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十和田・酸ヶ湯と民鉄乗り歩き

1985.10.10.〜10.13.

[みどりの窓口]国鉄の指定券の前売は1ヶ月前(の前日という場合もあるが)、予定がはっきりしていれば早めに手を打つべきなのだが、ひと月前に指定券を押さえることは今までやったことがない。手に入れた指定券がやんごとなき用件でふいになるのがこわいのだ。

今回、みどりの窓口を訪れたのは「日本海3号」の発車30分前だった。今年(1985年)8月函館駅で最後の一枚残っていた「白鳥」の指定席を入手できたのだが、今回はうまくいかず、結果は「赤ランプ」の満席だった。

しかたなく、今回は第二案の「きたぐに」で出発するほかない。「日本海3号」に乗れると秋田・青森県下の民鉄にすべて乗れたのだが、「きたぐに」になると津軽鉄道に足を伸ばすことができない。まあ、秋田縦貫鉄道が全通したときにでも訪れることにしよう。(:秋田縦貫鉄道は、1989年4月1日全通した)

[きたぐに]かつて大阪発の夜行急行「きたぐに」「ちくま」、そして今はなき「立山」の自由席に乗る人は、中央コンコースと東口とを結ぶ北側通路に並ぶ必要があった。しかし、最近は利用者が減り大きな混乱がなくなったせいか、直接ホームで待てばよいようになっている。

午後9時頃、大阪駅11番ホームに上がる。発車は23:20だからまだ2時間以上ある。「きたぐに」の自由席にねらいをつけている人はまだ数人しかいない。それに比べ信州に向かう「ちくま」は、けっこう人が待っている。「ちくま1号」が21:43に発車するとホームはひっそりする。

午後10時半を過ぎるとぼつぼつ「きたぐに」のために人が並び出す。23:10頃にホームに入線、 583系の寝台電車である。自由席はもちろん寝台は使えない。
定刻23:20に発車。1ボックス1〜2名程度の混み方。すいているほうだろう。

今回のプランで気になる点がひとつあった。それは「きたぐに」の新潟到着が8:50で、乗り継ぐ予定の羽越本線特急「いなほ1号」の発車が8:52と、乗り換え時間がわずか2分しかないことだ。羽越本線の列車は「いなほ1号」のあとしばらくないから、これは接続列車と考えられる。「きたぐに」が遅れでもしたら待ってくれるのだろうか・・・。

昨年(1984年)9月にも「きたぐに」から「いなほ1号」への乗り継ぎを行ったが、このときの「いなほ」の発車時刻は9:05で、駅弁を買ったりできる余裕があった。
乗り換え時間が2分しかないことを考えると、「きたぐに」の到着番線と「いなほ」の発車番線は同じホームの両側をあてていると考えられる。しかし、「きたぐに」の自由席と「いなほ」の自由席の位置は新潟駅に着いた時点で、いちばん離れた位置関係にある。いくら始発とはいえ、すでに乗客が乗り込んだあとだから、席があいている可能性も低い。

そこで、『時刻表』を繰って、長岡で新幹線に乗り換え、新潟に向かうとどうなるか見てみた。長岡で「とき 401号」に乗り継げて新潟到着は8:42、わずかに早くなり、「いなほ」の特急料金が半額になるが、新幹線特急料金をあえて奮発するほどのメリットはない。(「いなほ」特急料金2300円に対して、長岡−新潟自由席特急料金1600円+「いなほ」自由席特急料金1150円=2750円)そこで、燕三条から新幹線を使うと、燕三条−新潟自由席特急料金 800円+「いなほ」自由席特急料金1150円=1950円で、料金のメリットが出てくる。ところが、東三条から弥彦線の列車がなく、この乗り継ぎはできない。

雨模様のなか、「きたぐに」定刻新潟駅に到着。予想したとおり「いなほ」はホーム反対側に停車していた。急いで自由席禁煙車両に向かうが、すでに乗降口のところまで人でいっぱいだった。

[いなほ1号]乗降口のところにいる人をかきわけて、とにかく車内にはいる。席がないのははっきりしているが、車内にいれば、座っている人が降りるとすぐに座れるわけだ。始発駅の場合には荷物を座席に置いて空取りしていることも少なくない。その余席にありつける可能性だってあるのだ。

今回もうまい具合にナイスミディ3人組の余席にありつくことができた。

新潟を出るとさっそく車内検札。近くの座席には荷物だけ置かれた席がある。その持ち主はというと、新発田から乗ればいい8人組のおばさん連中、指定券が取れなかったものだから、うち2人が新潟まで先行しての席取りを実施していたのだ。これは車掌とのやりとりでわかったことだが、あつかましい限り。特急料金は新潟からも新発田からも同額だったようで、車掌は新潟−新発田間の運賃だけを取っていた。

そのあと、こちらの席にまわってきた。持っている切符は「青森・十和田ミニ周遊券」なので、特急に乗る場合は特急券が必要。同席のナイスミディ3人組も同じ切符を持っていた。うちひとりはあらかじめ特急券を購入していたが、ほかの人は車掌から購入。青森までの自由席特急料金は2300円だが、車掌は何を勘違いしたのか、周遊区間の入口駅大館までの特急料金1900円でよいというのだ。「ワイド周遊券」は自由周遊区間内なら特急の自由席に自由に乗れるが、「ミニ周遊券」は急行の自由席しか乗れず、特急に乗るには自由周遊区間でも特急券が必要なのだ。車掌はこのことをごっちゃにしているらしい。

羽越本線を1時間も走ると車内で立つ人はいなくなった。天気の回復する兆しはない。
車内販売がまわってくると、ナイスミディ3人組はさっそくビールで歓談。あなたも飲む、とスヌーピーのコップに注いでくれた。

秋田を過ぎると空席が目立ってきた。
青森県に入って大鰐14:46到着。雨こそ降ってないものの、相変わらずの曇天。

[弘南鉄道]弘南鉄道には、弘前を中心に大鰐線と弘南線が伸びている。それに、昨年(1984年)11月国鉄黒石線を引き継いだ黒石線がある。大鰐、弘南線は電化されているが、黒石線はディーゼルカーが走る。(:黒石線は、1998年3月31日限りで廃止された。)

国鉄大鰐駅と弘南大鰐駅は跨線橋で結ばれている。30分に1本の頻度で中央弘前行がある。「いなほ1号」に接続している弘南鉄道中央弘前行は14:50発、わずか4分しかないので、急いで跨線橋をかけ上がろうとすると、駅員に「切符、切符」と呼び止められた。周遊券を見せ、車内補充券式額面1900円の自由席特急券(ほんとは2300円のはずだが)を駅員に渡し、50分発の電車に乗るんです、というと、特急料金のことは何もいわず、急ぎなさい、と放免してくれた。

大鰐線の電車は2両編成。クリームとえんじ色の2色カラー。大鰐−弘前間の運賃は国鉄 200円に比べ、 310円と割高である。国鉄奥羽本線の東側を走るが、石川で奥羽線をオーバークロス、国鉄弘前駅とは少し離れた中央弘前駅に向かう。沿線は、たわわに実ったリンゴ畑。

中央弘前駅は弘前市街地の真ん中あたり、商店街の並ぶ通りから少し引っ込んだところにある。国鉄弘前駅とき2kmほど離れている。黒石まで伸びている弘南線は国鉄弘前駅と共用。中央弘前駅から弘前駅まで歩く。弘前の街は城下町らしく道路は入り組んでいる。

国鉄と共用の弘南弘前から出ている弘南線の電車は4両編成。沿線は稲刈の終わった田んぼが広がっている。リンゴ畑もある。約30分で弘南黒石に到着。
旧国鉄黒石駅と弘南鉄道黒石駅は50mほど離れていたが、弘南鉄道が黒石線を引き受けるのにあわせて旧国鉄黒石駅の川部よりのところから分岐して弘南黒石駅に新たに線路を敷き、駅を統合している。ちょうど弘南黒石駅は改築工事が行われていた。

旧国鉄黒石駅に立ち寄ってみる。駅舎の建物はすでになく、ブロックの基礎が残るだけ。ホームに立てば赤錆びたレールが残り、腕木式信号機がぽつんと立っている。寂しげな風景だ。

弘南鉄道になっても、黒石−川部間はディーゼルカーが走り、途中には前田屋敷駅があるだけ。運賃は今の地交線運賃 170円に比べ、 240円と割高になっている。弘前までの運賃は弘南線経由で 380円、黒石線、川部乗り換えで 400円かかる。青森に向かう人は乗るだろうが、弘前に向かう人は乗らないだろう。

旧黒石線に乗ったのは1978年7月のこと。沿線は津軽平野の平凡な田園の真っ只中を走る。秋の日暮れは早く、午後5時をまわると暗くなってくる。黒石線はかつて乗っているから景色が楽しめなくても気にならない。

川部で4分の待ち合わせで東能代行に接続。ED75牽引のレッドトレインだった。碇ヶ関までは通学帰りの生徒などけっこう乗っていたが県境を越えるようになると乗客は一両に数人に満たない。

大館18:39到着。もう日もとっぷり暮れた。駅前の食堂で夕食。昨年泊まった駅前BHは満員だったので、同和鉱業の広いヤードをまわりこんだところにある別のBHに泊まる。

[同和鉱業小坂線]翌朝、天気はあいかわらず曇天。ホテルから同和鉱業大館駅が見おろせる。

大館駅6:56発一番列車の小坂行に乗車。10月1日から篭谷−小坂間に古館という駅が設けられたとの案内。記念切符も発売していた。

列車はディーゼルカー、一両だけ。米代川の支流長木川に沿う。しだいに山間を走りところどころに色付いた木々も見えるが、まだ紅葉には早い。トンネルを抜けると東北自動車道が走っている。ただし、十和田南−碇ヶ関間はまだ工事中だ。大きく弧を描いて家並みが見えてくると終点小坂。

小坂は銅、鉛、亜鉛を産する鉱山の町で、同和鉱業の精練所があり、小坂線は旅客輸送より硫酸など貨物のほうがウエイトが高い。(:同和鉱業小坂線は、1989年10月1日子会社の小坂精錬に移管され、1994年9月30日限りで旅客営業を廃止した。)

小坂から折り返し大館に戻り、それから十和田湖に向かうより、小坂から十和田南駅に向かったほうがはるかに近い。距離は10kmほど、『時刻表』には路線バスは載ってないが、バスがあれば20分ほどだろう。

駅前にはバスは停まっておらず、駅前から国道 287号線を十和田南駅のほうに向かって歩く。バス停はなかった。地図をよく見ると、今の国道はバイパスのようで、旧道と合流するとバス停があった。旧道のほうがバス路線だったらしい。おりしも雨が降りだしてきたが、うまい具合に5分ほど待つと花輪駅前行の秋北バスがきて助かった。

バスの車内に掲げられた運賃表には「小坂駅前」があり、このバスは駅前にも通っていたのだ。よく確認しなかったのがいけなかったが、鉄道の駅を無視するバス停はけっこうあるから、駅前にバスがいなかったので、駅にバスは立ち寄らないものだと早とちりしてしまったのだ。乗れたからよかったものの、乗れなかったら10km歩くことになるところだった。駅から約2km歩き、運賃が50円安くなった。
十和田湖方面乗り換えバス停の毛馬内で下車。十和田湖行のバスを待つうちに雨はさらに激しくなってきた。

[十和田湖]十和田湖に向かうバスは大館、十和田南駅前から乗るとバス指定券( 200円)が必要だが、途中のバス停から乗ると不要だ。十和田南駅は、かつて毛馬内といっていた。町の中心部と駅とは約2km離れている。小坂から大館に戻るとすこぶる接続が悪くなるのだが、小坂から毛馬内にバスで抜けたことにより、十和田南駅8:45発の「とわだこ3号」に乗ることができた。天気は雨模様だが仕方がない。

バスは国道 103号線を大湯川に沿って登っていく。乗客は20人弱、観光客がほとんど。紅葉の時期にはまだ早い。色付いた木々もところどころにあるが、天気が悪いので全く映えない。

40分くらいで発荷峠の展望台に到着。天気は小雨、雲の間から薄日がさすところもある。しかし、風が強い。5分ほどここで停車するので、展望台に上がってみたが、8年ぶりに見下ろす十和田湖は、霧の摩周湖よろしく霧雨にけむっていた。早々にバスに戻る。

十和田湖9:56到着。8年前は休屋といっていたが、駅名が変わったようだ。ここは国鉄バス以外のバスも発着するバスターミナルである。すぐ、青森行が接続していたが、雨も上がったので、乙女の像、十和田神社のあたりを散策。

[奥入瀬渓谷]休屋から子ノ口行の国鉄バスに乗る。8年前は湖上遊覧船に乗ったが、今回はバス。周遊券だから余分な出費がない。

8年前も子ノ口から奥入瀬渓谷を歩いて下った。きょうは、雨のあとだし、足元が悪ければやめておこうと思ったが、雨も上がり、さほどぬかるんでないないこともあり渓谷沿いの遊歩道を歩いて下る。

遊歩道の人通りはあいかわらず多い。紅葉にはまだ早いが、少々色付いた木々もあり、渓谷はなかなかの眺め。天気がよければもっと映えることだろう。

銚子滝をはじめ、多数の滝を見物しながら石ヶ戸バス停まで歩くつもりだったが、バスの時刻が迫ってきたので、けっきょく馬門岩バス停でバスを捕まえた。
十和田湖、子ノ口から青森行のバスに乗るとバス指定券が必要だが、途中のバス停から乗ればまたもや不要。

国鉄バス十和田北線は乗りごたえのあるバス路線だ。奥入瀬川沿いに焼山まで下り、そのあとまた登りとなり、八甲田山山系の山越え。いちばん高いところは標高1040m、ちょうど標高 800〜1000mあたりが黄葉の真っ盛りで、黄色く色付いた木々の間を行く。いちばん標高の高いあたりはすっかり終わっていた。

バスは国道 103号線に点在する温泉に立ち寄りながら約1時間、八甲田山麓の酸ヶ湯温泉、ここで途中下車する。

[酸ヶ湯温泉]泉質は硫黄泉、千人風呂という大浴場が有名で、湯が滝のように流れる打たせ湯もある。料金は 350円。千人風呂は混浴、脱衣所は別々だが、中にはいるといっしょというスタイル。

千人風呂というだけあって、内部はさすがに広い。湯槽には白く濁った温泉が満ち、硫黄泉特有の臭いがする。混浴といっても入っている女性は年寄ばかり。若い人たちは追加料金を払って別の湯槽につかるのだろう。
湯槽につかり、打たせ湯をあび、30分ほど温泉を楽しむ。湯上がりに缶ビールを飲んで青森行のバスを待つ。

[八甲田]青森駅前16:25到着。今夜は青森19:50発上野行「八甲田」に乗る予定だ。3時間あまり時間があるが、1時間もしないうちに日が暮れるし、これから見物できそうなところもない。

駅前のリンゴ市場を徘徊してると、阪神−広島戦のデーゲーム、阪神が勝ってマジックナンバーが「3」になったとラジオが伝えていた。
日が暮れて、駅前の食堂で早めに夕食をすまし午後6時過ぎに青森駅ホームに出る。まだ、「八甲田」を待つ人は少ない。ホームから青函連絡船に貨車を出し入れしている様子を眺める。そうこうしているうちに連絡船20便が到着、ホームに列車を待つ人の列が伸びた。

「八甲田」がホームに入線してきて、座席に座るなり、また缶ビールを飲み、文庫本を読み過ごすうちに発車、すぐ寝てしまった。
「もしもし・・」と起こされると車内検札、そのあとも、うつらうつら。
気がつくともう白河を越えており、小山あたりでようやく明るくなってきた。きょうの天気はよさそう。

[埼京線]大宮で「八甲田」から下車、この9月30日に開業した埼京線(正式には東北本線赤羽−武蔵浦和−大宮間)の初乗りを行うためである。

大宮駅の埼京線ホームは新幹線ホームの地下部分に設けられている。大宮駅を出ると新幹線の高架と並ぶ。高架だから眺めがよい。またまた乗ったのが快速ということもあり、横をかけ抜けるグリーンの新幹線に負けまいと力走する。約20分で赤羽に到着、電車はここから赤羽線を経由して池袋に向かう。

[営団地下鉄]池袋で途中下車。渋谷に行くのには山手線に乗り換えたらすむのだけれど、営団地下鉄の未乗区間を乗ることにして、地下鉄で池袋から渋谷に向かう。営団地下鉄に乗るのはまだ3度目、未乗区間のほうがはるかに多い。

池袋駅改札を抜けてその近くの地下鉄の乗り場に向かうと有楽町線の池袋駅だった。丸ノ内線に乗ると銀座で一回乗り換えるだけで渋谷に行き着けるのだが、あまり考えもせず有楽町線に乗った。

車内で乗り換える駅を路線図を見ながら考えた。飯田橋から東西線に乗り換え大手町に出てもいいが、すでに東西線に乗っているので距離が伸びない。永田町から赤坂見附へ乗り換えることができるが、中途半端な残り方をしてしまう。けっきょく有楽町で乗り換えることにした。ここでは日比谷との乗り換え駅になっているのだが、いったん改札を抜けなければならないことなど知らなかったので、これでいいのかな、と少し不安になる。別に改札で咎められないから正規の乗り換え駅なのである。

日比谷駅まで歩き、そのあと千代田線に乗り継いで霞が関に向かい、さらに丸ノ内線に乗り換えて銀座に向かうというややこしい乗り方をした。そして、銀座で銀座線に乗り換え渋谷に向かった。池袋から1時間あまりかかって渋谷に到着した。

[東急東横線]地下鉄のホームを下ると(銀座線渋谷駅のホームは地下ではなく高架上にある)東横線の乗り場、今度は東急東横線で横浜に向かう。桜木町まで約35分。

横浜で大半の人が下車する。横浜−桜木町間は国鉄根岸線と平行して走っている。この区間の運賃は国鉄 120円に対して東急80円と東急のほうが安い。(:東急東横線横浜−桜木町間は、2004年1月30日限りで廃止された。)
桜木町駅は横浜側からいえば国鉄発祥の地、駅前に記念碑がある。
高架に沿って横浜まで歩く。いろいろな落書が賑やか。横浜駅東口には横浜そごうがオープン。

[相模鉄道]横浜から相模鉄道に乗る。相模鉄道は海老名までの本線と二俣川で分岐するいずみ野線があるが、今回は本線を乗り通すことにする。

大和では小田急江ノ島線と接続。終点海老名は駅前再開発の途中なのか空地がめだつ。

[小田急江ノ島線]海老名で小田急に乗り換えて相模大野まで行き、そこで江ノ島線に乗り換える。江ノ島行は満員であった。藤沢で下車する。

小田急江ノ島線に初めて乗ったのは1971年3月片瀬江ノ島−藤沢間だから、14年半ぶりに完乗なったわけである。

[江ノ島電鉄]江ノ電の電車は藤沢駅前の江ノ電ビル二階から出る。七里ヶ浜から稲村ヶ崎にかけて海岸べりを走り、江ノ島をはじめ、海岸でサーフィンなどを楽しんでいる人たちを眺められる。家々の軒をかすめるように走るところもある。観光客も多い。

鎌倉まで来たので、鶴岡八幡宮に詣でる。ここを訪れるのも14年半ぶりだ。すごい人出に圧倒される。ここで昼食を取って、鎌倉から国鉄横須賀線で大船に向かう。

[帰路]大船で東海道本線熱海行に乗り換え、熱海で電車を乗り継いで三島まで行く。ここで新幹線「こだま」に乗り換えて帰ることにする。




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