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鹿島紀行

1985.7.26〜7.28

■[東の旅]「青春18きっぷ」発売の季節がめぐってくると列車に揺られたくなる。夏の暑さを避けるには冷房付きの車両に限るが、非冷房車だとがっかりする。京阪神間の国電も 201系が増え、冷房車も多いが、一部扇風機が天井でけだるく回っている車両もある。

米原行に乗車。滋賀県にはいると、時刻が早く空気が澄んでいるせいか、比叡山から比良山にかけての比良山地の山並みがくっきり見えた。
米原8:23到着、大垣行に乗り換え、さらに大垣で豊橋行に乗り継ぐ。大垣駅舎は建て替え工事中。6番ホームのはずれには樽見鉄道のレールバスが停まっている。

濃尾平野を突っ切って豊橋11:32到着。予定としては飯田線で豊川に行き、名鉄豊川線に初乗りして、豊橋に戻り、そのあと豊橋鉄道渥美線をまわることを考えた。次の飯田線の電車まで50分ほどの待ち合わせ、いったん改札を抜けて駅前のダイエーへ食糧の買い出しに出かけた。

■[名古屋鉄道・豊橋鉄道乗り歩き]豊橋12:19発岡谷行に乗車。 119系4両編成、うち2両は天竜峡止め。車内は鳳来寺山方面に行く子供会か何かの団体でけっこう混んでいた。

飯田線豊橋−平井信号所間は名鉄と共用になっている。豊川まで約14分。

国鉄豊川駅と名鉄豊川稲荷駅は隣接している。名鉄豊川線の電車まで18分ほどあったので、日本三大稲荷のひとつといわれる豊川稲荷に詣でる。駅前から歩いて5分くらいのところにある。時間がないので、すぐ駅に引き返した。
豊川線沿線には豊川市役所などがあり家並みがつきない。20分で名鉄本線との接続駅国府(こう)に到着。豊橋行にすぐ接続していて豊橋に戻る。飯田線と合流して終点豊橋。

今度は豊橋鉄道の初乗り。豊橋鉄道渥美線は新豊橋−三河田原間18.0kmの単線、新豊橋駅は国鉄・名鉄豊橋駅から東京寄りに少し歩いたところにある。一面一線の小さな駅だ。自動券売機のほかに窓口があいていたので、小銭がないこともあり、そこで三河田原までの切符を求めると、スーパーのレシートのような切符が出てきた。こんな切符は初めて。

電車は2両編成、ロングシートの車両。渥美半島の中程まで行く路線だが、伊良湖岬などの観光地への足はバスや自動車が主なのか、観光色はまったくない。

沿線は畑。海が見えるわけでないが、雑木林の向こうに海を感じさせる車窓風景だ。約35分で終点三河田原に到着。時間の余裕があれば、ここからバスで伊良湖岬に向かい、フェリーで知多半島師崎に渡り、バスと電車で名古屋に出ようか思っていたが、この先、どの程度時間がかかるかわからないので、あとの予定もあることから豊橋に引き返すことにした。

三河田原駅前からも伊良湖岬方面へのバスが出ているが本数はわずかで、多くのバスは駅から 200mほど離れた田原本町バス停を通るバスに乗るのがよいらしい。豊橋から直通バスに乗ったほうが安いのはいうまでもない。

豊橋に戻って、東海道本線の快速に乗り換えて名古屋へ、17:08に到着。国鉄名古屋駅地下の名鉄新名古屋駅に行くと、夕方のラッシュにさしかかり、ホームは人でいっぱい。
名鉄の電車のほとんどは新名古屋を中心に南北方向に走っており、ホームは北行と南行しかない。しかし、行先がいろいろあって、電車ごとに停車位置がずらしてある。人の列がいくつもできており、どこに並べばいいか戸惑ってしまう。行先ごとにドアの位置がホームに色分けて表示されているが、人込みのなかでそれを理解するのに手間取ってしまった。

「弥富行、紫色の乗車口…」という駅の案内放送を聞き取り、かろうじて弥富行に乗車することができた。弥富行の電車は半田−弥富間を行き来しているらしい。新名古屋からはかなりの混雑であったが、津島までにがらがらになってしまった。

弥富駅は国鉄関西本線弥富駅と共用で、地上にある駅としてはいちばん標高の低いところにある駅として知られている。
この駅から歩いて3分ほどのところに近鉄弥富駅がある。弥富−名古屋間の運賃を比較すると、名鉄 340円、国鉄 280円、近鉄 230円である。

40分ほど弥富駅付近を散策、弥富から津島で尾西線に乗り換え一宮に向かう。尾西線は弥富−玉ノ井間の路線だが、新名古屋から津島線を経由して弥富に至る路線、津島−新一宮間、新一宮−玉ノ井間と運転区間が分割されている。利用者動向にあわせてあるのだろう。

名鉄新一宮駅と国鉄尾張一宮駅は共用駅だが、尾西線ホームはあとで繋げたせいなのか、国鉄側に向かう経路がわかりにくい。跨線橋をわたるといったん名古屋本線のホームに降りることになり、ふたたび別の跨線橋を渡らなければならない。地下道はそのまま国鉄の下りホームに行けるようだ。上りホームへはそこで跨線橋を渡らなければならない。
現在、尾張一宮・新一宮駅付近は高架工事が進行中で、完成すれば乗り換えもすっきりするのだろう。

尾張一宮から美濃赤坂行に乗り換えて大垣へ。
いったん改札を抜けて出札口で「青春18きっぷ」に明日の日付を入れてもらう。夕食を取る間がなかったので、立ち食いそばをお腹にいれ、早々にホームに戻る。発車40分前で各乗車口に並んだ人の列、約10人、これなら十分座れる。

「青春18きっぷ」は1982年春から売り出された企画切符だが、この切符発売以降、中学・高校生、たまに小学生も、の汽車旅姿をよく見かけるようになった。それに、「チャレンジ20,000km」(国鉄が後援する全線乗りつぶし。各線区の起点と終点で本人の姿を入れた写真を撮ると、その線区を乗ったと認めてもらえ、全線や区切りのいい数の線区を乗ったと認定されると商品がもらえるというイベント)の影響も大きい。

「チャレンジ」は1980年4月から1990年3月末までのロングイベントだが、ローカル線にはたいていチャレンジャーの姿が見られる。このイベントが始まる前は、あまり目立った存在に思えなかったが、「青春18きっぷ」の発売で加速したような感じ。「ワイド・ミニ周遊券」で乗れる以外の路線に乗るには最適の切符である。

大垣発東京行快速夜行340Mは東京からの下り345Mに比べすいているとはいえ、名古屋−豊橋間は、ほろ酔を気分の人たちを中心にした遅い通勤帰りで混む時間帯だ。たいてい立ち客がでる。ここを過ぎると、座席がほぼ確定して、座席に横になれることもある。

■[小湊鉄道]東京4:39到着。地下の横須賀・総武線ホームに下り、千葉に向かう。一番電車ということもありすいていた。

千葉5:43到着。外房線の電車まで40分ほどの待ち合わせ。いったん改札を抜けてみる。駅コンコースでは千葉駅開業90周年フェアが催されているらしい(時刻が早すぎて実態がわからなかったが)。これは総武本線の前身総武鉄道が明治27(1894)年7月20日市川−佐倉間を開業したことによる。

外房線の電車内はサーフボードを持った若者が多数。華やいだ雰囲気になる。
本千葉駅付近は高架工事の最中で、すでに上り線は高架になっている。蘇我駅付近では京葉線との接続工事が行われている。蘇我で内房線と分かれ、房総半島の付け根を横断、大原7:39到着。ここで木原線に乗り換える。

木原線には4分の接続。この線に乗るのは1983年3月以来。関東地区における第一次廃止対象にあげられた路線であるが、沿線住民の利用運動の成果か、その後、乗客が増え、現在、廃止に向けた協議は中断している。しかし、将来はどうなるかわからない。(1988年3月、木原線は第三セクターの「いすみ鉄道」に転換された)

この日の木原線の列車はキハ35系2両編成、夏休み中にもかかわらず学校へ向かう高校生で混雑、大多喜まで空席がなかった。房総半島のなかほどをとろとろ1時間ほど走り、上総中野8:40到着。

上総中野駅は小湊鉄道との接続駅で、この列車との接続はすこぶるよく、発車は8:41、接続時間は1分しかない。切符を買わずにホームに停車していた小湊鉄道の車両に乗り込もうとしたら、駅長らしき人に切符を買って下さい、といわれた。いったん、改札を抜けて出札口で切符を購入、またホームに戻るまでの間、列車の発車は少し遅れたと思う。

小湊鉄道は房総半島中央部の丘陵地帯を浸食して蛇行する養老川に沿って市原市に向かう。ディーゼルカー2両編成の列車、次の養老渓谷駅はこの鉄道沿線で唯一観光地らしいところだ。温泉もあるらしい。
臨海コンビナートの赤白まだら煙突が見えてくると土地も開け、乗客も増えてきた。終点五井駅は市原市の中心、国鉄内房線とは跨線橋で結ばれている。

『時刻表』には私鉄の時刻も載っているが、スペースの都合で中途半端な記載しかなく、今乗った小湊鉄道の列車でいえば、始発の上総中野駅発の時刻が載せられているだけだ。発着時刻が載っている列車の時間から、五井の到着時刻を推定するほかないが、計画段階ではあとの接続に無理がないように時刻を推定、乗り継ぎ列車を選ぶことになる。今回は、その想定した時刻より早く五井に着け、予定より早い電車に乗り継げ、さらに千葉での乗り継ぎもスムーズで、当初の予定より30分以上早く銚子に到着することができた。

■[銚子電鉄]銚子市内はこの週末、港まつりで、パレードなど多彩なイベントが行われると車内吊り広告が出ていた。

銚子12:05到着、駅前の大通りをちょうどパレードが出発したところだった。構内食堂で昼食。夏の高校野球、千葉大会の準決勝がテレビで流されていた。

銚子電鉄の銚子駅は国鉄と共用、切符は国鉄の出札口で発券される。国鉄の長距離切符などと同じサイズの切符だ。発券機に銚子電鉄の駅と運賃が登録されているのだろう。
国鉄の改札を抜けて、銚子電鉄乗り場へ。ホームに国鉄からの乗り継ぎ客に対応する出札窓口がある。ここで、外川・犬吠往復割引切符の案内がしてあった。運賃は 400円で、銚子−外川間片道 230円だから60円安い。国鉄の窓口に案内はなかったように思う(気が付かなかっただけか)が、少し損した気分。

電車は2両編成。冷房はなく、天井で扇風機が今にも止まりそうなまわりかたで空気をかき回している。「花電車」ということで、車内にはぼんぼりが飾られている。それに、車内の吊り広告はローカルな内容ばかりである。NHKの朝ドラにあやかった自社の「澪つくし記念きっぷ」、銚子の住民か、自費出版した詩集の広告などなど。

銚子電鉄に乗るのは1980年8月以来2度目。ただしこのときは、犬吠までしか行かず、末端の犬吠−外川間が未乗のまま残ってしまった。当時は、私鉄全線に乗るという意識はなかった。
車内は海水浴へ向かう人たちでかなり混雑。銚子駅周辺には醤油工場が並んでいる。家並みを抜け、しばらく畑の中を進み約20分で終点外川。

駅前の家並みの間から海が見える。駅は段丘の上にあって、海岸まで坂道を下る。外川の西方には屏風ヶ浦と呼ばれる海水浴場、屏風岩は白い崖が数キロ続き、日本のドーバーとも称される風光明媚なところだ。
折り返し電車までの40分ほど、外川港の見晴らしのいいところまで行き、屏風岩の眺めを楽しんだ。駅に戻る坂道を登ると、汗がどっと流れる。暑い。

■[松岸]外川から銚子に戻ると総武線の電車がすぐにあったので、成田線との分岐駅である隣の松岸まで行くことにした。

松岸駅は小さな駅、駅前に食堂が二軒ある。それぞれ店の前に飲料の自販機が置いてある。冷たいものを飲もうと、左側の食堂の前の自販機へ。お金を入れようとすると、店の中から女の人が出てきて、今電気工事をしていて、この付近一帯停電しているという。ほしいものをいってもらえば鍵をあけて出します、といわれたのでまだ冷たい飲料を出してもらった。

それを駅に持ち帰り飲みながら、右側の食堂の前に置かれた自販機から飲料を求めようとする人の様子をぼけっと眺めていた。金を何度入れても、お金が戻り、あれー、とい表情。たまたま左側の食堂に行ったので飲み物を入手できたが、右側にいっていれば、今の人と同じことをしていたと思うと、右と左の微妙な差に感じ入ってしまった。
そうこうしているうちに成田線の電車がやってきた。

■[鹿島臨海鉄道]鹿島線との分岐駅は香取だが、時間があるので次の佐原まで行く。5年前(1981年)、鹿島線を乗りにきたのと同様、駅前の十字屋に立ち寄り食糧の調達。

鹿島神宮行の電車に乗車、香取から成田線と分かれ、利根川、霞が浦に通じる常陸利根川を渡る。あたりは水郷地帯。そして北浦を渡ると終点鹿島神宮。

鹿島臨海鉄道はもともと鹿島臨海コンビナートへの貨物輸送が主体の鉄道会社だった。成田空港へのパイプライン完成まで航空燃料を運ぶ見返りとして、1978年7月から一日3往復鹿島神宮−鹿島南港間に旅客輸送も始められた。5年前鹿島神宮を訪れたときは、本数の少なさから時間があわず残念してしまった。次の機会に、と思っているうちにパイプラインも完成、1983年11月に旅客営業が廃止され、もとの貨物輸送のみに戻ってしまった。

ところが、鹿島線の延長工事が進んだものの、国鉄としては不採算路線を増やしたくないので、ここで再び鹿島臨海鉄道が登場、鹿島線の新線区間を引受け北鹿島−水戸間を1985年3月14日に開業した。

鹿島臨海コンビナートに伸びる鹿島臨海鉄道の貨物線の起点は北鹿島からで、鹿島神宮−北鹿島間は国鉄鹿島線の一部である。しかし北鹿島は貨物駅で、乗客が乗り降りできるホームがない。鹿島線の電車は鹿島神宮までしか行かないのだ。(北鹿島駅は、1994年3月鹿島サッカースタジアム駅と改称され、スタジアム最寄り駅となった。)

今回、北鹿島−水戸間が開業した鹿島臨海鉄道の列車は鹿島神宮駅を発着駅にし、北鹿島−鹿島神宮間は国鉄に乗り入れる形を取っている。これは、廃止された鹿島南港への路線のときもそうだった。だから、運賃は鹿島臨港鉄道の運賃と鹿島神宮−北鹿島間の国鉄運賃の合算となる。鹿島神宮以遠の場合はこの区間のキロ数を加えたときの運賃になる。ただし、「青春18きっぷ」は国鉄全線が乗れるので、鹿島神宮−北鹿島間の国鉄運賃は不要で、鹿島臨海鉄道線だけの運賃だけでよい。

鹿島神宮で乗り継いだ鹿島臨海鉄道の車両は新製のディーゼルカーの2両編成。冷房も完備した車両だ。
鹿島神宮を出てトンネルをくぐると北鹿島で、臨海コンビナートへの路線が分岐、広いヤードが広がっている。ホームがないからそのまま通過する。そのあとは、太平洋と北浦に挟まれた寂しげな沿線、人家は少なく、畑や雑木林が広がる。ちょっと北海道の過疎地を行く感じに似ている。

新鉾田駅は市街地から少し離れた位置にある。広い駅前広場が整備され、これからこの駅前も建物が建っていくのだろう。大洗からは海水浴帰りの人たちが多数乗ってきた。大洗を出ると田んぼの中を高架の大きなカーブで水戸に向かう。約1時間15分で常磐線のレールが近付いてきて水戸駅に到着。

■[帰路]水戸から水戸線小山行があったので、友部まで進む。次の上野行の時刻まで、駅前通りを少し歩く。夏祭りをやっているようで、露店がたんさん並んでいた。

上野行に乗り継いで上野へ。土浦、万博中央からはつくば博帰りの人たちでかなりの混雑。

夕食を取る間がなかったので、上野駅構内の立ち食い処でカレーライスをかっ込む。そして、東京駅に移動。大垣行夜行快速 345M発車2時間前にホームに上がったものの、電車を待つ人で長い列ができていた。1時間くらい前に列に並んでも席がない。

グリーン車へ乗るには、事前にグリーン券を購入する必要があります、という、いつも案内放送が繰り返し流され、23時すぎ、大垣行が入線、かろうじて席につくことができた。
たまたま同じボックスを囲んだ吉原まで帰るという団体さん(本来 345Mは吉原には停車しないが、この団体さんのために今日は臨時停車するらしい)がいろんなものを食べろとくれる。

東京を発車するとすぐ、座席に座ったまま寝込み、気がつくと静岡で、先の団体さんから別の人が替わって座っていた。さらにうつらうつらするうちに浜松を過ぎ、豊橋。徐々に明るくなって、岡崎から車内放送が始まる。

きょうは名古屋駅で下車。名古屋駅構内にある銭湯「早川浴場」に行く。タオル、石鹸付きで料金は 350円(名古屋駅舎の建て替え工事によりなくなった)。朝風呂にはいると気分も爽快、しゃきっとする。それからまた東海道線の下り電車を乗り継ぐ。



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