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《和歌山篇》 民鉄ローカル線乗り歩き 紀州鉄道・有田鉄道・野上電鉄 大阪で大阪環状線外回りに乗って天王寺に向かう。森ノ宮電車区のそばに大阪城公園駅が今年(1983年)10月1日に開業することになっている。すでにホームもでき、いつ電車が停まるようになってもいいような感じ。天王寺で阪和線に乗り換えて和歌山に向かう。 前回、和歌山に来たのは1982年春以来。紀勢本線を下り夜行「はやたま」で和歌山に午前4時に着き、和歌山市−和歌山間の一番列車に乗るために、まだ暗い町を和歌山市駅まで歩いたのだ。 そのときは、一番列車に乗ったもののまだ暗かった。今回、和歌山から先に進む列車には1時間の待ち合わせで、ちょうど、和歌山−和歌山市間を往復する列車があったので、沿線の様子を見るため往復してみることにした。 和歌山市を往復し、和歌山9:21発で目的再開、紀勢本線が電化されてから、電車に乗るのは初めて。和歌山平野を過ぎると山が海に迫りトンネルが増える。海南の臨海部には住金海南鋼管の工場があり、下津には富士興産のコンビナートがある。初めて紀勢本線をたどったとき、こんなところに工場があるとは思わなかったので、トンネルとトンネルの間から見えたコンビナートに驚いたことがあった。 御坊10:22到着。駅舎の建て替え工事をしていた。ここから出ている紀州鉄道が最初の目的。車両はディーゼルカー1両だけの運転。車体はグリーンに塗られている。 御坊の次に「学問」という駅がある。入場券を売るために設けたような駅だ。国鉄からの乗り換え客のほとんどは西御坊で降りてしまい、終点の日高川まで乗ったのはひとりだけだった。御坊から所要12分。日高川駅はその名の通り日高川に近いところにあって堤防が見える。駅舎は裏町のひなびた感じが漂っている駅だ。(注:西御坊−日高川間は、1989年3月31日限りで廃止された。) 帰りの列車は1時間ほどないので、歩いて御坊に向かう。線路に沿うような北に向かう道路は、道幅こそ広くないものの北に向かうほど賑やかになってきた。商店街など国鉄駅前だけの雰囲気から想像できない町並みがある。しかし、中心を過ぎると次第に町並みが途切れ、田園が広がり、その先に国鉄御坊駅があった。鉄道が敷設されるとき、ほんとの町外れに御坊駅が設けられたようだ。けっきょく、日高川駅から御坊駅まで40分ほどで歩くことができた。 御坊から電車で和歌山方面へ20分で藤並に着いた。ここから東のほうへ有田鉄道が伸びている。現在、この鉄道の列車が湯浅−藤並間に乗り入れている。これは、有田鉄道の路線が湯浅港まで伸びていたことに基づいている。この鉄道の沿線は紀州みかんの産地で、港までみかんを運んでいたのだ。 湯浅からやってきたディーゼルカーに乗り換えて金谷口に向かう。沿線のみかん畑ではまだ緑色をしたみかんがいっぱい成っている。まさにオレンジラインである。藤並から金谷口まで所要12分。帰りは線路沿いの道路をぶらぶら歩いて戻る。夏の日差しがすこぶる暑かった。(注:有田鉄道は、2002年12月31日限りで廃止された。) 今度は、藤並から電車で海南に向かう。野上電鉄の起点日方駅は国鉄海南駅のそばにあるのだが、歩いて行くには、線路を渡る踏切までぐるっと大回りしなければならない。しかし、実際には国鉄との乗り換え連絡の便をはかるため日方駅から数十mほどのところ、国鉄ホームと並んだところに連絡口という特別のホームが設けられている。駅としては日方駅構内という扱い。この連絡口から乗り継げば楽なのだが、わずか数十mとはいえ、電車が走る区間を乗り残すわけにはいかないので、最初は大回りして日方駅まで行った。 日方は創業当時からと思えるひなびた駅舎だ。ここから電車は貴志川にそって山間に入っていく。ローカル線の情緒がただよっている。約30分あまりで終点登山口に着く。 時間があったので、登山口から動木(とどろき)まで線路に沿って歩く。動木から帰りは連絡口で下車、国鉄ホームにまわって和歌山行に乗り継いだ。(注:野上電鉄は、1994年3月31日限りで廃止された。) (1983.9.4.) 深日・和歌山港線 [初詣]冬休み用の「青春18きっぷ」を利用して、年末に関東方面をまわってきたが、まだ、2枚(2日分)残っている。その1枚を使って初詣も兼ねて初乗りに出かけた。 大阪から大阪環状線内回りで天王寺に出て、そこから阪和線区間快速でひと駅、鳳で下車する。この駅のそばには大鳥大社があるので、そこへ参詣する。参道の両側には露店が並び、けっこうな賑わいを見せていた。今年の運勢を見ようとおみくじを引くと「大吉」だった。幸先がよい。 [南海電鉄]鳳から阪和線羽衣支線に乗りひと駅、東羽衣に向かい、隣接の南海本線羽衣駅で南海電車に乗換える。大阪−和歌山間で唯一国鉄と南海が接しているところだ。 南海本線は大阪(なんば)−和歌山市を結ぶ路線である。南海の時刻表が手元になかったので、どう乗るのが効率的なのかわからなかったが、ホームに降りるとすぐ羽倉崎行急行がやってきた。羽倉崎がどのあたりにあるか、わからなかったが、とりあえず乗り込む。和歌山市行急行へ乗り換える人はここで降りてください、という車内案内に促されて泉佐野で下車。羽倉崎は泉佐野の次の駅だ。 南海本線は大阪から遠退くにつれ、運転本数が減るようで、中途半端な区間運転急行に乗ったものだから次の電車を否応無しに待たねばならない。しかし、今日は寒風厳しく、ホームで待つのはつらいので、急行の前にある普通に乗り継いで寒さをしのぐ。和歌山市行急行には尾崎で追い付かれ、乗り換える。尾崎から淡輪にかけて海岸べりを走り、六甲山から淡路島の眺めが素晴らしい。みさき公園で下車する。 みさき公園では多奈川行にすぐの連絡。6分で終点、途中の深日(ふけ)港からは淡路へのフェリーが出ている。フェリー乗り場は乗船を待つ自動車でいっぱい。多奈川には大きな火力発電所がある。そのまま折り返すもの能がないので、深日港までぶらぶら歩く。 深日港からみさき公園に戻ったところ、なんば行にすぐ接続していたものの和歌山市行の接続はすこぶるわるく、16分も寒風のなかで待たされた。 和泉山脈を越え、紀ノ川を渡って和歌山市に到着。しばらく待って和歌山港まで進む。ここから四国方面への高速船、フェリーが連絡している。 和歌山市−水軒間は南海の電車が走っているが、南海の路線は久保町までで、その先久保町−水軒間は和歌山県が所有している。四国連絡のため和歌山港までは比較的本数も多く、なんばから急行、特急も来るのだが、その先、水軒まで行くのは一日二往復、朝夕にしかない、超閑散区間である。それで、往復したのでは、水軒にいる時間がわずかしかないので、和歌山港から歩くことにした。距離は約 2.5km、うまい具合に線路に沿って道路が走っていたので迷うことはなかった。約30分で水軒駅に到着。 水軒駅は片面1線のホームがあるだけ。寂しげなところだ。和歌山市からの電車が到着。折り返しの電車に乗る。和歌山市からは国鉄に乗換え、和歌山から夕暮迫るなか阪和線快速で天王寺に向かう。(注:和歌山港−水軒間は、2002年5月25日限りで廃止された。) (1986.1.2) 加太・貴志川線 [南に向かって]「青春18きっぷ」、最後に残った一枚を利用して和歌山に向かった。大阪から大阪環状線外回りで天王寺へ、さらに快速に乗り換え和歌山へ。快速は 103系4両編成が2本繋がった編成、快速は 113系だけかと思ったら 103系も快速に使われているようだ。 和歌山駅から和歌山市駅への接続がわるく、45分ほどの待ち合わせとなったので、和歌山市駅まで歩くことにする。 [南海加太線]加太線は紀ノ川−加太間であるが、電車はすべて和歌山市から出る。駅に着いたときちょうど加太行が出たところで、30分ほど待たねばならなかった。けっきょく、和歌山で電車を待って和歌山市に来たのとかわらなくなった。 紀ノ川を渡って、紀ノ川駅で本線と分かれる。住金和歌山が近い。かつては貨物線が東松江−中松江間にあったようだが廃止され、その痕跡もわからなくなっている。 磯ノ浦まで海岸に近くを走る。砂地だ。そこから加太に向かって和泉山脈の西端の山間をしばらく走り、和歌山市駅から約25分で終点加太駅に到着。 加太線は加太電鉄が敷設した路線で明治45年6月の開業、駅舎は当時のものらしい。駅は町外れの山間にあり、町の中心、港までは1kmほど歩かねばならない。町内は狭い道路、細い露地など昔の港町の風情が残っている。港からは友ヶ島への連絡船が出ている。 加太からいったん和歌山市駅に戻る。 [紀和]和歌山市駅から紀勢線の電車まで間があったので、ふたたび和歌山駅まで歩いてもよかったのだが、途中の紀和駅に立ち寄ってみることにした。 紀和駅は昭和43年1月まで和歌山駅として市の代表駅だった。都市開発計画にそって東和歌山駅を代表駅にするため、2月1日に紀和駅と改称された。ひと月遅れて、東和歌山駅が和歌山駅に改称された。 現在の紀和駅は無人駅、改札口のところに乗車駅証明書発券機がおかれている。天王寺鉄道管理局管内の無人駅にはたいてい設置されている。この装置に初めてお目にかかったのは1980年8月の旅行で立ち寄った成田線香取駅だったが、ここにきて普及してきたようだ。 和歌山駅といっていたなごりは広い構内、向かいに使われなくなったホームといったところか。駅前もひっそりしている。 [南海貴志川線]紀和駅から電車で和歌山に移動、和歌山駅の東端のホームから出ている南海貴志川線に乗る。電車は本線に比べ旧式、それだけローカル線の風情がある。沿線は田園地帯。ミカン畑も見られる。電車の交換にタブレットを用いている。それだれでローカルな風情だ。低い山を越えて大池遊園。桜の名所だそうで、池に浮かぶボートの情緒もまたよい。和歌山駅から約35分で終点貴志に到着。 [岩出へ]貴志から貴志川線を和歌山に戻ってもいいが、それだと芸がないので北に向かって歩くことにした。約5kmで国鉄和歌山線にぶつかり船戸駅がある。電車の時刻まで約1時間、さほど早足で歩かなかったため、船戸駅の手前、紀ノ川鉄橋のところで踏切が鳴り始め、けっきょく予定していた電車を逃してしまった。 しかたなく、紀ノ川を渡って次の岩出まで歩く。和歌山線は粉河まで30分おきの運転なので、15分ほど待ってやってきた電車で粉河に向かう。 [粉河寺]西国三十三ヶ寺巡礼第三番札所粉河寺は駅から北へ1kmほどのところにある。五条行電車まで30分あったので往復する。 駅からしばらくは古い家屋がところどころに並ぶ幅の狭い道路、寺の門前付近は道路の幅が広げられている。自動車での参拝者が多いのだろう。町並みは土産物屋が軒を連ねるような観光門前町の風情はない。足早に本堂を往復して駅に戻る。 [和歌山線]和歌山線に乗るのは1982年4月以来。電化後は初めてだ。電車は改造 105系2両編成と 113系4両編成の2種類の車両が走っている。 113系4両編成の運転台のある両端の車両は関西線を走っている塗色だが、中ほどの2両は東海道線を走っている車両の塗色であった。車籍を見ると「静シス」となっている。静岡地区を走っていたのが、和歌山に回されてきたようだ。冷房装置の付いてない古い車両。 五条で湊町行に乗り換え。次は北宇智駅で、ここはスイッチバック駅になっている。この先で紀ノ川の分水嶺を越えて奈良盆地へ入っていく。 和歌山線は橋本で南海高野線と接続しているが、奈良県にはいると近鉄との接近が多くなる。吉野口駅では近鉄吉野線に、御所駅では近鉄御所線の御所駅に近い。高田駅は近鉄大阪線の高田市駅に近い。王寺に近付くと田原本線が近付いてくる。 王寺から関西本線にはいり大阪へ。 (1986.9.6) 和歌山観光ケーブル線を訪ねて [南の旅]紀伊半島をぐるっとまわる紀勢本線、かつて名古屋−天王寺間を結ぶ夜行列車が走っていた。昭和49年7月、当時寝台を繋いだ普通列車が全国に4本あったが、指定券の発券の都合からこれらの列車にも愛称が付けられ紀勢本線の列車は「南紀」と名乗ることになった(同時に付けられた他の列車の愛称は函館本線の「からまつ」、山陰本線の「山陰」、鹿児島・長崎・佐世保・大村線の「ながさき」)。 その後、紀勢本線新宮−和歌山間が電化された関係で、紀勢本線を走っていた特急「くろしお」が二分され、天王寺−新宮間の電車特急「くろしお」に対して、名古屋−紀伊勝浦間の新設されたディーゼル特急に「南紀」の名を譲った。その結果、普通夜行は「はやたま」と名を変えた(1978年10月ダイヤ改正)。 全国的に普通夜行が廃止されるなかで、紀勢本線の夜行は電車化され、運転区間も天王寺→新宮の片道だけの列車となって残った。寝台がなくなったのでこの愛称は消えた。 今回、この電車に乗ってみようと思う。乗るのは初めて。どの程度の混み方を呈するのかわからないので、早めに天王寺駅に向かった。電車はふだん特急「くろしお」が停まっているホームから発車する。2時間ほど前に行くと、夜行電車に並ぶ人はまだほとんどいなかった。特急「くろしお」の折返し電車が「はんわライナー」として出ていく。 新宮行夜行電車は、 165系6両編成。釣り客や海水浴に行く人たちが乗り込む。各ボックスがかるく埋まる程度の混み方。 電車が天王寺を発車してうつらうつらするうちに、紀伊田辺、白浜を過ぎ、周参見、串本、海岸沿いを走る車窓から漁り火が見える。紀伊勝浦を過ぎると次第に東の空が白んでくる。山々の輪郭がはっきりしてきて夜が明ける。終点新宮5:01到着。 [新宮]接続の亀山行まで約1時間の待ち合わせ。駅から歩いて15分くらいのところに熊野三社のひとつ速玉大社があるので参詣する。 そのあと、丹鶴城址へまわる。ここには、和歌山観光が営業する丹鶴−二の丸間 0.1kmのケーブル線がある。ケーブル乗り場に行ってみると、茶色に塗られた車両が一台停まっている。軌間は 762mmで、この車両だけが上り下りしていたらしい。10人も乗れるかどうかというような小さな車両だ。 開業は昭和29年8月で、新宮観光が営業していたが、その後、昭和39年に近鉄観光と合併、さらに昭和51年に現在の会社に譲渡されている。いつから休止しているのかよく知らないが、あたりは有刺鉄線でぐるぐる巻きにされ、かなりの年月が経っているように思われた。(注:和歌山観光のケーブル線は、1994年1月25日、正式に廃止された。) [熊野鬼ヶ城]新宮6:OO発亀山行に乗車。鬼ヶ城は太平洋に突き出た海岸で、紀勢本線の大迫と熊野市の間にある。どんなところか大迫駅で下車して見物に行く。 駅から20分ほど歩くと鬼ヶ城東入口。そこから切り立った断崖の海岸べりに遊歩道が設けられている。断崖は太平洋の荒波に浸食され独特な空洞を作っており、それを鬼ヶ城と名付け観光スポットにしているわけだ。 遊歩道は登り下りがあって、なかなか歩きごたえのある小道、しかし、海岸べりなので磯の生き物フナムシがいたるところではい回っているのには閉口した。約30分ほどで、鬼ヶ城西口まで歩き、そこから熊野市駅に向かうことにした。途中に弁当屋があったので、朝食とする。 [紀勢本線]熊野から志摩半島にかけてリアス式海岸が続く。そのためトンネルが多く、トンネルの間に駅があったり、太平洋がちらちら見えたりする。 尾鷲には大きな火力発電所がある。 紀伊長島を過ぎると志摩半島の山越えの登り勾配。ディーゼルカーのエンジン音が一段と高くなり、高見から遥か太平洋が見渡せる。そして、荷阪峠のトンネルにはいる。 桜ヶ谷からは宮川支流に沿って下っていく。次第に山間から平野が広がり、参宮線との分岐多気を過ぎる。松阪の手前徳和駅は伊勢電鉄がオーバークロスし、接続駅だったところで、1982年3月にここを通ったときには、乗換え階段などとともに廃線跡の築堤が残っていた。しかし、今回そこを通ると、廃線跡はすっかり道路になっていた。 熊野市から約4時間で松坂に到着。4分の待ち合わせで名松線に接続。 [名松線]この路線も5年前に乗っている。おりしも、前回と同じ時刻の列車だ。本数が少ないから昼間乗ろうとすると、列車が限られるせいもある。 一志付近までは近鉄線と並走、次第次第に山間に分け入る。美杉村という村名だけあって杉山の山並みが続く。1時間15分で終点伊勢興津。 折返しは1時間ほどのちに出るが、今回はこの列車に接続する三重交通の名張行バスに乗ることにする。所要1時間10分ほどで、運賃は 790円。著名な観光地はこの付近にはないが、最近では、この区間のバス時刻が『時刻表』に載るようになった。 伊勢興津駅を出ると国道 368号線を名張に向かう。町を出外れると道幅はバスが一台通るのがやっとという道路。ところどころで道幅を広げる工事が行われているが、バスの運転はなかなかたいへんだ。西側には倶留尊山が望まれる。 名張からは近鉄に乗り換え桜井まで出て、JR桜井線に乗換えた。王寺から関西本線に乗換え天王寺へ。出発点に戻り、紀伊半島一周の乗り歩きも終了。 (1987.8.5〜8.6) |
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