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九州の廃止うわさ路線を訪ねて

1984.11.23〜11.26

■[ひかりは西へ]国鉄再建法が成立して第一次特定地方交通線が次々に廃止され始めた。この11月末で、高砂線、宮原線、妻線の3線が廃止、バスに転換される。

国鉄のみならず西鉄北九州線、熊本電鉄、鹿児島市交通局の路線の一部が廃止されるという噂もある。これらの私鉄はまだ足をしるしていないので、これらを中心に乗り歩きを企てた。

新大阪7:07発「ひかり61号」に乗車。飛び石連休ということで、自由席車内はけっこう混んでいた。もう少し早くホームに向かうべきだったと悔やまれたが、かろうじて余分に席取りしていた女性グループの余席にありつけたのは幸いだった。

新関門トンネルを抜けて九州にはいり博多10:43到着。乗り込んだ車両は禁煙自由席の1号車なので、乗り換え改札までかなり歩かねばならない。そうなるとごった返した改札口、最後のほうに着くことになり、乗り換えを控えているだけにいらいらしてくる。初めて新幹線に乗ったような団体さんが切符の綴りを改札口氏に渡し、改札口氏が当該の特急券をもぎ取る、の繰り返しでなかなか前に進まない。特急券だけを渡すように、という放送が繰り返し流されているのに・・・。

「ひかり61号」にした理由は矢部線に立ち寄るのに都合がよいのだ。22分の待ち合わせで「有明9号」に接続する。乗り換え改札口でもたついたものの自由席禁煙席に座ることができた。

■[矢部線]乗り込んだ「有明9号」7号車の禁煙車両は、ボンネットタイプの交直両用特急の嚆矢「クハ481-1」、トップナンバーの車両だった。481系は昭和39(1964)年10月ダイヤ改正で大阪から北陸本線に向かう特急「雷鳥」として導入された車両だ(実際の運転は12月から開始)。そうすると二十年も走り続けているわけで、座席のバネなどかなりくたびれているのもわかる。

博多11:05発車。鹿児島本線を下って羽犬塚11:49到着。11分の待ち合わせで矢部線黒木行に接続。この列車は佐賀から佐賀線を経由してやってきた車両で、時刻表には、佐賀線から羽犬塚止の列車のように記載されているが、羽犬塚からさらに矢部線にはいる列車なのだ。

ひとむかし前までの時刻表には、佐賀線、鹿児島本線の列車番号がちがうことから、別の列車のように記載されていた。宮脇俊三著『時刻表2万キロ』には、時刻表のこれらの時刻から同じ列車が走ることを推定し、実際に乗った記録が述べられている(ただし、今回、これから乗ろうとする時間帯とすこし違うが、車両運用は同じだ)。

矢部線は羽犬塚−黒木間19.7km、戦後すぐの昭和20年12月に全線が開業している。矢部川の流域に沿って走る路線で、沿線は八女茶の産地として知られる。この路線も来年には廃止、バスに転換される予定だ(1985年3月末で廃止、バスに転換された)。そのせいか、廃止されるまでに一度乗っておこう、という近在の人がけっこう乗っていた。

山内を過ぎると矢部川支流の谷筋から矢部川本流の谷筋にでるので山間部にはいり、トンネルを抜ける。羽犬塚からて約40分で終点黒木に到着。5分の折り返しで羽犬塚に戻る。

■[西鉄甘木線・国鉄甘木線]羽犬塚に戻り熊本行に乗り換え大牟田で下車する。少し時間があるので街をぶらつく。国鉄駅前は繁華な感じがしないが、少し歩いて、西鉄では次の駅新栄町あたりに商店街がある。スーパーや百貨店がある。

しばらくして大牟田駅にもどる。この駅は国鉄と西鉄とは跨線橋で繋がっている。大牟田14:53発西鉄福岡行の特急に乗り、久留米に向かう。筑紫平野を快走、途中で鹿児島本線をオーバークロスし、約30分で高架の西鉄久留米駅に到着した。

ここで西鉄甘木線に乗り換える。大牟田線の2000系に比べ、甘木線の電車はひと昔前の古めかしい流線形をした車両だった。甘木線は久留米の次の宮の陣で分岐する。ここは特急が停まらない。

田園地帯をのんびり30分くらい走ると国鉄甘木線が近付いてきて終点甘木に到着。国鉄駅は歩いて二三分のところにあり、予定どおり甘木16:29発基山行に乗り継ぐことができた。

国鉄甘木線には5年前に乗っているのだが、夜行列車から朝一番の列車に乗り継いだせいか、沿線風景の記憶がはっきりしない。たぶん、居眠りしていたのだろう。

キハ40の一両だけの基山行は筑紫平野をのんびり走る。甘木線は鹿児島本線の基山から甘木まで14.0kmの路線で、昭和14年に開業している。太刀洗には戦争中、飛行場があったところで、軍関係者の乗降で賑わっていたのかホームと駅舎を結ぶ地下道がある。こんな平地のローカル線で地下道があるのは珍しいと思う。(甘木線は、1986年3月末で国鉄から第三セクターの甘木鉄道に転換された。) 

■[かいもん]基山から博多に出て夕食を取る。博多駅の地下街は地下鉄工事(現在の地下鉄博多駅は仮駅で、来春本駅が開業するそうだ)の関係か、ややこしい状態にある。

博多20:00発門司港行で夜行「かいもん」の始発駅門司港まで行く。席を確保するには始発から乗るに限る。

門司港23:20発西鹿児島行「かいもん」、夏休みなど長期の休みのある時期でもないのに周遊券をもった大学生がけっこう多い。廃止予定路線を巡っているのかもしれない。座席を占めて早々に寝てしまう。

■[鹿児島市電]西鹿児島6:12到着。まだ薄暗い。明るくなるまでの指宿枕崎線で谷山まで行く。この駅前には鹿児島市電の南端の電停がある。市電は1乗車 140円(乗換指定駅で乗換券が発行され乗り継ぐことができる)、一日乗車券 500円だが、一日乗車券を販売する商店などまだ開かない。仕方ないので、谷山から鹿児島駅行に乗車。都心に向かうに連れ通勤通学の時間帯になりかなりの混雑。

鹿児島駅前電停から国鉄線路を越えてすこし山側にある末端の清水町電停まで歩き、西鹿児島駅前経由郡元行に乗車。長田町を出ると独立軌道となって鹿児島本線をオーバークロス、西駅前を通って郡元終点で下車。ここでは乗換券がもらえる。

ここでふたたび鹿児島駅前行に乗車して高見馬場電停で下車する。ここで運賃を払って別の乗換券をもらって下車、伊敷町行に乗り換える。終点の伊敷町電停で下車して、鹿児島市電の全線完乗。

そのあと、伊敷町の近く、電車から見かけた「玉里温泉」という温泉銭湯に立ち寄ることにした。料金は 200円。含重曹食塩泉で、少し塩気がある。夜行の疲れを取り、着替えをしてさっぱりする。

玉江小学校電停から電車に乗り、加治町で乗換券をもらって下車、電車がすぐに来ないので 500mほど歩いて西鹿児島駅に戻る。

(鹿児島市交通局の伊敷線加治屋町−伊敷間と上町線市役所前−清水間の計6.2kmは1985年9月末で廃止にされた。)

■[熊本市電]西鹿児島駅前のほかほか弁当屋で弁当を購入、西鹿児島11:20発「有明18号」に乗って熊本に向かう。出水付近では鶴の幼鳥らしい鳥を見ることができた。

熊本14:30到着。記念にもなるので、市電の1日乗車券を購入して熊本駅前から市電に乗車。昨年(83年)春に田崎橋−健軍町間を乗っているので、今回は未乗のの辛島町−上熊本駅前間の初乗り。熊本市電の運賃は区間制で乗車するときに整理券を取り、下車するとき運賃を払う方式(一日乗車券を買ったので関係ないが)。辛島町で上熊本駅前行に乗り換える。蔚山(うるさん)町という韓国の地名のような電停を経て上熊本駅前へ。これで熊本市電も全線完乗。

■[熊本電鉄]上熊本駅前に熊本電鉄の上熊本駅もある。駅は無人駅で、一両だけの電車が停まっている。最初の予定では上熊本から北熊本で乗り換えていったん藤崎宮に寄ってから菊地に行こうと考えていたのだが、これでは菊地に着く前に日が暮れそうなので、先に菊地に向かうことにした。

上熊本15:22発で出発。駅を出ると短いトンネルを抜け北熊本駅に着く。接続がよくてすぐに菊地行がある。国道 387号線に沿い、田園地帯を走る。泗水という中国のような駅名がある。菊池16:23到着。まだ、充分に明るく、これなら先に藤崎宮に立ち寄るべきだったと悔やまれた。

菊地で1時間ほど町をぶらつく。ここは温泉町だが、温泉街は町外れにある。菊地から国鉄バスもあるのだが、このまま北熊本−藤崎宮前間を乗り残すのも、しゃくなので、藤崎宮前に戻ることにした。電車は東急からの転属車、短い編成で運転できるようになっている。日が暮れ18:40に藤崎宮前に戻ってきた。とりあえず、これで熊本電鉄は全線完乗。(熊本電鉄の御代志−菊池間は1986年2月に廃止された)

藤崎宮から熊本駅までかなり離れている。ここは熊本市電の電停からも少し離れている。暗くなって、方向感覚が鈍るのだが、進むべき方向を違えないように歩き出す。繁華街のアーケードを抜け約 500mで電車通りに出た。電車通りからはライトアップされた熊本城が浮かびあがっているように見られた。通町筋電停から熊本駅前に向かう。

■[日南]熊本19:36発「有明28号」で小倉に向かう。そのまま「日南」の始発門司港まで行ってもいいのだが、乗り換え時間が少ないので、小倉で電車を乗り換えて門司で「日南」を待つことにした。門司からでも座れるのは確実。

門司から乗った「日南」もワイド周遊券を持った学生が多い。そんななかで、ひとり目立っていた六十歳になるという汽車旅おじさん、直接話をしたわけでないが、同じボックスになった学生相手に語っているのを聞くとはなしに聞くと、ワイド周遊券や「青春18きっぷ」を使って各地をまわっているらしい。しかも、宿泊は車中泊ばかり、真夜中の対向夜行列車乗り継ぎまでやるらしい。そして、今までどのように全国を乗り歩いてきたか、過去の汽車旅を細かく記した記録を示しながら得々と説明していた。

この光景を見てこの初老の人にさびしいものを感じた。一週間も二週間もひとりで旅行することに家族はどう思っているのだろう。ふつうの旅行ならこんな思いにとらわれることはないのだが、車中泊ばかり、というのにひっかかる。旅費を安く上げる方法は宿代を払わない車中泊に限る。家にいないほうがありがたいと思われている老人をそこに見たとしたら考えすぎだろうか・・・。

■[妻線]宮崎5:43到着。今日は日曜日、妻線は今月末で廃止されるので、廃止されるまでに一度乗っておこうという家族連れやカメラ、ビデオなど手にした人たちで朝一番列車からけっこうな賑わい。今回で妻線を訪れるのは三回目だが、いちばんの活況を呈していた。終点杉安まで行かず、妻で下車して、記念に入場券を買おうと窓口を訪れると、売り切れだった。残念。

妻線は佐土原−杉安間19.3kmの路線だが、歴史は古く、宮崎県営鉄道として大正3(1914)年妻まで開業したことに始まり、大正11年に杉安まで開業している。

初めて妻を訪れたときは、今は休止している国鉄バスで宮崎神宮駅へ戻っている。昨年(83年)春には国鉄バスで湯前に抜けた。折り返しの列車で宮崎に戻るのは初めてだ。初めて九州を訪れた頃は、ワイド周遊券で特急に乗車できなかったので、西都原の古墳群に立ち寄り国鉄バスで宮崎神宮に戻り、乗り継ぐ列車の時間調整をしたのだった。

今回は杉安から折り返してきた宮崎行きに乗って宮崎に戻ることにする。宮崎で40分ほど待って9:16発「にちりん14号」に乗る。これに乗ると延岡で高千穂線の接続がよい。晴れやかな日向地方を快走して10:38延岡到着。

■[高千穂線]延岡では8分の待ち合わせで10:38発高千穂行に連絡。

高千穂線に乗るのは2度目。五ヶ瀬川に沿って走る車窓の眺めはなかなかよい。いちばん前、運転席の後に腰を落ち着け、トンネルや鉄橋を過ぎる前方の眺めを堪能する。日ノ影までは川の流れに沿って走る様はなかなかの情緒なのだが、その先は、建設年代が新しく長いトンネルで山間を突っ切る。天ノ岩戸駅手前の高千穂鉄橋のなかほどで列車をいったん停止させ、眼下に日本一の高さを見てもらうサービスをやってくれた。12:30高千穂到着。

高千穂線は昭和14(1939)年に延岡−日ノ影間が開通しており、高千穂まで延長されたのは昭和47(1972)年のこと。もともと、高千穂線は高森線と結ぶ計画路線だが、高千穂線が第二次特定地方交通線に、高森線が第一次特定地方交通線挙げられており、それは実現しないだろう。(高森線は1986年3月末で第三セクターの南阿蘇鉄道に、高千穂線は1989年4月に高千穂鉄道に転換された。)

高千穂から高森に抜けるバスに乗る予定。バスまで時間があったので、少し町をぶらつき、ほか弁屋で弁当を買って高千穂神社で昼食とする。

高千穂から高森に抜けるバスの車中からは建設途中で放棄された高千穂線の延長線を見ることができる。
約1時間半で阿蘇の外輪山の峠高森峠に到着。赤茶けた阿蘇山が眼前に広がる。

■[栃木温泉]高森駅前で栃木温泉の小川旅館に今夜の予約をいれると泊まることができた。栃木温泉は立野と長陽のなかほどにある白川の渓谷にへばりつくようにある温泉だ。近くに鮎返りの滝がある。

時間があったので、高森から列車で長陽まで行き、そこから歩くことにした。駅から約30分の距離。

栃木温泉の泉質は石膏泉。石鹸を使うと高級脂肪酸のカルシウム塩の白い沈殿ができる。着いてすぐ、夕食後、夜中、翌朝の計四回温泉に通った。泉温はさほど熱くなく、のんびりつかる。
夕食には、熊本名物の馬サシが出た。かたい肉で、こんなものかという感じ。

■[大失敗]翌日、栃木温泉前を通るバスで立野に向かう。バスは高森から高森線に沿って、栃木温泉、下戸温泉の前を通り、高森線の白川鉄橋を横目に国道57号線に出て大津に向かう路線だ。豊肥本線立野のスイッチバックが見え、立野のバス停の次が立野駅前だろう、と思い込んだのが大失敗のはじまりだった。

バスはあれよという間に駅を通り越して国道を快走していた。このまま、終点の大津まで行くべきかどうか、考えていると、次なるバス停が「瀬戸駅入口」だったので、下車ボタンを押して下車した。ところが、駅がすぐそばにある感じがしない。人に尋ねようにも誰もいない。すこし、駅がありそうな方向に歩いてみたものの、駅にたどりつくことができず、乗ろうと考えていた列車は、はるか遠くを走り去る音が聞こえた。

仕方なく国道に戻り、大津に向かって歩くほかなかった。しかし、肥後大津駅に行ったところで、豊肥本線の次の列車まで一時間以上あった。そこで、大津中央バス停に行くと熊本交通センター行バスが頻発していることがわかった。列車を待つ時間が惜しいのでバスを利用することにした。

バスは国道57号線を豊肥本線に沿って走る。約50分で交通センターに到着。ここは熊本駅から2kmあまり離れているので、また市電を使うことになる。熊本駅に着いたのは、予定より約1時間遅れのうえ、予定外の出費となってしまった。

■[西鉄戸畑・枝光線]熊本10:47発「有明10号」で博多へ、さらに快速に乗り継いで八幡で下車する。八幡駅前は北側には新日鉄などの工業地帯、南側は低層なビルなどが並ぶ町並みだが、駅付近には繁華街がなくさびしげな感じ。駅から帆柱山のほうに少し行くと西鉄の路面電車が走っている。北九州線門司−折尾間には昨年(83年)春に乗っているのだが、戸畑、枝光線は未乗。

八幡駅前電停からやってきた戸畑行に乗車、中央町で北九州線から分かれ戸畑に向かう。枝光駅前から山をかけ上がり牧山あたりからは若戸大橋をはじめ洞海湾の眺めがよい。山を下り、また路面を進むと、戸畑線との接続駅幸町、終点戸畑は若戸大橋の橋脚のたもとにあり、若戸渡船の乗り場も近い。

せっかくなので、若戸大橋を渡ってみることにする。橋脚にエレベータがあって、つり橋の路面に上がる。有料道路だが歩行者は無料だ。新日鉄戸畑、八幡の大工場群の広がっているのが見渡せる。洞海湾を跨ぐ部分は歩いて10分ほど、若松側もエレベータがあって、橋の下に降りる(その後、若戸大橋は歩いて渡れなくなったようだ)。

帰りは若戸渡船で戸畑に戻る。料金は20円、こんどは若戸大橋を下から見上げる。

戸畑から今度は門司行に乗り、戸畑線を乗り終える。これで北九州市内の西鉄路面電車路線を完乗したことになる。(西鉄の路面電車は、北九州線門司−砂津間、戸畑線大門−戸畑間、枝光線中央町−幸町間が1985年10月に、北九州線砂津−黒崎駅前間が1992年10月に、残った黒崎駅前−折尾間も2000年11月に廃止された。なお、黒崎駅前−熊西間は筑豊電鉄により運行継続。)

小倉駅前電停で下車して小倉駅へ。このあたりは繁華街で人通りも車も多い。モノレールも工事中で来年(85年)1月に開業の予定だ。また、乗りに来ることになろう。小倉から「ひかり」に乗って大阪へ。



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