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《岐阜・三重》 民鉄ローカル線乗り歩き 揖斐・養老線 [ポケットに文庫本]宮脇俊三著『台湾鉄路千公里』を読みながら東海道本線を米原に向かう。太平洋上で台風12、13、14号の三つが迷走しているらしく、天気は不安定。朝、出がけには日が照っていたが、滋賀県下にはいると曇天、河瀬あたりにくると激しく雨が降りだした。しかし、彦根あたりまでくると雨は降ってないようで、局地的なものだったらしい。 米原で2分の待ち合わせで大垣行に接続、関ヶ原を越えて大垣へ、そして豊橋行に乗り継いで岐阜で下車する。 [名古屋鉄道岐阜市内線]岐阜駅前から出ている岐阜市内線の電車は、本線である長良北町行とその途中の伊奈見通行、支線である徹明町から分かれて忠節行の三系統ある。(注:岐阜市内線徹明町−長良北町間は、1988年5月31日限りで廃止された。) 岐阜駅前電停に行くと、電車の時刻表は始発と終電しか記されておらず、次にどこ行が来るのか、よくわからない。市内電車は頻繁に走っているし、道路の混み具合によって遅れたりもしようから、正確な時刻表は作りにくいのだろうけど、岐阜駅前みたいな始発なら目安となる時刻表があってもいいと思う。 やってきた折り返しの電車は長良北町行、次に伊奈見行が出ていった。やんでいた雨がまた降りだしたなか、約15分待ってやっと忠節行がやってきた。 電車は徹明町交差点で左折、市街地を抜け、長良川にかかる忠節橋を渡り約20分で忠節に到着。 [名古屋鉄道揖斐線]忠節から谷汲、揖斐方面の電車が出ている。駅の時刻表を見ると本揖斐行に接続する黒野行は10分あまり前に出たところで、次の電車まで45分ほど待たねばならない。忠節から北方、黒野まで行く電車は20〜30分おきなのだが、本揖斐・谷汲行に接続するのは昼間は1時間に1本しかない。 あまり、調べずに来たのが失敗のもとなのだが、本揖斐・谷汲方面に接続する黒野行は新岐阜駅発の急行電車で、最初に岐阜駅前電停で市内電車を待たず、そのまま新岐阜駅に行っておれば、前の電車に乗れたかもしれないと思われた。今さら知ったところで、後の祭りであるが・・・。 雨なので忠節でおとなしく次の電車を待ち、黒野行に乗車。激しい雨である。20分ほどで黒野に到着。2分の待ち合わせで本揖斐行と谷汲行に接続。どちらも1両だけのワンマンカー。本揖斐行に乗り継ぐと9分で終点。本揖斐に着くまでに雨は上がってくれた。(注:名鉄揖斐線黒野−本揖斐間は、2001年9月30日限りで廃止された。) 名鉄本揖斐駅から近鉄揖斐駅までバスがあるが、雨も上がっていたので歩くことにする。距離は約3km、歩いて40分程度と見込んだ。最初の計画では、近鉄揖斐駅11:30発に乗れるだろうと考えていたのだが、忠節で1本遅れて約1時間の遅れ。近鉄揖斐線の時刻は30分おきに走っているとして、12時半頃までに着ける自信はあった。 予想の時間で両駅間を歩き、近鉄揖斐駅には12:15頃にたどり着いたのだが、見込み違いがここでも起きた。近鉄の時刻は30分おきではなく、約40分おきで、11:30の次は12:10発だったのだ。ふつう乗り歩きの計画では、乗りそこねたりすることも考え、第二、第三案まで時刻が調べられる場合はメモるところだが、今回は11:30しか控えておらず、うろ覚えの時刻のおかげで、ここでもわずかな差で乗り遅れた。いつも絶妙の乗り継ぎをやってきただけに、これぼどロスの多い乗り歩きは初めて。次の電車まで40分ほどの待ち合わせ。駅前の商店でパンを購入、昼食とする。 [近鉄養老線]揖斐12:53発の電車で桑名に向かうと、所要時間から桑名で乗り継ぐ予定の関西本線の電車に数分の差で乗り継げないと思われたが、ここまで来たのだから乗らないわけにいかない。 揖斐から大垣までは平凡な田園地帯、西赤坂あたりから西側には石灰石の採石場が見える。東海道本線の下をくぐり、大垣に到着。7分の待ち合わせで桑名行に接続。 大垣を出るとユニチカ、イビデンなどの化学工場が並んでいる。養老の滝最寄りの養老付近はかなり山に近いところを走っている。 大垣から約1時間10分で桑名に到着。予想した通り国鉄ホームはひっそり、電車が出て10分ほどしか経ってない時刻だった。 [帰路]桑名で下車して、桑名駅から少し離れた位置にある近鉄北勢線の西桑名駅を見に行ったりして時間を過ごす。 桑名15:33発亀山行に乗車。亀山で奈良行に乗り継ぐが接続が悪くて30分の待ち合わせ。奈良から快速に乗り継いで大阪へ。予定よりけっきょく2時間ほど遅くなってしまった。 (1985.8.31.) 美濃・谷汲線 [ポケットに文庫本]宮脇俊三著『終着駅は始発駅』を読みながら東海道本線を米原に向かう。先週は岐阜から揖斐を経由して桑名に至る名鉄・近鉄両ローカル線の約80kmの乗り歩きを行ったが、接続がすこぶる悪く、駅にたどり着くたびに列車が出たあと、それも10分程度の差という間の悪さ、待ち時間が大幅に増え非常に効率の悪い乗り歩きになってしまった。 今週も先週の失敗を繰り返さないよう注意しながら、ふたたび岐阜にむかった。 [名古屋鉄道美濃町線・岐阜市内線]先週同様、米原、大垣で乗り継いで岐阜9:45到着。改札を抜け、岐阜駅前の電停を横目に見ながら新岐阜駅に向かう。 先週、新岐阜駅発の黒野行に乗っていれば、という思いを確認すると、黒野行は9:48発のため、岐阜9:45到着では乗り継げないことがわかった。 前に、美濃から新岐阜駅まで乗っているので、美濃町線の未乗区間は徹明町−競輪場前間である。競輪場前電停は新岐阜駅から美濃町方面に行く電車も通る。新岐阜駅から競輪場までの運賃は 180円、ひと駅歩いて田神駅からだと 100円である。また、市内線の徹明町からも 100円。同じ区間を往復するのはおもしろくないので、時刻を確認もせず隣の田神駅まで約 1.2kmを歩くことにした。(注:名鉄美濃町線新関−美濃間は、1999年3月31日限りで廃止された。) ところが、田神駅のそばまで来たところで美濃線新関行が通過していった。次の電車まで15分あるので、そのまま競輪場前まで歩くことにした。さらに約 1.4km歩いて競輪場前電停に到着。 競輪場前電停は美濃線と田神線の乗り場の位置が違っていて、ちょうど両線が合流するポイント部と電停までの20mあまりが正確にいうと乗れないことになる。それで、さらに美濃方面にひと電停北一色まで歩くことにした。 歩き出すと徹明町行の電車が通過、すぐ次が来るだろうと気を取り直して北一色電停まで歩く。ここで20分ほど待つことになった。先週と同様の経過になりそうでいやな気分。 北一色電停から徹明町まで約15分、ここで5分も待たずに長良北町行が来たのはラッキーだった。 長良北町行に乗り換える。しばらく走るとと金華山のそば、頂上に復興天守閣が見える。公園前電停まではすでに1978年4月に乗っている。残るは、公園前−長良北町間 1.4km、長良川を渡ってあっけなく終点に着いた。(注:岐阜市内線徹明町−長良北町間は、1988年5月31日限りで廃止された。) このあと、今週は谷汲線をめざす。電車の時刻は先週調べてある。時刻は午前11時半。黒野から谷汲線に接続する新岐阜駅発の電車の発車時刻は11:48で、このまま徹明町まで引き返しても、道路の混み具合などを考えると確実に乗れる保障はない。長良北町から忠節駅まで約3km、忠節の発車は12:08だから、急げば間に合いそうである。危うくなりそうなら走ればいい。 長良川にそう道路をかなり急ぎ足で忠節に向かう。天気は曇天、湿度は高く、汗がふき出す。忠節駅がある忠節ショッピングセンターの建物が建物が見えてきたのは12時少し前、どうにかこうにか間に合って、黒野行に乗車することができた。 [名古屋鉄道谷汲線]先週は激しい雨のなか満員の車内、仕方なく運転席のそばに立って前方を見ながら黒野に向かった。今日はいくぶん空席も目につく。先週は前方ばかりに目が行っていたので気がつかなかったが、この沿線は柿畑が多く、少し色付きかけた柿がなっている。柿の産地のようだ。 黒野からは2分の待ち合わせで谷汲行に接続。ここで分岐する本揖斐行とは同時発車。しばらくは濃尾平野北端の田園地帯を行くが、しだいに山が近付いてくる。右手には揖斐川の支流根尾川が流れている。川で釣りをしている人を何人か見かけた。鮎料理の看板を掲げた食堂もあるので、鮎を釣っているのだろうか。(注:名鉄谷汲線黒野−谷汲間は、2001年9月31日限りで廃止された。) 山を切り崩して石灰石を掘り出しているところがある。対岸にはセメント工場があって、樽見鉄道が走っている。約25分で終点谷汲。 谷汲には西国三十三ヶ所札所の最後にあたる谷汲山華厳寺がある。駅から1kmほどのところにあるので、せっかくだから参拝する。 [樽見鉄道]天気はいっこうに回復せず、雷が鳴りだした。華厳寺から早々に駅に戻ると同時くらいに激しい夕立。黒野行まで30分くらいあったので、ひと駅くらい歩こうかと考えていたが、この雨では歩く気になれない。 予定では途中の更地駅で下車して、樽見鉄道の本巣駅まで歩こうと考えていた。距離は3km弱、谷汲14:03発に乗って、本巣発14:47に乗ろうというのだから、かなりきわどい。まあ、乗れなくてもよいとは思っている。しかし、雨の中を歩く気にはなれない。どうしたものか、と空模様をうかがいながら、谷汲から黒野行の折り返し電車に乗った。 しばらくすると小降りになり、予定通り更地駅で下車。時間は25分しかない。小雨が残っていたせいもあり、かなりの急ぎ足になったり、小走りになったりしながら本巣駅をめざす。これでは、鉄道の「乗り歩き」というより「乗り走り」だな、などと苦笑しながら根尾川を渡る。あと10分ほどのところで、樽見鉄道本社と車庫がある本巣駅が見えてきてほっとひと息ついた。今回もどうにかこうにか間に合った。 樽見鉄道は昨年(1984年)10月、国鉄樽見線から転換された第三セクターの鉄道会社。新鋭のレールバス「ハイモ 180」が走っており、この車両はローレル賞に輝いた。車両のサイズはまさに大型バスくらいの大きさで、冷房装置搭載。冷気の排出孔もバスと同じタイプである。 本巣駅は本社があるくらいで窓口では切符も販売されている。しかし硬券はないようで、全駅を記した軟券に発駅・着駅欄に○印をつけるものだった。 大垣行に乗りしばらく走るとまた激しい雨が降りだした。樽見線時代に一往復しているが、転換してから乗るのは初めて。雨にも負けず快調に走り、25分で大垣に到着。 車両から下車するとき、切符を回収、替わりに乗車駅証明書というのをくれた。大垣駅は国鉄とは同じホームを使っているから、このまま国鉄に乗り換えれば、切符が手元に残るかと思っていたのですこしがっかり。無人駅が多い樽見鉄道にとって、大垣駅到着時に運賃を確実に取るためにはとうぜんの措置ではある。 大垣で35分待って米原行に乗り継ぐ。 (1985.9.7.) 鈴鹿・湯ノ山・内部・八王子線 [伊勢に向かって]今年(1986年)3月四国へ行ったとき利用した「青春18きっぷ」の残りを使って伊勢に向かった。 今回は草津から草津線を経由して関西本線の加太越えで伊勢にはいるルートを取ることにした。春休み最後の週末ということもあり行楽客も多い。 草津線はかなりの混雑。水口で何かの集会でもあるのか、近江鉄道接続駅の貴生川で、親子連れがどっと下車していった。近江鉄道は全線電化されているが、利用者の少ない貴生川−八日市間はディーゼルカーである新型のレールバスを導入した。それが貴生川駅に停車していた。 柘植で関西本線に乗り換え加太越え、去年(1985年)9月に近鉄養老線をまわったとき以来だ。亀山で名古屋行電車まで25分の待ち合わせとなったので、駅前の喫茶店でモーニングサービスを取る。入口には「コーヒー+トースト \300」とあったが、出てきたのはコ ーヒーととても小さなハムサンド2切れだった。コーヒーのおまけみたいなものだから、あっけなく食いおわる。 [近鉄鈴鹿線・湯の山線]まず、鈴鹿線に乗る。枝線を単純に往復するのはおもしろくないので、終点の平田町駅にいちばん近い国鉄駅加佐登から歩くことにした。 加佐登駅からしばらく行くと庄野という東海道五十三次の宿場町がある。町並みにわずかに昔の街道筋の面影を残している。 鈴鹿川を渡ると本田技研、旭化成などの工業団地が広がっている。平田町はそんな工場をひかえた町の中心といった駅。沿線はこれら工場労働者の新興住宅街や田園が広がる。 伊勢若松ではすぐに名古屋行に接続。関西本線をオーバークロスして高架になると近鉄四日市に到着。ここでは湯の山線との接続がすこぶる悪く、ホームに着くのと同時くらいに湯の山行が出ていった。30分の待ち合わせ。 湯の山線は高架ホームを出ると大きく山側に弧をかいて本線と分かれ、次の駅手前で地上に下る。沿線は田園地帯。湯の山温泉などに向かう行楽客もそこそこ乗っている。 山間にはいりかけたところに湯の山温泉駅がある。温泉街は駅からさらにバスで数分行ったところにあるらしい。駅前には各旅館の送迎バスが横付け、泊まり客の便宜をはかっている。 近鉄四日市駅で時間をロスしたのですぐの電車で引き返す。 [近鉄内部・八王子線]近鉄には軌間が三種類あるが、狭軌 762mmゲージの路線が四日市から出ている。高架の駅の地上部に専用ホームがある。そのため、本線からだといったん改札を抜けて乗り換えなければならない。改札口は自動改札で、切符が回収されるかもしれないと思え、有人改札を抜けた。 本線の軌間は1435mmで、狭軌はその半分に近い。さすがに電車は小ぶり、しかし電車は新しい。車内はひとり掛の座席が運転席に向かって並んでいる。バスと変わらない感じ。 まず、八王子線の終点西日野に向かう。内部線の途中日永で分岐してひと駅。かつてはこの先八王子まで伸びていたが、道路が拡幅された関係で軌道が撤去され、今は休止している。 西日野から日永までひと駅なので歩いて戻ることにした。ところが、道路が線路に沿ってなくて、適当に歩いているうちに日永よりひとつ四日市寄りの赤堀駅に行き着き、そこで内部行に乗る。 日永までは住宅が途切れることなく続いているが、その先は田んぼが増えてくる。内部駅のそばには国道1号線が走る。 内部駅から関西本線の河原田駅まで歩く。河原田から関西本線で大阪に戻ることにした。 (1986.4.5) 北勢・三岐線 [伊勢に向かって]草津で東海道本線から草津線に乗り換える。平日で今日から学校が始まるということもあり、草津に降り立ったのは朝のラッシュの時間帯。改札を抜ける人、乗り換える人、橋上改札口付近は人でごった返していた。これほど乗降があるとは思わなかったが、それだけ京阪神間から人や工場が移ってきたということだろう。 貴生川駅は橋上駅に改築中、近江鉄道のホーム、この前通ったときはレールバスが停まっていたが、今日は電車だった。 柘植で関西本線のディーゼルカーに乗り換え。加太越えをして亀山へ。 名古屋行の電車を待つ間、亀山駅前の喫茶店へ。以前はいった店の隣の店にはいってモーニングサービスを頼む。出してくれたコーヒーにミルクを入れようとミルクカップを傾けたが出てこない。おかしいなと蓋を取って中を見るとはいっているのだが、様子がすこし変だった。スプーンでかき混ぜてみると、ミルクのとろりとした感触がなく、中からすっぱい臭いがしてきた。腐っているようだった。モーニングセットについていたコッペパンにはさみものをしてあるサンドイッチ、食べてみたものの、はたして大丈夫が不安がよぎった。 [近鉄北勢線]桑名で下車、近鉄北勢線の初乗りをめだす。桑名に来たのは昨年(1985年)8月以来ちょうど一年ぶり。北勢線は国鉄・近鉄名古屋線の共用駅とは少し離れた西桑名駅から出ている。接続待ちで約40分あったので、駅前のジャスコに立ち寄る。 北勢線は近鉄内部・八王子線と同じくナロー、軌間 762mmの路線、電車はロングシートだが、車内はかなり狭く感じられる。(注:近鉄北勢線は、2003年4月1日、三岐鉄道に移管された。) 西桑名駅を出るとすぐ国鉄、近鉄名古屋線をオーバークロス、沿線は養老山地と鈴鹿山脈にはさまれた員弁川沿いの田園地帯を行く。北大社駅に車庫があり、そこまでは4両編成だったが、入庫のため2両編成の電車に乗り換えさせられた。 西桑名から約55分で終点阿下喜に到着。今日は始業式だけのためか、高校生が多い。駅前には三重交通のバスターミナルがある。 阿下喜から三岐鉄道の西藤原駅まで歩く。このあたりは東海自然歩道の経路となっており、道標も整備され迷うことなく約1時間で駅にたどり着いた。 [三岐鉄道]三岐鉄道は埼玉県の秩父鉄道と同じくセメント輸送の割合が高く、東藤原には小野田セメントの工場がある。近鉄北勢線が員弁川の左岸にあるのに対して、こちらは右岸にある。富田で国鉄関西本線と接続している。もともと貨物が主だった関係によるが、旅客輸送に関してはその手前で分岐して近鉄富田に1970年6月から乗り入れている。最近は関西本線も電化され、本数も増えたが、当時は近鉄のほうが本数が多く便利だったからだろう。 国鉄富田駅にも電車がはいっていたが、1985年3月ダイヤ改正のときに休止してしまい、今は貨物の受け渡しだけが行われている。休止前は一日2往復だけだった。今でも国鉄富田駅に三岐ホームが残り駅名標が立っている。 沿線のなかほどに大安町がある。縁起のよい町名ということで、大井田駅を廃して新たに大安駅を設けた。その駅舎に町の図書館を併設したことで話題となった。そのそばには古ぼけた旧大井田駅が残っている。 三岐朝明からレールが分かれ、一方は国鉄富田へ、もう一方は関西本線を2度オーバークロスして近鉄線と並走し近鉄富田駅に達する。 近鉄富田駅から国鉄富田まで歩く。直線で 400mくらいだが、道路は真っすぐでなく、すこしわかりにくい位置関係にあった。近鉄駅前はいろいろ商店があったが、国鉄駅前にはうらぶれた商店がひとつ。国鉄の低落ぶりを見る思いだ。駅員はいたが、キオスクすらない。 [帰路]関西本線の亀山行電車に乗り、亀山で奈良行ディーゼルカーに乗り換えた。関西本線の大河原−加茂間は今年(1986年)の7月の集中豪雨によって不通になり、この区間はバス代行運転がなされていたが、本日より平常通りの運転が再開された。 車窓から見ていても至るところ土砂崩れの跡が見え、まだ、防護壁を築く工事が続けられていた。奈良から快速電車に乗り換えて大阪に向かう。 (1986.9.1.) |
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