がないだけに幸いした。

青森県地方は工藤パンというパンメーカーのパンが商店に並ぶ。今夜の宿の新クドウホテルは、このパン屋と関係があるらしく、1階はパン屋、2階はレストランになっている。

[十和田湖]昨年(1987年)4月国鉄が民営化されたのにともなって国鉄バスもそれぞれの旅客会社に引き継がれJRバスとなったが、今年4月から本州3社のJRバスが7ブロックに分割され、それぞれ別会社となった。東北地区はJRバス東北が担当する。

十和田湖へは「みずうみ号」と名付けられた観光案内付のデラックスバスが走り、始発から乗る場合、 200円のバス指定券が必要。 200円節約する意味もあって「みずうみ号」より30分早く出る雲谷スカイランド行のJRバスに乗る。
バスは堤町のあたりを経由して、途中、そこそこの乗降があったが、市街地からしだいに山にかかるうちにひとりだけになってしまった。

雲谷スカイランドは、その名のホテルがあって、青森市の市街から陸奥湾の眺めがよくて展望台になっている。ホテルは改修工事をしていたが、それ以外は何もない。きょうの天気は曇りがちで陸奥湾はどんよりとして遠くのほうまで見えなかったが、青森市街が一望のもとに見渡せ、はるか岩木山も見えた。

30分ほとで十和田湖に向かう「みずうみ号」がやってきた。乗客は十人あまり。あとで聞けばこれは連休中の臨時便とのこと。八甲田山へ春山スキーに向かう人も多い。標高が上がってくるにつれ、雪が道路ぎわに残っている。スカイランドから10分ほどで萓野茶屋。ここで10分停車。茶店で熱々の麦茶をいただく。萓野茶屋のサービスだ。道路以外は雪の山。

萓野茶屋を発車して八甲田ロープウェイ乗り場へ。あたりは春山スキーの人たちで賑わっている。道路沿いの雪の高さはますます高くなって、バスの高さくらいの壁になってるところもある。
JRバス十和田北線の一番高いところは標高1040m。3年前の10月にこのあたりを通過したときは素晴らしい黄葉を楽しめたのだが、きょうはは雪の壁だ。

いちばん標高の高いところから山を下るにつれ雪も消えてくる。蔦温泉から焼山へ。ここから、おいらせ渓谷を登って十和田湖に至る。
おいらせ渓谷の遊歩道を今まで二三度歩いているが、バスで通過するのは初めて。滝や瀬などにいろいろ名前がつけられているが、よくもあれだけ考えたものだ。渓流の真ん中にカーブを示す道路標識が突っ立っている。むかしの水害で道路だったところが、川筋になってしまったらしい。運転手が案内してくれたので、初めてしることができた。

渓谷を登りきり、十和田湖の湖岸子ノ口。湖岸をまわる道路、宇樽部を経て終点十和田湖駅。あたりはホテル、土産物屋などが建ち並んだところだ。観光客の人出も多い。
バスはこの先、十和田南駅行の便が接続していたが、しばらく湖畔を歩くことにして、一本見送った。

[秋北バス]湖畔を和井内まで歩き、そこから大館行秋北バスに乗る。十和田南線はJRバスと秋北バスは共通乗車でき、周遊券でもそのまま乗れる。

湖畔から坂道を登り、発荷峠。ここは十和田湖を見渡せる展望台のひとつ。バスはここで数分停車する。ここから下り坂になって、大湯温泉を経て花輪線の十和田南駅に立ち寄り、大館に向かう。

十和田湖駅の案内では、このバスは大館駅で弘前行に接続することになっていた。しかし、バスはその時刻を気にして走っているように見えず、接続時間の余裕があまりないのですこし心配になってきた。さらに、大館市内にはいると、途中で、細い横道にはいり、その先にある秋北バスのターミナルに寄ったりもして、到着予定時刻になっても駅前には着かなかった。ようようバスが駅前にたどり着いたとき、ちょうど弘前行の列車が徐々に動き出したところで、もうどうしようもなかった。

ここが、JRバスと民間の違いというべきか。道路情況によりバスは遅れることはあるだろうが、JRバスはかなりの余裕で時刻が設定されており、かなり正確にバスを走らせているのに、秋北バスはその点かなりルーズというか、列車との接続などおかまいなしに終点まで走らせればいいと考えているというか、そんなところなのだろう。しかし、利用者にとっては列車に乗れるかどうかが一大事なのだが・・・。

[大館]大館13:05発弘前行を逃すと、次は14:39発特急「いなほ1号」で、普通列車は15:17発までない。特急に乗るとしてもまだ一時間半ある。

とりあえず、駅構内食堂で昼食を取り、そのあと花輪線の13:41発盛岡行があったので、それで一駅、東大館駅まで行ってみることにした。大館の中心部に近い駅であるが、こんなことでもなければ下車することはなかっただろう。東大館駅から大館駅に向かって30分くらいかけて歩く。地図を用意してないこともあり、広い通りを歩いたせいもありとりたてて発見はなかった。

ミニ周遊券だけでは特急に乗れないので、自由席特急券 700円別払いで「いなほ1号」に乗り弘前に向かう。秋田県から青森県にはいり津軽平野にかかると岩木山がくっくり見えて素晴らしい眺めだ。弘前15:15到着。

[弘前]午前中の曇天が澄み渡り岩木山がくっくりそびえ立つ。ちょうど弘前城桜まつりのシーズンで、城跡まで行ってみる。

弘前中央駅のそばには弘前昇天教会がある。大正10年に建てられた煉瓦造の教会。
追手門から城址にはいるとあたりの桜は満開。多くの人が桜見物に訪れている。もういっぱい機嫌のグループがカラオケに興じている。城内の広場では見せ物小屋も出ていた。城址北端亀甲門から外に出た。このあたりには城下町の風情の残っているところ。堀に沿って南に歩き、青森銀行記念館を眺めたあと駅に戻る。
このあと、夜行列車に東京に戻るつもりなので、駅構内の食堂で早めに夕食を取っておく。弘前から青森へ。

[八甲田]青森19:00に到着後、改札を抜けずにホームで、19:59発上野行「八甲田」を待つ。約1時間の待ち合わせ。函館発大阪行の寝台特急「日本海4号」が出ていったあと、「八甲田」が入線。ゴールデンウィークとはいっても上り列車なので余裕で座れた。

定刻に発車、足を伸ばして座っているうちに寝てしまった。
栃木県にはいったあたりで目を覚ます。黒磯を過ぎて夜が明けてくる。東京に近付くにつれ住宅が密集し始め、6:54上野到着。

[こどもの国へ]いったん、上野駅の改札口を抜け営団地下鉄乗り場へ行くと、渋谷経由で東急新玉川線の連絡切符を発売していたので、長津田までの切符を購入、銀座線で渋谷に向かう。

銀座線01系電車の乗降扉の上部、よく沿線の駅名が表示されているところだが、この電車は、電車の動きにあわせ、線上のランプが点灯する仕掛けになっており、電車の所在がたちどころにわかるようになってる。

東急新玉川線に乗り入れる半蔵門線と銀座線の接続駅は赤坂見附=永田町、青山一丁目、表参道、渋谷があるが、表参道で乗り換えるがいちばん便利。同じホーム反対側で半蔵門線に乗り継げるので、階段の登り降りをしなくてすむ。

新玉川線は地下鉄の延長みたいなものだからおもしろみはない。用賀を過ぎて、二子玉川園の手前で地上に出る。多摩川を渡って田園都市線になる。新興住宅地をひかえる沿線、丘陵地のようなところを抜け、8:28長津田に到着。

こどもの国線は、こどもの国協会の鉄道線であるが、東急が電車を走らせている。長津田から一駅、 3.4kmの線区。運賃は 100円。(:この路線は、1997年8月1日こどもの国協会から横浜高速鉄道に移管された。)
このあたりは横浜市の外れで緑が多い。丘陵の一角が「こどもの国」という遊園地になっている。この線の電車は、遊園地への足ということもあって、一番電車は8:25発と、ふつうの路線に比べかなり遅い。

8:44発の二番電車に乗車。「こどもの国」の開園は9:30からなので、まだ乗客は少ない。わずか5分で終点。広い駐車場があり、電車以外で訪れる人も多いのだろう。
緑の多い丘陵地帯を小田急の玉川学園前駅まで歩く。山を造成した住宅街、丘陵をふたつ越して、30分あまりで玉川学園前駅にたどり着いた。

[上野動物園へ]小田急は、代々木上原から営団地下鉄千代田線に乗り入れているが、上野に行くには乗り換えなければならない。千代田線でも、たぶん根津駅で下車すれば動物園に近いと思われたが、地図をもってきてないので、正確なところがわからない。迷うと困るので、いちばんわかりやすい、新宿でJR線に乗り換えて上野に行くことにした。

玉川学園前から新百合ヶ丘で急行に乗り換える。急行は都心に向かう人で混雑。新宿駅も人でごった返している。新宿から中央線でお茶ノ水駅、ちょうど総武線の各停が反対側に停車していたので乗り継ぎ、秋葉原で山手線の電車に乗り継いでようよう上野に戻ってきた。ところが、上野公園側の通路はものすごい人、電車を降りたものの跨線橋の階段をかんたんに上がることができないほど人が団子になっていた。改札を抜けるだけでくたびれた。

改札を抜け、人の流れに従って上野公園に向かう。動物園に入るための入場券を買う人の列もうんざりするくらいの長さになっている。このあとに続くと、いつ園内にはいれるかわからないので、水族館側入口は空いております、という案内放送に従い、不忍池の弁天さんのところを通って水族館側入口にまわった。それでも10人以上の列ができていたが、上野駅側に比べればすぐに入場券を手にすることができた。

園内にはいって、真っ先に向かったのはモノレール西園駅。今回、上野動物園を訪れたいちばんの目的はこのモノレールに乗ることにある。このモノレール、単なる遊園地の遊具ではなく、地下鉄やバスと同じ都営交通なのだ。わずか 350mの営業区間とはいえ無視するわけにはいかない。

このモノレールの開業は昭和32年12月17日、設備更新のため昭和59年9月に一時休止したが、翌60年4月に復活した。モノレールは定員制で、東園との間を約10分間隔のフル運転。30分近く待って、ようやく乗ることができた。運賃は 100円、乗ってしまうと、終点までわずか3分、あっけないものだ。

そのあと、せっかく上野動物園に来たのだからと、パンダを見にいくことにした。しかし、長い行列ができていて、最後尾には、ここから50分待ち、というの案内がなされていた。時間のある人はあとから、という案内もやっていたが、この先空いてくるようにも見えず、列に並ぶ。少しづつ前に移動、ようよう50分ほどかかってパンダに対面。ごろっと寝転がっていた。ああ、これが、という感じ。

そのあと、順路というのに従って園内を軽く一巡。さすがに上野動物園、人人人、どこもかしこも人だらけ。モノレールの待ち時間も1時間、という案内をしていたから、早めに乗り終えてよかった。
午後2時頃、動物園を離れ、上野駅に向かう。ところが、自動券売機付近も人であふれかえっていて、改札口に達するのにもひと苦労。東京の人の多さを実感した一日だった。



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