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佐渡と「あさひ」 1985.5.3.〜5.6. ■[東北・上越新幹線上野開業]1985.3.15.全国ダイヤ大改正の目玉は東北・上越新幹線上野−大宮間の開業だ。これで大宮での乗り換えの煩わしさが解消され、大いに便利になった。 昨年(1984年)9月、東北新幹線大宮−盛岡間を乗り終えたので、今回の開業とあわせて上越新幹線に乗る計画を立てた。当初の計画では越後線に乗って弥彦、新潟あたりを散策するつもりだったのだが、せっかくだから今まで足を印したことがない佐渡を訪れてみることも考えた。天気次第でどちらでも、というわけである。 ■[きたぐに]「きたぐに」の愛称は、金沢−新潟間の急行として登場した。その後、大阪−新潟間に延長され、七尾線にはいる「奥能登」と金沢で分割・併結が行われるディーゼル急行だった。 1968年10月改正で大阪−青森間の急行「日本海」が寝台特急になったとき、同区間の急行に「きたぐに」の愛称が付けられた。なお、元の「きたぐに」は「越後」と改称されて長く走っていたが、1978年10月改正で特急「雷鳥」に格上げされ急行は消滅した。 大阪−青森間の急行「きたぐに」に初めて乗ったのは1978年8月北海道からの帰路のことで、青森から大阪まで乗り通した。17時間29分かかり、一本の列車に乗り続けた時間としては今のところこれが最高だ。この当時の車両は12系客車で、急行列車の座席車としてはもっともポピュラーな車両だった。 なお、現在、12系客車は急行列車が大幅に削減され関係で、福知山線をはじめローカル線の普通列車に使われるようになってきた(1985年3月ダイヤ改正から。その後、福知山線は1987年11月全線の電化が完成、客車による普通列車は消えた)。 急行「きたぐに」は1982年11月改正で運転区間が大阪−新潟間に短縮され、座席車には14系客車が使われるようになった。さらに、1985年3月改正では 581・583系寝台電車に置き換えられた。電車化されて始発大阪の発車時刻が22:10から23:20へ、1時間あまり遅くなった。かつての夜行急行「立山」の性格をもたせてあるせいか、富山到着は改正前より1時間ほど遅い5:04、しかし停車時間が短くなり、終点新潟には改正前と同じ8:50に到着する。 ゴールデンウィーク中ということもあって、座れないと困るので午後8時頃、大阪駅11番ホームに上がった。しかし、さすがに3時間前にはほとんど人がいなかった。しかし、午後11時頃になると、各乗降口、20人くらいの列が伸び、入線してきた電車に乗り込むと座席はすべて埋まってしまった。 一夜明けて、明るくなりかけた空を見ると快晴だった。そこで、直江津で下車して佐渡に渡ることにした。改正前なら直江津5:59到着で、直江津港6:40発の連絡船に乗れたのだが、改正で6:37到着に繰り下がった。この改正で連絡船の時刻も変わるかと期待したが、「きたぐに」からの利用者を期待してないのか、時刻はそのままで、さすがに3分で港までいけるわけなく、次の9:40発の連絡船まで待つことになってしまった。 時刻表によると直江津港は駅からバスで10分とあるので、歩けば30分くらいの距離と見当をつけて歩くことにした。なにしろ時間もたっぷりある。 港に向かう途中、関川のたもとには「安寿と厨子王」が佐渡に向かって出航した地という碑があった。 ■[佐渡汽船(その1)]佐渡汽船のターミナルへ行くと直江津から佐渡の小木に向かうこの航路は「国道 350号線」です、と地図まで掲示して紹介してあった。どうりで国鉄の列車と接続しないわけだ。「国道」の一部なのだから。 直江津港の近くには日本ステンレス直江津工場がある。ヤードにはステンレスのスクラップが山積み。 連絡船(カーフェリー)の大きさは6000t、小木までの所要は2時間40分。港を出航してしばらく甲板で、変わりゆく日本海の海の色を眺めていた。沿岸部のモスグリーンからしだいに深青色に変わっていく。しかし、沖合に出ると風の冷たさにがまんできず、船室にはいり、広間で横になって時間を過ごす。 直江津を出航して2時間あまり、小佐渡丘陵の山並みが見えてくる。船の揺れも大したことなく、定刻小木港に着岸。 ■[小木半島]小木港ターミナルの案内所で宿の確保をはかる。そのあとバスターミナルに寄って島内バス路線の時刻表を入手した。 きょうは、小木半島をめぐるため歩き出す。持参した国土地理院発行の5万分の1地形図、佐渡地区の最新のものが昭和43(1968)年編集で、新しいといっても17年も前のものなのだ。この地図によると小木半島をめぐる道路は小道記号になっており、途中には潜岩という岩もあるらしいことがわかる。 小木港から3kmくらい登っていくと小佐渡丘陵に連なる鞍部、標高は150m程度で、北のほうには1000mクラスの山並みが連なる雪をいただいた大佐渡山地が見える。海上では受ける風がとても冷たく寒かったくらいだが、こうやって歩いていると暑いくらいだ。 鞍部から北側に下ると木流(こながせ)の集落。ちょうど田植えのシーズン。水をはった水田が海岸近くまで迫っている。 海岸沿いの道路は地図の記号とは違って、舗装もされ自動車が通れる道幅があった。測量されて20年近く経つのだからそのくらいの変化はあってとうぜんだろう。しかし、自動車はほとんど通らない。海岸沿いに点在する集落は半農半漁の村という感じで、住宅のまわりは藁、竹などで風よけが施されている。ほとんどが板壁で、独特の景観である。人にも出会わない。飲み物の自販機すらない。 長手崎、田野浦、江積、どこも小さな集落である。三ツ屋を過ぎると「枕状溶岩」というものがあった。玄武岩質の岩石で、溶岩が海水で急冷されてできた柱状節理の大きなかけらである。白木を過ぎると沢崎灯台が見えてくる。 沢崎灯台のところに飲料の自販機があったので、喉を潤すことができた。沢崎の集落から上り坂の道路を登る。小木半島の南側は南仙峡という海岸が沈降、隆起を繰り返した複雑な地形で、海岸沿いの道路はないので、小佐渡丘陵の鞍部まで登ることになる。途中で、自動車が通りかかり、乗らないかと勧められたが、歩きたいので、と丁重にお断わりした。 鶴ヶ峰のあたりは標高 190mあるのだが、海岸べりからの登りなので相当きつい登り坂だった。鶴ヶ峰から下った山間に深浦小学校がある。沢崎、深浦など海岸べりの集落の中央に位置する。標高は 120mくらいだが、子供たちは海岸べりから毎日登り下りして学校に通っているのだろうか。ここへは、平日に限って小木から一日3往復のバスの便がある。 学校のところから犬神平に下る。途中に犬神神社という神社があった。小木から遊覧船も出ている南仙峡の海岸は段丘で、すぐそばまで水田になっている。田植えの真っ盛り。 海岸近くを通る道からは、あまり展望はよくない。田んぼの畔道を段丘のへりまで行ってみると、木々が茂ってあまり眺望がきくわけではないが、リアス式海岸が眺められる。強清水では海岸まで下りることができる。 小木から深浦までバスがはいっているが、今晩の宿である宿根木まで歩く。泊まった民宿の夕食は魚類のおかずが豊富だった。 ■[佐渡金山]翌朝宿根木7:36発のバスで小木に向かう。佐渡には新潟交通のバスが走っている。座席の前半分は進行方向横向きのロングシート。進行方向に向いて座席が並ぶバスしか知らないので変な感じ。 小木でバスを乗り換えて佐和田に向かう。羽茂(はもち) を経由して国道 350号線を走る。荒磯山(標高 226m)を越え、佐渡西海岸に出ると昨日歩いた小木半島が望める。真野湾に越しに大佐渡山地が眼前に見える。海岸から眺めるせいかとても高い山並みに感じられる。 佐和田でバスを乗継いで相川に向かう。大佐渡山地を抜ける中山峠にトンネルがある。交通量が多くないので問題にならないのだろうが、バス同士だとトンネル内で行き違えないのではないかと思えるくらい断面が小さいトンネルだ。 大佐渡山地の西海岸の中心相川は金山で栄えた町である。バスターミナルから佐渡金山の案内にしたがって山のほうへ町並みを登っていく。江戸時代の遊廓跡、大工町跡などと紹介されいる。町並みは今様の建物で、当時のものではないが、町割は当時のままらしい。 町から30分ほど登ったところに「佐渡鉱山」がある。今も細々と採掘が行われているらしい。その先に観光施設「佐渡金山」がある。江戸時代の坑道の一部を見学できる施設で、坑道内部では江戸時代の採掘の様子を人形などを使って再現してある。坑道をよく観察すると穴を掘ったノミの痕が残っている。 坑道を出ると資料館があって、金鉱石など鉱物標本や当時の精錬方法などについて解説してある。 佐渡金山」からしばらく行くと「道遊の割戸」というところがある。江戸時代から金鉱脈を掘り進んだあげく、一夜にして山が真っ二つに崩れ落ちたという。それだけ縦横無尽に坑道が張り巡らされていたのだろう。山肌にはところどころ坑道の跡らしい穴も見える。その先は大佐渡スカイラインに通じている。 「佐渡金山」から山を下ったところには三菱鉱山の選鉱所跡があり、煉瓦造りの建物が残っている。 ■[尖閣湾]佐渡を一周するには時間がないので、比較的有名な観光地である尖閣湾に行ってみることにした。相川バスターミナルから達者に向かう。 達者から尖閣湾めぐりの遊覧船が出ている。ちょうど達者バス停に降りると遊覧船の呼び込みをやっていたので乗ってみることにした。遊覧時間は20分ほど、ここも南仙峡と同じように切り立った崖などが見られる。 遊覧船から降りてバス停に戻ると相川に向かうバスがない。待っていても仕方がないので相川に向かって歩く。バスが来たら乗るつもりだったが、けっきょく相川まで歩き通すことになった。 ■[佐渡汽船(その2)]相川から両津へバスで向かう。この二日間天気も上々だったのに、午後から曇ってきて、小雨が降ることもあった。もう半日佐渡にいてもいいのだが、ゴールデンウィーク最終日、込み合うのは目に見えている。夕方の連絡船で新潟に渡ることにした。 両津18:20発新潟行の連絡船はかなりの混雑。所要は2時間30分、暗くなったら甲板に出る気にもならない。混み混みした2等船室で文庫本を読みながら過ごす。 定刻、新潟万代島ターミナルに着岸、ターミナルから新潟駅前行のバスが連絡、これで駅に向かい、駅前のBHに泊まる。 ■[上越新幹線]翌朝、朝6時に出ると言っておいたのに出入口には鍵がかかったまま。ほかにも出発する人がいて、フロント係を叩き起こし、ようよう駅に向かうことができた。 新潟6:25発の始発「あさひ 390号」に乗り込む。越後湯沢までの各駅と高崎に停車する。始発なので楽々自由席に座れたが、長岡を出る頃には座席はほぼ埋まり、高崎からは立つ人も出た。 新潟を出るときにはちょっと雨模様といった感じだったが、新清水トンネルを抜けると雨は降っていなかった。 大宮を通過すると左手に埼京線と並走、大宮あたりから少しスピードを落としている感じもする。赤羽を過ぎて地下にもぐる。東北・上越新幹線車内では、各駅ごと停車、乗り換え案内のさいにそれぞれの駅のテーマ曲が流されるのだが、上野駅の場合は『隅田川』だ。新潟から2時間9分で終点上野到着。エスカレータを乗継いで地上に出る。 ■[営団地下鉄]いったん改札を抜けて、営団地下鉄の未乗路線を乗り歩くことにする。前回は上野から銀座線に乗ったので、今回は日比谷線に乗ってみる。東京の地下鉄路線は複雑だから前もって調べてないと、うろうろしてしまう。 日比谷線は銀座で銀座線と丸ノ内線に連絡しているが、ここで丸ノ内線に乗り換えようと考えた。人につられて進んで行くと銀座線ホームに行ってしまい、慌てて引き返した。 銀座から丸ノ内線で新宿に向かう。途中の四ツ谷ではいったん地上に顔を出す。 ■[小田急]新宿で下車して小田急に乗り換え小田原に向かう。ホームに行くと箱根湯本・片瀬江ノ島行急行の発車間際で、どの車両がどちらに行くのかわからないまま乗り込んだ。分割される編成中程の車両まで移動、車内放送で前よりが箱根湯本、後よりが江ノ島行だとわかった。分割される部分は通り抜けできないから、停まる駅ごとに分割車両からいったんホームに出て車両を移る人もいる。分割される相模大野までいっしょに行くのだから、違う車両に乗ったからといって、へたにホームに降りないほうがよい。 小田急沿線は家並みがつきない。相模大野で箱根湯本行の車両に移る。伊勢原を過ぎて少し畑が増えてきた。 新宿から1時間半で小田原に到着。小田急と国鉄とは共用の駅だが、小田急ホームから国鉄側にはいるとき、構内改札が行われている。 ■[帰路]小田原の東海道線ホームに上がると伊東行があったので、それで熱海まで進む。熱海で沼津行に乗り換え、さらに静岡、浜松、豊橋、米原と順々に乗継いで行く。この時間帯がいちばん乗り換え回数が多い。 |
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