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成田・流山・小川町

1987.3.6.〜3.8.

[旅立ち]「青春18きっぷ」が発売されるようになって、今年(1987年)で五年目(最初は「青春18のびのびきっぷ」といい、おまけにワッペンがついていた)。乗りようによっては、安上がりな旅行ができる、ということが浸透してきたのか、東海道本線の夜行、とくに下り大垣行は、この切符の利用できる時期は早めに並ばないと座れないようになってきている。

この切符を利用方法するときは、乗る前に日付を入れてもらう。最近は、乗る前、とは乗る当日の乗る前、という考えが徹底したのか、駅の窓口氏と揉めてしまった。
窓口氏のいうのには、翌日の日付を入れた場合、万一乗らない場合(乗れない場合)、無効になってしまうよ、という親切心からでたらしい(今まで翌日の日付を入れてもらうさいにもめたとき、こんな理由をいう駅員はおらず、単純に乗る当日に入れるようにという意見だった)。確かに、その通りで、窓口氏の意見に一利あるが、利用者が入れてくれという限りにおいて、拒む必要はないと思う。

けっきょく、日付スタンプを捺してくれたものの、翌日の日付ではなく、当日の日付を入れてくれ、すぐに気がついたからよかったものの、あやうく一枚ふいにするところだった。
素直に日付を入れてくれればいいものを、旅立ち早々からこんな議論(というほどでもないが)を窓口ですると、気の滅入るスタートになってしまった。

1986年11月ダイヤ改正で大垣発東京行340Mの発車時刻が約1時間遅くなっている。乗り継ぎ電車の米原行を逃すと、新幹線で追いかける必要があったが、この余裕は大きい。
米原では2分の接続。あいかわらず跨線橋の上り降りがあるからたいへんだ。電車の到着番線を工夫してもらいたいものだ。

大垣での夜行東京行の待ち時間は約1時間。いつも並ぶ最後部の禁煙車両のところに行くと、電車を待つ人の列は数人。十分席にありつける、と思っていたら電車が入線する頃になって、ダイヤ改正によって、車両の編成が1両減車になっていることがわかり、1両分前に移動することになった。3月も上旬で、乗客がまだ少ないので、こういうへまをやっても座席にありつけたのは幸いであった。

東海道本線の夜行は急行「東海」と共通運用されている。『時刻表』の編成一覧を見ると、確かに以前の12両から11両編成になっている。こんなことまでチェックしてないから、実際に乗ってみなければ変化に気付かないものだ。

電車の混み方は、1ボックス二三人程度。発車時刻は約1時間遅くなっているものの、到着するのは、3分遅くなっているだけ。『時刻表』によれば、京浜東北線の上野方面行電車とは接続が1分ほどしかなく、乗り継げないように思えるが、1分程度の余裕(もたもたしていてはだめだか)で乗り継げると車内放送もなされた。際どい乗り継ぎを案内するのはどうかと思えるが、この電車に乗る人のほとんどは承知していることだろう。
まだ、夜の明けきってないなか東京駅に到着。総武本線に乗り継ぐために地下ホームへ下っていく。

[成田山新勝寺]東京駅地下ホームから総武線快速成田行一番電車で成田に向かう。津田沼あたりで東の空が明るくなってきた。

成田6:14到着。駅前はひっそり。駅を出て左手に成田山近道の案内。せっかくここまで来たのだからと成田山へ行ってみることにした。その近道はスナックや飲屋の並んだ通りで、旅館、土産物屋の並びを抜けると約15分ほどで新勝寺にたどり着いた。大きな寺院で、ちょうど本堂では朝のお務め、多くの僧侶が堂内で読経、なんともいえぬ荘厳な声が響いていた。
成田は新東京国際空港に近いせいか、英語の案内が目につく。

[成田空港]京成成田から成田空港(現東成田)へ向かう。成田から 7.1km、所要は6分。これから海外に向かうらしい大きなバッグを持つ人も多い。

成田を出てしばらくすると高いフェンスが見えてきて、その向こうが滑走路のようだ。トンネルにはいって終点成田空港。空港ビルはここからバスに乗り換えてまだ6分ほどかかる。

地下コンコースからバス乗場に出てみると、バス乗場の向こうは高いフェンスが張り巡らされ、ビルに向かう自動車はゲートのところで止められ検問されている。いたるところに警備員が立っており、バスの待合室には至る所に次の注意書きがしてある。

お願い
空港の安全を確保
するため身分の確
認と所持品の検査
を実施しておりま
すのでご協力ください
新東京国際空港公団

へたにうろうろしていると、怪しい奴、と思われかねないので、早々とホームに戻り次の目的地ユーカリが丘に向かうことにする。

[山万]成田の町並みを抜けると北総の雑木林のなかを右に左にカーブしながら進む。まだ、開発の手が伸びていない。

佐倉あたりまで来て新興住宅街が見えてくるが、まだ、農村風景だ。酒々井付近から印旛沼が見える。

ユーカリが丘は、臼井と志津の間に設けられた駅で、山万が開発したユーカリが丘という住宅地のためにある。この駅からニュータウンの足として山万が新交通システムのユーカリが丘線が出ている。
1981年11月に開業した山万ユーカリが丘線は、神戸、大阪に次いで国内3番目に開業した新交通システムで、その後、埼玉新都市交通、西武山口線が開業しているが、ここの車両は他の新交通システムに比べ斬新なスタイルのように見えた。「公園」「女子大」などとあっさりした駅名なのもほかの民鉄では見られない。

路線はユーカリが丘駅を出て、ニュータウンを一周、途中の公園駅で元の線に合流し約16分で駅に戻る。一回りするごとに車両の前と後が逆になる。運賃は 150円均一。沿線はまだ造成されたままで、建物ひとつ建ってないところもある。

ホームに上がるときは自動改札だったが、出口は棒状のストッパーを押して外に出る方式。切符の挿入とは連動していないことを切符を投入してから気がついた。均一料金だから、改札を入るときだけチェックすればいいのだろう。
ユーカリが丘から津田沼に向かう。次第しだいに住宅が増えていく。

[新京成電鉄]京成津田沼駅は、京成の千葉線と新京成電鉄線の乗り換え駅。新京成電鉄に乗るのは初めて。京成津田沼−新津田沼間は単線。かなりカーブのきつい区間である。新津田沼で国鉄総武本線に連絡。習志野には陸上自衛隊の駐屯地がある。カーブが多い。

初富付近で東武野田線の上を抜ける。北初富は、北総開発、住宅都市整備公団線の接続駅。将来、この路線は京成高砂まで延長されることになっているので、今回はパスしておく。(:1991年3月31日京成高砂−新鎌ヶ崎間が開業した。)
八柱は国鉄武蔵野線新八柱駅に連絡。京成津田沼から約40分で松戸に到着。国鉄常磐線乗り換え駅だ。

[総武流山電鉄]松戸で国鉄常磐線に乗り換え上野方面に2駅行くと馬橋。ここから総武流山電鉄というミニ民鉄が出ている。常磐線が敷設されるとき、流山が路線から外れたものの、鉄道の利便性のよさからレールが望まれ、大正5年3月に馬橋−流山間 5.7kmが開業、たった6駅という小さな鉄道会社だ。

馬橋から幸谷(こうや) 付近まで常磐線と平行に走り、武蔵野線の下をくぐり、約12分で終点の流山。電車はすべて他社からの転用で、正面には「銀河」「流星」などの愛称板が取り付けられている。沿線は高層住宅など住宅地である。
駅前をすこしぶらついてすぐ引き返す。帰りは幸谷で下車した。すぐそばが新松戸駅である。

[川越へ]新松戸から武蔵野線に乗る。武蔵野線各駅ホームは、それぞれの駅のイメージにあった色にペンキが塗られていた。武蔵浦和で埼京線に乗り換える。

東北本線の浦和の前後に北浦和、南浦和がある。武蔵野線が開業したとき、東浦和、西浦和ができた。さらに埼京線が開業すると、武蔵浦和、中浦和が設けられた。あまりにも安易な駅名の付け方だが、この付近に新たに駅が開業したら何浦和になるのだろう。

武蔵浦和の埼京線ホームに上がると、ホームに掲げてある電車の行き先表示のところに、電車の動きにあわせて、今、どこにいるか表示されるようになっている。地下鉄などに、前の駅を出ました、という表示がでるものがあるが、それをもっと先から表示するようになっている。定刻に来る電車ではあるが、目に見えてわかるのがよい。
埼京線の電車に乗ると、大宮から川越線に入り、約30分で川越到着。駅前で昼食を取る。

[東武東上線]国鉄川越駅には東武東上線が接続している。寄居まで行くつもりなのだが、寄居行に接続している電車は40分おきにしかない。

昨年(1986年)2月、越生線に乗ったとき坂戸までは来ている。東松山あたりまでは沿線は住宅地が多いが、そこを過ぎると次第に田園が広がり、山が迫ってくる。森林公園で小川町行に乗り換え。武蔵嵐山(らんざん)は京都の嵐山に似た山があることにちなむ駅名らしい。小川町は国鉄八高線に接続。ここで、また乗り換えとなって、ここから約15分で、東武東上線の終点寄居に到着。東上線を乗り終えた。関東平野のはずれまでやってきたという感じ。八高線と秩父鉄道に接続している。

東武東上線は小川町を出ると竹沢付近まで八高線と平行して走り、そのあと北に向かって荒川の手前で西に進んで川を渡り寄居に至る。一方、八高線は、小川町から北西に進み、荒川を渡ったあと大きく東にカーブして寄居に至る。つまり、東上線と八高線の進行方向は寄居でぶつかる関係にある。これが頭になかったものだから、一瞬、どちらが高崎だか八王子だがわからなくなってしまった。

[八高線]寄居で約20分の待ち合わせで八王子行があった。やってきたディーゼルカーは昨年導入されたキハ38系、クリーム色に赤いラインが入っている。シートはバケットタイプで、ドアは従来と同じく、乗降客がドア横のボタン操作で開閉できる。寄居から八王子まで約2時間。秩父山系の谷口集落を結ぶ関東のローカル線である。

朝は晴天だったのに、昼頃には曇天になり、午後3時頃になると激しい雪が降りだしてきた。みるみる積もり、八王子に着いた頃には3〜4cm積もっていた。いっこうに降り止む気配がない。

[京王帝都電鉄]京王の路線もあと残すは、北野−京王八王子間と高幡不動−多摩動物公園間だけになった。雪が降り積もっているが、まだ時間も十分にあるので行くことにした。国鉄八王子から京王八王子まで歩いて数分のところにある。駅ホームは改装中のようで、ホームは仮設であった。

特急に乗車。北野までの区間をたちどころに乗り終え、高幡不動で下車する。多摩動物公園へ山間を分け入る路線。降り積もった雪が山の木々に映え、降りしきる雪とあいまって雪国の車窓風景だ。約3分で終点多摩動物公園に到着。

ここには、駅名と同じ動物園がそばにあり、定員制の遊園地や都心から移転してきた中央大学の最寄駅でもある。一日を楽しんできた人たちが折り返しの電車の中に見られる。
ひたたび高幡不動で乗り換え、分倍河原で下車、国鉄南武線に乗り換え立川に出る。(:1997年7月京王帝都電鉄を京王電鉄に社名変更)

[東海道を下る]立川で早めに夕食を取り東京に向かう。

東京駅には午後7時半頃着いた。大垣行夜行345Mが発車するのは23:40だから約4時間前。この時期、この時刻でどの程度の人が列を作っているか、発車する9番ホームへまわってみると、ところどころに荷物を置いてあるくらいで、まだそれほどの人数ではない。どのように列が伸びるか確認するため、そのままホームにいた。雪は依然と降り止まずホームはすこぶる寒かった。

午後9時半頃、発車2時間前になると各乗降口に数人の列となり、10時頃になるとかなり長い列になった。入線時には座席にあぶれる人が出る程度の長さになっていた。やはり2時間前には並ぶ必要があるようだ。

車内にはいるなりすぐ寝込んでしまった。気がつくと沼津駅に停車していた。そのあと静岡あたりまでうつらうつらしながら寝込み、次に気がついたのは岡崎あたりまで進んでいた。名古屋で下車する。

[名古屋市交通局東山線(その1)]栄−名古屋間はすでに乗ったことがあるのだが、まず、今回は藤ヶ丘に向かうことにする。地下鉄は車窓に変化が乏しいからつまらない。一社を過ぎると地上に出る。高架になってあたりの様子がよくわかる。雪がところどころに残っている。空地も多いが、高層住宅が増えつつある。約25分で終点藤ヶ丘に到着。そこから名鉄バスで瀬戸市に向かう。

名鉄瀬戸線に足を印すルートとして、当初は多治見から瀬戸市に抜ける国鉄バスで向かおうかと考えていたのだが、名鉄の時刻表を見ていたら藤ヶ丘−瀬戸市間にほぼ30分おきにバスがあるのを発見。東山線の初乗りも兼ねられるので、このルートで瀬戸市に向かうことにしたのだ。

藤ヶ丘から瀬戸に向かう道路沿いには長久手の古戦場の旧跡が散らばっている。田んぼにはまだ雪が残り、天気は快晴。約20分で瀬戸市街に入り、建設中の瀬戸線(:1988年1月31日愛知環状鉄道として開業)の下をくぐり瀬戸川に面した尾張瀬戸駅前にたどり着いた。

[名古屋鉄道瀬戸線]瀬戸線は明治38(1905)年瀬戸自動鉄道に開業した蒸気軌道がもとになり、その後電化された。瀬戸町と中央本線大曽根駅の間を結んでいたが、その後名古屋城近くの堀川まで延長されている。堀川−土居下間は名古屋城の外堀を走る電車であった。しかし、起点堀川駅がターミナルとして都心から離れていることもあり、新たに東大手付近から地下別線を設け、栄町に結ぶことにし、1978年8月に開業している。

瀬戸駅は洋風建築。新瀬戸駅は建設中の瀬戸線と連絡することになっている。建設中の瀬戸線は岡多線と繋がり、岡崎と高蔵寺を結ぶ予定であったが、岡多線は廃止され第三セクターの愛知環状鉄道となり、ここが建設中の瀬戸線も引き受けることになった。1987年度の開業をめざしている。
瀬戸線の沿線は名古屋のベッドタウンとして住宅が途切れることなく続いている。約40分で栄町に到着。

[名古屋市交通局東山線(その2)]栄に戻ってきたものの、まだ午前8時を少々過ぎたばかり。地下街も静か。地上に出てみるとテレビ塔が近い。

栄からそのまま東山線の片方の終点高畑に向かうつもりだったが、予定より早く未乗区間の初乗りをはたしたので、名古屋地下鉄の未乗区間である鶴舞線伏見−上前津間に乗っておこうと、名城線で上前津に向かった。名古屋地下鉄では遠回りしてもよいのかどうか知らないが、たいした問題ではあるまい。
上前津で鶴舞線に乗り換え伏見で再び東山線に乗り換え高畑に向かう。地下ばかり走るので変化は乏しく、とりあえず、乗った、というだけの行為だ。

八田は『時刻表』の地図を見ると国鉄と接続しているように描かれているが、車内放送の乗り換え案内では、近鉄だけを告げていた。近鉄八田と国鉄八田は少し離れており、東山線の八田駅は両者の中間やや近鉄寄り地下にあるらしい。しかし、国鉄関西本線と近鉄名古屋線を比較した場合、本数がべらぼうに違うので、利便性からいえば、国鉄が無視されても仕方ないかもしれない。

終点高畑から国鉄八田まで歩く。所要約20分。八田は名古屋から次の駅ではあるが、都会的な感じが全くしないちっぽけな駅である。1時間に1本程度しか電車がない。すぐそばに近鉄の路線があって、引っきりなしに電車が通るのとは大違い。

[関西本線]雪の影響かどうか知らないけれど、新幹線が遅れ、それに接続する特急「南紀3号」の発車が遅れ、ところてん式に普通も15分ほど遅れてやってきた。

八田から亀山に向かう。15分ほどの遅れは途中で定刻に戻った。単線区間の行き違い待ち時間で対応できたのだろう。

亀山からはディーゼルカー(DC)に乗り換え。DCの大半はかつて急行に使われていたキハ58系。スイッチバック式の中在家信号場で対向列車待ち。
草津線乗り換えの柘植を過ぎ、伊賀上野から月ヶ瀬を抜け、ようよう木津までやってきた。八田から約2時間。久しぶりに片町線に乗ってみたくなり木津で下車する。

[片町線]木津−長尾間は電化されておらずDCが走る。途中の田辺−上田辺間には京都市内から移転してきた同志社大学最寄駅となる同志社前駅が設けられている。大住あたりは土地造成が盛ん。ニュータウンが開かれるのだろう。

長尾で電車に乗り換え片町に向かう。住道付近は高架工事中だが、上り線は高架線を使用し始めたようだ。大阪環状線乗り換え駅の京橋の先にある終点の片町まで行ってみる。(:1997年3月8日JR東西線の開業で、片町−京橋間は廃止された。)



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