このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



北関東民鉄乗り歩きと「越美南線」

1985.3.22〜3.24

■[東に向かって]今年(1985年)3月14日全国ダイヤ改正で、東北・上越新幹線の上野開業となったわけだが、その一方で鈍行夜行「山陰」が廃止、列車は福知山止まりとなり、上越線夜行733Mは新前橋止まり(季節運用で越後湯沢まで延長)、中央線夜行441Mは上諏訪行として残ったものの、上りの442Mは廃止、四国土讃線731Dは客車化され高知行として夜行は残ったものの上りは高知止まりとなり夜行でなくなった。

今回の改正でも東海道夜行は残った。「青春18きっぷ」を利用して、この夜行に乗って東に向かうことにした。つくば学園都市で科学万博が開かれており、春休み中でもあることから、どのくらい込むかわからない。とにかく、大阪から、大垣で東京行夜行に接続する大垣行でスタート。

午後も7時から8時台は通勤帰りが多いが、米原あたりまで来るとへってくる。そのいっぽうで、このまま東京まで行こうという高校生風も目立つ。大垣20:51到着。10分の待ち合わせで東京行340Mに接続。ボックスが、ほぼいっぱい。名古屋からでは座れないのは確実。つくば博のガイドブックを持っている人も見受けられる。

■[西武鉄道]東京4:39到着。最初の目的は西武池袋線、池袋に行くのにどの電車で行こうかと思うが、まだ朝が早いので、頻繁に電車はなく、けっきょく、上野、田端経由の山手線で向かう。まだ夜明け前だ。

池袋での下車は初めて。ここは、営団地下鉄、東武、西武との接続駅である。案内矢印に従って進むと西武電車乗り場に行き着いた。やや明るくなってきた5:33発普通秩父行に乗車。
練馬、保谷あたりは住宅密集地、さらに進むにつれて、けやきの木立がぽつぽつ見えてくる様は武蔵野の趣が感じられる。埼玉県にはいって所沢、このあたりまで来ると畑も多い。

飯能でスイッチバック、進む方向を逆転させて山越えにかかる。飯能からは単線である。正丸トンネルは4811mあって、トンネルの途中に信号場があって、そこで貨物列車と行き違いをした。
横瀬には三菱鉱業セメントの大きな工場がある。電車は下り勾配を秩父の町へ下りていく。

■[秩父鉄道]西武秩父から案内の矢印に従って2、3分歩くと秩父鉄道御花畑駅に着く。名前の華やかさに比べ地味なローカル私鉄の駅という感じ。一面一線のちっぽけな駅である。出札口のところには「御花畑駅の入場券を記念にぞうぞ」という案内がされていた。

まず、御花畑から三峰口をめざす。次の影森にはセメント工場への石灰石を積み出す広いヤードがあり、電気機関車が長い貨車を従えて停まっている。

秩父鉄道は荒川の上流に沿って走る。鉱泉宿の案内が目に付く。終点三峰口は山間の駅、ここからさらに上流に向かえば、秩父湖とか中津仙峡などの観光地がある。今回はそちらのほうに向かわず、かといってこのまま引き返すのもなんだから、レールに沿ってひと駅白久まで歩くことにした。白久から熊谷に向かう。

秩父を過ぎると山が迫ってきて長瀞の舟下りで有名な渓谷である。山間から少し開けたところが寄居、国鉄八高線、東武東上線接続駅。ここから平坦な路線となる。新幹線の高架が近づいてくると熊谷で、上越新幹線と高崎線に接続。

羽生へは熊谷で電車を乗り換えさせられる。秩父鉄道は羽生−三峰口間の路線だが、熊谷−三峰口、熊谷−羽生とは別路線という感じ。行田市を経て羽生へ。

■[東武鉄道]羽生は『田舎教師』ゆかりの地で市内めぐりの案内がなされている。そんな案内無視して先を急ぐ。秩父鉄道から今度は東武の路線を乗り歩く。

羽生から利根川を渡り館林に向かう。館林の手前の茂林寺は『分福茶釜』で有名。沿線は田園地帯。館林−太田間はふたつの路線に分かれていて、今回は南側の小泉線を片づけることにする。
館林から小泉線への接続はよくて、5分の待ち時間で西小泉行に乗り換えることができた。東小泉で太田に向かう路線と分かれ、西小泉に進む。終点西小泉には東京三洋の工場がある。

すぐに折り返すのはいやなので次の電車にする。しかし、東武鉄道の路線もこのあたりは運転本数が少なく、次の電車を待つ間、東小泉まで歩くことにした。小泉城址のそばでは梅が綺麗に咲いていた。40分ほどで東小泉へ。駅前付近は年度末のためか、道路を掘り返していた。
東小泉から太田市へ向かい、桐生線に乗り換え赤城に向かう。

■[絶妙の乗り継ぎプラン]桐生市付近は国鉄両毛線、足尾線(足尾線は、第二次特定地方交通線に挙げられ、1989年3月第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」に変換された)と東武鉄道、それに両毛電鉄が走っている。同じところを往復するより行き帰りで変化をつけたい。しかも乗り残しをしないようにと考え出した乗継ぎプランは、足尾線を利用することだった。東武赤城駅は両毛電鉄接続駅であるが、ここから両毛電鉄に乗ってしまうと、中途半端になるので、赤城駅から足尾線大間々駅まで歩くことにした。距離は1kmほどしか離れてない。足尾線は本数が少ないので、その時刻にあわせて乗り継ぎプランを組み立てたわけだ。

東武鉄道は桐生市駅を出ると大きくカーブして渡良瀬川を渡る。両毛線をオーバークロスして足尾線接続駅の相老、国鉄駅名で五十音順に並べたとき相生と並びトップにくる駅名だ。しばらくすると両毛電鉄と並走、終点赤城に到着。

改札を急いで抜けようとすると駅員に呼び止められた。なんのことはない、駅員が「東小泉」と「西小泉」を間違えただけのこと。急いでる姿が不正乗車をする者に見えたのかも・・・。駅前の通りを北に向かって歩く。あらかじめ地図で見当をつけていたとおり、大間々駅には10分ほどでたどり着いた。

足尾線に乗るのは1983年3月以来、東武との接続駅相老を経て、渡良瀬川を渡り桐生駅に到着。桐生駅は2年前訪れたときは高架線の工事を進めていたが、高架になったのは両毛線ホームだけで、足尾線ホームはまだ地上のままだった。しかも、高架になったことで駅の位置が少し東に動いたようで、長い連絡通路を登り降りさせられて、ようやく改札口にたどり着いた。足尾線は廃止の運命にあるのだから、というわけではないだろうが今は不便である。
桐生から両毛電鉄の西桐生駅まで歩く。

■[両毛電鉄]国鉄両毛線は桐生から伊勢崎のほうへいったん南に下がり、そして前橋へ北に向かうように敷設されているが、両毛電鉄は桐生からほぼ西に前橋へ直行している。昼間は30分間隔の運転、沿線は農村風景が広がる。終点の中央前橋駅は雑居ビルのような建物である。

前橋は群馬県の県庁所在地、上越線から離れているので不便な感じを受ける。中央前橋駅から国鉄前橋駅までぶらぶら歩く。

前橋駅のみどりの窓口で「青春18きっぷ」に明日の日付を入れてもらおうとすると、「乗るときに入れてもらえ」と拒否された。日付を入れるのは別に乗車当日でなければならない決まりはなく、乗車前であれば、一日でも二日前でもいいはずだ。こんなことでごたつくのは欝陶しいのだが、いろいろやりとりがあって、どうにか日付は入れてくれた。ここまでする必要もないのだが、県庁所在地駅として印象は非常に悪い。
前橋駅近くの銭湯に立ち寄ってさっぱりする。そのあと夕食を取って、暗くなったなか、高崎に向かう。

■[東海道を下る]高崎から上野行電車に乗り換え、上野で電車を乗継いで東京駅に着いたのは21時40分頃、大垣行夜行345Mが入線してくるまでまだ1時間半ほどあるが、東京駅9番ホームは夜行を待つ人の列がかなり伸びていた。今まで2、3回この電車に乗っているが、いちばんの混み方だ。つくば科学博の影響があるのかもしれない。春休み中なので中学、高校生も姿が多く見られる。

どうにか席につくことができた。かなりの立ち客が出て、東京を発車。春・夏の休み期間中に下り東海道夜行を利用するときは注意が必要だ。安く旅行ができる「青春18きっぷ」がそれだけ浸透してきたせいかもしれない。
6:44到着の岐阜で途中下車する。

■[越美南線]今回、岐阜で途中下車したのは、越美南線のバス代行運転区間を列車で乗っておこうと考えたからだ。

越美南線に乗ったのは1980年9月のことだが、この年6月の集中豪雨によって、美濃相生−郡上八幡間で土砂崩れが起こり、この区間が復旧するまでの間、深戸−郡上八幡間が代行バスによって連絡されていた。9月訪れたときは、まだ復旧してなくて、対岸の国道を走る代行バスのなかから、山が崩れ、レールだけが宙吊りになった様子を眺めたのだった。

岐阜から高山本線で美濃太田に向かってもいいのだが、せっかくなので未乗の名鉄各務原線に乗ってみることにした。この路線は高山本線と平行して走る。
新鵜沼で下車して長い連絡通路を通って国鉄鵜沼駅にまわり高山本線に乗り換え。ちょうどよい頃合に下呂行がやってきた。

美濃太田で越美南線に乗継ぐ。長良川に沿って走る路線である。代行バスでながめた区間はほんの10分程度で通過した。真新しいコンクリートがその現場かと思う。
(越美南線は、第二次特定地方交通線に挙げられており、1986年12月第三セクターの長良川鉄道に転換された)

今回は郡上八幡で下車した。次の上り列車が来るまで1時間40分あるので、郡上八幡城まで歩く。駅から20分あまり、山城の復興天守閣があり、城から郡上八幡の町並みが見渡せる。町並みのなかには古い町屋も残っている。

郡上八幡から列車に乗り、今度は美濃市で下車する。美濃市は歌手の野口五郎の出身地であるらしい。実家が喫茶店をやっているとかで、その喫茶店までの道順を示した地図が駅に掲示してあった。

国鉄駅の近くに名鉄美濃町線の美濃町駅がある。岐阜方面に向かう電車は昼間は30分おき、新関からだと15分おきにあるようだ。電車は路面電車タイプのもので、1両だけ、新関で乗り換えて2両編成になる。独立した軌道区間もあるが、道路沿いに走っているところもある。
(名古屋鉄道美濃町線新関−美濃町間は1999年3月末で廃止され、新関と長良川鉄道関駅に連絡新線が設けられた。)

競輪場前から田上線にはいり、田上で各務原線に合流、そして終点新岐阜駅に到着する。岐阜駅発の電車までたった9分しかなかったので、新岐阜駅から岐阜駅まで小走りで向かったのだった。



・目次に戻る・

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください