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東海・関東民鉄乗り歩き

1986.7.24.〜7.26.

[東に向かって]「青春18きっぷ」の季節がめぐってくると、さっそく時刻表に乗るプランの実行だ。大垣発東京行夜行を捕まえればいいのだから時間のゆとりは充分。

大阪から 117系新快速、京都から 113系と乗り継いで米原へ。どこかへ合宿にでもいくのか、大きな荷物を持った学生たちと乗り合わせる。

いつも思うのだが、米原や大垣での乗り換えは、たいていの場合、跨線橋を渡らねばならない。乗り換え時間が2〜3分しかないから気が気でない。同じホーム反対側で乗り継ぎができないものかと思う。

米原−大垣間は比較的すいていたが、大垣からは接続の関係からか立つことになる。しかし、岐阜で下車する人が多いので席につくことができた。名古屋を過ぎ熱田で下車する。

[名鉄常滑線]熱田駅に下車するのは初めて。熱田神宮最寄駅だが駅舎はふつうの橋上駅舎。熱田神宮の森を右手に見ながら南へ5分ほど神宮前商店街、アーケードを行くと名鉄百貨店があって、そこが名鉄神宮前駅である。すんなり駅にたどり着いたこともあり、予定より一本早い常滑行に乗り継げた。

常滑線は、神宮前で本線と分かれ、しばらくは住宅街を進み、大江あたりまで来ると鉄鋼関係の大工場が並んでいる。日長あたりまで海岸線が埋め立てられ火力発電所などばかりが車窓をすぎる。海がちらほら見えるようになるのは新舞子付近から。

常滑に近付くにつれて陶器メーカーの工場が沿線にめだつ。終点常滑付近には昔からの陶器屋の煉瓦造煙突があちらこちらに見られる。土管や植木鉢などが積み上げられたりしている。
常滑駅前は駅前再開発計画に基づいて工事中という感じ。バスターミナルへ多くの人が流れるなと思ったら、常滑ボートに向かう人たちだった。

[名鉄河和線・知多新線]常滑バスターミナル(といっても広場にバス停と掘っ立て小屋があるだけだが)から知多半島を横断する半田行バスが30分おきくらいに出ていて、それに乗る。終点まで乗ってもいいのだが、バスの経路を地図で見ると半田より南にある成岩(ならわ)付近を通ることがわかったので、そのあたりで下車すべく、バス停の案内と地図を見比べながらバスに乗る。

バスは国道 247号線に沿って走る。途中で練習試合を終えたらしい中学生の団体が乗ってきた。いちばん前に座っていたので、車内が混雑していたが、成岩橋というバス停で楽々下車することができた。

名鉄の時刻表からきっちり時刻を調べてきたのに、河和・知多新線関係の時刻が微妙に違っていた。これは、夏ダイヤのため、ということをあとで知ったが、写し間違えたのかと不安になった。
予定では河和行急行が来るはずなのに内海行がきたので、とにかく予定にしたがって、知多新線の分岐駅である富貴で下車、そこで乗り換え、河和に向かった。

沿線は河和口まで海岸沿いだったのに、その先河和まで山間を走り終点に到着する。
ほんとは、河和から知多半島の突端師崎をまわって内海に向かいたかったのだが、東名古屋港に立ち寄りたかったので、そこまでまわる時間はない。河和から内海に向かうバスがあるので、バス停に行ってみると、控えてきた時刻にバスはなく、1時間もあとに出ることになっている。仕方ないので来た経路を引き返す。

知多新線の分岐駅富貴で内海行を待っていると特急パノラマDXが内海からやってきた。
知多新線は知多半島中央部の山間を行く。遥かかなたに海が見えることもあるが、山間の海から離れたところを走っている。トンネルも多い。線路は複線分の幅をもたせた単線、途中に行き違いができるような信号場がある。
内海駅も町の中心から離れたところにある高架駅である。東名古屋港行の接続の関係で時間的余裕がなく、すぐ折り返す。

この駅に設置されている自動券売機は本線筋だけの駅をカバーするだけで、全駅の発券はできないものだった。改札口や出札窓口には夏休みの海水浴客対応に雇われたらしい高校生が接客していたが、そこで「東名古屋港まで」と切符を購入しようとすると、一瞬きょとんとしている。

東名古屋港という駅がどこにあるかわからないのか、そんな駅が名鉄に存在することすら知らないのだろう。それを奥で聞いていた名鉄本来の駅員が出てきて「これから行っても、今日の運転は終わってしまって、接続しませんよ」という。

名鉄時刻表で調べてきたのだが、夏ダイヤでそうなっている、と言われるならしかなないが、どうしようかと考えあぐねていた。窓口の高校生が「列車はないそうです。とりあえず大江まで行かれますか」とききてきたので、ええいままよ、先のことは電車のなかで考えよう、と大江までの切符を買って電車に乗り込んだ。

[名古屋港]気が晴れないまま電車は知多新線から河和線に戻り、知多半島東岸を行く。知多湾岸は工場地帯となっている。半田市を抜けると半島を縦断して、常滑線との分岐駅太田川に到着。大江には各停電車しか停まらないのでここで乗り換える。

とりあえず大江に行ってみて、ほんとに動いてないのなら、いつ動くのか確認しておこと考えた。大江駅は東海道本線の笠寺駅と2kmくらい離れたところにあり、もし、東名古屋港への電車がなければ、歩いてもいいなと思えた。

名鉄の車両はパノラマDX、パノラマカーはじめ、閑散線区のレールバスまでバラエティに富んでいるが、やってきた電車は超旧式で、冷房どころか扇風機すらついてない車両だった。大手民鉄各社では車両の冷房化 100%達成なんていうところもあるというのに・・・。

約15分で問題の大江駅に到着。さて、東名古屋港行の電車は、ちゃんといるではないか、同じホーム反対側に2両編成の電車が停車していた。乗り換えがすむなり発車した。内海駅駅員がまちがっていたのだ。

沿線は臨港の三菱重工などがある工場地帯。煤けた赤い電車がガタガタ揺れながらわずかひと駅、 1.9kmを行く。東名古屋港駅には仕事を終えて家路につく人たちが集まってきていた。この線区には朝夕しか電車が走ってないのだが、駅には二名の駅員がいた。旅客より運輸関係が主なのかもしれない。

東名古屋港駅をあとに、名古屋市営地下鉄名古屋港駅に向かう。三菱、東レなど工場しかないところを北に向かうと国道23号線にぶつかる。自動車の交通量はすこぶる多い。高架になって湾岸部を跨ぐ。両側に歩道があるので歩けるが、排気ガスのすごさに気持ちのいいものではない。堀川を渡ると国道から離れた。東名古屋港駅から約3km、30分あまりで地下鉄名古屋港駅にたどり着いた。あたりは倉庫などが多いところだが、駅に近付くにつれて一般住宅、商店などが並び、臨海部であることをあまり感じさせない町並みになった。

名古屋港駅から名古屋市地下鉄に乗る。大曽根−名古屋港間は名城線と呼ばれているが、データイムは金山−名古屋港間折り返しと大曽根−新瑞橋間の運転となるようだ。夕方なので、これが、金山−新瑞橋間の折り返しと名古屋港からは大曽根直通となる。地下鉄だから車窓は全くおもしろみはないが栄駅まで乗ることで名城線を完乗した。

:2004年10月6日、4号線の全通により環状運転が始められ、環状区間を名城線、枝線の金山−名古屋港間を名港線と呼ぶようになった。)

[東京へ]名古屋駅に戻り、駅構内で夕食を取り、東京行夜行340Mの始発の大垣に向かう。始発からなら10分前でも席にありつけることを確認しているが、万一ということもあり、1時間前に大垣に着くようにした。

駅ホームの電車を待つ列はできていたが、それぞれ数人くらい。ビールなど飲むうちに21:50頃東京行が入線する。
昨年(1985年)の春・夏とも名古屋からだと座れないくらいの込み方を呈していたが、今年はそれほどでもない。やはり昨年は「つくば科学万博」が大きく影響していたのだろう。名古屋から乗ってきた勤め帰りも岡崎あたりまでであらかた下車し、ボックスを占領して寝ることができた。

[三浦半島]いったん東京駅まで行ったあと地下5階の総武・横須賀線ホームへ下り、一番電車で逗子に向かう。品川で地上に出ると新幹線と並ぶ。品川の次の西大井は今年(1986年)4月に開業した駅で新幹線の高架下にある。

横浜を過ぎ、大船で東海道線と分かれ約1時間で逗子に到着。横須賀線逗子駅から歩いて5分くらいのところにあるのが京浜急行電鉄の新逗子駅。新しい洒落た感じの駅である。古い地図を見ると逗子海岸が末端の駅になっているので、新逗子駅の先に線路が伸びているのかと、行ってみるとレールはなく、駅の跡があった。1985年3月2日に新駅は「逗子海岸」と「京浜逗子」を統合して設けられたものだ。

新逗子を出ると横須賀線をオーバークロス、次の神武寺は米軍池子弾薬庫に近い。斎藤栄のミステリーに『不思議な最終電車』というのがあるが、京浜急行と米軍弾薬庫を舞台としている。最近は、米軍家族住宅建設問題で話題になるのがこのあたりらしい。神武寺から金沢八景まで上り線のレールは3本並んでいて東急車両の工場まで伸びている。

金沢八景で三崎口行に乗り換え。三浦半島は標高 100〜 200m程度の高台が海岸近くまで迫っているため平地が少ない。トンネルが続く。
横須賀中央駅のあるあたりが横須賀市の中心。国鉄横須賀駅はは中心部に向かうことなくトンネルにはいるから、横須賀の街の広がりが感じられないが、京急線に沿って町並みが広がっている。

堀ノ内で浦賀行に乗り換え。浦賀駅はトンネルを抜けたところ、山の中腹に駅がある。住友重機の造船の町である。ちょうど通勤時間帯となり、いったん浦賀行で終点まで行き、そこでホームの列に並ぶ人が多い。始発から乗って座って行こうという考えらしい。これは京急に限らず、込み合う線区の末端駅近くの人はよくやっている。ただし、定期券は「浦賀」からになっているかどうかは知らないけれど・・・。

混雑がひどくならないうちに浦賀から堀ノ内まで戻り、三崎口へ向かう。京浜久里浜駅付近は高架となっており、国鉄駅前が見下ろせる。ここからレールは単線となる。
野比を出ると浦賀水道が望める。天気はいまひとつ、曇天である。三浦海岸を出るとふたたび台地に突っ込んで行く。あたりは造成中というところが多く、宅地は少ない。終点三崎口駅付近は畑が広がる。

しばらく、付近を散策。畑に植えられている作物は、カボチャ、スイカ、メロンなど、「スイカ番実施中」という立て看板がある。ちょうど前を歩いていた高校生のグループがスイカ番のおっさんに呼び止められ、えらい剣幕で怒鳴られていた。ただまちがわれただけなのか、実際にやろうとしたのか、までは知らない。

たいして見るものもなく三崎口駅に戻り、泉岳寺に向かう。京急線の駅には浦賀をはじめ、金沢文庫、生麦など歴史の教科書に登場してきそうな駅名が多い。
品川からひと駅、都営地下鉄と相互乗り入れしている泉岳寺駅で下車、京浜急行本線を完乗し、歩いて品川に戻る。品川から国鉄山手線に乗り換えて新宿に向かう。

[京王帝都電鉄]京王線は1978年10月都営地下鉄新宿線乗り入れと輸送力増強をはかるため新宿−笹塚間に新線を設けた。1980年3月から地下鉄開業によって乗り入れが始まった。そのため従来の新宿駅と地下鉄の新宿駅に分かれている。新線といっても増線のため新たな営業キロ数はないようだ。

新宿からしばらくは地下を走り、初台付近で地上に出る。幡ケ谷付近で地上に出てきた新線と並走、笹塚で合流する。沿線は甲州街道に沿った人口密集地帯、明大前で井の頭線、下高井戸で東急世田谷線に接続、家並みが途切れることがない沿線も調布あたりまで来ると畑もところどころに残っている。南武線との接続駅分倍河原を過ぎ、多摩川を渡ると新興住宅街が広がり、また畑も増えてくる。

北野から高尾線にはいると山間を行く。終点高尾山口には新宿直通と大きな看板がかかっている。京王線の運賃は 320円、いっぽう国鉄の新宿−高尾間特定運賃で 510円である。(:京王帝都電鉄は、1998年7月1日に京王電鉄に社名変更した。)

[高尾山]高尾山一帯は明治の森高尾国定公園で、ハイキング路などが整備されている。高尾山には成田山、川崎大師と並んで関東三大霊場のひとつといわれる薬王院がある。高尾山口駅から歩いて5分くらいのところ清滝から山上までケーブルとリフトが通じている。

天気は曇りがち、あたりはすこし霧状の靄に包まれ展望は全くきかない。とにかく、いつもの例にならってケーブルの山上駅まで歩く。蒸し暑さでどっと汗が吹き出す。約30分で山上の平坦部に出た。薬王院は、さらに 1.5kmほど離れていたが、せっかくなので詣でる。夏休み中なのでケーブルで登ってきた人たちも多い。

大急ぎで薬王院を往復したあと、高尾登山鉄道のケーブルに乗車、山を下る。途中にトンネルがあった。上りは汗を拭き拭き登った山も、ものの5分で終点清滝に下った。

ふたたび京王線で高尾に向かう。早め早めに移動してきたおかげて、高尾で中央本線に乗り換えるのに、予定していた電車より1本早い電車に乗り継ぐことができた。

[中央本線]高尾を出ると小仏トンネルを抜け、いったん神奈川県にはいる。相模川をせきとめてできた相模湖がある。ふた駅で山梨県にはいる。

相模川上流の桂川に沿う山峡地を行く。このあたりは普通電車にもかかわらず車販が乗り込んでおり、名産の饅頭などを売り歩いている。約40分で大月に到着。

[富士急行]富士急行河口湖行の電車は中央線の電車とうまく接続していて、これも予定より1本早い。関東地方の雨が降りそうなうっとうしい天気もここまで来ると青空が見えてきた。

中央本線は桂川の支流を西進し笹子トンネルを抜けて甲府盆地に下っていくが、富士急行線は桂川に沿い富士吉田に向かう。沿線は山に迫られた川筋に水田が広がる。途中に都留市がある。電車から見える町並みからは大学がある町には見えない。中央自動車道が沿っている。

山が開けてくると富士山のすそののなだらかな地形で、富士急行線は富士吉田の市街地を大きくまわりこんで南端に駅がある。電車はそこでスイッチバックして河口湖に向かう。途中に富士急ハイランドがある。

河口湖駅には富士急行線の電化60周年を記念して復元された「モハ1」が留置されていた。
駅から湖畔まで約1km離れている。御殿場に抜けるバスの時刻まで間があったので、湖畔まで往復してきた。夏休み中ということもあり人が多い。

[御殿場から静岡へ]河口湖駅前からバスで御殿場に抜ける。富士山すそのなだらかな地形、国道 138号線を走る。旧鎌倉往還である。田んぼや畑が広がっていたのがバスが進むにつれ、しだいに林間を行く。南側は北富士演習場、ときどき自衛隊のトラックなどとも行き違う。

山中湖の湖岸をかすめ、篭坂峠を越えて御殿場に下る。富士五湖周辺はリゾート地帯で訪れた人で賑わっている。約1時間半のバスの旅だった。

御殿場からは御殿場線に乗り継いで沼津に向かう。駅には小田急のSE車が停まっていた。
沼津からそのまま乗り継いで静岡に向かってもよかったのだが、空腹でもあり、いったん下車して夕食を取ることにした。しかし、いざ、食堂にはいろうとすると値段とか食べたいものとか、すぐここ、と決めることができず、駅前をうろうろしたあげく、アーケード街のとある貧相な食堂で質素に夕食を取る。
その日は静岡駅前のBHに泊まる。

[井川へ]翌朝バスで井川に向かう。早めにBHを抜け出して静岡バスターミナルに立ち寄りバス停位置を確認しておいた。まだ、充分時間があったので近くの駿府城址へ行ってみることにした。堀と石垣が残っている城内は学校など公共施設や公園となっている。

公園では早朝とはいえ多くの人たちがスポーツに励んでいる。堀ばたに芋虫のような形をした記念碑が建っていた。何の記念碑かと近寄ってみると「わさび漬」の記念碑だった。城址近くにある静岡市役所の建物は立派な洋風建築である。

畑薙第一ダムへ向かうバスは季節運行で、南アルプスへはいる登山者を乗せる。バスターミナルからいったん国鉄静岡駅前に寄ったあと、市街地を北上、安倍川に沿って走る。郊外に行くにつれ沿道は茶畑が目に付く。ミカンの木もところどころで見られる。油島で左にそれ、安倍川の支流に沿う。もう山間で人家もまばら。山の斜面は茶畑。

このバスには山間の狭い道路を走るためか、車掌が添乗していた。1時間あまり走り、横沢バス停で5分ほど休憩。バスには登山者が10名たらず乗っているだけである。
そこからは人家がつき、右へ左への山道をたどる。標高1000〜1100mあたりまで登るのでなかなかの展望が楽しめる。峠でも5分ほど停車した。北側に井川湖が見える。
約2時間20分で大井川鉄道井川駅前に着いた。ほんとに乗りごたえのあるバス旅だった。

[大井川鉄道]井川駅で15分ほどの待ち合わせ、井川線千頭行の乗車。駅はトンネルとトンネルの間にある。列車はディーゼル機関車が牽引する客車と貨車の混合編成。軌間は国鉄在来線と同じ1067mmだが、もとの 762mmを改軌しただけで、トンネルの断面などはそのままのため車両の大きさはナローゲージのものとかわらない。

沿線は大井川に沿う。井川線は右岸に敷設されているので、上り列車なら左側に席を取るとよい。トンネルが65ヵ所、橋梁が45ヵ所もある。また尾盛−閑蔵間には民鉄ではいちばん高い鉄橋関の沢鉄橋(100m) がある。25.5㎞を1時間半かけて走る。標定速度は約17km/hである。上り列車を選んだおかげで列車の乗客は数人、途中の奥泉から少し増えたものの、すれ違う下り井川行の込み具合に比べがらがらであった。(:井川線は長島ダム建設で一部区間が水没するため、1990年10月2日川根市代から川根長島間がアプト式で急勾配を登る新線に切り替えられた。)

千頭で約50分の待ち合わせ。ちょうど蒸気機関車C11によるSL列車や旧小田急のSE車がホームに停車していた。これら鉄道技術史に残るSLや小田急SE車などが動態で、しかも現役で働いているのが大井川鉄道の特徴でもある。

千頭からの本線は電化されている。広くなった大井川沿いに右岸、左岸といったりきたりしながら金谷に向かう。沿線は茶畑が多い。
金谷で東海道線に乗り換え、30分待って浜松行に乗車、乗り継いで帰路につく。今回の初乗りキロ数は 300km近くまで達した。



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