このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



八幡平と阿仁合・角館線を訪ねて

1984.9.13.〜9.16.

■[北に向かって]大阪駅11番ホーム、22:10発新潟行急行「きたぐに」を待つ人の列は、10分後に発車する「ちくま3号」を待つ人ほど多くはない。

「きたぐに」は上越新幹線開業に伴う1982年11月ダイヤ改正までは大阪−青森間の急行だったが、今は新潟までの急行になっている。車両は14系の客車列車、座席は簡易リクライニングシート、座席に横になって寝るには寝にくい車両だが、すいているのをいいことに、とりあえず横になる。(「きたぐに」は、その後、1985年3月ダイヤ改正で583系電車に置き換えられた。)

最初は駅に停まるごとに目があいていたが金沢を出たあたりで寝込み、気がつくと直江津の手前だった。外はあいにくの雨。

新潟8:50到着。15分の待ち合わせで青森行特急「いなほ」に乗り継ぐ。この電車は1982年11月東北・上越新幹線開業にともなうダイヤ改正で、新潟−青森間の「きたぐに」の特急格上げとして誕生したものだ。電車になった分だけスピードアップしている。

羽越本線には村上を過ぎたところで直流電化から交流電化に変わる。今までこの区間は客車やディーゼルカーでしか通過したことがないので、切り替わるデッドセクションで明かりが消えると、ここだったのか、という感じで通過する。

空が次第に明るくなり晴れてきた、と喜びかけると、電車ががくっと揺れて、目を覚ますと相変わらず雨模様。寝不足で白昼夢状態に陥っているのだ。それを繰り返していた。

新潟平野ですでに終わっていた稲刈は、庄内平野にかかるとこれからというところ。黄金の穂並みのなかを電車は突っ切る。

象潟は、芭蕉が宮城の松島と対比した景勝地。大地震で海底が隆起し、松の植わった島だったところが平野部に点在している。改めて眺めてみると不思議な景観だ。

秋田あたりまでくると、今度は本当に雨もあがり、晴れ間も少し見えてきた。


■[阿仁合線]鷹ノ巣14:25到着。未乗の阿仁合線を往復するため下車する。この路線は不便なダイヤだ。この不便とは遠路遥々やってきた乗ろうとする場合のことであって、地元の人もそう思っているかどうかは知らない。阿仁合線の列車まで1時間の待ち合わせ。

この路線には5年前(1979年)に東北地方を巡ったさい、乗ろうと企てたのだが、集中豪雨のため乗っていた列車が途中でストップ、列車に閉じこめられたあげく、けっきょくこの時は乗ることができず、今まで持ち越しているのだ。やっと乗れる、という思いでぞくぞくしてくる。

阿仁合線は、鷹ノ巣−比立内間46.1kmの路線である。昭和9(1934)年鷹ノ巣−米内沢間の開業に始まり、その後延長されて同11(1936)年阿仁合まで延びた。比立内まで延長されたのは戦後になってからで、昭和38(1963)年のこと。かつては、沿線の木材輸送など貨物列車も走っていたようだ。

阿仁合線は米代川の支流大阿仁川に沿って進む。学校帰りの高校生が多い。沿線は林業が中心。

阿仁合には異人館と呼ばれる洋館があって車窓からも見ることができる。銅鉱山があったころの外国人技師の住まいだったらしい。

鷹ノ巣から約1時間半で終点比立内に到着。阿仁合線は角館線と結ばれて鷹角線となる予定なのだけれど、すでに国鉄の手で営業する気はない。角館線が営業キロ数の関係でひと足早く第一次地方交通線にあげられたこともあり、角館線、阿仁合線、それに未完成の工事線をあわせて第三セクターで運営することになった。沿線には三陸鉄道のような有名観光地もなく、はたして第三セクターを設立したところでやっていけるのだろうか。(第一次地方交通線にあげられた角館線、第二次地方交通線にあげられた阿仁合線は、1986年11月秋田内陸縦貫鉄道に転換され、このとき未開通の松葉−比立内間は、1989年4月に開業した。)

比立内では折り返しの列車まで40分の待ち合わせ。レールの先には使い古されたターンテーブルが残っていた。

折り返しの列車に鷹ノ巣に戻ったが、奥羽本線下り方面の接続が悪く、仕方なしに特急「鳥海」に乗車。上野発上越・羽越線経由のこの列車、以前は「いなほ3号」と称していた。上越新幹線が開業したとき、新潟発の特急は「いなほ」に統一され、ダイヤ改正後も残った上野発の特急を「鳥海」に改称したものだ。この改正まで「鳥海」は、上野発上越・羽越線経由の夜行急行の愛称として使われていたが、このとき廃止されている。
きょうは大館駅前の駅前旅館転身型BHに泊まる。


■[花輪線]大館盆地は秋の霧が立ちこめていた。天気はよさそうだ。

大館6:48発の一番列車で出発。米代川に沿って走る。十和田湖への南ルートの玄関となる十和田南駅で進行方向を逆転、龍ヶ森あたりの高原風の車窓風景を楽しむ。花輪線に沿って東北自動車道が走っているが、工事中かと思うほど自動車が走らない。
大更9:18到着。ここで下車する。


■[八幡平]駅前から日祝日運転の八幡平頂上行バスに乗車。天気も上々。

しばらく走ると松尾。かつては硫化鉱の鉱山だったところで、大更からレールも伸びていた。今は地熱発電で有名。岩手山北側山麓はスキー場などリゾート地帯になっている。バスが登りにかかり稲穂の広がる田園、木々の緑が素晴らしい眺めを見せてくれる。

約1時間で八幡平頂上に到着。青森トドマツの原生林が広がる山々の展望が素晴らしい。しばらく山頂バス停付近を散策したあと、田沢湖方面行のバスで田沢湖に向かう。この沿線も温泉が多い。

山を下り玉川に沿って田沢湖に向かう。綺麗な流れなのだが、玉川温泉から流入する酸性水のため魚が住めない川だ。ダムの工事が進められている。

八幡平山頂から2時間あまり、午後2時過ぎ、田沢湖の湖畔バス停に到着。連休とあって多くの人たちが訪れている。


■[田沢湖]田沢湖はカルデラ湖である。竜子姫伝説で有名な湖で、国内の湖沼のなかで水深がいちばん深い湖だったと思う。

ここから外輪山を越えて角館線の松葉まで歩く。美しい田沢湖を見ながら、湖岸北側の道路を進む。御座石神社を過ぎて山の登りにかかる。
距離は約10㎞、2時間ほどで無人駅の松葉にたどり着いた。


■[角館線]角館−松葉間19.2㎞の角館線は一日3往復しかないローカル線である。昭和45(1970)年に全線が開通している。

松葉16:24発の折り返し列車に乗って角館に向かう。桧木内川に沿った田園地帯を走り、約30分で角館に着いた。国鉄在来線路線で残るは東北本線利府支線だけとなった。(バス代行の区間を除いて)

田沢湖線がすぐに接続していたので盛岡行に乗車。田沢湖で下車して、駅前の観光案内所で泊まれるところがないかきいてみた。しかし、連休なのでこのあたりはどこもかしこも満員だといわれた。たまたま、角館から乗った列車は田沢湖で12分停車だったので、その列車に戻ることができ、盛岡に向かう。次の列車を待たずに済んだだけ幸いだった。

仙岩トンネルを抜けて暗くなったなか、盛岡18:45到着。駅前のBHに泊まる。
盛岡の町は祭りだったらしく、人通りが多く、遠くで太鼓の音が聞こえる。


■[東北新幹線]盛岡6:30発大宮行「やまびこ」に乗車。東北新幹線に乗るのは初めて。車体の色が白と緑の塗りわけになっているが、車内は東海道新幹線「ひかり」と大差ない。

天気は曇で、雨もぱらつく。岩手山なども煙っている。仙台まで各駅に停車。新花巻と新水沢(ともに仮称)新駅の工事が進められている。一関−古川間にも新駅の計画があるようで、栗原登米駅予定地、の看板が沿線に立っていた。(新花巻、新水沢改め水沢江刺は、1985年3月開業、栗原登米は、くりこま高原として1990年3月開業)
仙台からは福島、郡山、宇都宮に停まり大宮9:47到着。

来年(1985年)3月14日に上野開業が予定されているが、それまでのあいだ、上野−大宮間「新幹線リレー号」が走っている。新幹線に乗る人だけが乗れる14両編成の専用列車で、上野側7両が上越新幹線乗客用、大宮側7両が東北新幹線乗客用になっている。車両は東海道線の特急「踊り子」に使われているのと同じ 185系電車だ。
大宮から25分で上野到着。


■[帰路]上野に着いたのはまだ、10時半頃だったが、東海道線をちんたら各停で下ることを考えており、朝食も満足に取ってなかったので、ここで早めの昼食(?)を取った。

上野から東京に乗り進んで、東京から乗った浜松行は、この7月に伊豆をまわったとき乗ったのと同じ電車である。7月のときは、静岡付近で電車が遅れて、浜松からの接続列車に乗れない、という事態になったのだが、きょうはトラブルなく、うまく乗り継ぐことができた。大垣でさらに乗り継ぎ、東京から約10時間かけて、大阪に至ったのであった。




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